桜咲く季節、新年度が始まり新社会人のみんさんは希望を胸に社会に飛び出していることと思います。ぜひ自分の生きたい人生を生き、さらにはモテるという方面も頑張ってほしいと思います。
長い人生ですから、桜のように散らないでいただきたい。散るのはまだまだ先なのですから。
今回のブログで語ろうとしているのは、その新社会人が飛び出した日本の社会というのはどういう場所かという考察です。
ぼくも経験値が膨大にあるわけではありませんが、研究者たちの研究結果や僕ら各々の感覚でもそうかもしれませんが、日本社会には財務省の文書改ざんや忖度に見られる一定の力強い空気があります。そしてその空気社会とモテるかどうか、はたまた空気の付き合い方と社内でデキる男かどんくさい男のどっちになるか?は強く関係してきますから、重要なトピックですよ。
パシッと目を見開いてインプットしてくださいね。
では、始めましょうー。
日本の原風景
さて、このたび久しぶりに帰郷したのですが、その時の話をしたいと思います。
なんの話かと言うと、題してマイルドヤンキーの話です。
あるコーヒーショップで、コーヒーを飲みながらせっせと論文作成とそれに伴う資料読み込みをしていたところ、斜め向かいのテーブルに座ってい二人の女性がコーヒーを飲みながらなにやらある話をしていました。
そこは静かな空間。
だから、盗み聞きをしてたわけじゃないんだ。静かだから話の内容は自然と聞こえてくるんだ、ということはあらかじめ断っておきます。
二人の女性とは、だいたい40代ぐらいの主婦二人だったでしょうか。
【内容】
「もう、最悪なの。あの人、こんな忙しい時に時間通りに帰るし、ぜんぜん残業しようとしないのよ。」
「そうなの~?」
「このまえなんかも、調子が悪いならちょっと休めば、とリーダーが言ったら「じゃあ、お言葉に甘えて」ってそそくさと休憩してるの。わたしたちはせっせと働いてるその横で。その分のしわ寄せが私たちに来るじゃない。」
「それ、たいへんね~」
1時間後。。。
「少し話したら、すっきりしたわ。」
「たまには、グチってすっきりしないとだめね」
===ここまで===
とても短い会話ですが、この中にはとても大きな教訓があります。
盗み聞・・、いや聞こえてきた話の内容はざっくり言うと、職場での同僚に関する愚痴で、この愚痴の主は、どうやら介護関係で働いているようでしたが、この手の話は職種や業界関係なくあらゆる職場でストレスフルな人間関係として、展開されているんではないでしょうか。
ぼくもこういうおばさんたちと仕事をしたことがありましたが、やはり場所を問わず年齢問わずいつの時代も、おばちゃんたちの思考とはもはや普遍的にこういうドロドロしたものなのですね。
そのことを久しぶりに地元に帰ってきて痛感いたしました。
さて、こういうどこにでもいる地方のおばちゃんを一言で表すと、
「マイルドヤンキー的」
といえるでしょう。
まあ、おばちゃんに限らず、おじちゃんも、年を取っていくと人間は、マイルドヤンキー的になっていきます。
さて、そのマイルドヤンキーとはそもそも何でしょうか?
名付け親の原田曜平氏(博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダー)によると、
「地元指向が強く内向的、上昇志向が低いなどの特徴がある。 」
「地元に根ざし、同年代の友人や家族との仲間意識を基盤とした生活をベースとする若者。」
と定義されていますが、ようするに、「地元」「仲間意識」「現状維持」などの特徴がある人々です。
地元・仲間意識といえばまさにヤンキーとしての集団を象徴していますが、現代社会では バイクに乗って暴走するという尾崎豊の世界観がこれらの若者にあるわけではありません。
特徴はあるが、暴走や喧嘩ではないマイルド(優しい)な集団なのです。
人は年をとればとるほど、安定を求めます。原発事故が発生してもやはり福島にとどまりたいと思いますし、リタイア組の移住が現実的に無理なのも、育った場所を離れたくないという高齢者として気持ち、地方で昔ながらの友人たちとずっと同じ生活を続けたいという思いがあるからです。
原田さんの分析は、最近の若者もこういう性向があるよ、ということを明らかにしました。
さて、読者の皆さんは気づいていることと思いますが、ぼくはマイルドヤンキーと言う生き方には否定的です。
人にはそれぞれの価値観があり、それをもとに人生観が形成されるわけですから、人がどう生きようとその人の自由で、まあ、ぼくみたいな他人がどうこう言うことでもないですが、
しかし、もしあなたがその人生観に「モテる」という願望や目標を追加したいのなら、そういう願望とマイルドヤンキーと言う生き方はまったく相いれません。
ということをきっぱりと宣告しておかなければならないと思います。
今の若者は大半が、地元志向で仲間や親を大事にしたい、逆に「上京志向」「ビッグになりたい」欲がほとんどない、そういう価値観ですから、
今言った僕の見解、「モテるとマイルドヤンキーは両立しない理論」に立てばこの日本に住む若者(ほとんどが地方在住)の大多数はモテない(非モテ)という結論になってしまいます。。
果たしてそのロジックは現状認識として正しいのか?
