みなさん、こんにちは。
前回はけっこうな間隔があいて「第一印象」についての考察を書きましたが、
今回結婚に関する大きなニュースが飛び込んできまして、モテとは何かを考えるのにとてもいい材料だと僕は判断し、鉄は熱いうちに打て、さっそくペンを執った次第です。
なんだよ、やろうと思えば早く更新できるじゃねえか、という声にはそっと耳を閉じるとして、
山ちゃん、蒼井優さん、ご結婚おめでとうございます。
蒼井優&山ちゃん、交際2カ月でゴールイン!ラブラブ会見で明かしたミラクル婚の決め手 (1/3ページ) - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ)
各方面から驚きの声が上がっているようです。
山ちゃん大金星に芸人が嫉妬の嵐!極楽・加藤浩次「こんなリアル美女と野獣ある?」(サンケイスポーツ) - Yahoo!ニュース
ぼくも最初はなんかのパロディかと信じられませんでしたので、「芸人仲間が嫉妬」というその感情はよーくわかります。
さて、芸人さんはそうやって盛り上げるのが仕事ですし、ワイドショーがすっぱ抜くために我先にいい絵を取りに行こう、紙面を面白おかしく飾るためにキャッチーで半ば失礼な文面をデカデカと載せるのはいいとして、
ぼくらとしては、このイベントをたたき台にして、改めて「モテるのはマインドセットがすべて」ということを考えてみたいと思います。
今も言いましたが、このニュースを見たとき、「…うそだろ」と感じたことを正直に告白しなければなりません。
なんかのパロディかCMか?
と。
しかし、それがだんだん現実のものとして認識されたわけですね。
これは、それぐらい可能性の低い組み合わせ、美女とド野獣の結婚会見だったということです。
これを「嫉妬」と呼ばず、なんと呼ぶのでしょうか。
ぼくは蒼井優さんのファンでも何でもありませんが、売れっ子女優がブサイクでゲスキャラな芸人とゴールインすると、なんかとんでもない力学が背後に働いているのではないか、とナチュラルに疑ってしまいますが、
これを極楽とんぼの加藤さんは「相当な弱みを握ったんじゃ……」というふうにコメントするわけですね。
結婚ということに関して、このとんでもない力学、不可思議な現象、ウルトラCのイベントが発生したとき、考え得る2つの要因は、
1.男に理由がある、
2.女に理由がある、
ということになるでしょう。
男の理由というのは非常にポジティヴで、ド野獣を補って余りあるほどの「内面の魅力」が男にあるということです。
で、一方で女の側の理由は何かというと、女が相当な変わり者で、変なのを好む性癖があるとか、財産目当てであるなど、種々の残念なネガティヴ要因です。
美女と野獣カップルはこういう要因でカップルが成立している可能性が高いのです。
さて、ぼくはこの結婚会見をYouTubeで見て腰を抜かした後、いろいろとこの二人についググってみたのですが、1.の山ちゃん魅力説を確信するに至りました。
考えても見てほしいのですが、V6の岡田准一や俳優の大森南朋、堤真一、三浦春馬、などと歴代付き合ってきた売れっ子女優が、ブス専である可能性がどれだけあるでしょうか。
彼女ほどの女性ならその気になれば実業家とも簡単に付き合えるでしょうが、将来不安定で芸人界隈では決してトップではないソコソコ芸人と結婚するのが財産目当てというのも考えにくい。
山ちゃんが、弱みを握ってどうとかするほど、彼が(ずる)賢いやワルさをするメンタルを持ち合わせているとも思えない。
そもそもテラハを見ている人ならわかると思うのですが、山ちゃんはそうとうなゲスで通ってますから、その山ちゃんと結婚するというのはテレビに出る女優として世間のイメージに致命的な影響を及ぼしかねない、ぼくが「は!?」と思ったぐらいですから一般人はみな「???」なわけで、痛いほどそういう日本中の空気にいたいほど晒されることになる、これは非常に大きなリスクです。
まさにどんでもない力学が蒼井優を突き動かさないと成立しないイベントなのです。
だからぼくらはその理由を、山ちゃんの何かに求めるしかありません。
正直なところ、ぼくはテラハに出てルームシェア人をガヤガヤヤジっている山ちゃんは好きじゃありません。
てか、いらなくね。
ぼくはテラハの初期から見てますから、YOUが一人でロケバスの中から独り言としてつぶやくぐらいがちょうどいい、メインはシェアハウスしてる彼らでなのだから、スタジオのやかましい解説はいらない、
その中でも、山ちゃんの決まりきったゲストークは、ほんといらね。
てか山ちゃんの人間分析の解説より、僕の人を見る目の方が1000倍的確でしょ、というのが率直な感想でした。
現にYOUやトリンドルも山ちゃんのゲスさには毎回うんざりしていて、これはお茶の間の女子の感覚とひどく一致することでしょう。
うげ~、これはイタイ、というあの感覚です。
さすがに安田大サーカスのクロちゃんほどではないですが、おもしろいわけでもイケメン枠でもない、じゃあ…ゲス!枠というキャラを、山ちゃんも売りにしていたのでした。
ところが。
ところがですよ、これが純粋に山ちゃんの仕事スタイルで、仕事として南海キャンディーズ山里亮太という人格に徹していて、日常の山里亮太は別なところにあるのだとしたらだとしたらどうでしょうか?
