前回は#田端藤田の生討論!についての考察を長々と書きましたが、ああいう長い記事はみんな読めるのかな~。でも親愛なる読者のみんななら長い記事もぜんぜんイケるよな、むしろドMでそういうものこそ好むんじゃないかとぼくは内心勝手に思いながら執筆しました。まあ新規でココに到達してもらった人からは、長いんだよ!というツッコみが来そうですね。
それにしても、影響力のある人がTwitterでリツイートしくれたみたいで、アクセスが伸びました、ありがとうございます。
新規のお客様にもぜひマインドセットを洗脳していきたいと思っています笑。長くとも言葉にトゲがあろうとも、このブログをぜひ楽しんでいってほしいと思います。だいたい月に1,2の頻度で更新しています。
月に一二度とは心に決めていますが実際はいつ更新できるかわかりませんので、読者登録してもらえると通知がいってスムーズに読めると思います。Twitterでも告知はしますが。
前回は長々書いたんですが結局何を言いたかったかというと、そもそもぼくはいつも人というものを考察していて、「隣の芝は青い」と感じるのが人間だから、人間は他者との比較でしか幸福を計れまない、ということを端的に示していたのです。本当はそんなことないんですが、世の中はそのように回っている感じです。
本当はそんなことないと言うのは、現実に隣の芝が本当に青いかはわからないし、隣の隣の芝はどうなのかもわかりません。そして自分の芝を改良することも本来できるわけですね。
月に行く人を見ると自分の境遇と無意識に比較してしまい、自分が職場のめんどくさい人間関係に苦しんでいる時に金持ちは月へ行くだと!?いったいどんな顔して月旅行に行くんだよ、と。見なくてもいいのにそういう人たちのインスタを見てしまい、
キーーー!
っとなる。
これが人間の比較優位で物事を判断する構造です。
ところが、じゃあ貧富の格差が狭くなればいいのか?ひとりの超大富豪の莫大な富が、10人の富豪に渡って形式的に格差が是正されればあなたのその感情的不満は解消されるのか?
というと、現実はそう簡単にはいきません。
無理やりこうすれば確かに見た目の格差の量は縮みますが、そのそこそこの金を手にした10人は富をどう使うでしょうか?おそらくごくごく平凡な贅沢品に使うでしょう。
そしてぼくらは彼らのお金の使い道まで統制することはできません。
しかし、ビルゲイツなどの大富豪になれば話はガラッと変わってきます。
自分の贅沢のためにプライベートジェットを購入したり、別荘を買ったりしてもたかが知れていますし、そんなものにつぎ込んでもしょうもないと思えてきて、もっと後世のためにその富を使おうとするわけです。
実際彼は、アフリカにおける原発開発に資金を注ぎ込んでいます。
そしてそれが実現したらアフリカの貧困や発展を妨げる諸問題も一歩前進します。
あの10人のようなそこそこの小金持ちがそういう金の使い方をするでしょうか?
という問題です。
後世のために何かに投資する、しかも自分にはそのリターンがあるか不確定。そんな状況でそれでもあえてそれができるというのは、大富豪のメンタリティと莫大な富が一点に集中する条件下ではじめて可能になることです。
逆に言えば、小金持ちはそういう理想や資金を持ち合わせえていません。
贅沢品の再生産でお金がグルグル回るのか、人類の発展のために投入されるのか、貧富の差におけるその上側とはそういう世界で回っていたのです。
もちろん、
「隣の芝が青い」人には、ここが見えません。このスケール感がそもそも持てないのです。
ぼくは前澤社長の月旅行もそういう意味もこもっているんじゃないかなー、願望を込めてみているところです。
常に遠くを見よ、広い視野を持て。
ということも、前回のブログでは込められていました。
さて、人が遠く広い視野を獲得するために何をやるべきかはその人がどのステージにいるかで変わってきますが、ある一人の人からメッセージが来たので、それにこたえる形で今日はブログを進めたいと思います。
今、その彼がどのステージにいるかというと、大学生です。
前回の記事で言うと、藤田さんをディスった形だったわけですから、対象はある程度の大人で、教養を広げること、感情を排して物事を見つめることがステージアップの要点でした。
ところが、彼はまだ社会に出ていない大学生、高校生で大学受験の時からこのブログを読んでくれている大人一歩手前。
もちろん、教養とか、感情コントロールはいつも重要ですが、若い時は若い時なりのやるべきことがあります。
では、彼の相談に答える形で今日は記事を書いていきたいと思います。
どうぞ!
