モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

モテるために男たちが真剣にする努力の数々を、僕は素直にかっこいいと思う。というフレーム

 

みなさま、こんにちは。

年越し、年明けをいかがお過ごしでしょうか?

 

例にもれず、できる男のみなさまはスタートダッシュをすでに切っておられることでしょう。うん、ぼくが言及するまでもなく。Twitterでフォローしている筋肉クラスタの大物は「年末年始は、割り切って食べたり飲んだりしよう、そして4日ぐらいからしっかり筋トレしてくれよ!でもぼくは12/30~1/3も筋トレで追い込むよ」とつぶやいておおられました。

全く同感。

「ちょっとぐらい抜いてもいいじゃないか、いままで走り続けてきたのだから。」という優しさ、

と、

「でも、自分は年末年始もやるよ」というのは厳しさ。

この厳しさは、「やりたいから」「やらないと不安だから」という内発的モチベーションから動かされたものですね。ロサダラインの通りに彼の日常が動いているにすぎません。

こういう人は成功するわけですが、そのように真に成功した人が「人に優しく自分に厳しく」行動している、エエ男や。そのように周りから見えるのは当然のことでしょう。

 

男はストイックなほどモテることの証明。 - モテるのは、マインドセットがすべて、それを証明しよう。

 

 

もうすでに読者の皆様は、「努力」というものを意識しなくても普通にやっている状態でしょう。逆に、ダラダラしてしまった日には罪悪感が襲ってくるはずです。笑 なんて無駄な一日を過ごしてしまったんだ。。無駄に命を削ってしまったと。。

Time is life  だからです。

正月の抗えないお休み気分に一瞬でも流されてしまったのなら、今日から正常なルーティーンに戻りましょう。

 

日常的に人々がよく言う「忙しい」と言うことばに対してぼくは「は?」と感じます。

よくよく聞いてみると、忙しいと嘆きながらもしっかりとテレビの時間スマホをいじる時間は確保されているではないですか。「休みの日いったい何やってんの?仕事が終わって帰宅してから君、何やってんの?」

と素朴に不思議です。

そう、本来、「努力」とは美しいもので、しかもそれを努力と思わないデフォルトモードだからこそ尊いのですね。

大の大人が「忙しい」を言い訳にしてはいけません。努力を努力と思わない人は同時に、あー忙しいなんて決して言いません。忙しいがデフォルトで忙しくないなんて怠惰で、恥ずかしいことだからです。この事例の本質は忙しいかどうかではなく、「忙しい」「努力」をどのような概念としてとらえているかであり、そこが分かれ道でしょう。

 

さて、わたしがnote のほうでフォローしているTK工房さんが興味深い話をアップしてくれてましたので、ご紹介します。けっこう以前の記事ですが、(例のごとく、許可とってませんので。ぜひTK工房さんを応援しましょう、うん、それがいい。) 

 

39歳独身OLの辛い話 | TK工房 | note

 

こういう経験談は、見る人にとって印象が違います。「自分と同じだ。。わかるわかる。辛いよな。。」となるのか、「人の不幸は蜜の味♪。おもしろい」なのか、はたはた「このタイプの人々の行動原理はまったくわからねー、不思議ー、」なのか。

共感、同情、苛立ち、慰め、

いろいろあるでしょうが、この類の人々に対してぼくは若干の同情があるとともに、大きな不思議を感じます。それは何なのか?

TK工房さんは鋭い口調でガツンと言ってしまっていますが、要点としてはまとめで言っている一言がすべてを表しています。つまり、

 

「努力しろよ」ということです。

 

これは、辛い人がいるとしてその人に「努力」を問うのはなぜ違うのかというのは、タイミングの問題で、いや今言ってもしょうがない、というのがあるのですが、人生には努力が必要、というのは古今東西普遍の真理であるのです。

ぼくらは辛い人を見て、同情したり批判したりといろいろな感情が沸き上がってくるわけですが、大事なのは原理を学ぶということで、このような経験談が積みあがってくるほど努力の土台である「マインド」が重要なわけですね。

 

さあ前置きはこれくらいにして、今日の講義、行きましょう!

