モテるのは、マインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

ギャップと、引き出しの量と、思索の深さと。

恋愛テクニックとして、「ギャップ」を見せること、と言われることがしばしばあります。

バカそうに見えて賢い

チャラそうに見えて一途

クールに見えてやさしい

真面目そうで意外と気さく

心理学でもそういう印象のギャップはゲインロス効果として実証されているぐらいですし、人の意外な一面を見ると「おっ」と興味がわいてきますよね。

ですからこれ自体は重要な概念です。

ですが、このギャップを効果的に使いこなすのはじつはたいへん難しい。

考えてみると、普段はおとなしいのに悪ぶって女の気を引いたり、やったことないのに料理できる”ふり”をして男の気を引いたりと、「それが戦略だ、へへっ」と思ってることがわかったらサーっと引きませんか。

持ってないものを持ってるふりをする、あざとさが見えた瞬間。

ここを間違えると、ギャップで魅力的な人として輝くことはできず、恋愛においてもなんら意味をなさないことになります。あなたの評価は地に堕ちます。その場で見抜かれるかもしれませんし、じょじょに露呈するものかもしれません。コツコツ築い信頼が一瞬で崩れるのと一緒で、がんばって演出したキャップある自分の本当の姿が見えたとき(化けの皮が剥がれたとき)THE END なのです。理論的に確立されている方法論も、それを価値あるように「用いる」のは本当に難しいものです。

なんでもそうですが表面的な活用や真似事は長続きしません。ギャップってのがあるんだな!?と表面的にわかったようになって奇をてらっても、それで本当に好印象が残るのかなんてわからない。

その先何年と付き合って、良くも悪くも「自分」が知られていくわけですから、不安定極まりないこんなギャンブルに参加してどうするんだと。こんなシーソーゲーム、最終的には自分自身にとっても相手にとっても、為にはならないし、なによりそんな関係はつまらない。

ギャップ理論は、無い自分をよりでかく見せるバラ撒き方法論ではありません。ありのままの自分を剥き出しにすることの効果性を証明した理屈であると言えます。メッキで覆うのではなく、原石を磨くのだと。

ですから、演出の力を借りてよいのは演出すべき価値がある人だけなんですね。

いい商品をコンセプトに沿って表現する。

中身のないガラクタをきらびやかにパッケージするわけではない。

ということです。

 

低俗的な戦略としてではなく、本来的な人間の一面を引き出すとして、ギャップを用いるとき ”ギャップとは何か” を考える必要が出てきます。

なぜ人はギャップに萌えるのか?、普段と違う一面を見せつけられた時のあの衝撃はいったい何なのか?

ギャップは英語で「GAP」、「隙間」「格差」「隔たり」を意味します。

バカそう ー じつは賢い

自由人 ー じつは気が利く

クール ー じつは優しい

第一印象のクールで近づきがたいイメージと、じつは優しいんだという新たな一面の「差」であり、その「隔たり」がなぜか謎めいてみえて興味を湧かせるのです。そして第一印象をポジティブな意味で覆されてその隔たりが大きければ大きいほどより惹きつけられます。

最初は印象が最悪だったけど、結構いい人じゃん、・・こんなにしっかりしてるんだ?!、・・仕事もできて、仲間から信頼されてる!

最初から好印象の人より圧倒的な印象が残るんです。

最初は3ぐらいだった評価値が、89ぐらいになる。でもギャップが大きい分、感覚的には230ぐらいに「感じる」でしょう。一気に感情的距離が縮まるというわけ。

ゲインロス効果はこの心理的仕組みを解説してくれていて、その相手への印象の ”変化” が相手との距離を縮めることを、モデル化しています。

大事なのは変化球、ぜんぶ直球勝負じゃ飽きるんですよ。

 

ではなぜ印象の変化を好意に受け取るのでしょうか?

