モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

モテる男の国際競争力

昨年の年末に、仕事で来ていたカナダ人と会いました。けっこういい年のおじさんなんですが、とてもエネルギーに溢れています。

本人も、「オレはworkaholicだ、ハハハ」と自慢げに話していましたが、本当に疲れ知らずな男です。

 

さて、男とはどうあるべきか、女性が磁石のように引き寄せられる男はどんなヤツなのか、ということを考える時、外人を見てみるのも勉強になります。このカナダ人のようにエネルギーに溢れるというのは、ひとつのアドバンテージでしょう。生命力やサバイバルする力は、本能として女性のアンテナに引っ掛かりやすいものです。

だから、エネルギーの生産と保全に我々は頭と時間を使うべきで、運動と睡眠などはそのぼっともベーシックな提言となっています。

ぼくはこういうすごい男を目の敵にする必要はないと思いますが、とても美しい女性が目の前にいたとき、他の男もこの女性に注目していて、そこには自然発生的に競争が現れることは覚悟しないといけないでしょう。そして女性はどちらか一人を選ぶ。男2、女1の状況でカップルが成立したら、どちらかの男はあぶれてしまうのです。それが自分だったら。。この女性がハイバリューウーマンであればあるほど、ハイレベルな競争になり、悲しみもひとしおです。目の敵でないとしても「外人め、チクチョー―」と感じるはずです。

この男が外人であればこれは国際競争です。冒頭のカナダ人はおじさんだし格別ルックスや何かのセンスがあるわけではありませんが、エネルギーや自信や仕事ができること、感性の豊かさ、人間的情、という点で、同じ競争の土俵に立ったとすればなかなか大変な競争が強いられるだろうな、とぼくは彼の戦々恐々とするわけです。

 

日本人には日本人の強みがありますので、それを重々活かしながら、こういう外人の持つ強みから学ぶ必要もあるでしょう。

という話を今日はしたいと思います。-----

 

 

さて、競争というと何か単一の要素や基準で勝敗が決まるのが世の常ですが、人間関係はもっともっと複雑な何かで回っています。人間関係を競争に例えてしまうとこれまた誤解を生みそうで難しいところなのですが、冒頭で述べたような状況を想像するとわかりやすいでしょう。そして、男女関係の魅力は言語化できる各要素へと収斂されるとは言え、単なるスペック以上の、第六感をも動員した選好の営みであることが分かります。AIでは対応できない人間特有の能力や感覚や強み、ここに恋愛関係の複雑さや言語化・数値化できない勝敗のゆえんがあります。

それで、足が速いとか力が強い、という単純な基準で勝敗が決まるスポーツとは違い(もちろんトップアスリートにはそれ以上の心技体のハイレベルが要求されますが)、さまざまな要素の複雑な絡み合いで人間性全体が構成されているんだ、ということ、その人間性とやらで競争の勝敗が決するんだということになります。

 

ところで、日本人の良いところ・強みは何なのでしょうか?

一般的に日本人はどういう民族なのか、これはこれまで歴史や遺伝などから語られてきました、そしてそのあたりを世界と比較するとたいへんに興味深いものがあります。

自他ともに認められるものとして、勤勉だったり、空気が読める、繊細で独特な感覚があるということが挙げられるでしょう。日本の自動車の作りや電車の運行やラーメン激戦地区など、そんなところまで気を配るのか、という細かい職人芸を極めることが日本人にはできます。あるいは協調性に優れているといわれますが、それは以心伝心という語に代表される日本の伝統です。また京都や和服、日本食、浮世絵などの独特な感性の表現は外国人を惹きつける魅力がある。

一方で、これはコインの表と裏でマイナス面もあります。

繊細だからこそ大局観が見えずらく、ゲームチェンジャーとなるような発想の転換をするのが難しい。太平洋戦争でひたすら零戦の練度を高めて優位に立っていた日本、しかしアメリカがついにレーダーを開発することで夜間飛行やパイロットの技術の差を一気に逆転した、あの事例がしめすような根本的な発想の転換は、木を見て森を見ず、ではなかなか生まれてきません。さらに、空気を読めるがゆえに自分を主張することもはばかられるというのが日本人のナチュラㇽな感覚ではないでしょうか。そうすると異文化間のコミュニケーションは薄くなる、協調性が重視され突出したアイデアや才能は生まれにくくなります。

