モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

モテるのはなぜ難しいのか? 改めて考えた.....雑感 その2

 

残念ながら、前回長くなりそうで途中で打ち切りましたので、なぜモテるのは難しいかの核心に迫れませんでした。。。

長くなりすぎて消化不良になってもいけませんからしょうがなく泣く泣く打ち切りましたよ。「最近は記事短いですね」というツッコミは受け付けません。

前回も参考になりそうな記事を提示しましたが、今回もあります。

http://oreno-yuigon.hatenablog.com/entry/2015/10/02/015427

これは、料理系Twitterアカウント?として活躍するヒデヨシさんのブログです。料理よりビジネスや恋愛の話がうまいから要チェックです。

 

そして、ヒデヨシさんのブログで叩き台として使われていたのは下記の対談です。

これにはぼくも思うところがあります。

恋愛工学は日本を救う?——二村ヒトシ×藤沢数希対談|二村ヒトシ/藤沢数希|cakes(ケイクス)

 

要するに、モテるの意味なんですよ。モテない男がモテるために解き明かすべきは。

モテるの意味が分かっていないとどうなるかというと、話しかけられたらうれしい、女子の笑いを取れたらオレに気がある、LINEゲット!できたモテるオレ、という短絡的な自己満になるからです。この初歩の初歩がズレてるからボタンの掛け違いで「モテるのが難しい」。この藤沢×二村対談では二人が信じるのモテの意味づけが違うので話がまったくかみ合わないとネットで話題になっていましたが、ぼくらも自分なりのモテを明確にしないといけません。

 

さて、対談についてヒデヨシさん分析に則って考えると非常にわかりやすいので、これを使わせてもらいます。そのうえでぼくなりのモテるのが難しい理由をもっと掘り下げて、さらにモテるにはどうすればいいのか?人生を満足して生きるにはどうすればいいか?考えてみたいと思います。

では、よろしくお願いしますー。

ヒデヨシサンは言いました。

藤沢さんはモテについて、明確な定義を提示しています。

モテ = 試行回数 × ヒットレシオ

 言い換えると、

女にアプローチした数 × セックスできる確率

となります。

つまり、

モテ = セックスした人数

と同義です。

 

一方で、二村さんは

「あなたにとって『モテ』とは何かを自分で考えなさい」

と言います。

好きな人に愛されたいのか、たくさんの人に好かれたいのか。
たくさんの女の人とセックスしたいのか、友達がたくさんいればいいのか。

多くの人が思い描く「モテ像」に迎合せず、自分自身の「モテ像」を考えなさい、と言います。

 

ここで対談両者のモテに対する定義が全く異なることにまず注目しましょう。 

金融日記管理人の藤沢数希氏は、理論物理学の研究者、外資系投資バンカーというバックグラウンドを持つゆえに結果重視・定量的な理論にて論じる人で、彼が作る恋愛工学のメルマガも進化生物学などを基礎に構築されています。つまり、モテるというのは生物的な性交によってのみカウントされ量られ定量化できるという結果重視の考え方で、「セックスできなかったけど、モテてたな。という言い訳はしてはいけない」というのがメルマガ読者を激励する言葉です。そこには結果をありのままに受け止めるべきで精神論に逃げて解釈を歪めるべきでないという科学者の考え方ですね。

一方、二村ヒトシ氏は「藤沢さんはモテるようになって、救われましたか?」と問うているように「自分とは何か」「愛とは何か」という哲学的な思想を持っているようです。モテにもさまざまな形があり、いい恋愛、いいセックスも人それぞれ、だからそれを自分で探しなさい、というのがメッセージで、結果を定量化して一つの定義に収束させる藤沢氏とは全く異なり精神的な領域を大いに採っているんですね。

こりゃ、噛み合うはずがない。

このように、モテの定義が異なると、その「モテるため」という方法論もまったく違うものになり、違うプロセスを辿ることになります。

藤沢氏:「考えるな!考えると地蔵になってしまってセックスできなくなるから、非モテになるぞ」

 二村氏:「考えろ!考えて考えて脱キモせよ。そして自分のモテを作れ!」

この対談を一通り見た後に、ヒデヨシさんは自分の過去のプロセスを振り返りつつこう結論しています。

春先にたまたま、すごく可愛いなって思える子と出会いました。
可愛いな、この子と仲良くなりたいな、と思える子でした。

メールが返ってこないと不安になり、3年ぶりくらいに友達に恋愛の相談をしました。
彼も僕も、恋愛工学のメルマガを読んでいました。

 