ぼくたちは単純なルーティーン作業を(一部の人を除いて)、嫌う傾向にあります。単調な繰り返しの毎日よりは新鮮さを、目新しさを、驚きを、求めます。

ピーターセージはこれを不安定感と定義して、人間が生来の特性であるとしました。

新しいスマホが出たら機能はどんな風にアップデートされたか気になりますし、好きな作者の新刊を即買いしたり、流行りのファッションに敏感だったりと、

日常にスパイスを、そんな非日常的な「刺激」を人は欲するもの。

そういうわけで、サプライズがうれしいのは女子だけじゃなく、人間すべてが大なり小なりもっている特性ということになります。。

 

「人間は、差(変化や目新しさ)を刺激として好意に受け取る」

これがぼくらがまず押さえておくべきポイントです。

 

ということは、目新しさや驚きを与えられる人間に人気が集まるのは言うまでもありません。

そういう変化をつけれる人間、差をごく自然に演出できる人間とは、「引き出しが多い人」ということが言ることができるでしょう。

いわば、『多面的な人間』です。

人間としてたくさんの面を持っているからこそ、変化を生み出せるのです。

変化球をたくさん持っているから、投げ分けられる、ただそれだけ。

 

「天は二物を与えず」なんて言うけど、嘘じゃないか、あいつは3つも4つも武器を持ってやがる。そんな男がいますよね。

例えば、

童心 ⇒ まじめ ⇒ ユーモア ⇒ 優しい ⇒ 頭の回転が〇 ⇒ 物怖じしない

最初は子供っぽい一面だけだったのが、次々に目新しい側面を出してくる、そうするとそれらの掛け算ですから、指数関数的に好意が上昇していきます。次は何が出てくるんだろう・・、興味を引きつけてやまない。

結果として多面的バリエーションが人間的厚み/重みになるのです。

さらに童心⇒⇒⇒まじめ、まじめ⇒⇒⇒面白いの落差が大きいほど、意外性があってサプライズになります。

そういう多面的な人とは一緒にいて飽きないし、学ぶところも多いですから、男女問わず人気が突出して、一人勝ちなんですね。

勝負できる武器としての引き出しが多い方が男として魅力的なのは言うまでもないでしょう??

ユーモラスだと親しみがわき、真面目だと尊敬できる、わんぱく童心があって興味が沸くし、実力があれば期待できる、そういう面は各々の印象を生み、立体的な人間として浮かび上がらせ、より人間らしくします。

つまり多面的はより人間に近づいていくということ。

ギャップとは、ありのままの人間性を剥き出しにすることといったのはそういうことです。

ぼくはそういう人間臭さが人を惹きつける要素だと信じていますし、デキる人のちょっとした失敗に人が親近感を感じるのも多面性の効果と人間臭さの好作用だと思っています。

結果的にその面が数が重なり合って、重みのある男が形成されるだけ。

完璧人間を目指すよりも、こういう多面的な人間臭さを意識したほうが長く魅了的でいられ、自分も自然体で楽ですよ。

でもこんなものは努力でどうにでもなれるのです。今見てきたことからすると単純に「たくさん持っていたほうが良い」わけですからそういう正しい方向に努力すればいいだけ。ツンデレ演出とかじゃなくてね。

 

金融の専門家である人気ブロガーは「当たり前のことを”続けられる”ヤツが成功する」とまじめなことを言っていました。面白みもなんともない意見ですが、これが普遍の原則なのでしょうね。

才能豊かなやつでもより競争が過酷な環境へ挑戦したとき、死ぬほど努力しなければ、何にもできないことに気付かされますが、結局努力なのですよ。生まれ持ったナントカじゃなくて。誰しも環境がより過酷になれば己の力のなさを知り、それに伴って努力量が格段に増えますが、であれば努力することが当たり前な、快感な、そういうドSな男になっておいたほうが近道で、ココに気づくのが早ければ早いほどいい。

余計なお世話だよ、的な話はこれぐらいで、ではでは多面的人間への努力ルートとはどのようなものでしょうか?

