モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

第一印象の解剖学

 

こんにちは、

みなさん「令和」に慣れたでしょうか。

と言っても、変わるのは形式的な世界あるいは気持ちの問題、元号と関係がある業界だけで、元号が変わったからと言って「わたし」の何かが変わるわけでは、当然ありません。

新年然り、卒業然り、移住然り、元号然り、こういう節目、人生の区切りは何かを新たに頑張るぞ、今までのようではいけない、という気持ちのリセットにはなりますから、その点で変わるきっかけにはなるでしょう。その意味では、やはり自分がそのきっかけをつかむよう主体的に動いていかなければいけないでしょうね。

さて、親愛なる読者のおひとりから、

「メルマガはどこで登録できるんですか?」

というコメントが来ました。

確かに、どこを見渡しても登録フォームやランディングページはありません。。

そうです、

やるやる、と言っておきながらまだメルマガは出しておらず、どのメルマガプラットオームを使うかも定まっておりません。完全なるやるやる詐欺の状態で今まで来ています。

本当に、申し訳ない。

がしかし。

メルマガはもちろん、同時進行でモテるための教材も”製作中”ですから、そしてだからと言ってブログも手を抜きたくないので、やるやる詐欺が順調に進んでいる感じでございます。

まあ気長にお待ちください。

満を持してメルマガが飛び出した時は腰を抜かすと思いますので。

で、

こんな、メルマガもブログもいつ出るかわからない状態なので、読者登録の方もお願いしますね。

教材も時の試練に耐えれるような、人種国籍背景問わず誰にでも敷衍できるような、道に迷ったときにつねに行くべき道を指示してくれるような内容になると思いますので、期待して(気長に)お待ちくださいませ。

さらにぼく自身がもっとビックリしたこととして、女性からちょいちょいコメントをもらうようになりました。

 

この記事について、「媚びる男にはなんの価値も感じない、もうわたしに近づかないで、キモいから。媚びない男にこそ口説かれたいです。」と。

同意です。

ここから女性心理について2つのことが読み取れます。

まず、やっぱり媚びる男はダメだ、という当たり前な話です。

これを再確認したところで、強い男を目指していきましょう。

もう一つは、女性はみな男から口説かれたいし、そうすることで自分を認めてもらいたい、そしてそういう男と関わっていきたい、影響を受けたい、と強く感じているという事です。

これは男性諸君には朗報ですが、

間違えてはいけないのは、「媚びない、いい男」という条件が立ちはだかっているんだというポイントです、ここを本当に強く認識しなければなりません。

女が自分を許すのはそういう男に限られるのだ、ってことですね。

そのストライクゾーンはとても狭いのですが、ここに到達するのは決して難しくはありません。

当たり前のことを積み重ねていけばいいのです。

コメントをくれたみかんさんは「すべての非モテにこれを読んでもらいたい」と言ってくれました。

はい、ぼくもそう思いますし、そういうつもりで記事を書いています。

なにせ、世の中のほとんどの男は非モテですから。

では、今日のブログ記事行ってみましょうー。 

 

 

またまた帰国シリーズです。

「またマイルドヤンキーディスりかよ」

と思った方、

残念です。

なんと今日は、帰国で遭遇した人々に見て取れる「日本人の美しい姿」についてレポートしたいと思っているのです。

ぼくが「美しい姿」と表現したとき、それは

「見た者の頭の中でその対象について人間的な魅力がフワッと敷衍される」

というニュアンスで、それはその人に対する深い尊敬の念を呼び起こし、ぼくはただただ「すごいなあ」と感じ入ってしまうのですが、あの感じを美しさととらえてもらえば一番近いかなと思います。

日本人の美しさとは何かと考えたとき、それはサムライとか大和魂などと外人からは言われるでしょう、ぼくはこれを世界に誇れるものだと、今回の件を見て確信を新たにしたわけです。

こんなことをおっしゃるお医者さんにお会いしたことがあります。

「日本にいて、日本人同士のいざこざをたくさん見てきて、嫌な思いをいっぱいしてきたからここにやって来たけど、この前久々に帰国してみたら、なんだか日本人の良いところが身に染みたんですよ」

