モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

いい女を選ぶ方法論ー宮迫田村亮の会見、岡本社長の会見からわかること、

こんにちは。

前回からだいぶ経ってしまいました。

とうとう月一更新という最低限のラインを越えてしまいました。

フ―ッ。。

 

そんなこんなで、こんな質問も来ました。

 

 

質問じゃないなこりゃ、軽いクレームか。

 

「うるせえよ」

と思いつつも、

 

まあそうだよな、と気を取り戻しキーボードをカタカタと。こういう反応がモチベになっていることは間違いありませんな。

 

さらに、

今回は、前々から書くべきだなと考えてはいたこと、題して

「いい女の選び方」

についてぼくの思うところを書きました。

これは、この前までホットだった吉本騒動と似ている部分があり、非常に学びとなります。

 

宮迫さん田村亮さんの会見はとっくに過ぎてしまいましたが、

いい女を選ぶ方法は過ぎることのないいついつまでも必要とされる話なのです。

 

そういえばこのテーマに関して、こんなコメントをもらっていました。

 

確かに。

 

何度も口酸っぱく言っていますが、「類は友を呼ぶ」というか、人間は類しか友になれないのだから、自分のステージが上がって行ったら、そのままのほほんとしてる、自己向上を放り投げてブクブクとまん丸と太ってしまった不相応な女と一緒にいるのは、苦痛でしかないのです。

 

結果的に、いい女ではなかったということが後から分かるわけですが、これはイタイ学習費用です。

 

双方にダメージが残る。

 

周りから見れば、あいつは女を見る目がない、と言うことになるでしょう。

 

自己を向上させるのはいいのですが、孤高のなんとかになってしまい周りが見えない、というのでは、それ本当に向上してるのか?という疑問も付いてくるでしょう。

 

今回のお笑い芸人謝罪会見からは、上で話したのとはまた別の理由で「だからいい女論を学ばないといけないんだ」を語るわけですが、いづれにしてもいい男になるには人を見る眼、いい女を選ぶ力というのは避けて通れないスキルです。

 

時間管理とか、肉体改造とか、コミュニケーションとか、英語とか、同レベルで必須なスキルです。

 

いい男になったら、女が寄ってくるんだから、

これは宮迫さんたちのように、有名になったら悪い人たちが寄ってくる、一般人だったら問題にならないようなことも修羅場になって公共の電波にて謝罪し公開処刑される、という「有名税」をとられてる状況と同じ状況にいづれ直面するわけで、たいへんに面倒なことです。

いい男は、ツラいよ。(寅さん)

いい男になればなるほど、注意深くあり、周囲に警戒を張り巡らさなければならないのです。

ということは、自分のステージアップはもちろん、いい女選びをするための自分の眼を養わないといけないという話になるわけですね。

イケメンであるほど、こういう周囲を鋭く見る力がないといけないのです。

(逆に、ダサい男は女を語る前に、お前が頑張れよ。いい女を語るのは百万年早いという話です。)

ところで、当のいい女選びですが、何を以って「いい女」とするか? これは、個人の嗜好の問題ですから一般向けにこうやって話をするのはとても難しいし、どんなに言ってもとかくイケイケの男ほど見た目がキレイでいわゆるイケイケの女を選ぶ傾向にあるので、ほっとけよ、ということになりそうですが、

ここでイケメンたちに目を覚ましてほしいのが、

そのイケイケ女=「いい女」では決してない、ということです。

ここがイコールで結びつかない場合がほとんどであり、翻ってイケイケてるほど面倒くさい女である可能性は非常に高い。まあ、男はバカだからコロッと引っかかるわけですね。

これは眼を鍛える必要性がより強く強く感じらてしまいます。

 

ではいい女とはそもそもどういう女を指すのか?

