モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

いい女を選ぶ方法論を知ってどうするの?

前回からかなり時が経過しました。。。

かなり経ち、新年を越えてしまいました。。。

でも、新年気合を入れて頑張るにはいいタイトルではないかと個人的にはニヤニヤしています。

そして、前回の続き、というテイで今日は記事を書いていきますよ。

… なので、前回メンションした話題の登場です。

とっくに過ぎている話題を、熱が冷めた頃に冷静に出来事を分析するのが、

やじろべえ流。

ってことで、行きましょう。

 

まずは以下のニュースをザっとご覧ください。

こちら。

 

bunshun.jp


gendai.ismedia.jp

 

ある元代議士が某テレビ番組で「進次郎氏は父が元総理のサラブレッド、イケメンで将来の首相候補だが、結婚してないからまだいい、と思っていた永田町の人たちは、今回滝川クリステルさんと結婚したことで、腸が煮えくり返っているでしょうね。それでも彼は独身だ、というある部分で救われる思いが、(結婚相手が)滝川クリステルかよという、そこまでも持っていくのかい、という気持ちがあるでしょう。」

と言っていました。

「天は二物を与えず」どころか、三つも四つも与えるんだとガーンと頭を金づちで打たれた失望を物語るエピソードです。

さて、前回の記事では「女の選び方」を論じました。

いい女を選ぶ方法論ー宮迫田村亮の会見、岡本社長の会見からわかること、 - モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

センシティヴで、エモーショナルなのは女の本質であって、感情的だから女であるともいえるんですが、感情性に呑み込まれてしまっているような女性を男は決して選んではいけない、とある種の警鐘を鳴らした記事でした(ドヤ)

これは、男は強くなければいけない、困難に立ち向かって未来を切り開いていかない、それが男でしょ、というのは本質的ですが、その極地であるオラオラ系の男、だからと言ってそんなオラオラ系全開の男とずっと一緒にいては女にとっても後々とてもたいへんですよねと、同じ理屈です。

本質は誰にも動かせないのですが、そういうある種の「基礎=(本質)」を押さえた上でもう一段高いステージを見据えていなければならないのです。

こう見ると、男も女も一緒ですね。

男女に共通のこういう構造を見ると、男と女は平等だ、とも言えます。

前回の記事で、やじろべえは女を下に見ているんじゃないかと感じた人もいるかも知れませんが、こういう意味において男女平等、上も下もないと思っているのです。結局人は皆努力してステージを上げなければいけないのですね。 

 

さて、感情的である反面、「尽くす」のも女の本質の大部分だ、というのを前回の「甲冑外し」というキーワードから紐解きました。

「かまってよ!」という言葉とは裏腹に、「尊敬」「心酔」したいという女心、男の成功が私のすべて、いつもそんな男の隣にいる女でありたい、と願うのが本質で、その本質的願いに忠実に生きる女が=いい女だ、と前回総括しました。

これは女の生き方を上から云々しているわけでもなくやっぱり男女平等であって、僕は一貫して「自己実現に合致する方向へ生きるべき」「そうするのが成功への近道、男らしくあれ」「一生練習一生勉強だ」「いい男になるにはコレ」といつも言っていますが、

それと同じなのです。

そりゃあ草食でだらだら生きた方が生きるのは楽ちんですが、それでは女から興味を持ってもらえず「男としては」成功のセの字にも手が届きません。なぜなら男の「べき」に逆行してるからで、だから本質に忠実に生きなきゃというシンプルな論理でぼくは語っていて、そこに、

