モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

「今年を振り返って」 ~まじめな話。~

今年も残すところあと数日になりました。

来年の目標やそれに付随する計画を立てる前に、やるべきことがあります。

それは、

「2017年の反省」

です(ドヤッ!)。

 

今日の記事はそれ系でいきましょう。

そして次回、バシッと来年の目標を打ち立てたいと思いますー。

 

抽象的な話からになりますが、今思うとぼくの2017年の目標は「りっぱな人間になる」ことだったように感じます。そしてそのためのKeyは「バランス」だということを、今年を振り返って痛感しています。総括はバランス、前からずーっとそう思って名前まで「やじろべえ」にしてんのに、フゥー。

自分がりっぱな人間になっているかどうか、プロセスをどう評価するか、またそもそもバランスのとれたりっぱな人間に至るためどのようにスタートを切るべきか、という問いをまず立てなければなりません。そしてその評価にはぼくの思うところである

「その男はモテているか?」

というひとつの判断基準があります。

これはぼくの「モテたい」という男として生き物としての自然な欲求からスタートしたわけですが、追求していくと非常に奥が深いことがわかります。男としての価値を測るのにも重要な指標だというのが今の結論です。どんなに美辞麗句を並べてもモテてない男は、価値はありません。(モテるとはどういう状態か?、これもまた深いわけだが。)そしてこの原始的な欲求を満たすには、各々がそれ相応に「がんばらなければ」いけません。

自然界をみてください。

シカは生まれ持った角を使って意中のメスを獲得するべく、決闘します、角と角をガツン!と突き合わせて。そこには常に角で突かれる怖さがあり、痛い怪我をするするかもしれず、「あの新人シカ、身の程知らずにもキングに闘いを挑んだんだってよ、馬鹿だな」と鹿の村社会で陰口をたたかれるリスクを負っています。

クジャクの対決は美しさです。クジャクはメスの面前で自慢のきれいな羽を広げて求愛し、このキレイ度を競いそれに勝ったオスが大好きなメスをゲットするわけですよ。

よく自然は弱肉強食で、かつそのメカニズムにより自然淘汰される、と表現されますが、それが自然節理のすべてではないとはいえ、「自然は努力を求めている」と考えるのは理にかなっているでしょう。

鹿も孔雀も、動物たちはみな自然というシステムの中で競争して、そして「努力して」何かを獲得しているのですから、人間はその当たり前の努力をすべきで、モテるという目的があるなら、それを単なる願望で終わらせるのはまったく残念です。達成すべくして達成するべきで、そのロジックは彼ら動物さんたちをみればすぐにわかることなんですよ。まさに、「蟻のところにいって勤勉さを学べ」ですよ。

これが、自然の摂理です。

ここから、モテるには努力する、ということになりますが、こういうことを文字に書き起こして、ブログで発信すると、「やれきれいごとが」「やれ精神論が」「自己啓発臭い」など言われ、とにかく受けが悪いわけですが、そのたびに僕は「モテるには、マインドセットがすべてだな」と思うわけですよ。

 

さて、「りっぱな人間はモテる」と言えますが、「モテている(ように見える)人間がみんなりっぱか?」というとそうではありません。

「逆は真ならず」です。

しかしよく言及するモテるための要素が、りっぱな人間を目指すプロセスにおいて獲得されていく、そういう種類のエッセンスであればあるほど、立派さに付随してモテにモテます、原理的にそうなのですよ。そういうステージを目指さなければなりません。そういうモテ方、そういうプロセス、それが「りっぱな人間はモテる」というきれいごとを字で行く方法です。マインドはどうしても外せませんね。

 

さて、ただ単なる人としていい人で終わらず、異性からもモテる人とはいったいどういう人でしょうか?人として立派であるだけでなく、生き物として魅力のある男、なおかつ社会において有用な男でいるためには何が必要でしょうか?