今日はこのトピックを考えてみましょう。

 

世間では、雨上がりの宮迫さんとロンブーの田村亮さんの会見に端を発した吉本興業のお家騒動でたいへん賑わっていましたね。

これは、待ってましたワイドショーのお家芸でそもそもが世間のたいへん大好物な話題ですが、面白いことに、賛否意見がきっちり分かれました。もちろんワイドショー番組制作側は宮迫さん田村亮さん擁護に回って「反権力」を演じ、それで大衆をあおるわけですから宮迫田村亮が官軍のような扱いになるかと思えばそうではなく、その一方で吉本擁護の人たちもテレビで堂々とコメントしています。

例えば、元吉本の伝説のマネージャー大谷由里子さんは「これが吉本の文化で強みの源泉、だから契約とか一般化できない話」と(いうような感じで)話していました。吉本の在り方を肯定する論調です。これは今ガチャガチャしてるお家騒動の中にいた人、中を知っている人の話なので納得する部分もおおいにあると個人的には思いましたが。

さて、上記のようにひとつの事象が起こればそれに対して全く異なる二つの論調が出てきます。

これはあるタレントにファンとアンチがいるのと同じで、各個々が自分の視点からそれぞれにある出来事を批評すると、なぜか賛否の両極端にどんどん収束していき、1番人気のイケてる男性芸能人と嫌いな芸能人ナンバー1が同じ人物に当たるという現象が起こります。んで、影響力が強ければ強いほどその事象は必ず肯定否定が強力に分かれるわけですね。

力をつけてきた中堅が吉本に対してなぜ反旗を翻すのか?

逆にその上の世代がなぜ吉本を擁護するのか?

「中堅」と「大御所」では、まったく意見が違う。これはその二つの立場の違いによります。

つまり、この論調の違いとはそもそもが立場の違いで、その立場というのは今「生きてきた」と言ったように、個人の経験や背景がその人独特の視点を作り出し、世界を見るそのフィルターがその立場(=ポジション)を決めるに至っているわけです。

彼らの両者では見ている世界がそもそも違う、対象である吉本興業が愛すべきファミリーに見えるのか、打倒すべき権力に見えるのか、見えてるものが見えているものが全然違うのですね。

現吉本体制と同じ時代を生きて苦楽を共にして来た大御所世代と、その下の反骨心むき出しの中堅世代、立場が違うのだから、テレビや雑誌でコメントする意見も当然異なります。

そして、時々ぼくらは「ポジショントーク」という皮肉を込めた言い方を耳にしますね。

このワードは根が真面目なぼくのような人間にはマジで残念な響きがするのですが、ポジションによってトークがすでに出来レースのように決まっている、つまりは自分の意志や考えがあるようで実は皆無、トークが口から出てくるときその意見とやらは熟慮された思考をぜんぜん通っていない、頭が空っぽな人々なのです。そんな人々は世の中にたくさんいます。

さらに、この残念な人々のもっと残念なところは何かというと、いったんこの(例えば「反吉本!」の)立場が固定されてしまったら、そのポジション「以外」の論調は受け入れられません。自分の正義で頭と心が凝り固まってしまうのですね。

また、そのもっと手前の話として、自分のポジションが定まっていない(立場形成の経験や背景が無かった)としても、そもそも人間というのは必ず最初に聞いた論調に大いに引き寄せられてしまいます。結果として、そっち寄りの意見を強力に支持してしまいます。その意見が宮迫さん・田村亮さんの涙の会見のように刺激の強いエモーショナルなものならなおさらです。その意見を聞いた以上に想像力を以って拡大してしまうわけですね。

ところがこの残念な人は、反対側の主張をまだ聞いていません。

いや、こんなひどい話、どこに吉本側の意見聞く余地なんてあるんですか?