長所は短所にもなり得るし、その逆もあり得るのです。

さて、これらは日本人の生物学的な特徴に起因すると言われてます。

日本人は脳内のセロトニンを再回収する機能やドーパミンの受け取りを担当する機能が、世界の人々のそれとはだいぶ異なっていて、それゆえに不安を感じやすく新しいことを探すことに疎いという感覚や気質を持っています。これは、不安を感じやすいから繊細なところまで詰めていかないと気が済まない、新しいことに疎いからパラダイムシフトするような思考に至らない、という日本人のあの特徴の生物学的な原因ですね。こういうところから「日本人」というものがあり、日本文化が形成されるんだというのがわかります。

 

外国人女性に聞くと、日本人男性の良さは「優しさ」だと言います。

これは、そのほかに褒めるところがない単なる良い人、という残念な場合もありますが、一方で本当に優しいという印象もあるでしょう。日本男児はヴァイキングを先祖に持つあっち系の戦闘民族と比べると、確かにおとなしいのかもしれない。とんでもなく粗暴で命知らずな男どもがゴロゴロいる西洋やラテンや中東の環境と、治安が安全で人が優しい日本の環境を比較すると、日本人男性の優しさは特徴的なもので、本当にそういう評価がされているのでしょう。

以心伝心で相手のことが分かるがゆえに、顔色をうかがったり、コミュニケーションを蔑ろにしてしまう、同調圧力に流されて自分の軸を失う、ということがある一方、相手のことを気遣える、暴力に訴えない、雰囲気が柔らかい、という良さがあり、あるいは1を聞いて10を知るスマートさも発揮されるかもしれません。日本人らしさが良い方へ発揮されたときそれは目を惹きつけるものがあり、そういう特質を好みとする外国人女性は日本人男性を選びたくなる。いずれにしても外側から見ると日本人はそういうふうに見えるのだ、そしてそれは強みにもなるのだということを我々はまず知っておきましょう。

 

さて、こういうことを話しておいて今更な感じがあるのですが、このように各個人のパーソナリティや各民族が持つ特長がそれぞれにあるとして、それとは別に男性であれば持たなくてはいけない共通の資質もあるんだということは、一言付け加えておきましょう。パーソナリティや民族的特長が建物だとして、その土台になるような男性的な力とは何なのか?

実は、これがこれまでさんざん言ってきた勉強や運動で伸ばすべき部分であり、基本のキでした。それは自分自身の軸であり、よく言われる自信というものです。ぼくがカナダ人から感じ取ったあの要素です。もちろん彼は西洋人らしく感情の起伏やリアクションが激しく、ガクーんと落ち込んだり、「もうやめだ」と突然投げ出したりするときもあるんですが、それでも何かあったら彼に相談したいと思わせるような、なんとも表現しようのない安定感や頼りがいがある。ひょうひょうと自分の道を行き、自分の好みや信念に従い、仕事を高いレベルでこなし、インタレストで深い交友関係を築いている。彼は、自信があるのです。

ぼくはこれは、先ほど脳内のドーパミンやセロトニンの話を持ち出しましたが、まさに生物学的な要因によるために「運動しろよ」という(つまらない)アドバイスになるし、軸を自分の中に作るために「勉強しろよ」という(これまたつまらない)アドバイスをキーボードで打つことになる、と感じています。SNSに入り浸って他人の動向ばかり追っていたら、どうやって”自分の”軸を作ることができるのか、そういう時間と脳内のリソースを無駄に使わないためにも、勉強しろ、SNSをやれないぐらいINPUTに励め、と言っているんですね。

