モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

人間関係を整理するー人生そのものを整理することである。

よく、ビジネスで成功するためには、「人脈が必要」と言われることがあります。

資本主義だから他人を雇って働かせろとか、
新しいビジネスモデルのアイデアを出せとか、
原価を安く抑えるのが商売の基本だとか、

これは全部、正解です。

が、

一方で、そういう小難しい理屈が大事なのはわかるけど、でも現実的には結局は人脈だよな、と思うかもしれません。

「ビジネスで成功するには、人脈が必要」という主張は「回り回ってやっぱりコレだよな」という気持ちです。

人脈の解釈にもよりますが、この「結局は人脈」という感覚は非常に正解で成功している人ほど実は”陰で”人脈を大切にしています。

人を雇うにも、ビジネスアイデアを企画するにも、そのアイデアを形にするにも、ビジネスを大きくスケールするにも、そのプロセスのどこかで人脈の壁、つまり「他人との価値あるつながりの有無」にぶち当たります。

ビジネスにそれが当てはまるのなら、今はコンテンツ=自分という時代ですから、もちろん、「タレントが売れるのも、人脈」です。

要は、偉い人に気に入られて、たくさん使ってもらうスキルだからです。

さらにビジネスではないのですが、政治家でも政策立案能力や実行力よりも「政治力」だよ(=人間関係なんだ)という主張があります。確かに、政治的な領域ほど人間関係がネックになるものもないでしょう。

正しいかどうかは、数で決まるという論理だからです。

ビジネスも人脈、

政治も人間関係、

SNSもフォロワーやいいねの数?

そうすると、生きる上で何をするにもすべて人間関係が重要になり、成功のカギはまさに「人とのつながりなんだ」と言えてしまいます。

生きるということは他者とかかわる営みなんだから、だから必ず、友達でも、近所付き合いでも、親戚付き合いでも、ママ友でも、大学のサークルでも、人間関係全般に関わってきますから、とにもかくにも人脈は良質ともに豊富でなきゃいけない、

といえますね。

「人間関係は大事だよ」

これが生きる上でのセオリーかもしれません。

人間関係が大事だというのは僕も否定しません。

やはり山に帰って仙人をするわけではないのですから、人間関係は悪いよりは良いに越したことはない。

しかし現状はというと、人間関係で病気になったり自殺までする人がいるように、「その大切さは十分わかっているんだけどもなかなか有意義な人脈を作ることはできない。」これが現実です。そしてそれが人生というスパンで、人々の幸不幸を大きく左右してくるがゆえにそーゆう”現状”がぼくらの前にデカデカと横たわっています。

さて、この不幸な人脈をどう好転させるのか?

人脈を単なる人付き合いで終わらせるのではなく、成功へと昇華させるか?

という課題を解くのが、今日のメルマガの目的です。

 

 

さて、人脈と成功の関係が明確であるにもかかわらず、なぜ世に失敗例ばかりが溢れているのでしょうか?

なぜなら、世にいう「人脈」が実は間違って理解されていて、間違って実践されていて、いわば間違ったコンセンサスが共有されているからに他なりません。

それゆえに、

無意味な人脈が増えるどころか、有害な人脈に縛られる。

こういう人々が量産されているのが、さっきも言ったとおりの現状です。

量産されているわけですから、悲しいかな、あなたもその一人かも知れません。

そういう間違ったコンセンサスは、「人脈」と「空気を読むこと」がセットで語られる日本社会ではいとも簡単に醸成され、事態はかなり深刻になります。日本は伝統的にそういう村社会を基盤として発展してきた歴史の流れがあります。

悪い奴はどこにでもいますが、日本は特に村のボスみたいな悪いやつがスポーツ団体や、学校法人を牛耳るみたいなニュースをよく耳にするのはこのためですね。

そういう村社会の集団の”中で”せっせと人脈を作っても、いったいなんのいいことがあるでしょうか?

