モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

妬みのお話し

 

 

さて、冬がやって来ようとしています、

いかがお過ごしでしょうか。

 

季節の変わり目は必ず体調が落ち込みますね。

これは身体が夏用から秋用、冬用へ対応していく中での不具合だといわれています。変化に対応するためにはなにがしかのエネルギーを要しますが、仕事で無理をしたり飲食で無茶をしたりすると、このエネルギーが当然不足しがちです。何でもないときはこの季節変化のエネルギーニーズもやり過ごせるのですが、無理が重なるとエネルギー不足に陥り寝込む、風邪引く、ボーッとしてやる気が出ない、など「季節の変わり目に伴う不調ですね」と言われる症状になります。

 

で、我々の場合ですがこういうことに悩まされている暇はないですから、しっかり体調管理しつつ、風邪とか倦怠感にリソースを奪われることなく、最大限やるべきところに注力してください。

 

では、今日は妬みについて考えてみましょう。

 

人間とは、なぜにこれほどまでに醜い生き物なのか、と思わされる時が多々あります。

「妬み」の瞬間です。

「妬みなどいったい誰得なのか」と頭ではわかっていても、自分を含めそういうげんなりする感情はひょっこり顔を出すことがある。モテることを追求していく時、妬みは魅力とは真逆なのだからたいへんにマイナスだ。。そうわかっていても蟻地獄のように嵌ってしまいます。

 

成功者は口をそろえてYouTubeで「他人の評価を気にするな」「自分のやるべきことに集中しろ」と言います。嫉妬や妬みというは比べる他者がいて云々される現象なので、彼らのメッセージというのはまさにそういうことで、「妬みに呑み込まれるなら成功できないよ、百害あって一利なしなんだよ」ということが彼らの言いたいことなのだということが分かります。妬みなど、もってのほか、と。

さて、脳科学的には、わたしたちが妬みを感じるシチュエーションにいる時、いったい脳がどういう反応をして、どう動こうとするか、そして妬み感情を解消したときにどういう報酬が脳内で起こるか、ということも分かっています。これはもう人間に埋め込まれたメカニズムなんだとされていて、人類の社会性を守るためにはこの妬み感情も必要なものなんだと、学問としては妬みのWHYの部分まですでに整理されているんですね。

 

では、百害あって一利なしなのに、我々に深く埋め込まれてしまっている妬み感情とを、いったいどう両立させることができるのか?

そういうフェーズで考える必要がでてきます。

嫉妬心の強い女は嫌だ、

嫉妬深い自分にがっかりする、

と我々は自然に感じてしまうように、モテるか否か問題においても嫉妬はたいへん有害ですが、この感情をどう利用すべきなのか? そういう取り組みをしなければなりません。

 

脳科学者によると、良性と悪性の妬みがそれぞれある、といわれています。(※嫉妬と妬みは学術的には厳密には違うようですが、ここでは深入りはしません。)

良い効果をもたらす妬みと悪い妬みがある。

どういうことでしょうか?

成功者へと我々を引き上げてくれる嫉妬と、人生を破滅させるーさっぱりモテない「近寄らないでよ!キモい!」と陰口をたたかれるー嫉妬、

この2種類あるというわけです。

いったいどういうことか?

 

これは、妬みの定義を考えればわかります。

妬みとは、自分と他者を比べて相手は優れている(自分が劣っている)ときに自分に感じる劣等感や不安を解消するために、相手を引きずり落としたいという感情です。

自分<他者

という現状を解消するために、相手を引きずり落とす、

自分≧他者という状態に持って行くことを目的とするわけですね。

「他人の不幸は蜜の味」なのは、自分≧他者が達成されるために精神的原動力なんですね、だからこそ、そうゆうシーンを見ると何とも言えないシメシメという感覚があるわけです。

先ほども言いましたが、これは社会性を考えると合理的でもあり、フリーライダーや悪いことをして利益を得ている人間を罰したいという気持ちにより、社会的な秩序を保とうとする機能がありますが、

しかしながら危険なのは、嫉妬妬み感情は際限がないところ、

ほとんどの人はこれをコントロールできず、機能範囲内にとどまらず「呑み込まれて」しまい、成功からどんどん遠ざかってしまうのです。

 