以前反骨精神の回で、達成度とエネルギーの相関を簡単に話しましたが、このエネルギーの知的側面として「好奇心」があります。

好奇心は物事を知ろうとするうえで大きな原動力です。子供なんてそうですよ、無謀な彼らのたわむれは世の中の不思議に向かうパワーです。

子供の頃に誰もが持っていた好奇心、大人の階段登るとだんだんなくすわけですが、この好奇心を大きくすることができたら、未知の世界への吸収率が高まりますから、成功に近づきます。

未知の世界にたくさん触れるとサンプル数が増えそのストックが多面的な第一歩になります。未知に触れるとき人は多少恐れを感じますが、恐れよりも好奇が勝りますから、未知に飛び込む慣れみたいなものができ、「吸収率」と「怖いもの知らず」に拍車がかかって伸びるんですね。

物事の出発はいつもエネルギーです。E=MC2がそれを表しています。

好奇心はまず何かを知ろうとする気にさせ、障害があってもそれをものともしない勢いをくれる、そういうパワーを持っています。

だから、とにもかくにも「好奇心」は成長の第一歩なのです。

好奇心を持って何かを探求した時と、やれと言われたことをやりたくもないのにやった時では、当然努力の質が違ってきます。それゆえ触れたこと見たこと聞いたことが「引き出し」に、自分の”もの”になるかに影響が出てきます。

一緒にいて飽きない人、アウトプットが面白い人は、そのことを語れるほどに自分のものにした人です。

教育者でも芸術家でもアスリートでも表現してプレーするには自分のものになっていないと無理です。そして自分のものにするには時間とエネルギーと、なにより「よく考えること」が必要になってきます。

実践し、実戦を積むにも頭が働いていないと、ただの高校生のめんどくさい部活、体はその場にいて動作をこなしても、習得はできないのと同じです。

習得の過程では必ず頭を働かせなきゃいけなくて、それが一般理論にオリジナルが添加されて混ざり合って「自分の面」としてくれるのです。

 

この好奇心、これを興味関心とか、知識欲と言い換えることができると思いますが、何にその興味を向けるかは人それぞれでいいと思うんですよね。どこからスタートを切ってもそれは放射状に広がっていきその人特有のテリトリーを構成すると思います。

モテるかどうかはその人の気質というかそのテリトリーと、対象になる彼女との相性で決まりますから、自信を持って自分らしい多面性をコツコツ作り”続ける”必要があります。

多面人間の設計図として、

  1. 好奇心で徹底的に掘り下げる
  2. 好奇心を他分野にも広げる

この二つです。

多趣味なんだけど、それぞれが一般的で、普通で、パンチがなくて、つまんない、という人いますよね。本人が楽しければいいんでしょうけど、好奇心の最大活用としては力不足だと言えます。

本来の好奇心を生かしきれてない。

好奇心は人間成長のための不可欠要素でギフトだとすら思っていますので、まったく宝の持ち腐れです。

ですから周りがすごいね、面白いねと感じるほど、徹底していなければなりません。突き詰めてないといけないのです。自分の好意心を満たすことをやれているんですからここは手を抜かずに。

さらに、よくわかんないな、これはどういう意味だ、ということに出くわしたらすぐに手当たり次第に調べましょう。そうして好奇心をさらに満たしてあげるんです。それは全く違う分野かもしれませんが、それでいいんです。量をインプットすると本質的なツナガリが見えてきますから。

そういうふうに自分の土俵を、専門性を、深めながら各専門を横断できるのが理想です。

各面それぞれが深く面白い、そして各々の面につながりがある。

こういう状態です。

 

また驚くことにこの好奇心の突き詰め方によって、それが自分の人間性ともリンクしてくるからまた面白い。

単なる多趣味な人と、それらの趣味が人間的重み渋みに反映されてる人と、いますよね。多趣味なんだけど人として惹きつけられるものはない。一方なんでこの人はこんな魅力的なんだ?あーいろんなことに興味を持って取り組んでいるんだな。という二種類の人間。