お前、それは非モテコミットだ。
今すぐナンパして、他の女とセックスして、非モテコミットから抜け出すべきだ。

 

彼は僕にそうアドバイスし、僕自身も恋愛工学を信じ、禁忌とされる非モテコミットを抜け出すために、他の女の子ともデートして、感情を分散しました。

 

結果としては、その可愛い子と付き合うことになりました。

執着の分散によって、冷めた気持ちで接することができたため、適切な行動を選択することができたのかもしれません。

 

でも、最初感じてたような不安な気持ちとか、メールできて嬉しかった気持ちとかが、後から復活することはありませんでした(すぐに別れることになりました)

 

恋愛って初速が大事で、一度閾値を超えるくらい好きにならないと、後からそれ以上好きになることはできないんですよね。
そして、一度執着を分散して気持ちを冷やしてしまうと、恋の閾値を超えることができない。

 

僕は恋愛感情はある種の思い込みだと思っていて、自分が自分の主観で、

「もうこの人以上はいない」

「この子は自分の100%の相手だ」

って思い込めることが大事だと思っているんです。

 

でも、「セックスする前は女の悪いところだけを見つめる」というような恋愛工学的な接し方をしていると、どう頑張っても後から「この子しかいない」と思い込むことなんてできない。

 

だから、執着の分散は危険なんです。

 

メールが返ってこない不安とか、相手が好意を示してくれた時の嬉しさとか、そういう感情も全て分散してしまう。

 

うん、全く同意です。

何に同意か?

「恋愛感情は思い込み」「執着の分散は危険」ということです。

さらにボク自身はモテがセックスの量で決まる、という言説の否定です。

ぼくはよく言っているんですが、人の本当に大切な重要な部分はけっして数値化できない、さらに「人それぞれ」だから一般化できない領域も大いに採用すべし、という立場です。なにも哲学的に難しく考えなくても、ナンパでゲットした女の数・セックスした女の数をドヤ顔で自慢する人を安い男と思うでしょう?あなたの子供は成績が良くないですね、世の中学歴がすべてですよと言われたらムッとするでしょう?会社で、うちは業績がすべて、それが今のあなたの人間性のすべてですよ、なーんて会社はソッコー辞めるんじゃないですか?

つまり、数値と本質は別。

モテるという人間性に深く深く関わる部分を数値化して量ろうとするのが無理だということですよ。

 

「国民総幸福量」

という言葉をきいたことがあるでしょう。これは、GDPなどの経済的・物質的な「豊かさ」に対して、「幸福感」つまり精神的な満足なども含みこんで数値化し比較しようという指標です。

世界幸福度報告という国連の発行するレポートがありますが、その幸福度を構成する項目は以下の通りです。

(1)人口あたりGDP(対数)

(2)社会的支援(困ったときに頼ることができる親戚や友人がいるか)

(3)健康寿命

(4)人生の選択の自由度(人生で何をするかの選択の自由に満足しているか)

(5)寛容さ(過去1か月の間にチャリティ等に寄付をしたことがあるか)

(6)腐敗の認識(政府に腐敗が蔓延しているか)

さて、wikipekia先生の説明を見てみればわかるのですが、このレポートで発表されているランキングも、項目の変数評価も、覇権国と言われる国や、経済大国と言われる国が上位に来るわけではもちろんなく、経済的に貧しい国が上位に来たりしていわゆる社会でいうところの「常識的な感覚」をもっている人には解せないランキングでしょう。また、ぼくが注目したのは、社会の寛容さとか腐敗の認識とか「?」の結果がズラリ並んでいることです。

社会的寛容さはチャリティ寄付と結びつくのか?お金に余裕がない人は自動的に寛容じゃないに分類されてしまうんですね。。。うーん。

つまり、精神性の強い側面は、数値化するのがとても難しくて、「データなし」だと困るから学者や専門家があらゆる手段を使って定量分析を試みるわけですが、結局どの国に住みたいか?は各人の好みになる。「人それぞれ」なのです。

 

人の価値を図ろうとするとどういうことが生じるでしょうか?