さらに、地方に住んでいる人は皆モテないね、という乱暴な論理展開にもなりかねません。。。
これはどうなのか?
マイルドヤンキーにも彼らなりのモテる道があるのではないか?
これは、ぜひぜひ考えてみるべき問いではないでしょうか。
さあ、この記事を、最近この「マインドセットがすべて」の読者になってくれたマイルドヤンキーのあなたに送ります。
マイルドヤンキーの真実を教えよう
さて、冒頭で引き合いに出した二人の女性の会話に戻りましょう。
その内容は、愚痴でした。
そしてその内容の意味するところは、何なのか?
これを原田氏のマイルドヤンキー説に沿って説明すると、仲間意識が強いという側面を表しています。この絆や結束力は意外に良い方へ作用せず、愚痴の要因は新人さんでしたが、つまり、この新人さんのように仲間内の暗黙のルールに従わない人間は[「悪いやつ」、として断罪の対象になってしまうのです。
「もう、最悪なの。あの人、こんな忙しい時に時間通りに帰るし、ぜんぜん残業しようとしないのよ。」
のセリフの中でやり玉に挙げられていた新人さん。
この新人さんは地方出身のマイルドヤンキー気質なのか、都会から来た地方ルールを知らない人なのか、そもそも空気を読めない人間なのか、そういう細かい事情は推測の域を出ませんが、いづれにしてもベテランさんからしたら仲間ではない人間なのです。
マイルドヤンキーの「仲間を大切にする」という価値観は一見優しさが表れているように見えて実は、「仲間以外」は排除するという排他的な精神をアンチテーゼとして含んでます。
ペリーの黒船襲来の時代かよ、とツッコミたくなるほどの、自分と違う者への脅威や不快感、排他性や不寛容。
こういう閉ざされたガッチガチの空間は、よそ者(愚痴の対象になってしまっていた新人さん)からしたら恐怖でしかありません。
よそ者にはよそで身につけたよそ者の価値観があって、他のコミュニティへポンッと入った時そういう新しい仲間意識やルールは当然サッパリわからない。が、そこには「暗黙の了解」が幅を利かせているので、言われてもいないことをいきなり当然のごとく強制される、なぜか勝手キレられるという、不思議なことが次から次に起こります。
村社会の原理。
あー、コワいコワい。
先輩おばちゃんの示した、外のコミュニティ、外から来た人々に厳しい、と言う態度は、翻ってそういうマインドセットを持つ者(おばちゃん)自身の首を絞めることになります。立場を逆に置いて考えるとすぐわかるのですが、よそ者に厳しいということは、今所属しているコミュニティ以外の人は、よそ者である自分に対しても常に厳しいはずだ、という(実際はそうでもないが)自虐的な防衛意識がナチュラルに出てきてしまうからです。
よそのコミュニティはすべて、怖い集団なんだとしての認識される。
これでは、自分自身、もし今属しているコミュニティに対して不満や違和感が生じてもそこから飛び出すことを妨げる方向にメンタルが働いてしまいます。
必然的に、今の仲間に閉じこもる、地方に縛られてしまう、ということになります。
これが、マイルドヤンキー的、という概念の所以です。
そしてほとんどの人々は、外の世界のことは知らないまま、一生を終えることになるでしょう。
「成長するためには、いろいろ動きまくれ!そしてインプットするべきだ!」
と、ぼくは主張していましたが、こういう主張の裏には、移動してインプットする、これこそが自己実現に不可欠な学びのプロセスだという想いがあるからです。
だからこそマイルドヤンキーは、相当不自由な生き方、自己実現に遠い思考をしている人間だと、ぼくは思っているのですよ。
いずれにしても、殻に閉じこもる、という言葉はあまりいい響きではありませんよね。
平均的な日本人の一週間
そういうマイルドヤンキー的なコミュニティに所属しながら、愚痴が出てしまう職場であくせく働き、せっかくの休みにはおしゃれなカフェにいながら仕事の愚痴を言ってしまう。
こういう一週間を送っているのが、カフェで遭遇したおばちゃんの人生です。
ということは人生の90%の時間を「愚痴」で過ごすことになる。
こういう話題は、勤務の休み時間、仕事終わりの世間話、週末のお茶会、その各シーンの話題の大半を占めるからです。
そして、職場の愚痴に加えて、息子の学校についての愚痴、夫や姑の愚痴、それとたまに息抜きでみるワイドショーの話題を加えたら、ほぼマイルドヤンキーの考えていることがカバーできてしまう。
こうやって、書いていて改めて驚愕しましたよ。
やばいだろ、この人生。
