モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

スゲエ人の見分け方 ※成果は保証しません。使う人に依るテクニック

 

街を歩いていると、スゲエ魅力的な人がいる。

自然と、強烈に、他の人の注目を全部さらってしまう、そんな人だ。

 

一言で表現するなら、「オーラがある人」だ。

 

こういうタイプの人をパッと見たときなんとなく、職業は、

「モデルさんかな、芸能人の人かな」

「バリバリ仕事してる人だろうな、仕事できる男なんだろうな」

「政治家かな、やくざの親分かな」

と、見た目の背後にあるストーリーをイメージできる。

 

一方、対極に位置している人もいる。

ぜんぜん魅力を放たない人、居るか居ないか分らない人、魅力というか逆にネガティブな力を放ってしまっている人。

こう言ってしまうと各方面からお叱りを受けてしまうかもしれないが、敢えて彼らを形容すると、「人として終わっている人」

だ。

人は「自分らしさ」を持ってるからこそ、これからやって来るロボットやAI に負けないでいられるし、人生そのものを楽しく生きられる。自分らしくイキイキとしている人は、世間の下らない常識や暗黙の了解を空気読むようなことはしないから本当に自由で魅力的なのだ。

そして、それはこれまで発信してきたように、その魅力はその人が自由な環境にいるからだからできるんだうんぬん、「自由だからうらやましいねー」というような単純な話ではなく、自由を得るために闘ってきたその「マインドセットがすべて」なのです。そうやって闘って、修羅場をくぐって、経験を積むと、どういうわけか魅力を纏うことが出来るのです。

自由な環境にいるからうんぬん・・・、とは外部に要因を求めている時点でダメ。

「自由でやましいよねー」とは他人事で、向上心がないからダメ。

ようするに、マインドが後ろ向きで、何かを得るために努力するという人生はそもそもトレードオフだ、だから頑張ろうという視点がないなど、要するにダメダメなのです。

 

さて、魅力の話。

結局だからこそ、そういう魅力的な人を見たとき瞬間的に「芸能人かな」「できるビジネスマンかな」「やくざかな」とストーリーとして、魅力をプロセス的な何かとして、思い浮かべるのです。その人の何を知っているわけでもないのに。

 

魅力がないはマインドセットがそもそもなっていないからで、ぼくらのコミュニティとしては残念ながら落第です。魅力がないまま、ただなんとなく生きていてはロボットと一緒ですから「人として」ダメなのです。

「人として」というのが、またなんとも胸が痛い表現ですが、そういう人は、

「頑張って厚化粧しても、いい服を着ても、なんだか底の浅さが知れてしまう」という、

①そもそも魅力がない

②魅力のなさをメッキで覆おうとして余計にイタイ

という二重の意味で残念な人なので、そうとうがんばらなければいけません。

 

この「がんばり方」がとても重要で、もし、

「残業をがんばって金ためて、やっとそのヴィトンのバッグ買ったんやな」

「毎日、昼飯は吉野家で、飲み会にもいかず貯金して、その一級品のスーツを新調したんだろうな」

と周りの人が一瞬でそのザンネンさに勘づいてしまうなら、そのがんばり方は間違っていると言わざるを得ません。

「ヴィトンのバッグ」

「30万のオーダースーツ」

これらは人をインスパイアしないからです。

そのブランドには歴史があり、企業哲学があり、一流のデザイナーが手がけた、高品質な素材を使って作られているため、商品そのものにはそれだけの価値があるでしょう。

一般的に、価値がないものはゴミで、ゴミを商売にしていたら廃業するわけ(ネットビジネスと呼ばれる界隈で多数散見される)ですから、そういう意味で老舗としてラグジュアリーのトップに君臨し続けるヴィトンが提供するモノには、間違いなく価値があると言えるでしょう。

しかし、その価値あるモノを身に着けたその人間は「残念なやつ」と思われてしまう。

 

ここが魅力のない人が抜け出せない思考パターンです。

 

身に付けている、手にしているものは、一級品。

でも、それを着ているその人自身の背後に惹き付けるストーリーがない。これでは決してポジティブなものをぼくらにインフルエンスさせません。

身に着けるものとは、着る人によって価値が変化するモノです。だから、良くも悪くも主役はやはり「人」なのです。スゲエ人は→もっとスゴクなり、ダサい人は→そのダサさが倍増してしまう。

魅力を、外部から取って付けよう、という残念な思考パターンでは残念な人に成り下がってしまい「ザンネン臭」をまき散らしてしまう。

 

要するにその人自身と、身に着けているもの/来ている服が、

「分不相応」

ということです。

 

 人間の魅力は、洋服とかアクセサリーとかで下駄を履かせることなどできないんやなーという教訓がよーくわかります。もちろん、化粧も一緒で、本質的な価値をごまかすことなどできません。

 

その必死で手に入れた高級コート、高級シューズ、高級時計を身ぐるみ剥がされたら、あなたには何が残りますか?