 

「目標のある人間はかっこいい」

と世間でも言われており、合コン女子が男を評価する際によく知ったようなことを、上記のように言いますが、この意見自体にはには大多数の人が同意するでしょう。

目標ある人間、何かに一生懸命な人間、前向きな人間が輝いているというのは普遍的で、だれでも「感覚的に」わかっていることだと思います。

 

当人が能動的にその目標に向かって努力する過程では、本人の視点からは、真剣さ、充足感、自己成長感、を十分に感じることができ、そしてそれが雰囲気としてにじみ出まるので、だからかっこいいんだ、と周囲の目にも映ります。

向上心を持って何かに取り組むと何某かの結果を獲得できますが、万人を惹きつけるその向上心の魅力というのは、その結果にあるわけではなく、向上心を持って取り組んでいるまさにその姿なのである、と言えます。つまり結果ではなく途上なのです。

 

そのように、努力の重要性がだれの目にも明らかで小学生もわかるシンプルな理屈なのに、みなそれをしないのはなぜなのか?ぼくらは理解に苦しみますね。努力をしてきたぼくら「マインドセットファースト」のコミュニティは愚直に努力をしてきたから、今、こんなに男らしく立ち振る舞いに余裕が溢れているわけじゃないですか。

人間は楽なほうに流される生き物ですから、正月は筋トレ休もうよ、というのも理解できます。そもそも筋トレなんかしないで、飲んで食ってダラダラ楽しめればいいじゃんそれが人生、という人もいるでしょう。それはそれでいい。

しかし自分はそういう生き方を自分で選びながら、同時に彼らが努力している他人の足を引っ張るのはなぜでしょうか?

彼らには「努力している男はかっこいい」という素直な感覚はないのでしょうか?

 

さて、ぼくらはいったいどんな世界で生きているのか?つまり努力をどう見る環境で生きてきたのだろうか?ということを考えると、なぜ多くの人が努力を嫌い、努力している姿をどこか泥臭くて、地味で、ダサいと感じ、努力している人の足を引っ張ることにイキイキしてしまうのかという疑問が解けます。

それは、

『努力をダサい、努力しても夢はかなわないとするコミュニティの中で生きてきたから』

といえるでしょう。

あの「企業参謀」で有名な大前さんは、人が変わるための3つの方法の中で、その一つに「付き合う人を変える」というのを挙げました。それもそのはず、ぼくらもこういうふうにインターネット空間でそのコミュニティと交流を持つことで徐々に脳が思考パタ-ンが変わっていき、モテるようになったことを経験上知っていますし、「社会的な動物」と哲学者が言ったとおり良くも悪くも影響を受けて成長するわけですから「誰と付き合うのか」「どのコミュニティに属すのか」はとても重要なのです。

「子供は親を選べない」と言うように、親、家柄、それに付随する教育環境を人は選択できません。当たれば儲け、しかしほとんどの人はマイルドヤンキー的なる地方地域で生まれ育ち、そういう思想を身に着いて社会に出て来ます。「この何が問題なんですか?」というザンネンな質問が息を吐くように口から飛び出してしまったなら、「二極化」について書いた記事を復習してよ、とぼくは言ってしまいますが、とにかく大問題なのですよ。

そーゆー生まれた環境、地区の学校とクラスメート達という固定されたコミュニティで生きてきたわけですよ。

 

人が多く集うところにこそ盛んな文化の交流が発生し、価値観のぶつかり合いを経て新しい個性が許容される土壌ができる、そこからイノベーションが起きる、というイノベーションの原理原則を考えると、日本人のほとんどは地方でマイルドヤンキーの土壌で育った、ということができるでしょう。つまり価値観も多様じゃないしぶつからないし、個性を許容される風土もないない環境で学びの吸収率の高い幼少期を過ごしてしまっている。そしてそういうところで育てば、マイルドヤンキー的な価値観が幼いころから刷り込まれて育まれてしまうのは当然です。

つまり、「マイルドヤンキー一丁上がり」なのです。

こういう人々が「夢はかなう」というきれいごと聞いた瞬間どう脊髄反射するかは想像に難くありません。全否定なのです。親親戚はみなそう、そういう環境で育ったクラスメートもみんな右へならへのこの思想。学校へ行っても家に帰っても正月親戚と皆集まっても、どこへ行ってもそういう夢否定の壁にぶつかります。こりゃあもう、上京してAKBになるとか、金稼いでヒルズ族になるとか、口が裂けても言えません。

こういうマイルドヤンキーな集団にも彼ら自身にとっての目指すべきところはありますが、それは世間一般でいうところの学歴であり、大企業であり、生涯安定だからですが、まさに大衆的で「みんながそう言っているから、それがセオリー」というのが僕の周りの人たちの言説なわけですね。