男である女であるとかは関係ないのです。

僕はモテるのはマインドセットと言ってべき論を語っていますが、

いい女論は、=女版のべき論だと言えるでしょう。

それは、滝川クリステルさんが

「ずっと、いかに(彼の)素の自分を引き出させる場を作れるかが一番大事なことだと思っていました。」 

と言っている、

これは主役は進次郎さん、私は彼を引き出すための場、とコメントしていることからも分ります。

なにかの番組で見たのですが、滝クリが行きつけのラーメン屋でラーメンを食べているときに「ラーメンなんか食べそうにないって言われる」と言っていました。

「滝川クリステルのイメージは?」

と聞かれて、

世間は「ラーメンなんか食べなさそう、いつもフレンチを食べてそう、スーバーで買い物なんてするの?」という、

港区女子的な印象を持っているわけですね。

その彼女が、

「男の成功が、わたしの成功」

というようなニュアンスで話している。

まさに、ぼくが前回・今回で言わんとしているいい女なのです。

こういう女に出会えたなら、”戦う男”は幸せです。

政界で鉄仮面と言われ、進次郎氏に近づいてきた数々の女が彼女になれずに失望し、進次郎氏自身も「結婚は絶対ありえない」と言っていたのをあっさり覆すほどの力を、滝クリは持っていた。

その力の源泉が「甲冑外し」なのです。これには男もイチコロです。

女性自身が、女の本質を深く理解して女性としての「あるべき」自己実現の道を進む時(甲冑外しと自己実現は矛盾しません)、鉄仮面の男も簡単にくるりと裏返る、魔法のようなイベントも起こせるわけです。 

滝川クリステル、恐ろしや。

なるほど、いい女がいれば男は輝けます。

進次朗氏の環境政策は確かに、?ですが、進次朗さんや滝クリさんに対する好みは一旦ワキに置いておいて、

いい女を選ぶ方法論を知ってどうするの?ということを今日は考えましょう。

 

========================

 

前回、注意書きを記事の後半でそっと付け足しておいたのですが、受け取ってもらえたでしょうか?

この一文です。

「いい女を見つけたとして、あなたはそれに見合った男なのですか?」 

 という部分。

「誰がいい女か」見分けられたとしても、その人を自分のものにできるかどうかはわかりませんよ、という非情な現実です。

それは、「類友」「見合った」、といったワードを提示したようにステージが同等でないと成立しないからです。

だって、人間平等でしょ。

ようするに、

「甲冑を着てない男に甲冑外しのいい女は必要ないし、甲冑外しができない女は甲冑の似合ういい男には近づけない」

というだけの話なのです。

滝川クリステルさんがそばにいたところで、あなたにとって何の意味があるのですか?という疑問だけが残ります。また、滝クリさんにとってはどんな意味があるのか?

滝クリさんはあなたの自己満のためにいるわけではないのです。

何と戦っていて、どの高みを目指していて、いったい自己をどう実現したいのか、そういう生き方が明確で現在進行形で甲冑を着て戦っている男にこそ「いい女」がそばにいるべきなのです。

男は狩りに出て、獲物を捕まえて、それを家族に持ち帰る、というのが原始人のストーリーですが、これは日本古来の武士のストーリーでも、世界史の宗教的迫害から逃れて別の土地にやって来た開拓民のストーリーでも、この厳しい資本主義社会を生き抜くために経済力がモノを言うビジネスマンでも、

男は常に前線で戦わないといけないし、困難を切り開かないといけない、というのがべき論ですね。

もちろん、社会が変革し、社会通念や価値観がガラリと変わり、制度が次々に変わっていくと、男が戦う必要もなく、カネを稼ぐ必要もなく、草食的なヒモみたいな生活が成立するかもしれない、それはとても楽ちんな生き方ではあるけれど、

『それで果たして魅力的な男として生きていけるのだろうか?』

ということは甚だ疑問です。

牙を抜かれたセイウチのように、羽を抜かれたクジャクのように、去勢されて草ばかり食べるライオンのように、その「らしさ」を失った生き物は見るに堪えません。 

(ライオンは去勢されるとたてがみが抜け落ちてなくなります。)

ぼくらが動物たちを見てそう残念に思うのですから、女がそういう楽ちんに走る男をみると、いかなる嫌悪感を持つのか、イメージできるでしょう。

動物すら努力しているのに、なぜお前は努力しないのか。

まったく、成功「法則」には逆らえませんね。

 