それを今年の反省として一緒に考えてみましょう。

 

冒頭で「大事なのはバランス」と述べました。これはぼくの、体調を崩していた今年の反省です。モテてもすぐに風邪をひくから寝るのがプライオリティの上位に来てしまったり、あー今日は頭いてーなーとぼやきながらブログ書いたり、鼻水をすすりながら本読んでインプットがんばってみても、QOLはけっして高くありません。モテやマネタイズがそれなりの仕上がりになってもやはり本人は辛い。。健康的に圧倒的な結果を残して人生を謳歌するのがQOLが高い人生ですね。人生の悩みは人間関係ですが、人間関係に強い人、それがうまい人というのは能力でもなんでもなくて、健康な人・元気な人です。めんどくさいことをひょいと乗り越える軽さがある。彼らはメンタルが強いというより、心が軽いんですよ。一方で人間関係でけ躓く人は健康面でまず改善を図る必要がある人です。嫌われる勇気を読む前に、運動しろ、食事に気を遣え、早寝早起きしろ、youtubeばっか見てないで勉強しろ、オナ禁しろ、と言いたい。メンタルはフィジカルからスタートしているからです。

前回の記事で生物学的な観点からダラダラと論理立てて考えましたが、そういう精神的な領域を身体を整えるという方向からとらえると、当然ながら生物学的にモテます。そして賢いのに男らしい、地頭がいいのにリーダーシップもとれる、人間性として軸があるのに寛容でユーモアのセンスに溢れる、という具合に人間として男として大人としてあらゆる側面が同時に鍛えられます。いい人なのにダサいとか、女の扱いがうまいけど本質は薄っぺらい、という片手落ちな状態はどこか、努力の方向性や方法論が間違っている。一流のF1レーサーがポンコツの軽自動車を運転しても、その能力がまったく発揮できず苦しいのと同じ原理で、ポンコツな身体に高尚な思想やメンタリティを宿してもなんにも発揮できません、苦しいだけなのです。その苦しさというのは、yahoo!ニュースをみればすぐに発見できて、ツイッターで流れてくる苦しそうな人々がするネガティブ発言から明らかです。そういう事例を見るたびに「まずは身体でしょ!」と鼻水をすすりながらツッコんでいる次第です。そういうポンコツ軽自動車専門自称F1レーサーの人々に贈りたいのは、「嫌われる勇気」を読んでもマジで嫌われるだけで苦しいだけだよ、という現実的な言葉になってしまう。そう、強く思いながら、ぼくは来年のステージアップを練っています。

身体を十分にケアしてあげたら、いよいよマインドの出番です。頭がスッキリして知的好奇心を満たすものを欲しはじめエネルギーにあふれ目標がクリアになり闘争本能むき出しでありながら人にやさしくできる、そういう土台がすでに整っているのです。

よく「金持ちになったら暇になって、社会のために何かするようになった」というエピソードを聞いたりします。ビルゲイツとかピーターティールとか、ホリエモンとかもその類でしょう。自分を満足させるために豪邸を購入したり、プライベートジェットを所有したり、豪華客船を貸し切ってパーティーしたり、金が有り余ってたからそうゆう風に使ってたけどそういうのにすっかり飽きてしまい、慈善事業したり、社会を変えるようなテクノロジーに莫大な金額を投資したり、思想家としてひっそり執筆活動はじめたり、政治に足を突っ込んでみたりと、自分の能力やカネや人脈の使い道を大きく転換するようになったという話です。

こういうストーリーが教えてくれる教訓は、現象としては健康→思想や実践という順番と根本的に同じ構造で、健康体が実現され体力やエネルギーが余るゆえに、身体的知的好奇心の分配先が利己的なものから→もっと長期的に意味が残るもの、世のため人のためになるものへ転換され、ステージをアップしていくということなんだとぼくは理解しています。これをなぜステージアップと表現するのかは、マズローの欲求段階説で説明できて下層が満たされれば自然と段階が上がっていく(ステージアップ)わけですよ。健康という生存と安全を満たして初めて社会性や自己実現のためには何をするべきかという問題を自分に投げかけることができる。マズローがそんな風に人間を描いたように、これは何も金持ちのサクセスストーリーに限りません。

筋トレyoutuberが自分のジムを持ち、経営しはじめ、事業家と教育者と文筆家始めました。というのとまったく同じ現象です。そのプロセスは健康になり人間関係から酸いも甘いも経験し、社会というものを知り、結果的に人間的にも大きくなっていきた、そこに残ったのは「男らしい自分」なのです。 