役者もそうでしょうが、思いっきり仕事人としての自分をぶつけそこに投影して、私生活では別人格、別人みたいというのはよくある話です。
ナイナイの岡村隆史なども、その別人格が話題になりますね。彼は、めちゃイケのメンバーが昼休憩にご飯を食べに行っても、一人で楽屋に残ってあれこれネタを考える人間で、真面目だから精神を病んでしまった過去があります。
日常の(本質的な)岡村さんは、テレビで通して視聴者が見るナイナイ岡村とは違う人格だったのです。
さらに、ヒールに徹するプロセスラーなどもそうです。
仕事場であるリング上ではやりたい放題して悪役レスラーになり、イケメンレスラー、看板レスラー、ヒーローレスラーを反則や卑怯な手でイタブリ、観客からのブーイングをその身に一手に引き受け悪役に徹する、
ところがリングを降りるととても礼儀正しく心優しい人じゃないか、、そういうことがあります。
「リングとぜんぜん違うんですね、なんで嫌われ役をやるんですか?」
という取材中の質問に、
「そのほうが盛り上がるでしょ、馴れ合いでプロレスしていてはレスラーの本領は発揮されない、最大限のパワーぶつけ合ってこそ、最高のエンタメを観客の皆さんに届けることができる」と、
真面目に答えるのです。
自分はヒーローになれるタイプじゃない、ならプロレスのために、プロレスファンのために何ができるだろうか。
出した答えが上記のように身を粉にして会場を盛り上げることだったのです。
誰が好き好んでヒールを、嫌われ役をやるでしょうか。
それは、自分のためでは決してない。
そこまで真剣に仕事を向き合っているのです。
これがギャップなのです。
「あんなにヤな人だと思ってたけど、実は超いい人じゃないか」と。
ギャップとは何かを計算して着飾る衣装のようなものではありません。
生き方なのです。
それについて書いたこともありました。
だから「簡単に」「脱いだり」「取り替えたり」することは本質的にギャップとは言えない。
自分が心血を注ぐ仕事という領域で相当に真剣だから、日常の私生活では当たり前な礼儀やストイックさや気さくな感じの差異が際立っているにすぎないのです。
これは仕事という本番で結果を出すにはもちろん日頃から特訓して謙虚に努力を積み重ねる必要がありますが、この本番と練習の切り替えがエンタメの世界で生きている人ほど際立つのかもしれませんね。
そして切り替えが高いレベルでなされるためには、人間性というその人自身のステージが高くあることが要求されるため、一般人にはそもそもこの意味でのギャップなど存在せず、裏も表も予想通りの「ただの人」で落ち着いてしまうでしょう。
こういう人が、山ちゃんやナイナイ岡村やヒールレスラーの仕事っぷりを見ると、それが全人格だと勘違いして「あいつは悪いやつ」と反射的に悪と断定してしまいますが、これは領域によるペルソナをかぶって仕事に徹するという感覚がその人自身にないからです。
だから、「ただの人たち」は山ちゃんを理解できないのも無理はない。
さらに、こういう原理で出来上がるギャップの魅力というのもゆくゆくは 「仕事に対する真摯な姿勢」という尊敬に変わります。
そして、これこそ男が獲得すべき資質と評判ではないでしょうか。
ということは、山ちゃんはこれを獲得していたということになるのでしょうか?