ここまで、甲冑という比喩をもとに「戦う」ということがいい女を引き寄せる最大のカギであることがわかりました。

でもこの現代社会で日常生活で「戦う」とはなんなのか?  平凡な生活をずーっと送ってきたぼくらには、イマイチピンときませんね。ぼくもTwitterでつぶやいたことがありました。

 

 

 

しかし、元来、男は戦うべき生き物なのですから、時代が変わっても戦っていなければなりません。

元来戦うべき生き物なのに、戦うべき環境が存在しない、だからそれを見つけるところからスタートするのが男の仕事、ということになりますし、上のツイッターの趣旨でした。

しかし幸いなことに、

そして実際にそういう生き方が出来るのです。

ホワイトカラーでも、YouTuberでも、アーティストでも、戦うということは可能なのです。そして戦うからこそ身につく覇気みたいなものがあって、そういう「この人、なんかすげえな」という人はよくよく見るとこの現代社会でもいます。

 

では、「戦う」とはいったいどのような現象なのか?

これを説明しなければいけません。

戦いを重ねるからこそ、少しづつ覇気が育つ。

じゃあ、その戦いって何?という問題なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

https://youtu.be/92QDlh5nsHA

まずこの映像を見てください。

一人の男のbefore/afterですが、その変化を見ればそういう覇気というものがなんなのか、少しだけわかってもらえるのではないでしょうか。

 

肉体がバキバキであることは見た目としてはもちろんとてもいいのですが、本当に根幹を成しているのはそういう単なる見た目ではありません。

beforeafterの絵を見てもらえば一目瞭然なのですが、afterは頭のてっぺんからから足の先まで覇気がビンビンではないですか。

例えば、肉体を隠して顔だけを比較したとしても、エネルギーを感じさせるのはafterであると、100人中100人がそう言うはずです。

目の力というか、精悍な顔つきというか、その出で立ち(いでたち)というか、存在そのものが全く別人です。

本当に同一の人物なのかと思わせるほど。

単なる肉付きの問題ではなく、”存在感”の問題なのです。

こういう覇気は、一体どのように生み出すことができるのか?

自己啓発ではこれを「辛い経験」がそうさせる、だから修羅場を乗り越えろ!というテイストで表現し、自己啓発に酔いしれるジプシーたちを囲っています。

中国語では自己啓発のカテゴリを「励志书类」と言って、つまり人々を励ましたり志を強めたりするための人生応援本という位置付けですが、いづれも壁にぶち当たった時に読んでくれ、ということでやはり辛い経験が前提になっています。

筋トレは、確かに辛い。

やりたいことを我慢して、時に食事も制限して、身体をいじめるのですから。

だが、、辛い経験を経ると、人は覇気が纏えるのだろうか?

この問いに対して僕は、これはこれで間違っていないが、言葉が足りな過ぎると感じます。

つらい経験をしないともちろん平々凡々な人生になるわけですが、毎日「あー、ツライツライ・・」と言ってる人が、存在感のある人なのか??と言ったら現実はそうではない。

だから、

なぜ筋トレに精を出し、食事も管理し、苦しい思い(ホントにツライ)をしながら肉体をいじめるYouTubeの彼が、こんなにも変化できるのか、単なる精神論では語りつくすことはできないのです。

愚痴るような「アー、辛い辛い」と、

修羅場をしっかり乗り越えて来た男が語る本物の辛さとは、

全く別物なのです。                                                                                                                            

人はなぜツライと「感じる」のか、そういう「感覚に」襲われるのかというのは、極端に言うと、「身体の反応」「脳内ケミカルの状態」ですから、ツラさを乗り越えろというメッセージは、精神論ではなくこれは肉体管理だ、と言えます。