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1.他人に影響されやすい人がやるべきこと
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1.他人に影響されやすい人がやるべきこと
彼の相談の文面です。(適当に、編集しています。)
「こんにちは。
無事に志望していた大学に合格しました。
これもストイックに頑張った結果です。やじろべえさんからは、本当に日々刺激をもらっています。
今、勉強をがんばったり、心身共にマッチョになるためにジムでトレーニングしたり、バイトで益ある忙しさを得たりと、充実した日々を過ごしております。
それはそれでいいのですが、、、
最近、周りの友達を見ていて、モヤモヤすることがあります。
みんな群れているだけで、確たる自分を持って、さらには「最適距離」をつかみながら他者と接している人がいない気がするのです。
そういう人たちは仲間とワイワイするのはいいのですが、よく見るとなんだか自分に自信が無いような感じがして、、、。
果たして自分と向き合うことで自分の価値観を築こうとしているのか?
甚だ疑問です。
やじろべえさんの一人でいることの大切さはよくわかります。
しかし、頭でわかっていてもそれをやるのは正直辛い。
「孤独に対する心の保ち方」をもう少し、教えていただきたいのです。
これまでブログを通して十分教えていただきました。でも不安です。
まだ若いので、今のままでいいのかわからないし、でも最後はやっぱり一人です。
今は、このモヤモヤの正体を知りたくてメッセージを送らせてもらいました。
いつもブログ更新、楽しみにしています!」
と。現在、彼は大学生とのことです。
メッセージもらってかなり経過したから、覚えてるかな、どうかな。。
おーい、っ今日の記事見てくれているかー?
もし見てくれてたら、愛をこめて書いたので、感想くれよ。
率直にこのコメントもらって感じたこと。それは、
いやー若いのは本当に、うらやましい。
ということです。
ぼくももしこのままやり直せるとしたらもっと輝けるかもしれないな。
なんつって。
まあそれはいいとして、
今言ったことは、やじろべえも若い時は悩んだし、相当回り道したんだという意味を込めています。
回り道した今、若い時の自分にいいたいのは、次のことです。
1. リソースを適切に配分しろよ
2.健康にもっと気を使えよ
3.インプットに励めよ
4.人間関係を充実させろよ
5.モテるということに真剣になれよ
こんな感じかなー。
もちろんこれは、全部つながっています。
まず1.から見てみましょう。
リソースの配分とは、ステージを上げるために無駄なことはするな、ということを意味しています。
さて、何が無駄であるかは人によって異なります。
ぼくのような家に籠って本を読みあれこれ考えて納得できた原理のようなものをみんなにシェアしたいという人間にとって、パリピのような時間の使い方はできません。
パリピをやってもそこから何かにつながるわけでもなく、その時間の使い方は無駄となりドブに捨てているようなものです。
でも、パリピが生き方の大きなウエイトを占める人もいます、その人はパーティでの交友の量がそのままインプット増や生き方リア充につながる人もいるかもしれません。
しかし、どんな人にも共通して言えることがあります。
長期的に、本質的にモテるには「教養」が必須だということです。
中身のある人間になる、薄っぺらい男ではダメ、ということを言ってますが、
どういうスタイルでモテているにしても、モテている男というのはなんだか奥が深く、安定していて、本当に頼れて、ユーモアがあるような気がしませんか。
この資質を支えているのが、教養だとぼくは言いたいのです。