さて、そんなマイルドヤンキーがなぜモテないかは、だいたい直感的に理解できそうですが、もっと突っ込んで考えると、今言ったように思考が「愚痴」でいっぱいだからと言えます。
そんな負のオーラに誰も接したくない。
当たり前です。
ぼくたち人間は、喜怒哀楽を感じ、表現し生きています。
生きてく中で、ムカつくことや思い通りにいかなくて悔しい思いをすることもたくさんあるでしょう。
ぼくだって、思わず悪口が口を突いて出る時もある。
しかし、そういう悪い言葉たちと愚痴、この両者は本質的に異なります。
言い換えれば、愚痴だからこそ、愚痴を吐き出すその人々は「成功できない」と言える。
しかし、成功者や自己実現を果たしているだろうなと言う雲の上の偉人達も、悪口を言わないわけではないでしょう。聖人じゃないんだから。
ここが、ポイントです。
愚痴の本質は、そのコトバの内容ではありません。
愚痴を発する当人の、「精神性や思考パターン」にあります。
言葉の定義を調べてみると、もともとは仏教用語で、
「愚かなこと。 無知によって惑わされ,すべての事象に関してその真理をみない心の状態をいう。」
「言ってもしかたのないことを言って嘆くこと。「くどくど―を並べる」」
とありました。
さらに、
「心性が愚かで、一切の道理にくらいこと。心の迷い。また、そのさま。」
と。
つまり、「心の状態」と定義されているのです。
真理を見ようとしない、道理にくらい、心が迷っている。
愚痴をこぼす人っというのは、現状に不満を抱えながら、それを打開するポジティブなアイデアがありません。その不満の原因を追究して、適切な改善策をひねり出す努力もしません。
ただただ、不満を言うばかり。
そんなこと、
「言っても仕方のないこと」
とは気づきません。
愚痴を言う人=マイルドヤンキー、というわけではけっしてないのですが、
マイルドヤンキーの性質からして、現状の外に解決策を見出そうとしない、現状に不満があるくせになぜかそこに留まろうとしている、これじゃ愚痴の一つや二つ飛び出してくるとしてもしょうがない。不満な空間に進んで留まろうとする自己矛盾。
そういう、精神的にも殻に閉じこもろうとしている姿勢が、マイルドヤンキーの生き方そのものじゃないですか。
マイルドヤンキーになぜ僕が否定的なのか?
と、
愚痴を言う人間からはなぜ間違いなく人が離れていくのか?
この2つの問いにはほぼ根本的に同じ原因、「精神性」が存在しているのです。
成功者には善きマインドがあるし、他人に好かれる人は爽やかなマインドがある。
もう、「マイルドヤンキー」と「モテ」のつながりが見えてきたのではないでしょうか?
この二つには、
マイルドヤンキー - マインド - モテ 。
という、真ん中に「マインドが」挟まっているのです。
モテたければ原理的にモテる人間にならないといけないわけだし、人間性がダメダメなのに振る舞いや見た目だけ改善してもモテる人間になれていないのは、マインドが置き去りにされているからです。
マイルドヤンキーを総括してみた
さて、マイルドヤンキーではなぜモテないのか?を総括しましょう。
①愚痴という生産性のない行為にエネルギーを奪われている。
②「自分の職場がすべて」という世界に生きていて、自分の価値観の外にあるより大きな世界への向上心がない。
①モテる人間と言うのは生産的な人間、といえるでしょう。そして、エネルギッシュな男です。
モテるを定義するのは、一般的には難しいとされています。それは、「なぜあの人を好きになったのか?」という問いに対して、その答えを言語化できないことからもよくわかります。これは口酸っぱく言いたいことです。
しかしぼくには持論としてその大まかな構造があって、モテるという現象は、相手方がなんらかの影響を受けて「この人素敵♡」という感情が生まれるわけですから、なんらかの衝撃を与えるとか、エネルギーの伝搬という状況があるのでしょう。
エネルギーとしての衝撃。
これは、何かを生み出している生産的な人間じゃないと達成できません。そしてエネルギーが枯渇している男には成せない芸当です。
②「向上心」をどうとらえるかですが、やはり価値観を広げることになるのではないでしょうか。それも一生勉強、一生練習、の気持ちで向上していくのです。
一生やるのかよ~、という慣れていない初心者のつらさは当然理解できますが、時代が進み、周囲が成長していくと、停滞は後退になるのですから、向上心がないと一気に不自由になるし、二極化の下側に固定されるし、もちろんダサくなります。