となると、ぼくたちマイルドヤンキーに適さない特殊な人間に対して、そういう環境がみんながそう言ってるからセオリーを提示してきても、僕自身(あなた自身)はそういう気持ちがさらさら無いわけで、そのセオリーは本真の意味で僕の(あなたの)「目標」にはなりえません。当然ながら、そこに向かってがんばることもできません。「目標のある人はかっこいい」とか「頑張っている人は輝いている」とはまったくかけ離れた人生を歩くことになります。本当にやりたいことがどんどん忘れて去られていく日々を送り、男としての「かっこよくある」なんて価値観は漫画やゲームなどおとぎ話の世界になるでしょう。

 

努力で何かを成し遂げた人を偶然発生的に特別視し、自分は違う、悪いのは社会のせい学校のせい親のせいというルサンチマンに走る人は必ず世の中に一定数います。そういう人が子供を産んだら同じような子供に育ちますし、そのマイルドヤンキー環境の一端を担ってしまうという、要するにこのルサンチマン拡大再生産の過程を歴史はたどっているのです。

僕らが生きてきた、生きているのは、そういう世界だということをまず自覚しなければなりません。

 

そのなかで、何らかのきっかけや良い出会い(本とか人とか)、事故や不幸などに遭う、そしてそこで本人の意志の強さといくばくかの幸運が重なり合って一部の人たちは努力を肯定するようになり、そして自分も努力を土台に成功をつかんでいくようになるのでしょう。こうしてそのルサンチマンプロセスから幸運にも抜け出す人々も少なからずいます。

努力を肯定する、という「フレーム」を持つように初めてモテる人生の歯車が少しづつ回り始めたを言っていいでしょう。ほんの少しづつです。フレームを持っても努力を継続できるかはまた別の努力が要求されるので、話はまた別ですが、歯車が良い方向に回り出したことは確かでしょう。フレームがあって、努力を惜しまないようになる、当たり前のデフォルトになる、それを継続する。

このスパイラルの中心には必ず「努力」が存在しているのです。

 

やじろべえはいったい何の目的でこのブログを運営してんだ?、と内心感じている人に声を大にして言いたいのは、ぼくはこのブログがそういう「きっかけ」になるべく、あらゆる角度から持論を展開しているんですよ、ということです。

 

さて、このようなエントリーに刺激を受けて、「私はなにを努力すればいいでしょう?」などと切実に質問されても正直困るわけですが、何を努力すべきかは人それぞれバラバラで、その人にとって一番必要なことを努力しなければいけないのだから、それを発見して継続してくださいよ、という全く冷たい回答になってしまいます。だって、それが「努力」でしょ。

 

経済面であれ、健康であれ、趣味のマスターであれ、自分の人生戦略として自己実現に資することに真正面から取り組まなければなりませんが、最終的に「モテるための」努力は無視できません。

これはもしかすると、数ある努力の中で一番恥ずかしい努力なのかもしれませんね。

女にもてるために、合コンで修行してるとか、ナンパでトーク下手を克服するんだとか、ホワイトニングした脱毛したレーシックした、とかなかなか口外できません。もちろん、こっそりナンパ塾に入るし、モテテクの書籍もアマゾンでこっそり買うし、口の軽い友だちには決して話しません。

健康のために筋トレ始めましたとか、経済的自立のために副業始めましたとかとは、次元が違う努力なのです。これは「自分はモテない、超ダサい」を認めて、そこをスタートラインにしているから、恥ずかしいし、情けない。

でもいいのです。かっこよくなって、見返してやればいいのですから。

ぼくは、それこそが人生の意味なんじゃないかと本気で思っているほどガチですよ。努力のプロセス、男としての努力、そして人生をまっとうする。本当にかっこいい。 

 

世間的に「モテるのはいいことだが、もともとモテないやつがモテるために頑張ろう」という努力はディスられる風潮がありますね。モテないやつは一生モテない、がんばってモテようとすんな!という固定能力的な観念で物事をとらえている、ザンネンナ人々の思想です。いや、ええやん。努力ぐらい認めてやれよ、とぼくは思う。これは、金持ちは(陰で)うらやましがられるが、おおっぴらに金持になろうと頑張り始めると「あいつは金の亡者だ」と悪口を言われたり、足を引っ張られたりするのといっしょです。そういう足を引っ張るやつは実際は金持ちではない、そしてさしたる努力もしたことがない、というのはだいたいお決まりです。