「人の口からは、心にあふれているものが出てくる」とマタイ伝には書いていますが、本当にその通りで、自分の中にないものは出てこないわけですよ。
これは女とコミュニケーションするときも同じで、彼女たちの前でいい格好をしようとしても「君の中に、取り出すべきコミュニケーションに資質はあるのか?」ということで、無いものは出てこないの、モテないやつがモテるようにがんばっても意味がないよということなのです。
だから教養だ、と。
そしてその教養は人を選びません、全方位に活かすことができる。中身がスカスカなステージの低い女から、品のある教養のある女までカバーしています。
ちょっとおっちょこちょいなバカな女の子が好みです、という男もいますから、力がある男はそういう子を選ぼうと思えば選べるので選択肢の幅が広がるわけです。ぼくは決してそういう子は選びませんが、どうぞご自由にということですね。
この教養を身につけるためには、価値のあるインプットをしないといけません。
この作業は死ぬまでずーっと続きますから、学び続け、インプットをやめないことを意味しています。男は立ち止まったら終わりだからです。モテる男でいるためには富を得てリタイアしてー、などと雑魚いことを考えてはいけません。金銭面ではある程度資産蓄積できますが、モテは蓄積できません。ビタミンCのようなもので一定作用したら流れていって蓄積ができないから絶えず取り入れなければならないのです。
教養を深めるインプットとして、読書もいいですし、人と会うのもいい。
ぼくは本を読みながら知らない世界へどんどん理解を深めていくのが好きだし得意ですが、実際に人と会いそのの生き様から何かを学んで、自分の人生の糧とする人もいるでしょう。
但し、人をインプットの素材とするとき、この「4.人間関係を充実させる」に関わってくる、つまりインプットの対象となる人を慎重に選ばなければならない、という問題にぶつかります。
この付き合う人がインプットになるわけですから、ゴミをインプットしてしまってはたいへん、「だれと付き合うか」は教養の問題であり、ステージの問題へと直結するのです。
ところでぼくの主張は、全体としてマインドセットには心身両方のアプローチが必要だというところですが、今話してきたインプットは「心」のほうを向上させます。
教養は内面に作用するのです。
「身」については2.の、健康にもっと気を使えよ、ということですね。
運動不足でジャンクフードばかり食べて睡眠不足というのでは、脳がバカになっていますから今言ってきたインプットに支障をきたします。
そればかりかいわゆるみんな大好きテストステロンが枯渇して、オスとしては使い物になりません。やはり体を鍛えて健康なオスでいることが、女子を惹きつける上では欠かせないでしょう。健康は生理学的にモテるために必要なのです。
このとき健康に強力なインパクトを与えるのが、禁欲です。
ボクサーは試合前はストイックに自分を追い込みます。減量もそうだし、性欲もそうだし、練習量もキツい。でもだからこそココ一番の大勝負で最大限のパワーが発揮できます。ジャンプ前に膝に力をグッと溜めているようなものですね。グッとが大きければ跳ぶ力も大きい。
このエネルギーが女子を獲得する方向へ向かいます。
だから必然的に女子はこういうエネルギービンビンな男を好む。
女は禁欲をしている男が大好きなのですよ。
生物として、最低限ここはクリアしていないと話が始まりません。
健康体であるということは、それこそリソースを意味のある活動に振り分けることができるのですよ。健康じゃないということは、リソースがダダ漏れで勉強にしても人と会話するにしても女子を口説くにしても、それを使うリソースが残っていません。
これでは何を頑張るのか?