そして適切にツラいを越えると(つまり、肉体管理のレベルが上がるとそれに伴って)、人生が一つステージが上がっている、というからくりです。

もし覇気がここから派生しているのなら、いかに肉体状態をエネルギッシュに持っていくかが「覇気」の鍵だと思っているんですね。

だから、さっき紹介したYouTube動画の筋肉マンの彼に関して言えることは、 

「肉体の変化が人を惹きつけるのではなく、肉体を変化させることに伴う体内のもろもろのケミカルの反応が、覇気の源泉」

と僕は信じているのです。

だから体を鍛えろ、筋トレしとけよ、禁欲もマストだぞ、と口酸っぱくいっているのですが、 それはケミカルが”源”だからです。

ツラい状況というのは、いわば原始人にとっての狩場・戦う場ですが、ぼくたちはそういう状況を疑似的に利用できる、そして正しく利用できれば体内のケミカルの状態がより戦う男へと最適化され、”覇気”が出てきて、「こいつは一味違う」となるわけです。

肉体的か、精神的かは問わず、そういうツラい状況というのは、ある種の負荷ですが、そこに肉体が対応しないと、ステージは上がらない、存在感はでない、つまり覇気は纏えないと思うのです。つまり、負荷を越えるからこそその先にある世界が見える、

その途上では必ず「ツラいという感覚」があるわけですから、そこを越えるために男はどうしても戦わないといけないわけですね。

 

さて、ここで脳のお話を少し挟みたいと思いますが、

筋肉と一緒で、脳も負荷をかけるとそれに対抗するために大きく強く育っていきます。

難しい難題に対して、頭をひねってひねって解答できた時、脳内は発火しまくっていて、それでひとつ脳は成長しているわけです。これは、歯を食いしばってダンベルを挙げたことにより筋肥大する、というのと同じ構造ですね。

さて、「負荷」といいましたが、筋トレであれば思い重量、脳トレであれば難題ですが、人生となるとツラい仕事、節目節目でやってくる修羅場と言えるでしょうか。

この負荷についてぼくは肯定的な意味合いで使っています。

ストレスの研究においては、「適度なストレスはパフォーマンスを高める」と言われています。

逆にぼくらはあー、猫はいいな、とかツラい時は感じるわけですが、ストレスがない状態、外部刺激がない状態というのは、意欲の喪失だとかやる気のなさという状態を生み出します。

最近では新庄さんがプロ野球復帰宣言をしましたが、結局そういうことなのです、誰もがうらやむ悠々自適な生活をしていると刺激がなさ過ぎてつまらないのです。だから早期リタイヤするとなんだかつまらない、こんなつもりで早期リタイヤしたんじゃないけどと心理的にポッカリ穴が開くどころか、人としてもどんどん枯れていくというのも、もっともなことです。

一方、ストレス過多、自分の適度なストレス容量を大幅に超えてしまうとこれまたダメで、パニックや燃えつきとなりってしまう。現代人の多くはこっちに該当しているでしょう。

つまり、ストレスにはストレスのちょうど良い量というものがある。

人が成長するのに一番最適なチャレンジというものが必要なのです。

この適度なストレスに向かっていくとき、意欲や自信、達成感や喜びを感じると言われています。

まさに、戦う男のストーリー、神話の法則ではないですか。

そうです、男にはこういう場が必要で、そういうストーリーを歩むべきで、この経験を積み重ねるのが覇気を年輪のように拡大していく方法だったのです。

何度も言いますが、辛い経験(辛いと感じる各種経験)というのは脳内において負荷となり心身に刺激を与え、それに対して男がポジティブに向かっていく時、彼自身は負荷耐性を獲得する人間の状態になるのですね。

その「人間」とは何かと言うと、肉の塊、ドライに聞こえるかもしれませんが、物質で構成されたもので、

ケミカルを源としたものがメンタルを作り、ステージアップの基礎を成している個体なのです。

 