人脈説に飛びつく前に、こういう構造的なところを問わなければいけません。

そもそもその集団が腐っているのですから、腐っている人々とつながってもどうしようもないんではないか?こういう正しいWHYがNaturalに湧き上がってこなければいけません。そこから正しい人脈という一歩が踏み出せるはず。

現状は、無意味な人脈が増えるどころか、有害な人脈に縛られる、ということをもう一度強調しておきたいと思います。

だからぼくは、人間関係が大事なのは否定しませんが、人々が言う人脈説や人間関係ハウツーなどは、なんら参考にならないものとして聞いています。

間違ったコンセンサスの日本で語られる人脈など、間違っているはずだからですね。

正しいWHYが出てきたところで、もうひとつ問わなければいけないのは、「何のための人脈か?」ということで、それが 明確であればあるほど、人脈が成功へとダイレクトにつながる可能性は格段に上がります。

さらに。

人と人がつながっていけばおのずと、それがどの時点かで恋愛に発展するパターンもありえます。人は生きてく上で、家族のつながり、友人のつながり、ビジネス関係、が必要ですが、同様に恋愛のつながりにおいても充実したいという根源的な欲求を持っています。

「恋愛も広い意味では人間関係」

これはぼくがよく言う言葉ですが、人間関係が健全に築けない人間は恋愛も自動的に失敗します。

本当もう、さっぱりで、モテません。

人とのつながり=人脈、ここにおいてダメだということは、一歩家を出るともう誰ともつながることができない、女性とつながることはもっと無理ゲーということを当たり前に意味しているからです。

だから、モテたいと思うならそもそも、人間関係をどうにかしないといけないのです。

平時の他者との関係性は、恋愛にも如実に反映されます。

同性に好かれても、異性からはさっぱりという人もいて、難しい。
さらに問題なのは、仕事や何らかのサークルなどポジションや職位など、ある種の賦与された権力で物事が進んでいる場合です。

この際は、その共同体から飛び出したら、つまり権力の笠がなくなったら、誰もその人と繋がりたくないので、この人はなにもできないということになる。

平時の自分が、恋愛で反映される。

魅力の重要性がわかるのではないでしょうか?

魅力でしか、人は着いてきません。

女は男への要求が高いですから、本音では平時の三割増しで勝負したいところ。

正しいrelationshipは、成功するうえでどうしても必須ということになるでしょう。

人間関係と、恋愛関係が、「同時に」達成されるということを忘れてはいけません。

モテるラインの送り方とか、一か月で美女をゲットする超簡単な方法とか、そんな裏技的なコンテンツを必死にAmazonで探して購入しても、全く意味がないんですよ。

人間関係を真剣に取り組まないのに、恋愛だけ「お手軽に」「強力に」成果がほしい。

などという願望はどう考えても不合理で、間違っています。

恋愛巧者だけど友達は0

彼女は何人もいるのに上司や同僚からは嫌われてる、

とか、

あなた、それで幸せなんですか?

とぼくは素朴に思います。

人としてダメな奴なのに恋愛だけがなぜかうまくいくというのは原理的にありえない、だからモテるラインの送り方に未来はないのです。

これも、構造です。

 

みんなが苦しむこの構造的な難しさを一瞬で突破して、各方面を同時に成功へと上がるのが「戦略」の考え方です。

そして今日のルトワック先生、ということで本題に入りましょう。

 

「エドワード・ルトワック」

 

まずは今日の先生を簡単に紹介しなければなりません。

エドワード・ルトワック

彼はアメリカの軍事戦略家です。

彼の代表作といえばその名もずばり『戦略論』ですが、その背景には彼自身が紛争の耐えない地域で生まれ育ち、軍事に従事した経験があり、それらが戦争の成否の背後に働く「戦略」のメカニズムを思索するよう彼を動かし、膨大な歴史の文献を読み直させ、センスある着眼点でそれを体系化してまとめさせました。

「戦略論」には、彼のバックグラウンドや情熱や、各文献を鋭く読み解いたエッセンスが詰まっています。

当然ながらそのような名著は多くの言語で翻訳され、アメリカやヨーロッパでバイブル的な存在として、多くの戦略系の従事者に参照されています。

今回その「戦略論」のエッセンスが、人脈つまり人間関係にも活きてくる、というのが今号で伝えたい趣旨になります。

ルトワックは戦略論の序文でこう語っています。

「本書は、米国や他の特定国の戦略を論じるものではない。むしろ、私の目的は、あらゆる形態の戦争や、平時における諸国家の対立関係を条件づける普遍的な論理を明らかにすることにある。

...