だからまず健康、健康が最低限なのです。
この健康というのはもちろん、健康診断による数値ではありません。
エネルギーの話です。
仕事が忙しく、生活が不規則で、酒の席が多く、ヘビースモーカーでもパワフルな男というのはいます。もともとの体力があって体が強いそういう男というのはそのストレス状態がある意味ストイックに作用して、逆にプラスということもありえるでしょう。
病院に行ったり医者からしてみるとめちゃくちゃでも、なんかモテているという男はいるのです。
だから、僕が健康を説いているのは、パフォーマンスのためにエネルギーを高めるという観点だと理解して下さい。
健康で長生き、これは大事ではあるのですが、日ごろのパフォーマンスを最大限に発揮する意味での健康が、=モテなのです。
そのために、筋トレして基礎エネルギーを上げろよ、食事に気を使って消化エネルギーを節約して、むしろいいものを取り入れてエネルギーを獲得しろよ、と言っています。
ロングスリーパーなぼくは、これに加えて睡眠の確保が課題になります。
これだと人よりたくさん寝るんだから、リソースの配分をもっと徹底しないといけないし、もっと無駄を削らないといけませんね。
リソース配分ー健康ーインプットー人間関係
すべてはつながっています。
なぜなら、すべてはモテるため、と言ったら言い過ぎですが、モテは自己実現の重要なワンピースだとは毎回言っていることですね。
ぼくは常に「モテることに真剣」なのですよ。
相談してくれた大学生の君。
これまでよく頑張りました。
なかなか筋トレと教養のための勉強を真剣に取り組む若者なんていないんじゃないかな。ほとんどが何も考えずにキャンパスライフを楽しんでいるだけ、なんとなくの現状維持だと推測されます。
さて、ここが重要です。
自分だけ自己研鑽に励み、周囲がそうではないとき何が起こるでしょうか?
ステージの格差が広がり、君とクラスメートや友達のステージがかい離し始めます。
こうなると、こういう人々と時間を共有することができません、遊んでいてもつまらないし、話が合わないし、向上心のない彼らに対してイライラすることさえあるでしょう。でも、どこかしら付き合わないといけない場面がある。
だから苦しい。
自己研鑽なんてしなければこんな思いしなくて済んだのに、と感じますか。
努力する人の関門はここにあります。
自分に対して厳しくできる人も、他人に厳しくすることはできません。
これは、自分に厳しくすれば結果は返ってくるが、他人に厳しくしてもほとんど意味はなく他人をコントロールすることは原理的にできない、という意味です。つまり相談をくれた君のように筋トレ禁欲勉強なんてほとんどの人は途中で挫折して努力を投げ出してストイックにできないわけだけど、君はよく頑張ったね、でもそんな君も当たり前だけど他人をコントロールすることはできない、頑張って変えることができるのは自分だけ、ということです。
自分の努力量と結果、周りの人々の努力せずダラダラ生きる姿、その乖離が激しいほどなんともやるせない気持ちになります。
自分に対して厳しくできない人というのは、そもそもステージアップできませんから今までのぬるま湯な環境がちょうどよくて、ずっと浸かっていたいと思う。
でも、ストイックな人も今までの人間関係に違和感を感じそれが邪魔になり彼らが意図的に足を引っ張ってくるように感じられてしょうがありません。
ココなのです。
だからぼくは上記のチェックリストに「人間関係」をあげました。
そしてここにぶつかってしまい止まっていたら、ステージもそこそこで終わりです。
君もまさに今この課題にぶつかっている。
だから、ここをどうにかしたい。
そういう気持ちだよね。
ここで僕がアドバイスしたいことは、「一人になることの意味」です。
いや、強調するなら、
一人になることの「意味」
でしょうか。
ぼくはなにも群れるなんてダセえよな、だからそんなのやめろ、などと言いたいわけではありません。
まあ、そういう側面もあるんですが、
インプットを価値あるものに昇華しようと思ったら、必ず一人でそれを消化する時間が必要です。必ずです。
だから、ひとりの時間を大切にしなさい、という説教じみたことを言うわけですが、それはつまり、
「群れてばかりいるのはその一人の時間がないわけだから、質の高いインプットとしてそれを獲得できず、ひいては自己向上できないでしょ」
ということなのです。
必然的に一人の時間が重要になるということは、
だから、パリピでいるのはどうなの?