さて、もうひとつ、脳に関するお話をば。

人は「フロー」という集中状態に入ると、周りで起こっている出来事に全く気付かなくなります。

一流選手は、観客がガヤガヤ歓声をあげ、カメラがフラッシュをパシャパシャ発して、音楽がガンガンかかって、前大会の苦い記憶、未来へのプレッシャーがある中でも、フローに入ると目の前の相手(試合、ゲーム)に極度に集中して、時間がスローになり、無意識にやるべきことが選択され、目的達成に邁進します。

「雑音がまったく聞こえない」

のです。

例えば、相撲のような一瞬の勝負ではその最中はすべてがスローで、取り組みが終わった後にフーーっと現実世界に戻り歓声が聞こえ始め、フラッシュに気づき始める、といった感じらしいのですが、

この雑音が気にならない、という状態は覇気の重要な一部を担っているとぼくは感じています。

堂々と安定している男は、男としてとても魅力がありますが、

何事にも動じないその堂々としたあの感じで佇んでいるとき、その男の脳内はどうなっているかというと、「雑音を認識していない」という状態じゃないかと仮説を立てています。

これは気になるあの子にどう思われるか、嫉妬深いライバルたちがどう思うか、面倒くさい上司にどう対処するか、失敗したらメンツがない、などと雑音を勝手に感じている。

雑音ばかりの社会で生きていると、「他人の期待や批判」というものが増幅されて、大したことではないのに動けなくなります。

これでは、戦えません。

戦場に行く兵士たちは任務遂行に集中して動いているのであって、周りの空気読まないとな..なんていう状態ではあっという間に撃ち殺されてしまいます。

原始人としては獲物を捕まえるどころが、獣に食われてしまいます。

「集中しろよ!」

という話なのですね。

ところが、この集中状態というのはトレーニングの賜物で、素人が簡単に出来るものではありません。

だってあのフローですよ、

目標達成のための起爆剤になるフロー、もしあれが誰でもお手軽にできるものならみんな成功者ですね。

なぜこのタイミングでフローの話をしているのか?

これは、ツラいことを乗り越えると確実にレベルアップすることが頭で分かっていても、マジでツラいことを365日やり続けることができるのか、という疑問への解答で、秘訣なのです。

できるのか、という言えば結論から言って、できません。

嫌いでツラいだけのことは、それを受動的に幾度繰り返しこなしてもマスターできないのです。

だから、能動的に、また集中的に正面から取り組むことが必要ですが、

そのための集中状態、「フロー」なのですね。

フローに入れば、ステージアップの速度は格段に上がります。

ツラいこともツラいと感じない。

厳しい状態ほど、燃える、というあの状態になります。

無双です。

だが、これは裏技でも、どこかに転がっているラッキーでもありません。

鍛えて、習得して、獲得する上級者の技なのです。

だから理屈として、トレーニングしていない(適度なストレスでパフォーマンス向上をしたことない、修羅場から逃げてばかりいる)男にはその集中のやり方がてんでわかりません。

筋トレしたことない奴がダンベルを挙げられないのと同じく、

そこには経験値とか技術の習得とかきっちりした習慣というものが存在していません。

だから、スケジュールを組んでちゃんと筋トレしなさい、それは肉体的なフィットネスもさることながら、来たるべき戦いの本番に備えて準備しとけよ、そういう日々の備えも自分との戦いだぞ、という訓戒で、それが負荷を越える事にもつながるし、フローの習得にもつながっていて、人生の成功へとつながっているからなんですね。

これは単に筋肉に限った話ではなく、人生におけるチャレンジ全てにおいてそういえます。

常に戦っていないと、数を圧倒的にこなさないと、フローには決して入れない、フローに入れなければあの「堂々とした感じ」は手に入らない。こういう観点からも常に戦っていなければいけないわけですね。

つまり、単純に「習慣」というと自己啓発で耳タコの話に落ち着くわけですが、

これがたびたびブログ記事で、また今回の記事で強調している生物のお話、ホメオスタシスのお話につながるのですよ。

毎回やっているから、今回もできる、と。

 