行為そのものから、論理を発見することはできない。

戦略の論理は、人が実行した結果や実行しなかった結果に明白に表れる。多くの意図せざる「結果」を検討することによって、論理の性質や働きを最もよく理解できる。」

つまり、彼の目的は軍事史における普遍的な論理の発見であり、その方法は特定の戦争事例ではなく古今東西を問わずあらゆる事例を横断的に分析することです。

まったく、ルトワック博士はやることのスケールがでかい。

ふつうは時代が変わればパラダイムが変わり、出来事も複雑化して、すべてを貫く普遍を特定するのはかなり負担のかかる作業になります。

しかし歴史上天才たちがやってきたことですが、もしそれが発見できたならその論理は普遍により近いわけですから、その論理がひとつの尺度になってあらゆる事象を演繹的に敷衍して応用することが可能になります。

あらゆる事象です。

多くの新しい理論やイノベーションは、こういう先人たちの智慧の発展にすぎません。古典が土台となり、その上に新しい理論が重なりあっていく。そしてその新理論もやがて次の世代のための古典になっていく。

天才たち、ありがとう。

「戦争も、ほとんどは騙し合いの”心理戦”である」わけですから、その戦争を元に抽出し体系化した彼の戦略論は、実は「人間」というものへの深い洞察が描かれており、それゆえに「人間関係」にも非常に役に立つエッセンスを、実はたくさん見出すことができます。

戦略とは字の通り軍事用語ですが、世間的にはビジネスシーンなどで、戦略、戦略、と語られていますね。

そういう人々が本当に戦略を理解できているのかはいったん置いておくとして、ビジネスもそもそも人間的な営みであるから戦略的にとらえることは大いに可能です。

だからこそさっき言ったとおり、ビジネスはおろか、

「人間関係、ひいては人生全体」においての戦略、

という応用が可能になります。そして今回ぼくが読者のみんなに問いかけたい、

「あなたは人間関係に戦略が有るのですか?」

という質問がとても重要な意味を持ってきて、人生の質、今風に言えばQOLを左右することになります。

これは本当にとてもとても大事で、ぼく自身は、これが最終的には幸せにも影響すると思っています。

 

「恋愛を成功させるための戦略」

ここで勘違いしないでほしいのですが、これは決して、「女を操るためのテクニック」みたいな、最高に寒いことを論じるつもりはありません。

単純にダサいからですが、そもそもルトワック先生に大変失礼でもあります。

また、やじろべえの名にかけてそんなダサいことはできません笑 。

決してそうではない。

テーマに掲げているようにぼくらの人脈、つまり「人間関係の有り方を再考する」ということですが、そのために戦略の本質に迫ることが、ひいては恋愛で成功を収める、つまりモテるための近道であるとぼくは思っているんですよ。

恋愛も広義の人間関係に含まれており、そもそも人間関係が寒いやつが恋愛でうまくいくはずない、といつも言っているとおりですが。

それを今日は一緒に考えましょうー。

 

ルトワックが強調している点はいくつかあると思いますが、その中でも大きな柱で、かつ人脈論のなかでも使えるものをぼくが勝手に選びましたが、それは次の二つです。

①戦略ピラミッドの「大戦略(graund strategy)」

②逆説的論理(戦略のパラドックス)

今日のメルマガでは①を考えましょう。

来週号で、②を提供します。

本当は、①も②も今日やるつもりだったんですが、膨大になりそうなので2つに分けました。

というか、もうすでに導入でけっこう長いし。だから集中していきましょうー。

ルトワックの『戦略論』を読むと、

戦争における戦略にレベルがあること、垂直的な階層があることがわかります。

===========

大戦略

 |

作戦

 |

戦術

 |

技術

===========

この意味するところは、技術や戦術や作戦の上位に「大戦略」が位置しているという構造です。上位ですから重要度や影響力は大戦略にあり、つまりは大は小を兼ねるわけですね。

上位概念の方が重要である、優先される、ということは、どんだけ技術や戦術で尽力して優秀だったとしても、大戦略で負けたら、それは戦争において最終的には負けを意味します。

大東亜戦争のように、日本軍はゼロ戦パイロットの飛行技術を訓練し神業にまで高めましたが、アメリカはレーダーを開発して組織的に戦うことであっという間にそれを凌駕し、日本のパイロットたちをつぎつぎに打ち落としました。

熟練のパイロットを失った日本軍は、大きな痛手です。

神技というのは到達できる可能性が限りなく0だから「神」なのであり、機械のように量産できるものでもありません。なにせその職人技に頼りきっていたのですから、そのあとは打つ手がありません。