というのが彼らの正義感から来るナチュラルな反応です。

でもさっき言ったように、「聞いた以上の想像力」なのだからその想像の正義に実体は存在していません。

ワイドショーというのは、その想像のポジションから人々を叩くトークを繰り広げているわけですね。

まさに、「地獄への道は、善意で舗装されている」ということなのです。

行き着く先は、地獄です。

これは最悪です。

だから、何か判断を下す場合は必ず両者の主張を公平に聞かなければいけません。

それをすっ飛ばして何かを判断するなんて、ダメ、絶対。

裁判というのもそのようなプロセスが進んでいきますが、これは至極当たり前な事なんですよ。

 

だからワイドショーにおいて大谷さんのような内部にいて長年仕事してきた人の意見は、単なる批判一辺倒のコメンテーターの言葉より聞く価値があります。全体をみるためには自分の意見とは反対の意見にも耳を傾けないといけない。

コメンテーターというのは大衆に寄せて意見をバンバン発信しており、そこに公平性、全体性という目的は毛頭ありません、いわば煽るのがお仕事なのです。この煽るというのが劇薬です。

煽るというのは、有名どころではヒトラーなどの権力者が使ったり、詐欺師が使ったりしますが、「感情に訴える」という原理です。

そのほうが自分の主張が周囲に通りやすく、また対象を操りやすいからですね。

操る側は冷静ですが、操られる側は大いなる感情の渦の中に引き込まれているのです。

だから歴史の悪者たちは権力をモノにできたわけだし、これからも世の中からはけっして詐欺がなくならないでしょう。

ところが、コメンテーターというのはとても感情的な生き物で、それ自身が感情の渦の真っただ中に存在しています。

操る側ではなく、彼ら自身が操られているのです。

いわばヒトラーのように極悪でずる賢いわけでもなく、感情に任せて全体が見えていない単なるナイーブな生き物なのです。

さらにその中でも、おばちゃんコメンテーターというのはとてもとても感情まっしぐらに生きている人種なのです。

大谷さんやカンニング竹山の意見、吉本擁護であったり、いやいや本質は吉本よりも別なところにあるんじゃないですかという意見、つまり「おばちゃんポジションに真反対」の意見に、一瞬でドカドカドカとマウントしてくるおばちゃん。いやいや、まず話を聞きましょうよ、その意味をくみ取ることに頭使いましょうよ、とぼくは思います。

話を聞かない人の脳内は、自分の正義で100パーセント埋まっているわけですね。

自分の正義、です。

自分の正義とは、自分だけの視点、自分の経験や背景、自分のポジション、そういう狭い箱の中でこねくり回したひねり出した解答にすぎません。その狭い狭い自分の解答を広い世界に投影してドヤ顔で語っているのです。

今すぐ、ワイドショーを見てみて下さい。そういう世界が広がって、それを見た大衆が「そうだそうだ!」と乗せられて、感情的なバカが拡大再生産されているはずです。

ぼくは「地獄への道は、善意で舗装されている」という言葉が思い浮かびましたよ。

こういうおじさんおばさんにはもう何を言ってもダメです。

 

さて、いい女とは何か?

なんとなくその像が分かって来るのではないでしょうか?

・自分の正義

・感情的

・人の話を聞かない

・マウンティング

・それ以外は拒絶

これが、今あなたの隣にいる女性だとしましょう。

どんなに絶世の美人でも、毎一秒ごとにウンザリしてゲンナリして、俺何やってんだろ…となるんではないでしょうか?

日に日にヤツレテくる、いつも喧嘩が絶えない、そういう様子が目に浮かぶようです。

正義を振りかざすニュースキャスターのおばさんを例にとりディスってしまいましたが、

おばさんとはそもそもがそういう生き物なのだから、だからやがてみんなそうなってしまうのでしょうか?

それとも、ある特定の(大部分の)おばさんはもともとそういうダメおばさんの素養を持ち合わせており、歳が行ってしまうとそれが発現してしたのでしょうか?