というぼくの問題意識なのですよ。
パリピとしていろいろな人とウェーイして、そのあと寝て仕事してまたウエーイと繰り出す、それはつまり情報過多であって、それを消化して血肉にする時間もなく、また情報を入れ込む、インプット的にみると実態はこういうことなのであって、結果的に情報は垂れ流しでこのループが繰り返されると、内省する暇がない、ということになります。
だからぼくはパリピとして生きると、エネルギーが不足して辛い、一人の時間がどんどん奪われていくのがイヤだ、というのもあります。
パリピ専門で上がっていく人もいるでしょうが、それができるのは本当に特殊な人で、一般的には「一人の時間」というのは大切です。
だから、群れているやつがしょうもないように見えるのは、感覚的に正しい。
群れていると自分に向き合うことができません。向き合わなくてもみんなと一緒、その群れの中にいたらなんとなく楽しいが続いていくのだから、「向き合う」必要が無い。
逆に、自分に向き合ってブレイクスルーすると、その体験がいい意味で癖になり、意味もなく群れるのが苦痛になります。
群れている奴はそういうふうに、自分に向き合って、得た情報を消化し、内省し、ブレイクスルーを体験する、その当たり前のプロセスを経ていない、これでは何かのステージは上がりません。
ということは、群れる、これは自動的にステージが低いことを意味しますから、そういうやつがなんだかダサくかっこ悪く見えるわけですよ。当然女の目からもなんだか確固としたものがなく頼りないから「ごめん!」となるわけですね。
そもそも自分が確固としていたら、なぜ群れる必要があるんでしょうか?
論理が合いませんね。
群れてる暇があったら、本を読みたい、筋トレしたい、いい女いねーかな、だろとぼくは普通に思いますが。
人と会うのは、群れるためではない。
では、何のためなのでしょうか?
この点で常に孤独なぼくも、人と会うことは否定しません、とても重視しています。
本を読むのが好きなのは、いわば著者と会話して交流してそこから学びたいと思っているからで、紙面を通して人と会っているわけです。
つまり、コミュニケーションでもある。
コミュニケーションして、インプットされる。
「人と会うのは、=インプットするため」
なのです。
広い意味でのインプットは、「人と会うことで」何かを得て自分の中へ内包することも当然含まれていますね。
それでぼくが君のメッセージを読んで腑に落ちない箇所としては、
「一人でいることが不安」「人と違うことがツラい」
ということです。
幸いぼくにはそういう感覚が無いので、ぜんぜん一人でいろいろやって自分のために時間を使うし、むしろ人と違うことが誇らしいという俗にいうB型気質です。
だから邁進していけるし、何の抵抗感もなく一人の時間を活用することができます。
これは一人でいる重要性、みんなと一緒でいる危険性ということを構造的に知る前からそうでした。そういう人間として生まれついたのですね。
ここで、「ひとりでいるのがいいんだ」と自分を叱咤激励してなんとか頑張る、というのと、ナチュラルにそれが好きだからそうする、という2人がいた時、行為→結果には大きな差が出ます。
意図的に何とか頑張るのも自己鍛錬にはなりますが、最終的により高い位置に行けるのはナチュラルボーンでストイックな男で、本人はつらいとも何とも思っていないけどたんたんとそれをやるという、アノ状態です。
んで、
元々そういうタイプではない人(ぼくも含め)はどうすればいいのか、と考えるんですが、しかしならがそういう好きだからやる、だれから強制されるでもなくやる、時間を忘れてまでやる、という気質はだれにでもあるはずなので、
結局はその領域に到達するまでひたすら打ち込むということではないでしょうか。
徹底的にやりきれば、「好きだから」「他人など気にならず」継続してやる境地が見えてくると、ぼくの実感からも学びからも言えることです。
これはマニアックな趣味などそうだと思うのですが、打ち込むというのは
「他人が気にならないぐらい徹底してやれよ」
ということなのです。
そういえばこの前ふとテレビを見ていたら、「空調を写真におさめるマニア」が出ていました。
なんだそれ?と思うかもしれませんが、本当にただただそそるエアコンの室外機を見つけるべく歩き続け、いったんそのそそる室外機を発見したら、携帯していた簡易の椅子を置いて眺めるらしい。