人間の技術より、兵器の性能。

そしてそれを使っての組織的な戦い方。

そういう技術<戦術<作戦が、戦争の勝敗を決めたのでした。

この大東亜戦争は、歴史の総括として

『「戦術」で勝って、「戦略」で負けた』

と言われています。

戦略で負けたのだから、最終的に負けます。

確かに、戦略上優位に見える島を奪うことに成功しました。多大な犠牲をだしながらも、なんとかそれを達成しました。逆に、それなりの犠牲がでたのだからそれ以上の軍事的戦果を挙げなければ、許されない状況です。

そのうえで、

「ではこの奪還した小島をどう運用するのか?」

という答えは当然持っているはずですね。

戦略的に重要な位置にあるわけですから、その機能を十分に発揮する使い方をしないといけません。

実際は、そこを一つの起点にして制海権を広げることを意図していたわけですが、

結果的には、
島を敵艦隊に囲まれた島が孤立、
⇒日本軍はその島へ十分な補給ができず、
⇒島内にいた兵士はぼろぼろに痩せて物資は足りないという状況。

犠牲を伴って獲得した島はまったく機能を果たすことなく、たんなる小島にと化し、戦力は取り残され、無駄に死んでいきました。

島がアメリカ攻撃の起点になることはありませんでした。

島奪還には成功した(戦術で勝った)が、島が機能しなかった(戦略で負けた)のです。

何のための島奪還なのか?

この問いに明確に答えられないと、一貫した戦略はとれません。

「何のために」

これが戦略を貫徹するうえで重要であることがわかるのではないでしょうか。

上位概念に応える立案をしなければいけないのですね。

 

では、さらに突っ込んで考えましょう。

ルトワックの戦略論の大戦略(graund strategy)に迫る議論です。その例として第二次世界大戦のヒトラーのナチスドイツの痛い失敗を考えます。

第二次世界大戦のナチス、どんなイメージがありますか?

戦略通のみんなであれば、ナチスも帝国主義、植民地主義の時代に登場してきた中の一国にすぎない、という見方もあるかもしれません。

一般的には、ナチスは悪の帝国として無謀に戦争を始めたと思われています。

確かにある側面で見れば、ヒトラーのナチスドイツ、それと同盟を組んだ日本、これに加わったイタリア、これは悪の枢軸国と呼ばれていて、悪の帝国だ、悪いやつだ、と言えなくもありませんが、

一般の考えられているのとは逆に、日本とドイツは学問的に戦争論を研究し、当初かなり戦争を優位に進めていました。

無謀に、ただただ勢いにまかせて戦争をおっ始めたのではなく、十分に勝算を立て、戦略的に、戦争を始めたわけです。

そしてどの国もそういう方向へ走っていた時代でした。

そこはプロの軍人であり軍事研究家ですから、十分に軍備を整え軍事会議を重ね、開戦に踏み切ったわけですね。(※日本の場合は、『空気の研究』が述べるとおり、戦略が弱い点に加え、「空気の問題」があります。)

ドイツと日本は、当時急速に工業化に成功していました。

つまり「兵器を揃える」、「緻密に戦争の計画を練る」、ということで戦略ピラミッドの、「技術」、「戦術」、「作戦」、の領域においては十分な力をつけていたのです。

歴史的な見解でも、奇襲攻撃を効果的に用いながら侵攻を素早く進めつつ、戦術面で重要な土地を押さえていったと論評されていますから、戦況を優位に進めていったのは間違いありません。

しかし、残念ながら彼らは最終的な結果においては敗北を喫したのです。

この矛盾。

各地で先勝していた日独伊、結果の積み重ねで「直線的に」最終結果が決まるのではないのでしょうか?

このある種の矛盾は、「どの段階で」生じ始めたのでしょうか?

 

ルトワックはこの「矛盾」「皮肉」「逆説」を、戦略ピラミッドの階層、上位の「大戦略」に求めました。

上位概念の「大戦略」とは何か?