さて、だから人生において各種遭遇する修羅場を踏み台にしてくださいね、という自己啓発と同じ結論になってしまいましたが、さっきも言ったようにこれは言葉が足らないだけで内容としては全く正しいことを言っています。

戦う場所がまず必要ですが、ポイントとなるのは適度なストレス状態に自分で持っていく事です。現代社会はストレスまみれで理不尽なことが多いですが、適度なストレス状態の挑戦と克服を繰り返し、自分のストレス許容量を高めて行って、ちょっとやそっとのストレスでは死なないような自分を作っていかなければならない。

そういう自分を作り上げることが「自己投資」と言うんじゃないでしょうか。

そして自分のステージが上がればたいていのストレスには対応でき、むしろそれをパフォーマンスを高める道具として利用することが出来るのです。

そのために、まずは筋トレして少しでも「鍛える」「自分と戦う」「負荷が気持ちいい」という経験を積んでおきましょう。

禁欲で自分をコントロールすること、逃げないということを学びましょう。

覇気を纏った男というのは、すべからくこういう習慣、積み重ねで出来上がった偉大な作品なのですから。

自分が情熱を注げることがあり、やるべきことがあり、それをやっていく中で遭遇する困難を切り開くことが、「戦う」ということで、戦うために日々トレーニングしとけよ、ということなのです。

それを適切にこなせば自然と覇気が身につくんじゃないか、と思います。

そしてそういう覇気を身にまとった作品を価値がわかるのも、いい女だということではないでしょうか。 

 

さて、センスのある読み手なら「この結論がどのように進次郎氏の序論と繋がるんだ?」と感じているでしょうが、

つまりは、

「つねに、男は戦っていないといけない」

ということなのですよ。

彼は政治という場で戦っている、人間の権力欲が渦巻く場で、そして異なる意見がぶつかり合い、おじさん議員からは調子乗るなよと締め付けに合い、党内の非モテ議員からは嫉妬や裏切り、世間の理不尽な批判や人格攻撃、マスコミはスキャンダルを狙い、敵からはハニートラップ、賄賂トラップなどの罠が張り巡らされており、

その中で自分が信じる信念を貫いて有権者に支持を訴えていかないといけない。

なんというイバラの道か。

よくも政治家なんかになるなー、

という感想しか僕にはありません。

じゃあ、政治家はみな戦っているのか?と言うとそんなわけはないんですが、まあちゃんと戦っているの人間にはそれなりの覇気が付くわけですね。

進次郎氏の環境政策は、?ですが、まあこれも飛躍の修羅場でしょう。

 

「戦う」とは何なのか?

ツラいを越える、負荷に対応する、体内ケミカルのバランスを男向きへ最適化する、脳内にツラいを快感化する、フローを習得する、いろいろな表現ができるでしょうが、つまり、そういうことです。

そうすれば、自然と覇気のある男が出来上がり、いい女が寄って来るというわけですね。

いい女が寄って来る、なんて下品な表現で申し訳ないですが、その方法論はものすごく真面目だということが分かってもらえたのではないでしょうか。

そして戦うには「心技体」がまず完備されていないといつも言っていますが、「体」は身体に気をつかえよ、ということがすぐに分かりますが、「心」も(つまりメンタルタフネスも)土台は身体だぞ、ということを筋トレやら脳の状態やらで話したわけですね。

これがあると、人は戦えます。

少なくともすぐには死なない。

そして戦い続けると経験値が高まり、「技」が付いてくるわけですね。

この数々の修羅場を克服した先に覇気がある訳ですから、

戦っていない

戦える状態にない

戦いたくない(楽をしたい)

というのでは、

モテを望まない方がいいわけですよ。

 

ぜひ、2020年も戦っていきましょう。

誰と戦うのか、もちろん怠惰で弱い自分と戦うのですよ。

 

〇やじろべえ〇

 