ぼくは、後者だと思います。

大部分のおばさんは上述のようにヤバいおばさんになっていく中、ごく一部ですが、とてもとても素敵なおばさんに成っていく人も、いるにはいますね。

これを「内助の功」と日本語では表現するんではないでしょうか。

この人は、わたしがわたしがわたしが、と前のめりにしゃしゃり出てくる女とはまったく異なる生き物なのです。そしてそういう女はほんの一部だということを再度強調しておきましょう。

だからまかり間違っても(確率的には決して低くありませんがよ)、そういう面倒くさい未来のおばさんカードを引いてしまったのなら、もう将来は真っ暗です。

だからぼくは警鐘を鳴らしているのです。

さて、簡単に言うとこういうヤバいおばさんの逆を行く女性をぼくは「いい女」と言っているのですね。

もう、消去法です。

 

そういえば、福山雅治が吹石一惠を選んだ理由が「感情的に安定してる人」と確か言っていたはずですが、これは本当にとの通りで、モテ男でチャラ男として幾多の女性と接してきた彼が、そこから導き出した最終的な結論なのでしょう。

 

女とは、

「感情的な生き物」

です。

良くも悪くも、間違いなくそうです。

この記事でも書きましたが、

bit.ly

本質的に男女とは違う生き物なのです。

 

人類史を考えると常にそうでした。

脳も違う、筋肉も違う、骨格も違う、生殖能力も違う、ホルモン作用も違う、違うものだらけで男の眼前には「女心と秋の空」が広がるわけですが、

そういうもろもろの機能を含み込んだ身体の違いというのは、男女それぞれにジャストフィットするような「役割」が割り当てられているように、なんだかぼくには感じられるんですね。

だからこそ「内助の功」という言葉が成立するするわけですが、一般的に考えられるのと違いぼくはその美しい表現を「時代遅れ」だとか、「キレイ事だ」とか、切り捨てることは決してしません。

男は理性が先に立ち、目の前の困難を切り開いていき、終始理性的な人生を歩む、ゼロ百ではないですが、男とはそういうものです。

それなのにそんな男は、「感情的な生き物である」女を、強く欲してる。

先日滝川クリステルさんと結婚された政治家の小泉進次郎議員が、「家に帰ったら甲冑を外してもらっているようだ」と言っていましたが、これは実にうまい表現です。

男は理性的な生き物だけど、いつも理性理性理性理性で行くと疲れてしまう、

男はツラいよ。。

だから、感情の癒しの出番なのです。

男が根源的に求めているものはそういう愛らしさ、外で戦って深手を負った感情的な傷を、癒してくれるそんな女なのではないか、とぼくは思うのです。

ぼくは決して、女は家事をするんだ、子育てをするべきだ、家庭の狭い箱に入っておけ、などという古い価値観に縛られているわけではありません。共働きでもいいじゃないか、自分のキャリアや趣味や嗜好を追ってもいいじゃないか、

でもその「甲冑を外し、傷の手当てをする」内助の功を女性自身が心の奥底では望んでいるのではないか、と思うわけです。

言うまでもなく、男は常にこういう女を必要としていますが、

女はどうなのかというと、彼女たちは自分の持つ癒しを与えたくてしょうがないような印象をぼくは受けます。世の中で意気揚々と戦い抜く男たちにはいつもそばに内助の功があるわけですが、そうやって甲冑を外す女たちをそばでじっと見ていると、戦いから帰ってきた戦士に心底心酔しており、甲冑外しに大きな喜びを感じているように僕には見えるのです。

 

・自分の正義

・感情的

・人の話を聞かない

・マウンティング

・それ以外は拒絶

こういう女に、はたして甲冑外しという重役が務まるでしょうか?

男は、戦いから家に帰ってきてこういう嫁はんが待っていたとすると、もう死にたくなるんじゃないでしょうか?

ブログでも時々社会の様相から日本の未来について論じたりしますが、これからはますます厳しい社会になっていきます。

残念ながら「老後資金2000万円必要」は歴然とした現実である | 老後のお金クライシス! 深田晶恵 | ダイヤモンド・オンライン

なぜ大手企業は「副業」を解禁するのか?

オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」(週刊現代) | マネー現代 | 講談社(1/5)

世界で日本ビジネスの存在感が減退するワケ | 話題の著者 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

 

こんな風に。

 

これは社会や経済の問題だけではなく、男の生き方の問題であり、

甲冑を外すどころか、帰途についてからも家で戦争なのか、、という状態ではとうてい自己実現どころではありません。

老後2000万問題よりも、こっちのほうが重要なんではないか、思えるぐらいです。

いづれにせよ、厳しい世の中になるのです。

こういう世の中の問題がドッカリ男性諸君の肩に圧し掛かってくるわけです。

 

さて、なぜこれが生き方の問題なのか。

これこそがこの記事の重要なしめで、今回ぼくが強く言いたいことなのですが、

社会が変革して、経済が衰退しても、それはそれで大変大問題なんだけど、そこへアタフタ対策する前にまず、「男は男らしくあるべきだろ」というのが根本にあって、厳しい社会の波を乗りこなしていくのにはまず、【男らしい+内助の功】という方程式が存在している、ということなのです。社会という”外に”目を向ける前に”中に”目を向けるべき、お前自身のレベル、お前の傍にいるヒトのレベルという中身の問題なんじゃないかと。

だから「モテるのはお前のマインドセット」「モテたら見る眼を養って世界を見よ」、という生き方の問題につながるわけですね。

じゃないと、最終的に人生を振り返った時、満足できる人生は決してやって来ないんじゃないか、と。(ジジイじゃないから知らんけど、たぶんな。)

前にも少し言ったことがありますが、偉大な哲学者たちですら恋愛とか愛する人との関係性において大いに苦しみました。天才ですらそうなんだから、凡人の僕たちはなおのこと、ということなのです。

でなければ、社会的地位を獲得して、富を獲得しても、モテない孤独な男で終わってしまう可能性は高い。

モテを重要な位置においてそれを追求するぼくたちは、これがどれほど残念な状態か分かるのではないでしょうか。

いづれにしても、僕たちはいい女を強く欲している、ということはモテるマインドの読者なら強く同意してくれるのではないでしょうか。

(いや、モテなくても別にいいでしょ、という人には、このブログは必要ありませんね。破門です( ̄ー ̄)

生き方の問題です。

だから、社会のせい、お金がないせいにするな、運が悪いとか言ってんじゃない、お前の人生の問題だ、ということなのです。

でも、だから早くいい女を見つけなさいよ、これだけを直接的に書いてしまうとそこだけ拡大して頑張る人、勘違いして明後日の方向へ努力するであろう人が続出するな、それだと本末転倒だなと予想できたため、あえて「まずはお前の努力だ」という方向でずーーっと記事を書いてきました(「女選び」は後回しにしたということです)。

今日の記事のメッセージをバランスを取って語ると、

つまり、謙虚に男らしくあれ、ということを大前提としてうえで、

「いい女を見つけろよ」

と、親戚のおじさんのようなことを言っているのです。

 

仮に「いい女」を見分けられたとしても

「あなたはそれに見合った男なのですか?」

というある種のブーメランとして自分にまい戻ってくるからなのですね。

滝川クリスタルさんを、あなたはモノにできるのですか?(表現が下品で申し訳ありませんが。)という当たり前な基本のキなのです。

女を見る眼は大事だけど、高い場所から偉そうに女を査定するわけではない。

いくら女を見る眼があったとしても、最終的に選ばれるのはあなたではない。としたら、、

これでは、見る眼を養った全ての労力や時間や犠牲が徒労に終わるのです。

 

だから”まずは”自分のステージをあげよ、

そのうえでいい女を選べるよう物事を見る眼を養いなさい、とそれは「両輪だ」としたうえで、今回の記事の総括としたいと思います。

ありがとうございました。

長らく待たせてごめんね♡

 

やじろべえ。

 

 

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