ぼくはそう思います。
10年以上書いている"反省ノート"。山里亮太「努力をやめたいなんて1ミリも思わない」|新R25 - 20代ビジネスパーソンのバイブル
日本アカデミー賞で、逃げ出すほどの大失敗。山里亮太が挫折を生かしてMCになれた理由|新R25 - 20代ビジネスパーソンのバイブル
山ちゃんは反省ノートを10年以上継続して書いていて、その量60冊以上になるとか。
人はふつう、これができません。
簡単なようで、その簡単なことを10年続けるというのが、非常に簡単じゃないからです。
今思えば山ちゃん、最近は確かにMCの仕事が増えてきているようですが、
ぼくなんかは、そんなに面白いわけでもない山ちゃんがなんで各番組から引っ張りだこになるのか不思議だったわけですが、結局そういう現象の裏側にはそれなりの努力の集積があるのですよ。
そして彼は、大舞台に立ったという経験もある。
なんたって、日本アカデミー賞のMCですから。
先に紹介した中の2番目の記事ではこのアカデミー賞MCのチャンスを自分の準備不足で大失敗したためにそれを「黒歴史」と表現していますが、成功した、失敗したにかかわらず、こういう舞台に立つこと、それ自体も大きな経験になります。
そしてここが重要なのですが、
「このMCに抜擢されたのすら単なる運ではない」
ということです。
アカデミー賞MC、運がいいなー
蒼井優の結婚、運がいいなー
と、努力をしない人ほどそう考えます。
違うのです。
通常はこういう大きな経験をすることすら、こういうチャンスを手繰り寄せることすらまったくできないでしょう。
いったいどうすればそうなるのか(運がよくなるのか)、皆目見当もつかないはずです。
それは、その手前の「あきれるほどの自分のレベル上げ」が出来てはじめてその運とやらを引き寄せる準備が整う、運がないのは自分の努力が足りない、ただただそれだけなのですよ。
だからそのチャンスがまたまた山ちゃんに巡ってきたのも偶然ではないし、たとえ一発目でそれを逃しても再びそれを手繰り寄せ、やった来たものを確実につかむ、
それは彼が失敗から学び確実に次に生かす努力をする習慣があったからに他なりません。
プライベートで親交のある人は口をそろえてこう言います。
「あいつは相当な努力家」
「真面目」
「礼儀正しくて、けっして偉そうにしない」
「関係者への感謝を絶対に忘れない」
本当に彼の人となりを知る人はこうなのです。彼をこう評価している。
普段こんなこと誰も口にしませんが、結婚会見の報道がされたとたん、Twitterで「前から知ってましたよ、山里さんは人格者」というコメントが目立ち、なんだかなぁという感じもしないでもないですが、
やっぱりこれが彼の本質で、テラハのウザいあの感じは仕事に真面目な彼の演出だったんですね。
正直、ぼくは山ちゃんのこのウザい感じが嫌いなんだけど、でもこれ止めて人格者山ちゃんで売ろうとすると、おもしろさ死んで、仕事なくなっちゃうだろうしな。。
ぼくがいつも言っている、
「人間性で勝負する」
というのがどういうことを意味するのか、少しイメージがつかめたのではないでしょうか?
人は日常をダラダラと過ごし、自分を発揮するべき本番が永久にやってきません。
本番がやってきてもそこで発揮する自己が存在しない。
ギャップももちろん生まれません。
これでは何のために生きてきたのか、わからなくないですか。
凡人はテレビを見て「山ちゃんいいな~」「どんな手使ったんだよ」「蒼井優もそうとうなアホやな」と、羨ましがって終わり、嫉妬を募らせて己の人生は何にも変わらず、という日常を繰り返すのです。
本番のためにそうとうな準備をして、それに臨む、
だから売れていく、
という理屈は翻って、売れているのには理由がある、というロジカルから、
「蒼井優を結婚した山ちゃんには何か理由がある」
と、そう考える方が自然ではないでしょうか。
会見で、
「ブサイクでもがんばれば美女と結婚できるというのが、仲間のブサイク芸人に勇気を与えますね!」
と、なんとも失礼なコメントをした記者もいましたが、
本当に勇気にして邁進できるのか、単なる他人事、嫉妬で終わるのかは、マジでこのイベントをどう解釈するかにかかっています。
努力してる人の裏の努力、相当量の努力の集積を認められないなら、同じブサイクという条件で同じ結果は起こりません。Twitterでディスってるだけの人は他人の幸せを祝福する余裕もなければ、それを認める謙虚さもない、
結局、同じブサイクでも、内面の人間性というところで雲泥の差があるのですから、まったく別者なのですね。
自分の弱いところ、嫉妬したりひがんだり、落ち込んだり、失敗したり、フラれたり、劣等感、そういう人間の弱さを堂々とむき出しにしてテレビでエンタメとして披露すること、それができるというのが山ちゃんの強みでしょう。
一瞬で世代が入れ替わり、数多の夢破れた芸人が業界を去っていく厳しい世界で、泥水をすすって生き抜いてきた山ちゃんは、這い上がる強さがある。
その裏には膨大な努力があるわけですが、「ブサイク」というところにとらわれてすべてを解釈しようとすると、「仲間のブサイク芸人にも…」というのは意味のない空虚な仮定になってしまうだけなのです。
単なるブサイクと、山ちゃんの違うところ。
職業病でしょうか。