これは平たく言えば、「同盟」のことです。

 

地政学的にリムランドを制覇しようとしたドイツと日本。

「リムランドを制するものは、、、世界を制する」

とは、のちにスパイクマンが提唱しましたが、日独は経験的にそれを実行していました。

地政学的にも有利に位置するドイツ、工業化でも急速に発展してきて、第一次世界大戦の少し前にはイギリスを抜いてヨーロッパ最大の工業国になっていたドイツ。(世界一の工業国はアメリカだが、彼らは地政学的には遠いところに位置していた。)

地理的に優位な軍事条件、工業的な発展という国力もつけてきたドイツは、徐々に自信を深め、覇権国であるイギリスを今こそ叩こう!と考えたのでした。

かくして、第一次世界大戦の敗北から苦しんでいたドイツ国民を経済的苦境から救い、ドイツを帝国かしようと、ヒトラーが開戦に踏み切ったのです。

結果として、日独伊は惨敗。現在の大国の枠組みができあがりました。

戦術で勝って、戦略で負けたドイツ。

大戦略に失敗したヒトラー。

このドイツは覇権国イギリスに挑んだはずでしたが、最終的には誰と戦っていたのでしょうか?

イギリス・フランス・アメリカ・ソ連・中国の連合国です。

これはまさに現在大国と言われている国で、国連安保理の常任理事国で、核保有国ですね。

対してドイツは日本とイタリアと、あとはドイツ周辺の小国と小さな同盟を組んだにすぎませんでした。

ヒトラーは外交ができなった、国内において人気の独裁者だったのです。

この日独伊同盟VS連合国の巨大な同盟、

同盟が、勝敗を決定づけました。

.....イギリス・フランス・アメリカ・ソ連・中国、

軍事力や国力の上位が束になってるわけですね。

こんなの、勝てるわけがありません。

 

歴史を学べばわかる点ですが、第一次大戦の流れからして、ドイツはイギリス、フランス、この2国を相手にしないといけないのは、仕方がありませんでした。

しかし大戦略におけるドイツの失敗はいったい何なのかというと、東方のソ連に急遽侵攻したことでした、それもキライなソ連とわざわざ戦略的に締結した後に、その独ソ不可侵条約を破るかたちで侵攻したのです。

これには、当然ソ連も黙っちゃいません。

かくしてソ連は連合国側についてしまいました。

これは痛い。

独ソ不可侵条約の意味は、ドイツ帝国の東側、東欧側の安全を確保して、イギリスフランスとの戦いに集中するためでした。

それがなぜその均衡を破るような戦いを始めたのか。

「戦略がない、同盟の意味が理解できてない」

と今になったら、言えるのではないかと思います。

何のための同盟か、

何のためのソ連侵攻か、

ここにこたえられないということは戦略の失敗なのです。

そして、ヨーロッパの戦争には参加しない、を決め込んでいたアメリカをイギリスが説得し、なんとアメリカも連合国として参戦。

これで万事休すです。

ドイツは開戦初期、国土の周辺で小国へ侵攻し次々に勝利し、そしてそれらを同盟国として取り込んでいたわけですが、大国との関係を維持するのには大失敗しました。

今までにない戦車隊の作戦で電光石火の快進撃を成し遂げていたわけですが、「同盟」を疎かにしていました。

これがヒトラーが弱かった所。

大衆を狂気に巻き込む演説は可能でしたが、大戦略を明晰に考える頭はなかったようです。

覇権に陰りが見えてきたイギリス、ナポレオン戦争の惨敗から十分に回復していなかったフランス。

対するドイツは、工業化により量産した戦車、そしてその戦車を戦術的に駆使しながら軍備の物量でも質でもイギリスやフランスを圧倒していました。

単独で比較すると簡単に軍配はドイツに上がるのですが、同盟になると、話は別です。1+1が5にも10にもなるからです。

連合国は、その「同盟を根拠」に(本来は関係が良いわけでもない)技術の提供や資金の援助をし、もちろん軍備や兵站も融通し合ったので、いくらでも戦えます。

日独伊が兵力をどんどん削られている間に、兵員兵器資源食料をどんどん補給できる。戦争が長引けば長引くほど、いつしか連合国は量だけでなく質においても同盟国を逆転していたのです。

そういうドイツの「技術」「作戦」での数々の勝利は、「大戦略」つまり「同盟」における失敗により、すべてあっというまに吹っ飛ばされてしまったのです。

ルトワックは言いました。

「技術、戦術、作戦、戦域戦略のレベルにおける目覚しい勝利も、大戦略に収斂した場合には逆の効果を持つか、あるいは影響がないことすらありえるのである。」(『戦略論』第十三章 大戦略の射程 国際政治における戦略から)

 

教訓はなんですか?