そして今日は元気か?とか、出会ってくれてありがとう、とかそういうことを彼(室外機)に話しかけて会話をしているんだ、と。
なんなの~、キモーい、とマツコDXが突っ込んでいましたし、ぼくも不思議な生き物だなーこの人はと思ったし、もし道端でこの人と遭遇したら完全に不審者です。
けど本人はといえば、いたって真剣にその活動をしている。ガチなのです、他人から何と言われようと。
これが、周りが何と言おうと集中できる状態、です。
人に理解されなくてもひたすら自分が好きでそれをやるという境地が、この彼にもありました。
しかし、一般的に人というのは、それが成長過程で型に填められたり、それを良しとしない環境に最適化されて、本来の自分を失いながら大人になります。
そして失った自分はいったい何を気にして生きていくのか? それは周りの声であり、周りの評価なのです。
ぼくが言いたいのは、
それじゃダメだから、失った自分を取り戻すべくそれを掘り起こさないといけない。そのために徹底しろ、と。
だからこその、勉強だ、
といつも言っているのです。
勉強すると、自分の環境の外を覗くことができます。
小さな箱から飛び出すことができる。
勉強は知識の詰込みでも、博学になって優越感に浸ることでもなく、自分の殻を破るための道具なのです。
マイルドヤンキーではダメ、といつも言っていますが、それと「勉強」はこういう関係だったのですね。
そして勉強するならこういう目的意識をもって、徹底的にやらなければいけない、そうでなければ周りの雑音が気になります。
甘い誘惑とか、刺々しい批判とか、そういうものが気になるうちはまだまだ集中できていない、フローに入っていないのです。徹底的という基準を満たしてもいません。
ぼくは勉強すればするほど、世の中には、歴史上には、破天荒な人々がたくさんいたのだなと感じるし、今の常識や慣習がなんの根拠もなくその時代特有の雰囲気にすぎないと理解されます。
だから、周りの人に合わせて生きる、というのはバカらしいのです。
そこに真実はない。
勉強はそこに「気づき」をもらうためのきっかけです。
そうだとすると、君の勉強はこの大切な目的を射ていないことになりますね。
ぼくの方法論だと、勉強すればするほど真実に近づいて自分と自分を取り巻く環境に虚構を見出しますが、だから自然と「一人になったり」「フェードアウトする」こともデフォルトになるのですが、そうじゃないなら、勉強に意味はあるのか、と素朴に感じてしまう。
学校教育で我々の人生は何もかわりませんが、その延長として勉強していてはもちろん時間と労力の浪費です。
だから、勉強のやり方、目的、という点でももう一度考え直すのが必要でしょう。
さて、幾ばくか脱線しましたがもとに戻ると、本を読むのはコミュニケーション、人と会うのもインプットということでしたが、
だから、「人間関係」が重要なんだ、と言えるでしょう。
一生懸命勉強して、運動して、そのあとに会う人がゴミのようなお友達だったら、結局ゴミをインプットすることになりませんか?
それは君のステージを上げる方向へはけっして作用しません。
相談の文面を見ていて、君が感じているモヤモヤはおそらく当たっている、とぼくも思います。彼らと一緒にいて得られるものは何もない、それどころか有害であるとすら思います。
クラスメートを有害と言ってしまってはどうかと思いますが、実際君が停滞しているのがその証拠でもありますね。
人生はいつでもやり直せるというのは、そうですが、一番いい二十歳そこそこの時期を停滞しているというのは本当にもったいない。
人によればそのまま停滞して社会に放り出されてそこに縛られると、一生芽が出ないということもあり得ます。
そうなったとき後悔しても遅い、原因はというと、有害なお友達とそれを(仕方なくでも)選んだ君ということになる。これが有害でなくなんなのでしょうか。
人生は選択の連続で、その選択の正しさがステージとして結果を残しますから、どうやら君は選択する必要があるようですね。
その関係を維持するか、切るのか。
別にさよなら宣言をしてバッサリ切る必要もありません。
少しづつフェードアウトすればいいんじゃないでしょうか。
この際、重要なことがまだあります。
それは君が勘違いしていることかもしれないけど、「他の繋がりを作る」ということです。つまり、有益なインプット先を確保しろ、ということですね。
めでたく関係を切って、終わり、ではなくその後。
つまり一人になること、孤独をがんばることそれ自体が大切なのではありません。