会見でも例のツッコみ山里亮太のノリが光っていました。
が、一つだけ真面目に答えてしまった、言い換えれば素の山里亮太が出てしまったワンシーンがあったのです。
10:10あたりから。
https://www.youtube.com/watch?v=mx5yDD1CLns
「蒼井優のことを魔性の女と揶揄する人もいるけど、ぼくは普段の蒼井さんを知っているので、本当に純粋で、笑って、泣いて、みんなが言うような人間じゃないってことを一番近くで見てたから、一切心配していません。」
終始ボケとツッコみに回るかと思われた山里が、真摯に切実に回答してしまったのです。
ぼくは、「あっ、これが人が言う山里亮太の真面目さか」
と感じました。
ほんの一瞬見えた人格者山里。
ここに蒼井優は惹かれたんだろうな、と。
そして、見ている人はしっかり見ているのです。
モテを考えるとき、
テクニックをひたすら磨くその段階も避けては通れません。それも、最初の段階では非常にプラスに作用するでしょう。
初学者ほど、その威力に感嘆するはずです。
しかし、テクニックというものを考えたときそのバックグラウンドには生物学的心理学的知見が控えているわけですが、そしてぼくもたびたび記事でその有用性を論理だてて語っていますが、
男女関係のすべてをテクニックや生物学的な男女の性質で解き明かそうとすると、こういう人格者の美女と野獣現象が説明できません。
ぼくはこの点でやはり、生物的何かを超えた原理が人間には働いていると信じているタイプなのです。
そしてそれを「人間性」という表現に頼ってその方向にひたすら走っている。
これを「マインドセットがすべて」と言っているわけですね。
さて、まとめましょう、ぼくらはこのイベントから何を学ばなければならないのか。
今回の山ちゃんの何が幸せなのかというと、「野獣が美女をゲットしたこと」ではありません。
決してそうではない。
もしそうなら、どんな手を使ってでも美女をゲットすれば結果オーライということになってします。
それではあの会見はできなかったでしょう。
今記事の流れから賢明な読者なら気付けると思うのですが、
「人間性を正確に評価してもらった、そしてそこを好きになってもらった」
ということなのです。
そしてその好きになってもらった相手がとんでもない美女だった、というのも結果が後から付いてきたということです。
さっきも言いましたが、仕事に対する姿勢を評価されるのは男にとってこの上ない至福の感覚です。人間性を好きになってもらったとあらば、もうこれ以上の幸せはありません。それが美女だった、というのも繰り返しになりますが、山ちゃんの努力が結実した幸運な部分ではありましたね。
それはしずちゃんが放った「真面目に頑張っていればいいことあるねんな」という一言が見事に要約されています。
真面目に頑張り「続け」なければ決して起こらなかったことで、その大切さを教えてくれるとてもいい教科書でした。
日頃ひたすら頑張り続け、そしてここ一番行くべきときは精一杯の勇気をもって向かっていく行く。
こういうミラクルをなかなか自分事として想定することは難しいわけですが、どうか努力の集積でしか人生変わらないということを肝に銘じて再び走り出しましょう。
自分の人格を高めていき、それを評価してくれる人間性の高い美女とマッチングできますように。
そのためには、自分のステージを上げることは当たり前で、それに加えて的確に他者を(女性を)見抜く目を持ち、そういう人がいるところへ赴き、ありのままの自分をナチュラルに表現することが大切になってきます。
まさに、「山里さん、どのように蒼井さんと出会ったんですか?」という問いの答えと符合しますね。
そのためには「マッチング」という運に丸投げする部分も出てきますから、出会いの数をこなすということも必要になるかもしれません。
山里亮太、42歳決して若くない。
努力は、継続して初めて実るのです。
みなさん、素直に山ちゃんと蒼井さんの結婚を祝福するとともに、自分のステージアップの旅を走り続けましょう。
山ちゃんのWikiがさっそく、配偶者ー蒼井優(2019-)になっていました。
本当におめでとうございます^^
やじろべえ。
編集後記
質問箱のPeingを始めましたんですが、
なんだかしょうもない質問ばかりで、まだまだ自分を高めないといけないなーと思っていたんですが、
その中でも多くのモテを目指す人々がぶつかるであろう質問が来ましたので、次回記事として取り上げたいと思います。
自分を高めるために女性問題にケリをつけないといけない、ぼくもそういう経験があったのでこういうブログを書いているわけですが、
人生という大きな範囲でそれを見たとき、女性とどう向き合うかはその一部分でしかない、ということも決して忘れてはいけません。
女性をどう攻略するかで男が一つ上がるのは確かですが、それを攻略したことで人生が攻略できると勘違いしてはいけないのです。
つまり、
「やるべきことがもっとある」
ということに気づかなければいけない。
どんなにがんばっても非モテだったら自己実現は完成しないけど、非モテを克服すること”だけ”にとらわれるとそれが逆に足を引っ張るのです。
こういう種々の要素をあるべき位置に保つというバランス感覚が必要です。
では、期待していてください。
また次回の記事でお会いしましょうー。