『同盟は重要だよ』

ということです。

 

大戦略ー何のための「  」か?、という問い。

さて、何の話をしているかといえば、人脈でしたね。

やっと本題です(爆)。

軍事戦略としてはいつも、最終結果を出すために今やるべき選択がある、これを見据えて戦術や作戦を立てるはずで、最終結果という網羅する視野が広ければ広いほど、手前の戦術や戦略も容易に定まります。

「戦うべき、倒すべき敵は誰か?」

「どのように倒すのか?」

 

これは「射程」の話として日常のさまざまな事例に当てはまります。

ビジネスの射程では、短期的に目先の利益を追求するから、リソースが枯れ、顧客は離れていき、じり貧になりつつ最後は廃業という事例は、枚挙にいとまがありません。

本当に成功するビジネスというのは、利益がでない時期をある程度過ぎた後にいきなりドーンと売り上げが立つ、そしてその固まったビジネス基盤を使ってそれをスケールしていく、というのがセオリーではないでしょうか。 

つまり、長期・短期の射程の話をしているのです。

今ビジネスに置き換えて話しましたが、ビジネスに限らず何でも、長期というのはある程度忍耐が試されます。

自己投資、ということばが流行りましたが、「投資」とは本来その後にリターンが帰ってくるのには時間がかかる、さらに補助金ビジネスじゃないのですからそもそもリターンを回収できるかも不確実。

ですから、そこには焦りや不安が生じるでしょう。

これは、長期的視点がない人には成せないものなのです。

自己に投資していると思っているほとんどの人は、その忍耐をセットでものを考えていません。

単なる、趣味やお遊びなのです。

自己投資とは、そういう内面の葛藤が必ずついてくるのです。

バルクライも、「いつまで退却するんだよ」「いつまともに戦うんだよ」、と戦略射程がない人間、軍隊の中の99%以上から、そう思われていたことでしょう。実際、さっきも触れたように皇帝も到底理解できるものではありませんでした。血気盛んな兵士たちの不満や批判も彼の耳には聞こえていたはずで、それを押さえるのに必死だったはずです。

そうなると、当然各方面からの圧力が精神にのしかかります。

ここで自分の意志を堅持するために必要なのが、

何のために戦争するのか?

何のために勝つのか?(負けるのか?)

何のために同盟を組むのか?

という「何のために」の問いかけです。

不満や批判をモロに受けて、それでも目下それしか勝つための方法がないなら、実行するほかありません。

それしか、勝つ方法がない、という的確な射程から来た明確な目標があるからそれができる。

長期的な目的の明確化、その明確化には必ずWHYが不可欠で、戦略を立てる上での有用なツールになります。

ある二国間が同盟を組むとしましょう。その二国には必ず共通の敵が存在していて、その敵に対抗するというため、という大義名分があります。この「明確な目的」があってはじめてその同盟が成立します。その目的へのコミットがあるからこそ、ちょっと前まではいがみ合っていた両国同士(独ソ不可侵条約のような)が手を組むことが正当なんだと(国際的にも国内にも)喧伝することができる、感情を抜きにしてそういう同盟は戦略的にも正しかった。歴史上そういう例はたくさんあります。

当然ながら、共通の敵がいなくなったら、反目しあう関係に自然と戻っていきます。(第二次世界大戦の連合国が、終戦後東西冷戦に突入したのもその例)

大戦略、つまり同盟を組んで何がしかに対抗するという戦略学的理論は、一国のみで何かをやろうとするときよりはるかに大きな目的を達成できるというシンプルな原理を教えてくれていて、他者とかかわらなければいけない社会的な生き物であるぼくらのsocietyをそもそも示しているだなと驚きます。

そういう戦略学的な同盟とは反対に、一般的に多くの人々が社会性、つまり他者とのつながり(=同盟)を想定したとき、

「なぜこの人とつながるのか?」

というWHYを考える人はまずいません。

なんとなく、地域のコミュニティ、近所の付き合い、校区のクラスメート、子供の親つながりママ友、職場、というようにたまたまその文脈に存在していたから自動的にそのコミュニティの一員である、というのが通常で、能動的に人間関係をデザインする人はまずいない。

そういう行き当たりばったりで人間関係をつくるとその関わりから面倒に巻き込まれることが多々あるでしょう。それでも、教訓を学ぶことなくまたせっせと無意味な人脈とやらを作りに出かけてしまうということがたくさん起きるはずです。

イタイことに、「戦略」、「戦略」、とビジネスでもスポーツでも多くの広告やメディアからもそれを聞いているはずなのに、自分の人生や人間関係にはまったく戦略がない。

それこそがストレス社会の根本でしょう。

何のための人脈か?