海外にいると、こんなことをおっしゃる日本人は少なくありません。

この感想というのは、僕自身も非常に共感できることです。

日本人が当たり前に持つ優れた特質、これを外人はまったく持っていないのです。

だから日本にいて当たり前だと認識していたであろうものを海外に行って失ってみてはじめて、その尊さに気が付くのですね。

ぼくはこのお医者さんと話していてその瞬間「わかるわー」と思いましたが、それを再び帰国して一発目の空港バスの運転手に思い出し、ぼくが「美しい」と感じたものだったのです。

「細やかな気遣い」「空気読める」「以心伝心」「自己主張なく奥ゆかしい」

こういう日本人特有の良さは、日本にずっといると当たり前になって尊いと感じる気持ちがどんどん無くなっていきます。

いつもはマイルドヤンキーをディスったりしてるのに今日は高く持ち上げるというのは、

こういう良さは、欠点とコインの表裏のような関係になっていて、いい側面と悪い側面が見る者のコンディションで見え方が変わるのかもしれません。

時にコインが表になってスゴいなと感じ、そして裏目に出てがっかりする、そして今回のようにまたまた「美しい」などと言う。

日本人の表と裏を行ったり来たりする日々。 

日本では変わり者、でも外人にもなれないぼくの、中庸的なるレポートをご覧ください。

 

では、どうぞー。

 

 

帰国して、空港へ到着した。

数か月ぶりの日本の空気だ。帰ったら帰ってきたでやることが溜まっている、帰国してフッと一息ついたらさっと仕事に取り掛からねば。

さてと、とりあえず空港バスで出発するか。

さんざんこの帰国してタクシーやらスーパーやらでおじさんたちと遭遇するシリーズをやってきたが、今回はどんなことを学べるだろうか。

まあ、まずはバスに乗ろう。

ぼくは意気揚々とそして興味津々でバスで乗り込んだ。

この田舎だ、バスに乗り込むお客さんも少ないな、と思いながら。

案の定、乗客は冴えないおっさんとナルシスト気味の商社マン、さっそく反面教師がたくさんか?とぼくは思った。

ようやく時間になり運転手が乗り込み、出発の様子だ。

いつもながらに、「お仕事、ご苦労様です。」と心の中でつぶやいた。

ぼくができない生き方を、この日本で何十年もやっている人生の先輩だ。

 

せっかく帰国してきたんだ、いつもマイルドヤンキーが目につくわけだが、これはこれで日本的な空気を楽しもうと思っている、バスも一番前列の座背に陣取った。

スマホを取り出し、なんかあったら即つぶやくためにTwitterを起動し、スクロールする。別に言うほどいつもつぶやいてねーじゃねーか、とツッコまれそうだ。はい、そのとおりです、と言うべきところだな。

 

さて、ぼくが声を大にして言いたいのが、ここからはいつもマイルドヤンキーをディスっているぼくが予想していた光景とは全く別のものが眼前に広がっていたというころだ。

 

バスの運転手の姿、きちんとした身なり、落ち着いた声でマイクしてアナウンスして、非常に堂々とハンドル操作し、その背中には乗客を安全に届けるという責任感がフツフツとにじんでいる。

実に「かっこいい」のだ。

 

海外の場合乗り物の運転手というのは、お客さんに対して大変雑な対応をして、乗車も降車も大変せかされる。イライラして「早く乗れよ、こっちは運転してやってんだ」という態度で運転手は仕事している。

目的地にたどり着きさえすればよい。

運転手として際立つべきは、スピード。

運転はかなり荒いし、早さだけが重要で、運転の腕を競っているような印象だ。

お客様は物なのか。

こっちからしたら運転してるその自分に酔っているようにもみえる。

ホスピタリティーなんて、欠片もない。

お客さんの安全が俺の肩にのしかかっているなんて気持ちは全然ないだろう。

細やかな気遣いはないし、責任感などない。

(リーダーには相応しくない)

 

腕があればいいだろ?、決まった場所にたどり着ければ目的を果たすんじゃないのか?どうせ食っていく金を稼ぐだけだ。

 

しかし、なぜかそうじゃないのだ。

 

ぼくは、良い態度とか、責任感とか、そういうものを求めている自分に気が付いた。

そうあってほしい、プロとはそうあるべきじゃないのか、と。

だか、それを彼らに求めてもしょうがない。

なぜなら人として大事なものは内発的なもので、自分の中から自然と湧き上がってくるものだからだ。

これがかっこよさ、「美」と強い関係がある、というのが今日の話である。

見た目、である。

さて、第一印象とは何なのだろうか?