 と聞かれて、

「何も残らない」

が答えだとしたら、一生懸命残業した努力も、その残業代で手に入れたらキラキラな衣装も、まったく報われない。

そもそも、あなたの努力を実際に見てない人からしたら一生懸命したらしい努力も、そんなの知らん、まったく関係ないことです。額に私努力してますと書くわけにもいけないし、努力してますと吹聴してアピールしてもザンネン臭はますますひどくなるばかりでしょう。

「がんばってる」とは体現するもので、言われなくても周りが感じるものなのです。

「何も残らない努力」というのは、大切なモノをドブに捨てているようなもので、魅力がないというのは本当に報われないことなんですよ。

 

ぼくらが、「会社の肩書や、社会的地位や権力がなくなったら、お前はなんもできねーだろ」、とむかつくアノ上司に感じるのと同じ感情です。

魅力は「人間そのもの」の力です。

 

 

さて、魅力的な人と非魅力な人の、

その間に位置する人がいます。

 

一生懸命繕ったファッションから、「背伸びしてます、一生懸命なんですワタシ」感が出るほど惨めではないが、

圧倒的な魅力を放つほどのレベルではない、

そんな中途ハンパな人々です。

 

ぼくは、多くの、漫画とか雑誌とか、例えば「東カレ」に登場するような「惜しい彼/もうちょいな彼女」、生まれ持ったアドバンテージを活かしきれていない、自分の良さをみすみすドブに捨てているような人を見てきました。

そのときの感覚は、 「顔の造形は素晴らしいんだけど、なんかグッと来ない」というアレです。

造形一つ一つは非の打ちどころのないもので、そのパーツパーツは高評価を得ることができるだろうに、それを全体として評するなら平均点を大きく下回る人々。その人が例えばスクランブル交差点に立っているとすると、存在感はそうでもない、目を惹くほどスゲエわけではない、そういうレベルの人々です。

 「うん、きれいだね」で終わって、過ぎ去ってしまう人です。

 

冒頭で言及した「魅力的な人」というのは、こうはなりません。

周囲の眼差しを独り占めして、周りはその歩いている姿をいつまでも目で追ってしまう人。

単に歩いているだけなのに、です。

こっちからしたらいい大人が、もし、目で追っているところを他人に見られたらどうしよう、恥ずかしいし、ダサいわオレ。そうわかっていても、吸い込まれるように見入ってしまう人。

「魅力的な人」とは、このレベルで異彩を放っているのです。

 

この彼/彼女は、正直なところ、顔の造形でいうと必ずしも120点ではありません。むしろツッコミどころは意外とあって、嫉妬深い人ならケチをつけようと思えばいくらでもつけれる(一般に思われてるイケメン美女の標準とは必ずしも合致しない人ということです)パーツ構成なのですが 、なぜか、なんだか人を吸い込んでしまう優雅な気品やキラキラしたエネルギーがあります。

魅力的な人にはそういう「力」がある。魅力的な彼/彼女にとっては顔面のパーツという細かいところはどーでもいい、それらが本意な出来でなくても逆に人間味があるとしてより魅力的に映ります。

 

ということは、親から遺伝的にもらったルックスやスタイルやセンスだけでは「このレベルで異彩を放つ」という高みに到達することはできません。

そして、そういう高度な魅力は後天的に獲得するべきものだ。というのが僕の持論です。

なぜなら、「オーラ」だからです。

説明不可能な不思議な力、再三「なんだかわからないけどすごい」と表現している通りです。

 

遺伝としての各パーツの力ではないのなら、何なのか?

気品は教養や習慣、エネルギーは健康、思考パターン、情熱、目標といったものから体現されるものです。 

すべては、マインドセットから出た何か、なのです。

 

ぼくらは「スゲエ人」を見たとき、反射的に親とか育ちとかの有利さをイメージし恨んだり妬んだり悔しがったりしがちですが、こういうものは「後天的に」獲得できる平等なものだということを忘れてはいけません。

人は誰しも生まれたときは皆モノを知らず習慣がなく情熱や目標がありません。

でも、大人になったときには確実に魅力の有る無しという結果の差で、それが明らかになっている。

 

「お前の努力でどうにでもなるんだよ」

ということを肝に銘じて日々生きていきましょう。

 

ということは、今日は実はとても希望を持てる話をしているんだと気づきませんか?