という目的を明確にしてつながりを作るとその人間関係からの収穫は多い上に、両者にとっての共通の目的がそこには介在しているのですから、その向こう側にいるいわば同盟のパートナーにも利がある、winwinの関係に自然となっていきます。

これは「人付き合いを打算する」とかいうスケールの小さい話ではありません。

自分が自己実現に向かう過程においては、ぼくらが関わっていく関係各位もなぜか自己実現に一歩ずつ近づいているという壮大な人生のプロジェクトなんですね。

だからこその、”大” 戦略なのです。

人付き合い、コミュニケーション力と聞くと、なぜかチマチマとした小手先の何か、或いはお友達ごっこのようなふんわりしたものを想像するし、

自己実現、大戦略と聞くと、途方もないデカイきれいごと・抽象的で使えないモノという気がするし、

人間理解と聞くと、それはもう難しすぎて思考がストップする。

これが、「何のために」というWHYを問わない人々の日常でしょう。

そうすると、今所属しているそのお友達グループ(いわゆる人脈)も偶然発生的に生じたものでその中に自分がいるにすぎず、それがずーっと継続していくコミュニティとなります、

その自動的で、受動的な営みはけっして自己実現の方向には進まないはずですから、周りからすれば「何のための脈なの?」と問いたくなる、それはぼくだけではないでしょう。

こう書いているだけで、ぼくはゾッとするわけですが、仮にある人がもしハッと気づいて、今ある「つながり」を改善したいと、自分なりに再考したとしても「何のために?(WHY)」という深い部分まで考え至らなかったとすれば、やっぱり「相互フォローお願いします!」という儀礼的な現代的な人間関係にまた舞い戻ってしまうのは、想像に難くありませんね。

現代人はほとんどこのループをグルグル回っているんじゃないか、と正直なところ思っています。

 

セミナー出席による人脈づくり、食事会や合コンによるLゲ、そこがいわゆる自己目的化してしまって、その先がない。

ビジネスにしても恋愛にしても、その人脈を活かすという視点や、それが活きるためのそもそもの魅力がその男にはない。

連絡先ゲットや名刺収集だけは本来「何のためか?」ということは真剣に考えられるべきことです。

 

SNSの時代、インフルエンサーの時代、と言われている昨今、この流れはますます加速し、ゆえに二極化がますます広がるでしょう。

「いいね」を欲しがるSNS利用者、フォロワーを欲しがる大衆は下側へ蓄積されていくはずです。

そういう一時的な承認欲求を満足させるための「いいね!」を欲しがるとは、ザッカーバーグが笑っていますよ。

そのいいね!が目的になってしまうような状態では、もはや下層に固定されるしかありません。

ひたすらいいね!を集めても、

その先が無く、

いいね!の利用価値もない

まったく、戦略も同盟もあったものではありません。

 

何はともあれ、いいね!と言ってくれる人たちにおいて、

重要なのは数ではない。

その質なのです。

これは、ネットを中心にビジネスしている人に対しても声を大にして言えそうなことですが、

重要なのはリストの数ではない、質だ

というのと同じことなのです。

ということは、人脈を作る「前に」、

何のための人脈か?

という問いと真剣に向き合わなければなりません。

そして、目の前に広がる玉石混交の人脈の中で、いったいどの人物と”つながるべきか”を、主体的にスクリーニングをしなければなりません。

人脈をつくる時間や労力、そのあとのメンテナンスにかかるコストもゼロではない(時間を費やす=人生という命を削っている)のですから、あっち行ってこっち行ってと、やたら「同盟を」広げるべきではありません。

やたらと人脈を増やすとすれば、あとあとそのリターンが何もない、無意味な人脈に虚無感を感じてしまうのは火を見るよりありきらで、結局。あー俺の周りはなんてしょうもないやつばかりなんだと、嘆いて次の朝が来て、またその人脈の中へと戻っていく、こういう人生を送ることになります。

コストゼロではないのだから、

時給挙げろ、とか、

残業代出せ、という前に、

あなたの人脈を見直した方が、よっぽどマシな時間と命の使い方になりますよね、と客観的に冷静にツッコミたくなります。

しかし残念ながら、どう転んでも、人脈多い、友達多い、で喜ぶメンタルの弱さも同時に露呈してしまっていることになって、自分自身がまずしょうもなかったという原因に還元されるのですから、その事実を認めなければなりません。

 

さて、これが恋愛にどう関係するのか?