 

~質問コーナー~

Q.テニスが楽しくて楽しくて仕方がありません。これをどう恋愛に活かせばいいですか?(テニスの腕前は結構上級者だと自分では思っております。)

A.楽しい事の没頭するのはフロー体験なので、それを付き重ねるのはいい体験になると思いますよ。でも、スポーツがうまいからモテる、というのは小学生までです。まあ運動ができるアクティブな男子は健康的で体力がありそうなので、引きこもったりがり勉な子供より伸びしろがあると思いますが、高校大学社会人でモテるロジックが全然違うので、テニス→恋愛という活かし方は存在していません。

あなたがテニスプレーヤーとして女性テニスファンを魅了したいのならその道を邁進してほしい、遊ぶ時間はゼロでもいいのですが、恋愛がしたい(男女のコミュニケーション、自分の人間性を恋愛に投影する)となると、これは別物として考えた方がいいでしょうね。テニスのコートから離れれば普段の生活あなたの人間性で女性を魅了しなければなりませんから。

だけど、好きなことに打ち込む、熟達するために何かを犠牲にする、単純に動くので健康的でアクティブ、スポーツができる男は頭の回転も速い、などなど人間性を養うのにいい場面が多々あるので、そういう方向で頑張ってみてください。

スポーツも頑張るし、恋愛も頑張る。

まあ、スポーツ選手の奥さんは美人が多いですね。

てか、ぼくの記事ではそういう表面的な活用法とかじゃなく、心技体の人間成長という側面で書いてるので、もう一回全部復習して、という感じですね。

 

Q2.恋愛してる自分に惚れてる人ってよく居ますよね。とりあえず好きな人を作りたいから作って満足する人 そんな人はどう思いますか?

A2.大なり小なり人は自分自身の長所を好きであるべきだし、足りない部分を頑張って達成したらそういう自分を誉めてやりたいし、結局自分を客観的にモニターするというのはかなり重要な能力ですよ。がしかし、質問してくれた内容の自己満の人に足りないのは利他の精神でしょうかね。きれいごとじゃなくて目的が自分が気持ちよくなるための恋愛という「俺大好き」が前面に出過ぎてて、ぼくにどう思いますかと聞かれても、たたこの人の限界はだいぶ低い所にあって、すぐに頭打ちになる、という感想しかありませんよ。

モテたい!という欲望を満たすためにこういう記事を書いてるように見えるかもしれませんが、利他の精神が最終的に一流になるには不可欠だなと思って僕はいつも生きてるのですよ。

まあ、こういう自己中心が強すぎる人間とはある一定の距離を取った方がいいですね。

 

Q3.自分の好きなところは?

A3.相手にとって、癖になる優しさ。

 

Q4.失敗やミスをどう乗り越えてますか?

A4.アドレナリンやテストステロンをドバドバ出して乗り切ってます。

 

Q5.納豆食べてトマトジュース飲むのは変?

A5.最強やんけ。

 

Q6.脈があるかどうか微妙なんですけど、その人に対して頑張るべきですか?

A6.はい、頑張るべきです。何事にも「頑張る」つまり、背伸びするように頑張るべきです。上へ上へと頑張ってステージを上げていくべきです。

脈がないと感じているのは多分当たっていて、ステージが不釣り合いなんでしょう。でも、好きになってしまったのだから、頑張りましょうよ。頑張って玉砕しても、それは次につながるんじゃないですか。実力が足りていない場合、じゃあ実力が追い付くまで待ってからがんばろう、そもそも脈がないのだからあきらめよう、というのではどうも男として頂けないですね。いい女というのはみんな狙うんでいずれ誰かがかっさらっていくだけですよ。まずは Let's do it ! 

 

Q7.毎回質問者の意図をちゃんと汲み取ってから答えてますか?

A7.最大限そうしてるつもりだよ。うるせえよ。でも、もっと為になるような解答頑張るよ(ハート)。