さっきからの話の流れからすると、気持ちとそれが外部へ伝わることが何か関係がありそうだ。

ぼくはいつも非モテはキモいマインドから来るということを言っているが、まさに人に与える印象というのは、わたしがどういう人間かということをシグナルとして発しているに過ぎないのだ。

社会は、こいつはどういう人間か?ということを判断しなければいけない。そして、取捨選択しながら人間関係を構築していく。

人に与える印象は、社会society においてとても重要な役割を担っているのだ。

ということは、第一でも、その後の継続的な印象でも、「本当のわたし」を知ってもらわないといけない。

そして、「わたしの質」が高いほど社会で占める位置というのは相応の重要性を帯びてくる。

個人の時代と言われる今は特にそうだ。

これからの時代を充実して生きていけるのはそういう人間だということだ。

しかし残念ながら、わたしの質を高め方を知っている人、教えてくれる人は、なかなかいない。

印象がよい

と言ったとき、わたしの質が高まってステージをぐんぐん上がっていく本質的な「よさ」と、印象のよさを狙って外部からペタペタ表面的なメッキを付ける見た目だけの「よさ」がある。

「第一印象」

と言ったとき、ほとんどの人が頑張ろうとするのは後者である。

なぜなら、印象のよさと内面の重要性がどうも結び付かないからだ。

だからメッキを頑張る。

顔面、髪型、ファッション、体型、日焼け止め、無駄毛処理、整形

などなど。

これはこれで重要なのだが、これだけでは「美」にはたどり着けない。

美とは背中であり、生き方であり、内発的なものであり、「わたし」なのである。

責任感がある人は、細部にまで気を配り、いいことも悪いことも自分のせいという覚悟があり、堂々としているだろう。

この感じが、あのオーラが、外部依存の化粧ではとうてい演出できないのだ。

気持ちが弱気だったら、オドオドするだろうし、

利己的だったら、周りの人はそれを一瞬で見抜く。

まったく、人間は、社会はよくできたものだ。

それが、

社会を営む人間の知恵なのだ。

すごいオーラがある人がいるとしよう。

実際その人から話を聞いてみると、いろんな事業をしていたり、いろんな国を回ったり、各国の要人と交流があったり、業界のトップとの人脈が太かったり、修羅場をたくさんくぐってきていたりと、これは普通の人と経験の質と量が圧倒的に違うなーと感じることがないだろうか。

そしてそういう経験の数々は、人生を考えるきっかけになり、当然感性に強い影響を与えるのだ。

それはそうだ。

経験が薄っぺらい人間が、重厚なオーラなどまとえるだろうか。

人並みの経験しかしてないのに、人並み以上のステージに行けるなら、どういう魔法を使ったんだよ。そんな世の中は本当に不公平じゃないか。だが現実は、そんなことはない。人並みの町で、人並みではない人間がいたら「あの人はどこから来た人だろう?何かイベントでもあるのか?」とふっと思い浮かべる。

すごい人にはそれなりのすごいバックグラウンドあると考えるのが自然だ。

中国の金持ち。

確かに、金はあるかもしれない、腐るほどあるだろう。

その金でやりたいことやって、自由で楽しい人生かもしれない。

しかし、生き方として美しくない。

それが日本へ帰ってきて強く感じた日本の良さ。

当然、日本のような世界から見ても閉鎖的な国というのは、そのなかで同調圧力がかかるのが普通だが、もしその見えない空気の力が、

世界のため×自分の人生観

と一致していて、「だれかのために」「社会や世界のために」という、自分以外の何かに捧げられたものを、それも自分自身が「同調しろよ」という圧力に強いられてではなく、そうあるべき、美しく生きる、という願いのもとにそうしているなら、そのマインドセットは「わたし」になり、強く印象されるのだ。

「世界のために貢献したい、オレの圧倒的な実力をみんなのために使ってくれ」

という健全な自信だ、少なくともぼくはそうやって生きている。

これが、自分だけよければいいという気持ちと、自分に関係する人々への責任を果たすという気持ちが生む決定的な差、

バスの運転手の間に生まれた美しさの差である。

 

そういえば、「好きになった人が、前々から公言していたタイプとは全然違う」という話をよく聞かないだろうか。

うん、よくある話だ。

本当に人の心を揺さぶり伴侶を選ぶという人生の重要な決定をさせるのは、その人の「わたし」であり、外部装飾では決してない。

パーソナリティーや経験や思考を含んだその人の生き方がそれほどの影響を及ぼすのだ。

本当に力を持つ印象とは、こういうものだ、ということをぜひ覚えておいてほしい。

第一印象を解剖すると、そういう風にぼくは解釈できた。

 