 

さて、「今年を振り返って」思うことは、健康には気をつけろよ、という大変単純で当たり前でまじめな話になってしまいました。(;´・ω・)

 

それではあんまりなので、もう一つお話ししましょう。

健康が整ってからはじめて、脳みそが回りだすと話しました。しかしもっとツッコんで考えると、これは、「禁欲してエネルギーが溜まらないと大戦略が定まらない」と言い換えることができます。つまり、禁欲がいい女を獲得しようという原動力になり、そのエネルギーの源になるということです。

大戦略、これは地図を広げてどの領域をどのように攻略するか、どの国とどのように同盟関係を作るか、という地政学の概念ですが、要するに射程の話なのです。エネルギーがたくさん溜まってからはじめて非モテの自分では到底届かなかったとびっきりのいい女も射程に入るようになってきて、そこからどのように彼女にアプローチして信頼と男性性をアピールして、ハートをゲットするかという各戦術を細かく構築することができる。大戦略の失敗はすなわち戦術の優位をすべてひっくり返され負けを確定されてしまうことを意味していますので、ぼくらにとっては禁欲なくば大戦略無し、射程が短いままでは、戦術も、選ぶ女のレベルもお粗末。これでは人生がオセロのようにひっくり返り年取ってから負けが確定してしまい、「もう遅い」となってしまうのです。

 

世間の雰囲気的にもそうですし、ブログでも何回か言及してきましたが、あらゆる所で二極化が進むよ、これが歴史からのメッセージです。世界を見ると経済的な二極化だけでなく、知識グローバル化においても二極化が進み、モテるという領域でも二極化がするんでいます。日本でもこのスピードは速いんじゃないかなーと思っていますが、結局のところ二極化とは何なのかというと、「脱大衆」と「大衆のまま」のそれぞれ2集団の分離に過ぎません。結果がすべてというこの世の残酷な現実に立つと、結果を出すために努力して、結果が出ないなら努力の仕方を変えてパラダイムを変えて優先順位を変えて環境を変えて、また努力する。

オルテガはこう言いました、

~優れた人間とは、自分自身に多くを課す者のことであり、凡俗な人間とは、自分自身に何も課さず、現在あるがままのもので満足し、自分自身に陶酔(とうすい)している者である。~

 

こういう「優れた生き方」は文章でながめるとすばらしく気持ちいいものですが、実際にこのように生きようとするととても辛い。誰もができることではありません。「人はみな楽な道に流れる生き物」として生まれてくるわけですが、脱大衆を達成できるのはほんの一握りの人々だけでしょう。これがエリートと呼ばれる由来です。エリート(フランス語: élite)とは、世間が批評するエリート像とは全く違い、本来学歴ともステータスとも権力とも差別とも関係ない。エリートとは精神構造のことで生き様のことだったわけです。当然エリートと大衆では時間がたてばそれだけ結果に差が開いてきます。二極化が醸成されるのはある意味歴史の自然な流れで、熱が温度の高いほうから低いほうへ移動するるのと同じなんですね。

 

恋愛の二極化も、こう考えると大衆構造が恋愛の分野で現れただけに過ぎません。ぼくらはその二極化をうんぬんする必要もなく、より魅力的な男になるために「自らに何らかを課す」ことしかできないんですね。

 

ブログでは一貫してストイックであることを布教しているわけですが、それは単なる美学ではなくそれが大事な大事な成功法則であるからです。それは自然界を見ても明らかだし、成功者の人生を客観的に見ても明らかだし、歴史の天才たちの見解も一致してるし、科学的に分析しても反論できないくらい明白だからですね。

そして今年一年を振り返って、無理すべきところはがんばるべきで、休むべき時は休まなくてはいけないことがわかったわけですが、そういう時ですら時間を浪費するような愚痴飲み会やダラダラYouTube、その他無意味な活動を切り捨てて思い切って休むという徹底したストイックさが必要だなと感じたわけです。

今年もストイックでしたが、上に行くために来年はもっとメリハリのきいたストイックさで、ストイックなほどモテることを身を以って証明しようと思っております。

 

今年も一年間ありがとうございました!

来年もよろしくお願いいたします!!

 

 

やじろべえ。