さて、自分<他者の状態から、自分≧他者の状態へ持っていくためにできることは、今言ったような相手を引きずり落とすというものの他に、もう一つルートがあることに気付きます。

それは、「自分を高めること」で他者を追い抜くという方法です。

二つのルート。

一つ目が元来の妬みのイメージそのものであり、「他者を引きずり下ろすこと」、これが悪性妬み。

もう一つは、自分を高めて不安や僻みを解消する、良性妬みです。

 

これらは同じ結果ですが、プロセスが全く違います。(厳密には結果はまったく違いますが、便宜上、記号上、同じであるということにしましょう。)

「自分を高める」ということはそもそも自己啓発や成功哲学が好むような方法です。そして、それらのメッセージが推奨する自己投資ですから、蓄積性や継続性がある。場所が変わっても最強の再現性のある方法であり、資産なのです。じゃあ、他者を引きずり下ろすのは? もう言うまでもありませんね。百害あって一利なしなのです。

自分を高めるのは、いかんせん結果が見えにくい、時間がかかる、労力がかかる。「片手間」「一日2時間」「即金」というネットで謳われるセールス文句とは真逆の営みです。だからこのルートを選ぼうとする人すら少ない。

多くの人はもう一つのヤバいルートを選んでしまう、じゃないと現実と精神のギャップでやられてしまうから。。

これは世の中で起きている出来事、僕らが毎日目にするあの場面なのです。

 

成功者は、みなこのことを言っているのです。

「他者の評価を気にするな」

「自分のやるべきことに集中しろ」

というのは、

「自分を高めていけば、嫉妬や妬みから自由になって脳科学的にも生物学的にもワークするでしょう?で、常時 自分≧他者になってハッピーだよね」

という意味なのです。

自分が高まるというのは、社会的にも使いどころがたくさんあり生きていくのが楽になります。そして嫉妬感情とも上手に付き合える、

こうなって初めて、人間関係の基礎ができて、他者を脅威に感じたり、自分を卑下したりすることなく、心から友好関係や協力関係が成立しうるのです。

すげえ男を見て、「おれもあんなふうになりたい、あいつから学ばなきゃ」という思いが素直にやって来るには、そういう背景が必要なのです。

こういう男こそが成功すると予想できるし、モテるだろうなあ、と思いませんか。

 

ぼくが常々、モテるには成長しなければいけない、人間力こそそのカギだ、本を読め運動しろ、キモいマインドは捨てろ、というのはこういうところに端を発しています。

モテるというものを考えたとき、小手先のテクニックではダメなのではないか、昔からそういう思いが心の奥底にずっと漂っていました。人間的に立派な男になることこそがその解だろう、という小さな願いもそこにあり、そういう生き方を心がけてきたわけですが、当初はそれが本当にモテにつながるのかということが、わかっていたわけではありません。

 

でも、自分がそうやってやっていくうちに悪くないなという手ごたえがありましたし、自分自身の心も満足している。また、勉強すればするほど、学びで得た知見はそれらの方向性を支持している、と確信を持てるようになりました。

 

というか、達成というものはすべてそうではないでしょうか?

筋トレも登山も執筆も会社経営も科学的発見も、大きく野望を抱くのは良いしそれを夢見て気持ち良くなるのは良いことですが、その途上は退屈でしんどくて犠牲が強いられるものです。

いわんやーーにおいてをや、です。モテるというのも原理原則に基づいて考えれば当然そうであり、それが当たり前な成功ルートだと思うのです。そして表面的で小手先な筋トレ、登山、執筆、、というものが大きな成果につながるとは思えない、

こーゆーことも、苦しい思いをしながら成長を目指すしか道はないだろうと考える根拠なのです。

 

嫉妬から逃れることはできない、であればそれを有効活用すればいいじゃないか、

そういうお話でした。

いきなりの妬みの話でしたが、なにかの参考になれば、ではでは。

 

やじろべえ。

 

あっ、質問コーナーなしだ。。

質問、ちょうだいね♡

 

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