重要なのはその先で、
フェードアウトの過程で、いわば「こいつら本当にどうしようもねえな」と感じながら孤独になるわけですが、
と同時にその裏で、それとは別のもっと意味のある人間関係をせっせと築いている必要があります。
人はインプットするために他者と交流しなければいけません。人間、死ぬまでインプットなのですから。
さっきも言ったように、「群れずに一人」というのがかっこいいわけでも、それ自体がステージを上げるわけでもありません。
それはプロセスの途上なのです。
一人でいる意味とは、有害な人から距離をおくことためで、その際自然と一人になっていくわけですが、最終的には良い繋がりを目指さなければいけません。
ぼくが君にアドバイスするとしたら、まさにここなのです。
①関係を整理し、余計なしがらみを取っ払い、②新しい人間関係を今の価値観に基づいて構築する。
②を見据えながら、①に真剣に取り組んで下さい。
これにより、今まで一人でしてきた努力が加速するでしょう。
本当に楽しみです。
さて、最後にもう一つ付け加えさせてください。
②の、新しい人々と交流するとき常に覚えておかなければいけないことです。
それは、
あなたの資質というか人間力が試される、ということです。
何かの師匠でも友人でもビジネスパートナーでも、君があの人と仲良くなりたいとアプローチする時、その君が目を付けたそのステージの高い人にとって、君は何者?ということが問われます。
彼に対して、君は何をGIVEできるのか、足を引っ張るお荷物になってしまわないだろうか。
君が群れていたクラスメートに感じていたもやもやを、今から近づくこの人に感じさせてはいけないのです。
winwinを目指したいところですが、果たして自分にはその資格があるのだろうか?
と。
チャンスがやって来て、勇気を出して行動しても、しょうもない人間だと相手にしてもらえません。これではもったいない。
敗因は、準備不足です。
ぼくらがチャンスを掴むためには、いわばその瞬間のために筋トレして教養を高めて魅力のある人間になっていなければいけません。
これは女を口説く時と全く同じで、いい女にばったり出くわした時にスッと口説きに行けるよう、自分のメンタル的にもファンダメンタルズ的にも準備万端でなければいけないのです。
だから、自分が努力してると感じてる、その5倍ぐらいやってください。そうじゃないとこの資格は得られない。
そのために、不要な人間関係の中でゴミを吸っている余裕は君にはありません、すでに出遅れているのですから。一刻も早く関係を断ち、充実した人間関係のほうへシフトすることの大切さが感じられるのではないでしょうか?
これは本当に、人生を左右することなのですから。
良い報告を待っていますよ。
編集後記
Twitterやらブログのコメントで、何かいい本ありますか?とたまに質問もらいますので、参考図書があれば載せたいと思っています。そしてAmazonのリンクをそっと貼っておきます。
今ではあっという間にスマホやタブレットにダウンロードでき、読み始めることができる。
ブログの記事を書くのもそうなんですが、こういう読書も「鉄は熱いうちに打て」で、興味が発生した瞬間に読むと吸収がとてもいい。ブログなんかもストックとしてアウトラインだけ書いて下書きにポーンと放り込んでおくと、再び取り出したときに「あれ、何書くんだっけ?」となって、記憶も曖昧、モチベーションもあまり湧かないということがよくあります。
ぼくは知らないことに遭遇したら速攻グーグルさんに聞くのが癖になっていますから、あー読みてーとなったら即読む。この読書がとても幸せな時間なのです。
みんなもそうだよね。
ぜひ教養を高めていきましょう。
読書は知的エンタメ。
すばらしいコミュニティだ。本読んで教養を高めて、そしてモテる。(・∀・)ニヤニヤ
やじろべえ。
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質問やコメントがあるとたいへんテンションが上がり、筆がサラサラすすみます、はい。
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引用や転載も大歓迎です。その際は出所はしっかり明記してもらえると大変喜びます。
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