このように、建設前の基礎を打ってはじめて、その後に特長的で個性に溢れた建築物を建てることが可能になります。

この基礎レベルは高ければ高い方がいい、ひとまず運動と勉強を習慣とし、人間としての土台をしっかりしておきたいところです。

プロアスリートの心技体のレベルが基本に依存するように、男性特有の魅力も基本レベルが高ければそれだけ個性レベルもより高いところまで到達できることになります。それだけで、他の男より優位なポジションにあっといういくことができる。

自信はとても重要ですし、それだけでトップに行くことができます。自信がない、優柔不断、というのは土台がない、男性が持つべき普遍的な資質の欠如ということになり、・・・なのです。基礎工事はしっかりやってください。

さて、問題はこれが国際競争になってしまったとき、この基礎の強さだけでは戦えない、ということです。どんなにがんばっても自信や力強さやコミュニケーションの自然さでは、西洋系やラテン系には太刀打ちできません。ダルビッシュがこんなことを言ったことがありました。「日本人はどんなに頑張ってもメジャーではトップになれない」。これは本当にそのそおりでした。オオタニさんのような特別な遺伝子を持っていない限り、日本球界では他者を圧倒してたダルビッシュもメジャーリーグがそういう場所だということを痛感したのでした。その彼が、現在30代の後半に差し掛かってもなぜ第一線で活躍できているのかというと、彼は自身の個性や能力に特化したからでした。どうあがいてもストレートが通用しないと悟った彼は、変幻自在の変化球を研究開発・ブラッシュアップしてメジャーリーグの強打者に対峙しました。もちろん、前提として彼が身体操作や生理学的な学習を欠かさず、筋トレやサプリメンテーションに余念がないことは有名な話です。そういうしっかりした土台の上にピッチングパーソナリティを築き上げてこそ、彼はあの地位を確立したのですね。

 

ダルビッシュを例に出したように、昔から日本人の変化球は素晴らしかった、メジャーリーグで活躍した日本人ピッチャーはみなそうでした。が、彼らのストレートはメジャー全体として一般的な水準だったでしょう。ランディ―ジョンソンやチャップマンのようなピッチャーはいません。また日本では変化球で華麗に打ち取るのが技術とIQの高い投手とみなされることもあるでしょう。しかしその逆にメジャーの選手は真っ向勝負を好みますし、メジャーの強打者はストレートにはめっぽう強いのです。

これらは能力的な違いであり、そしてピッチングセンスや理想、野球文化の違いにもなっています。

このように考えていくと、変化球で対抗するのが日本人の”らしさ”であり、”強み”であるように思えます。そこを伸ばすことはメジャーで競争し生き残ることへつながる、チームに必要とされるのです。ダルビッシュは国際競争力を身に着けるうえでとても良い例です。

 

日本人的なる良さ、日本社会にいれば当たり前で気にもされないような資質、それを外国人にも一目置かれるレベルにまで高められるか、これはとてもとても重要です。

熾烈で無慈悲な国際競争で負けない秘訣、あわよくば勝ってしまう鍵とは、自分の土俵で戦うこと、相手が持っていないもので戦うことです。

日本人がフランス料理やイタリア料理で勝つのは本当に難しい。日本国内だけで勝負するにはいいですが、本場でやるとなるとそれはほぼ無理です。一方、日本料理という土俵では外国人に負けることはないでしょう。小さい頃からその文化や味に親しんできて、幾重にも刷り込まれていて、それに最適化されているからです。

心技体を高いレベルで鍛錬しつつ、らしさという専門性を磨いていく。

多様性が叫ばれる中、男もいろいろないい男のバリエーションがあるはずですね。

 

今回は何の話だったかというと、男としての土台を敷いた後は、自分らしさを研ぎ澄まして自分の土俵を高く築き上げなければいけない、ということでした。相手から学ぶことは必要ですが、無いものを追いかけてもしょうがない。自分には生まれ持ったらしさがあり、それを磨いていくことで、この厳しい恋愛の時代を生き抜いていくことができるのです。

では、今年一年も良い年にしていきましょう。

 

 

やじろべえ。

 

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