好奇心によって得た知識、遊び的なスパイス的なものを、人間に転換できている人、こういう人はぼくがここで伝えたい多面的への道を着実に歩んでいる人です。

現実社会すべてが学びになり、そのために好奇心というツールをうまく使うべきであれば、結果として人間的な重み、人としての面白さになっていないといけないはずなんですね。

学問を現実社会への現実的な運用と考えたアリストテレスのように。

より自分らしく生きるために思索を展開していったキルケゴールのように。

 

専門興味 ー 人間性

ここの移行過程を意識してインプットすると何か得るものがあるはずですよ。

 

人間的におもしろい人とつまらない人、みな同じ世界を生きて同じ空気を吸ってだいたい同じものを見てるのにこの違いはどこから来るのでしょうか?どんどんおもしろく成長する人と、どんどんつまらなくなっていく人。

結局、どれだけ”よく考えながら”世界を見ているか?興味関心を持って世界と接しているか?好奇心でスタートした探究心を使って意味ある情報を自分の内面に収め込んでいるか?必要な時にはすぐ取り出せるか?、この違いです。

脳みそ使ってるの?ということなのです。

テストのために歴史の年代とか人物とか丸暗記しても”自分のもの”にはなりません。興味もないし、頭使ってないから。

好奇心ー探求心ー思想の試行錯誤ー確信ー自分の答えの確立

こういう引き出しルートを通ってひたすら努力していけば、そりゃ童心やチャレンジ精神、思慮深さ、継続精神など男としてのパーツはその過程で身に付いていくのです。

この人、ホントによく見てるなー、ホントよく考えてるなー、というクレバーな男は本質的におもしろいのです。向上心を刺激し、良い感化を与えてくれる。だから本質的なサプライズを起こせる。

 

まとめましょう。

ギャップを演出していいのは多面的な人間で、有意義な引き出しをもっている男だけ。その多面は好奇心によって「知りたい」と思ったことを突き詰めること、さらには人間性にまで活かして「重み」「深み」を手にすることでした。

好奇心の正しい活用が人間臭さとなり、周囲の人をひきつけるのです。

オドロキや刺激、非日常の感覚を与えてくれて、いい意味で裏切ってくれる期待感があるから。

 

人間は多面的でないとけっして輝かないと、信じています。

飽きない人間になるべきですよね?

 

「ギャップ」つくろうとするとき、それが良い印象を作られるか、誤って印象が悪くなってしまうか、わからない諸刃の剣。相手の中でそういう印象のアップダウンが起こっています。でも長期的に見ると、多面的で確固たる男臭さから放たれる意外性はアップかダウンにかかわらず確実に距離感を縮めます。だからこそ実はアップダウンによる現実的な評価上昇を目標とすべきで、アップだけ狙う短期的戦略(ギャップを作って魅力的に♪)やダウンしていちいち落ち込むなどというのは人生の浪費でしかありません。

巷で言われる「ギャップ」は多面性を持つ者が魅力的であるという人間本質を、心理学的に理論化しただけで、そういう性質は昔から「そこにあったもの」なんですよ。

無いものは出せない、というのが当たり前の大原則ですから、まずはギャップを作り出せる自分になるべきです。

そこを考慮に入れると、最初は意識的に演じたりしてギャップ演出も大事ですが本来的に目指すべきは素の自分で好き放題やりながら魅力的あるという境地です。これは童心を持つ男子になぜか魅力を感じるということとも矛盾しません。

 

では素とは何を意味しているのか?

多面的な引き出しを持っているという状態。

好き放題とは何か?

その引き出しを自由自在に相手と盛り上がれる形でアウトプットしながら、ぼくも彼女も楽しいというwinwinを自然と作れる、ということ。

 

周りにそういういい男がいれば彼らを観察し分析するのもいいでしょう。

ぜひこのギャップについての考察をひとつの方向性として念頭においていただければ幸いです。

 

では、また!

 

 

 

 

◇やじろべえ◇