人からの見た目を気にする、という意識は誰しも大なり小なりある。そしてこれはいいことだ。

理想は、形から入って、見た目から入って、そして着実に本質へ近づく、という経路だろう。

中学生高校生がファッションに気を遣う、という見た目。

だが、いい大人の人生の歩みがそこで止まっていてはいけない。

どう見られるかという「印象」を気にすることは重要で、思春期からじょじょに始まっていくが、美とはその印象と中身の不協和を解消すべく、日々たゆまぬ努力することなのだ。

 

それなりのきちんとした身なりをしろ、

たが、同時に身なり以上内面を持て。

 

今、日本を出国さてアウェイへ戻っていく途上でこの記事を書いている。

日本人の良さを持って向こうでもガツガツいこうと思う。初心を思い出させてくれる非常にいい帰国だった。

みなさんの健闘も祈っております。

 

やじろべえ。

 

編集後記

ここ最近、ぼくのツイッターにDMで激熱なメッセージをくれる若者がいるんですが、ブログを通してマインドセットを変えることが出来た、と言ってくれました。

どうやらそのパラダイムシフトを起点に、彼の心の中にcompetenceが育まれたようなんですね。

Yuzuくん、いつも熱いメッセージありがとうな!

Yuzuくんがもともと優しいだけでなく、どんどん強くなっていく姿がほんとうに頼もしいと思うし、生き物として女が男に求めるのはそういう気質だからな。

 

この前送ってくれたストーリーもよく考えられているよ思うよ。

筋トレ大会健闘祈る!

 

さて、最後に締めの話をYuzuくんにも読者のみんなにもしたいわけですが、

本当に自立している人というのは、究極的には周りが気になりません、呼吸を気にする人なんていませんね。それは当たり前すぎる日常の動作だからです。

ただ、呼吸が浅い人がそれを改善するために深呼吸を毎日の習慣にしよう!と思い立ったとき、それが定着するまでは意識的な反復が必要ですが、それはまだ板についていないから意識的反復が要求されるわけで、本当に体得したら意識する必要などないわけですよ。

「息を吐くように、やるべきことをやる」

だから周りを気にして、それでもがんばるぞ、というのはその意気込みはいいのですが、ステージとしては「その程度」ということも意味しています。

だから、人間関係で悩んでいます、というメッセージをもらったとき、この人は現状とんでもなく劣悪な環境にいるのかもしれないし、とんでもなく自立してない(依存心の強い)人なのかもしれない、ぼくはまずその瞬間にだいたいそのステージを図っています。

「どうすればモテますか?」

と聞いてい来るやつはモテない、としか言いようがない、

というようなことをモテる芸人が言っていましたが、

まさにこれで、本当にモテる奴は自己向上はいつもしているわけですが、まかり間違ってもそれを他人に懇願するかのように質問しないわけですよ。

まずは、自分はその程度である、ということを強く認識して、決して3日坊主にしない、決して言い訳をしない、できることは何でもする、泥水すすってでもそこから這い上がるんだ、というマインドをまずセットしましょう。

すぐに些細なことで萎える男というのは、この「自己認識」が足りていません。

スタートは、この認識で、

目指すべきゴールは、無意識に息を吐くかっこよさの境地。

ということになるでしょう。

ぼくは、モテのガイドブックやモテのLINEテクなどに依存するのではなく、ここまでのレベルを目指すべきだ、と常に思っているし、だからこそこんなブログを書いているわけですよ。

「息を吐くようにかっこよさが溢れる」

となれば、美人の前でも普通にしてればいいわけです。

さあ、今日も明日もがんばりましょう。

 

やじろべえ。

 

============================

質問やコメントがあるとたいへんテンションが上がり、筆がサラサラすすみます、はい。

気軽にコメントしてください。

ご意見「いやいや、そのシチュエーションではこうでしょ」とか要望「ここんとこ、いまいちよくわかんないっすよ」とかあればコチラまで。

ツイッターでからでも、このはてブに直接でも、なんやかんやコメントしてもらえれば、一人でニヤケてますので。さらに、フィードバック出来るほど興味深いものは、テーマとして扱えます。

引用や転載も大歓迎です。その際は出所はしっかり明記してもらえると大変喜びます。


=================================