人生でお金が一番大事ではないのは言うまでもありません、こんなことはわざわざ口に出して言うのも恥ずかしい、当たり前の話です。しかし口に出さないまでも、生きていくうえでお金は不可欠な存在であることは否定しようがありません。同じように、モテることを人生の最終ゴールだと考えているとしたら単なるアホですが、モテるためにする努力を全否定するのはもっと違う、これこそ最悪な大バカ野郎だといえるでしょう。言うまでもなくこういう大バカ野郎は=非モテです。それは会わなくてもわかります。彼らはモテた経験がないうえに、モテる努力をしたこともないからです。モテることの喜びやモテるまでの大変な過程、それによる男としての成長感・目標達成・情熱を感じたことがない。そしてモテることの大変さも知らず、モテようと努力するやつの気持ちがわからないからそもそも共感なんて感情が発生するわけもありません。つまりこういうやつはまったく、男に必要な要素を何一つ持っていないということになります。

人生がもったいない。

 

男がすべき努力は何かというと、「モテる」という問題意識を出発点とした「モテるためにしたすべてのアクション」です。なんのためにモテるのか?それは女を幸せにするためです。なぜなら原理的にモテる男しか女を幸せにできないからです。そして女を幸せにするのは男の義務です。(幸せにできないなら、せめて非モテを脱して、彼女たちを不快にさせないでほしい、と願うばかり。)

モテる男しか女を幸せにできない。これは生物学的に、そして人の感情という観点から見ても、明らかだ、そう言うことができるでしょう。

男はストイックなほどモテることの証明。 - モテるのは、マインドセットがすべて、それを証明しよう。

禁欲はモテる?モテない?ーギャリー博士の明確な解答 - モテるのは、マインドセットがすべて、それを証明しよう。

読者コメント~ オナ禁や筋トレで テストステロンを増やすことで自信が付きそしてモテるという観点~ - モテるのは、マインドセットがすべて、それを証明しよう。

イケてる男は、例外なくどこかアグレッシヴな一面を持っている。 - モテるのは、マインドセットがすべて、それを証明しよう。

女という生き物は、わからんな - モテるのは、マインドセットがすべて、それを証明しよう。

モテる男は、ジェンダーフリーの逆を行く - モテるのは、マインドセットがすべて、それを証明しよう。

ストーリーテリングーいわゆるコミュニケーションの根幹を理解する。そして女は魅了される。 - モテるのは、マインドセットがすべて、それを証明しよう。

 

そのための構成要素として、モテという「主題」の下に、習慣とか、筋トレとか、英語とか、コミュニケーションとか、ナンパとか、そういう「見出し」が、つまり枝葉のようなものがあることになります。

 

 

 

さて、なぜぼくが上のような(説教臭い)記事を書くかというと、モテたいけどモテない、そういう悶々と押した日々を送っている諸君の眠っている可能性を発揮してほしいからですよ。そのためにはマイナス的で、卑屈で、どこかあきらめ感が漂う思想を、このブログで主張している思想へ上書きしなければなりません。

モテることは素晴らしい、モテるための努力は魅力的だとまず肯定し主体的にエネルギッシュに生きてる男と、モテるために努力するなんて恥ずかしい.....と考え、まったく煮え切らない男、そのメンタリティと将来の可能性を天秤にかけると、いったいどちらが女性に魅力や安心や与えられるだろうか、そんなの火を見るより明らかでしょう。

 

すべては物事を見るフレーム 、モテる努力は素晴らしいというフレームを持っているかどうかにかかっているんですよ。

 

今年も頑張っていきましょう!

 

やじろべえ

 

 

PS.以前皆さんにアンケートをとりました。モテるということはもちろん、その他どんなことに興味を持っているのかと聞きましたね。

フィードバックありがとうございました。

現在、ブログは続けていきますが、メルマガと通して、もってモテについて語りたいなと構想しております。

まあ煮詰まったらお知らせしますが。

ではまた!

 

============================

質問やコメントがあるとたいへんテンションが上がり、筆がサラサラすすみます、はい。

気軽にコメントしてください。

ご意見「いやいや、そのシチュエーションではこうでしょ」とか要望「ここんとこ、いまいちよくわかんないっすよ」とかあればコチラまで。

▶▶Twitter;https://twitter.com/dekiruotoko2015

ツイッターでからでも、このはてブに直接でも、なんやかんやコメントしてもらえれば、一人でニヤケてますので。さらに、フィードバック出来るほど興味深いものは、テーマとして扱えます。

引用や転載も大歓迎です。その際は出所はしっかり明記してもらえると大変喜びます。

================================