読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

モテるのは、マインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

やるべきことがあることの幸せ ー主体性シュミレータ ー

 仕事ができる男はモテる、と言われる。女からしてみたら仕事ができることは、経済的安定という以外は特に何もないはずである。仕事ができる男はその仕事に集中して打ち込んでいるのであって、それゆえに成果を上げることができるわけで、それは時に女よりも仕事が大事という時期があることを意味する。しかし、ベクトルが自分ではなく仕事に向いているのになぜかそういう男を愛してしまうということはよくあることで、普通である。仕事ができて自信があり魅力的だから、惹き付けられているのだ。

  やるべきこと・やりたいことがないニートと、仕事マンの違いは「やるべきことがある幸せ」の中に身を置いて成長している点にあるだろう。稼ぎは大事だが、それは二の次のように思う。稼ぎの金額で人の価値が判断されるわけではなくて、仕事を主体的にやる輝きが人の価値を上げてくれる。ゆとりでボーっとしていた学生が社会に出て企業で仕事をこなすと人としてのさまざまなスキルが向上し、時に忍耐力や人間性まで培わせるように、「仕事が人を育てる」のだと思っている。やるべきことが目の前にあり、それをどう成すかを考える機会がある、そういう場に身を置いていることが、主体性シュミレータの精度を上げてくれるのだ。そしてそれは男たち自身にも、えも言われぬ幸福感や満足感を与えてくれる。

  外国語学校で教師として教えていると、仕事で必要だから必死に勉強しに来ている人と、親が金持ちで趣味としてお勉強するお坊ちゃんお嬢ちゃんの2種類がいる。 たくさんの、そういう親が金持ちだから悠々自適にお勉強している若者と接していると感じるのが、主体性シュミレータの精度が甘いということだ、それが雰囲気として表れ、堂々と自己が立っている感じがまったくない。彼らは親が金持ちゆえに働かなくてもいいという環境のため、自由に、悠々自適に、されどまじめに、勉強しているのだが、モテという観点からいうと「仕事ができて自信があり魅力的」という匂いは微塵もしない。当然だ。そのシュミレータは使うことでしか精度は向上せず、精度が向上しなければ、仕事ができるような男にはなれない。やりたいことだけやる、めんどくさくなったらやめよう、そういう心構えの場合どうやってチャレンジしながら自分の限界をストレッチするのだろう。「やるべき環境」の中に身を置いているのは、しんどい時もあるだろうが、できる男になるには避けて通れない道だ。

  むかし、ビートたけしがフライデー襲撃事件を回顧して語っていたことがある。

た;「捕まってからぜんぜん仕事がなくなったあと、また仕事が来たときぜんぜん動けないんだ。昔はあれだけの忙しさをよくこなしていたなと思う。」

共演者;「やらないとできなるなるんですね~」

  ぼくら一般人が想像がつかないほど、売れている芸人さんは忙しい。それでもやるべきことがなくなったら(やれない環境に置かれると)、以前できていたことはできなくなる。人間の能力開発は忙しさの中で培われるものであり、それは簡単に退化するものなのだ。上記のニートと仕事マンの対比で考えると、仕事マンはいつでも動けるようにエンジンが温まっている状態だ。そしてそのいわばエンジンは止まりうるし、止まると再始動はなかなかできない。

  仕事は男を成長させてくれ ⇒ 仕事ができる男はいい男、なのだ。このサイクルによりいい男の度合いが上がっていく。それは主体性シュミレータも向上を意味しており、女子が語りたがるような魅力的な男の要求を満たしている。引っ張っていってくれる人とか、気配りができる人とか、聞き上手とか、女の子はいろいろ言いたがるが、結局日々やるべきことを問題意識として目の前に置いて頭を使っている仕事マンはシュミレータの精度が高いのだから、やるべきことが3歩先まで見えているから他者を引っ張れるし、シュミレータが適切に稼働しているから気が配れるし、シュミレータのおかげで 人の話を適切に解釈し、時には驚くようなアドバイスが出てくる。だから、モテ要素を一つ一つ考えるのではなく、仕事ができるようになればあとはそれを日常に敷衍するだけだ。それだけで本来誰もが持っている脳内シュミレータを使ってモテることができるのだから。

  このシュミレータを用いる際、まず重視すべきなのが正確性とスピードだ。シュミレータが雑すぎて周りが引くような回答を出しても「頼りにならない下手なリーダーシップ」になるし、スピードが遅すぎても「優柔不断な決められない男」になる。別に突出した男を目指す必要はないが、最低限の正確性・スピードレベルを満たしておきたい。これは実践を積むしかないのだが、為になる考え方としてスピードを意識するといいように思う。正確性は、何を正確とするかと考えた場合、人のタイプや好みによって微妙に変化するし、唯一絶対の答えというものは生活の中でそんなにない。あれもいいけど、そのやり方もいいね、というように山の上り方など、どのルートがいいかなどいくらでも選択肢はあるのだ。そしてどれが最善かひたすらで頭を悩ますよりも、そのやり方もいいねぐらいの心の余裕を持って決めていくほうが必ずうまくいくのだ。多くの決断できない男たちにとってネックになっているのが、誰もが100%満足するような最適解がどこかに存在しているかのように錯覚して、それを探しきれずに、シュミレータが止まってしまうことにある。優柔不断な男の出来上がりだ。

  そうではなく、いつもbetterを短時間で探し出し確実に実行することを目標にしたほうができる男に近道だ。スピードを上げていこう。そして「なんであいつは決めるのがあんなに遅いんだ、なんであんなに迷うんだ?」という境地が見えてくる。己のシュミレータのスピードが上がったのだ、CPUの瞬発力が以前とは全然違う。そこに来て初めて正確性に目を向けることができる、スピードの上昇によって心に余裕が生まれたからだ。もっともっとデキる男の高精度の決断を分析し、自分の決定との差異をシビヤに見つけて、そのフィードバックを活かすことができるだろう。

スピード>正確性から始めよう。

  あるコミュニケーション系のアナリストは、定期的に満員電車に乗って人々を見るようにしているようだ。時には話しかけて声を聴く。居心地のいいデスクの前でやるべき作業だけこなせばいいものを、なぜギュウギュウ詰めの電車なんかに乗るのだろう。「バスに乗るのは様々な人を見て思考する良い機会」と言っている。乗らなければ楽だけど、世界が見えないのだ。毎日電車に揺られるくたびれたお父さん、奇抜な女子たち、輝いているビジネスマン、田舎から出てきたのかなーお兄さん、そういう人々と同じ空間にいるとアナリストの血がさわぎ、インスパイアされるのだろう。彼もやるべきことがある幸せの中に、自分から飛び込んでいるのだ。思考は鍛えられ主体的に考えられる。楽なオフィスにいるとすればやることがないニートのように/金持ち二世のように、主体性シュミレータは錆びてしまうから。

  やるべきこと=やりたいこと、では必ずしもない。それは「おれがやるべきだ」と突き動かされることなのだ。なぜ男が女を引っ張らないといけない?なぜ気配りしないといけない?なぜ聞き上手にならなきゃいけない?そんなことより、家でテレビ見てゲームしてマンガ読んでたほうが楽でいいじゃないか?

答えとしては、それは男がやるべきことだからだ、となる。そしてそれはやりたいこととは必ずしも一致しない。でも、やるべきことの真っ只中で成長できれば男としてこれ以上の幸せはない。それは仕事でも恋愛でも一緒だろう。そしてそういう男に女は惹き付けられるのだ。

 

 

 

やじろべえ。