向上心は「好奇心」とか、ゆくゆくは「寛容さ」ともつながってきますから、器の広い人間になれそうな気がしますね。
本来は興味好奇心は年齢がいくつになっても人間が具えている特質だと思いますので、まあルーティーン的な作業を引退するまで何十年も続けることに比べたら、死ぬまで興味に従って学ぶ方が幸せだと思いますが。
よく、「ちっちゃい男ね」とか、「退屈な男だわ」と非モテが揶揄されるとき、その背景には向上心のあるかないか?が分かれ目になってるんじゃないか、とぼくは思うんですよ。
好きになる、好かれる、という男女の相性は、向上心があって価値観を広げる作業が、そういう男女の相性までも超える万能なものだと言うつもりはありませんが、人間的な魅力は間違いなく向上心が土台になっているはずなのです。
愚痴る人が成功する確率
さっき、マイルドヤンキーは【人生の90%の時間を「愚痴」で過ごすことになる。 】と言いましたが、これはもちろんイメージとしての数字ですが、そうすると、愚痴以外のなんらかのポジティブなことを考えるのが10%となりますね。
毎日10%、いや、週に10%だけポジティブなことを考えて、過ごして、その長い人生が成功する確率、恋愛とか仕事とか人間関係とか、自分のやりたいこと趣味自己実現において成功する確率は、どんだけあるのか?というと、ゼロ、これが答えになるのではないでしょうか。
人生の大半が愚痴なる会話や話題や気持ちで埋め尽くされているのに、人生の後半で成功が手に入るなら、こんなおいしいレースはないですよ。もはや、「ほったらかし全自動収益」とか「何もしない楽して1か月で10kgダイエット」「コピペでフォロワー1万人」とか、そういうありもしないお花畑の世界の話になってしまう。
愚痴る人は、生産性がない、寛容さがない、向上心がない、エネルギーがない、無い無い尽くしでもはや成功を考えるのもおかしな話で、「モテるのはマインド」というこんなブログを読むのもおかしな話なのですよ。
同調圧力からの脱出
ですから「モテたい」なら、まずは同町圧力からの脱出が急務です。
人は環境から影響を必ず受けます。所属するコミュニティに良くも悪くも育てられて、自分もその同じ思想を後続に与えるのですから、マインドを変えるには、場所を変えるのが一番早い。
同町圧力からの脱出はお引越し、価値観の拡張はお引越しが手っ取り早く、意外に一気に変化を感じることができるでしょう。
そうしないと、結局いつまでたっても同調圧力のいわゆる「おばちゃんの意見」がいちいち気になって自分の心の声を抑えることになる。
そうやってマイルドヤンキーに押し込められると、言及してきた様々な良い資質をトレードオフとして手放さなければなりません。
「仲間」としてマイルドヤンキーのコミュニティでいいポジションを確保するのか、「KY」として同調圧力から脱しながら、モテて成功するのか、
””どちらか””しかありません。
興味や好奇心に従って、天才を研究してきた研究者たちがいますが、天才の大きな要素として周りを気にしない、自分のやりたいことを突き詰める、というものがあります。失敗しても失敗してもへこたれない、周りが「無理だよ」と言っても気にせず続ける、というのはよく例に出されますが、これは周りの人々からしたら「KY」でしかないでしょう。
結局、そういうことなのです。
自己実現と天才との共通点
は、良い意味でのKY、マイルドヤンキーの空気は無視して突き進む、という特質なのです。
このコーヒーショップでの体験を通して、地方の状況とモテるというぼくの研究課題がバチバチバチとつながり、その構造がフワーと一気に想起されました。愚痴を聞くのは好きじゃないけど、まあ、いい学びになりましたよ。
おばちゃんたち、ありがとう。
ぼくも、まだまだがんばります。
みなさんも愚痴ることなく、自己研さんに励んでくださいね。
お粗末様でした。
今日もバランスをとる、やじろべえより。
PS.原稿のまとめと書いている段階での別のカフェでもおじちゃんおばちゃんが自分たちが雇っている従業員2人について話していました。一人は優秀、一人はなかなか仕事できない、この二人が仲悪いんだとさ。優秀な従業員は「だから別な場所に自分の居場所を探すぞ」という発想にはなりません。「なんで私が辞めるのよ」と感じる。そこが「縛られる」「不自由」と述べたことを表していますね。
日本の原風景。
ぼくも社会人のみんなみたいに、初心を忘れずにいこう。
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