人的資本という算出方法になって、つまり人間の経済的価値を図って人の価値とすることになります。資本主義システムの枠組みの中だとそういう評価基準を採用することになります。数字だから非常に明確ですが、この価値評価から精神面でのファクターがごっそり抜け落ちていることがわかるでしょう。「幸せ」「成功」の現実とは大いにかけ離れた結果が出てできます。

抽象的になると、どうしても具体的な部分を犠牲にして表現されるのです。

 

世の中にいる本当に成功してる人、つまり人生を謳歌し好きなものを主体的に選択し、その力があり、人生に充実を感じながら次の目標に向かって生き生き走っている人というのは、べつに細かい数値にはこだわってないしプロセスを情熱的に楽しんでいる、そういう人です。さらに結果を出すということにコミットしながらも、それでいて言い訳はしない(精神論に逃げるわけでもない)、という絶妙なバランスをとりながら成功の道を歩いている人々です。

 

藤沢氏もここを認めてないわけじゃないと思うけどなー。

つまりメルマガとして提供して、読者に結果を出してもらいたいと活動するなら、言い訳に逃げやすい読者の退路を断って「セックスできなかったら、お前は非モテなんだ」と発破をかけるのが愛だ、というスタンスをとっているに過ぎないと思っています。

哲学的なことを机の前で延々と考えて何も結果が残らないのもアホだし、結果が出ればなんでもいい、女とやれればそれでいいんだというのも下品過ぎる。結果は出すけどそれはもちろん王道のプロセスを辿った先、というのが正解ですよ。ここで強いメンタルが要求される、マインドセットの生き方が問われます。ヒデヨシさんが本音を吐いたとおり、思い込みながら不安と闘いながらリスクを取りながら好きな女を獲りに行く、 「恋愛から得られる幸福感っていうのはやっぱり、不安や恐怖と隣合わせにあるもの」、これが本当にそのとおりだなと感心させられました。

さてここまででも、モテるのが原理的に難しいとなんとなくわかったのではないでしょうか。しかし二村氏が語ったことからもう一つの難しさに突き当たります。それは、大部分の人にとって無理ゲーである「あなたにとって『モテ』とは何かを自分で考えなさい」というアドバイスです。これは「あなたの幸せとは何ですか?」「あなたの成功を教えてください」というのと同じくらい定義するのが難しいことです。さらに、「自分の頭で考えてね」という、当たり前の答えでありながらほとんどの大衆ができないアドバイスであることももう致命的なのです。非モテから脱出したくて救いを求めたのに「自分で考えようね」という自己啓発もびっくりな回答なのだから。

 

さて、ぼくの中のモテるの定義はヒデヨシさんが言っている「存在を知られた女の子に、好かれる確率」とほぼ同じですが、言い換えると、「女から男として認知される」ということでしょうか。つまり、いい人として認知されるのでも、友達フォルダに入るのでもなく、男として認められる、という感覚です。男とは何か?と問われたときぼくは生物としての男らしさがまず先にきて、そして社会性という人間としての男らしさを積み上げ、この世界時代を生きる力がある、そういう総合的な男を表現したい。そしてブログでもそれをあらゆる角度から表現しているつもりなのです。

こういう男がいれば、結局女という生き物に好かれる結果が達成されるのは間違いなくて、だれのオンリーワンになるか、それは相性の問題でしかありません。男としてのこのような条件を満たした男が目の前に現れたとき、よほど歪んだ女でない限りほぼすべての女が「好きになってしまう」。これがモテです。

重要な点として、ヒデヨシさんも「確率」というコトバを使い、ぼくも「生き物」というコトバを使いました。つまり科学的・数学的な要素をスルーして精神論だけを語っているわけではないということです。すべてはバランスですよ。だからこそ、このブログを管理しているのは、他ならぬ”やじろべえ”なのです。

 

やじろべえ〇 

 

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