少し余談ですが、魅力の源泉と現在の世の中の事情と関連づけて話してみましょう。

希望があるというのはつまり、本人の努力である程度まで上に行ける「知識資本主義」のほうが「社会主義」よりいいですよねというのと、努力でモテを獲得すべきですよというのは本質的に同じだということです。

歴史が示す通り、結果平等である社会主義は、どれだけ創意工夫して、他人より多く働いて、努力しても、最後の最後は結果がみな均一です。結果が平等になるように設定されているのですから、努力のプロセスは”無かった”ことになります。一生懸命仕事して売り上げをたてたぼくと漫画ばっかり読んで働かなかったマイルドヤンキーの地元の同級生の給料は同じ、ということになってしまう。そんなの、ダメ絶対。

一方、知識資本主義は最終的に成果を多く出したものに報酬という結果が多く与えられるシステムなので、なるべく機会平等にしてスタートしその後のプロセスはそれぞれの頑張りに任せます、成果は当然それぞれに異なるだろうけど、成果に応じて給料が与えられるからがんばろうよというというインセンティブが働く。

「どちらが努力のプロセスが正確に結果に反映されるのか?」

というと、現行の資本主義だということになります。

(ここで知識資本主義とは、どの学者が提唱し始めたか知りませんが、従来の労働力や土地や貨幣が資本となって次の資本を生むシステムから、情報や知識が資本を生むための主要な手段となる社会の構造のこと。

IT革命が起きてから、今やこういう時代です。)

 

 

多くの大衆という「人が死ぬほど努力しているのは見えないのに、自分の不遇さだけ拡大される」、そういう人々が「21世紀の資本論」に容易に影響されてガラガラポンを叫んでいる、「金持ちは悪いことをしている、法人税は上げろ消費税は上げるな」と叫んでいる構造と同じじゃないか、ぼくにはそう見えてしょうがありません。

 

モテるのが先天的な遺伝で決まるのなら、モテる努力は意味を成しません。それは、人間の知能は大人の身長と一緒で伸びない、最初に存在している一定値なのだという固定知能観的で非常にザンネンな発想です。努力しようが何しようが生まれたときから一定値だからです。しかしモテるのがオーラによるのなら、生まれつきの優位性はスタート位置の違いだけで、後天的な努力で不利をひっくり返すこともできます。「ウサギと亀の寓話」ですよ、まさに。努力しても変わらない固定知能型か、努力で伸びが見られる拡張知能型か、この二つの価値観の違いは「努力」をどう見做すかにその本質があって、それはもちろん報われるかどうかにつながります。

 

一般社会が思っているのと違って、知識資本主義はフェアで、オーラはフェアなのです。

生まれつきで決まる(モテが固定されている)のでもなく、努力が無条件に吸い上げられ強制的に再分配される(結果が固定)わけでもない。

結論として、ぼくらが生きているこの社会は、努力が結果へとつながる社会なのです。みんなが思っている以上にね。

 

おっと、スゲエ人の見分け方でしたね。話が逸れました。

スゲエ人の見分け方、

これは「オーラ」としかいいようがありません。(!??)

 

 

「魅力は、非スペック論」を前提に考えると、人々が言っているルックスやスタイル重視の論評は完全にシカトしていいということになります。そんなものに惑わされてはいけない。そんな暇があったら、オーラを磨かなければなりません。

ということでぼくたちは、世間がスペック重視ならば、その逆張りでいきましょう。

つまり世間の常識を疑う頭、魅力の正体を感じ取る感性、物事の本質を見抜く目を培わなければならないのです。そうするとオーラが磨かれてきます。

 

勘のいい読者はもうわかると思いますが、スゲエ人を見分ける簡単な方法は、身もフタモない話ですが、自分がスゲエ人になることです。

スゲエ人のオーラを見て的確にその背景を認識しその人を評価・判断するには、自分もスゲエオーラを持っていなければ成せない芸当なのですよ。「類は友を呼ぶ」だから。

自分がスゲエ人でもなんでもない、オーラが微塵もないものだから、「あの人がすごいのはスペックだ」とか「持っているモノ、身に着けているモノだ」「社会的地位や職業でしょ」と、的の外れた浅い答えが導かれてしまい、自分も右へ倣えでせっせとそういうメッキで塗り固められたスゲエ人を目指してしまう。

全然違うよ、まったく。

これは、実はモテにも直結する話で、「恋人は自分の鏡」なのです。つまり、分不相応な恋愛関係は成立しない。「なんか口説いてくる男が揃いも揃って、ダサくて下心丸出しでなんかつまらない男ばかりなのよね」と上から目線で女友達に語っている女は、自分が分不相応ないい男を求めてしまっている無理ゲーさに気づいていない。それは「そもそもお前自身がそういう女(ダサくて金目当てで、つまらない女)なんだよ」という話です。

本当にいい男はどこかにいるでしょうが、彼らの視界にあなたは入っていないよ、なぜならスゲエ男はスゲエいい女にしかレーダーが反応しないから、という現実が広がっているのでした。

なぜスゲエ人を見分ける必要があるのか?

本当にいい女を見分けるため、それに見合う男へ成長するため、すべてはモテるためですよ。

 

そんな「スゲエ人」の土台になるのがマインドセットで、自分自身のステージを上げることがモテの最短ルートですから、そのための「考え方」をぼくは発信しているんですね。

 

誰かが言っていた、

「ぼくは君たちに武器を配りたい」

うん、まったくそんな気持ちです。

 

アリャ、今日はほんとに使う人に依るテクの話になっちゃったな。。。

 

 

(ノ∀`)アチャー

 

 

おしまい。

 

 

やじ⦿

 

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