という疑問がよぎっている頃でしょう。

または賢明な読者なら、戦略がどう恋愛に活きてくるのか?           どう敷衍して応用するればいいか?じっくり考えているでしょう。

答えをいってしまえば、こういう意義があります。

‣女子をスクリーニングできる

・自分が成長できる

 

女子をスクリーニングすることが、とてつもない大戦略になる  

人間関係は、その善し悪しが当人にとってダイレクトにそして何倍も増幅されて跳ね返ってきます。充実した人間関係の中にいたら本当に成長できるでしょうし、面倒なことを次々に持って来る悲惨な人間関係で繋がれていたら人生は破滅するでしょう。

あらゆることが原因で二極化が起きるわけですね。

男女間のドロドロ劇。

さらにより大事な点として、男にとっては「どの女と一緒にいるか」でとてつもなく人生の良し悪しが分かれるということです。

拝金女、嫉妬女、出しゃばりコントロール女、、、

こういう爆弾のような女のほうが世の中には多いわけですが、

もし女といつも24時間一緒にいたら、もう精神が崩壊することは目に見えていますね。

恋愛を間違うというのはこれほど膨大な人生の損失になります。

しかしモテる男というのは、幸か不幸かそういう爆弾女が玉石混交として寄ってきます。

だから、モテる男は恋愛で苦労しなくていいよなーなどというのはモテない男の妄想であって、有名人にパパラッチや反社の悪い人たちがスーッと近づいてくるのと同じほど、普通に生活するだけで大きなリスクにさらされているのです。

ココ、非常に気を付けなければいけないところです。

さらに、今はモテていない(が、将来モテるようになる)としましょう。そのモテに至る過程においても,モテの加速を手伝ってくれる人間関係か、足を引っ張って非モテに引き込もうとする人間関係か、どのような人間(女も含めて)と関係を築くかで将来性が大きく左右されます。

つまり、「同盟の大戦略を立てろよ」ということなのです。

 

その第一歩がスクリーニング(screening)なのです。

さて、スクリーニングについて大事な視点を話しますよ。

スクリーニングと言うのは、こちらが頭をひねりながら計算して、付き合いたい人をふるいにかけるものではありません。そういう打算的な思惑はいっさいありません。

じゃあなんなのか?

スクリーニングとは、自然に、当然のごとく達成されるものなのです。

打算とは、積極性があり野望があって野心的にゴリゴリ進んでいく人間が陥りやすいネガティヴな方法論で、それは長期的に見るとマイナスに働きます。

また戦略を考えたときにそういうある種のデザイン力が重要なのも確かですが、

決定的に重要なのは、その戦略が自然に雪だるま式にワークする関係性をつくるべきだということです。

そして、壮大に表現するなら「そういう人間になれよ、そういう方向へ努力せよ」ということをルトワックは言っている。

少なくともぼくはそう感じました。

がんばるべきところは、ココ。

決して、こちらが打算的に、利己的に、人を選ぶ「作業」を頑張ることを意味していません。

自然にスクリーニングがワークするように、またそもそもその原理に自分が忠実であるために、関係する人たちに相応のメッセージを伝播している必要があります。

そのための核心が、「WHYを体現する」という感覚です。

はい出ましたね、WHYです。

感覚的にはいつも明確なWHYを意識しながら生活しつつ、その意識に基づいて一挙手一投足をマネージメントする、

そのようにWHYを自分の中に織り込んで、そういう人間になっていく、という感じでしょう。

これは、クラスメートの延長としてバカ騒ぎする間柄ならそんなに「関係性」を気にする必要もないし、WHYを意識するなど毛頭必要ありませんが、

例えばあなたが会社の社長で合弁で何かのプロジェクトを立ち上げた、と考えたらわかりやすいと思うのですが、

理念が合わない人と「同盟を組む」というのはあり得ないんじゃないか?

ということです。

その人とあなたを結び合わせているもの、「共通の何か」はいったい何なのか?

これが、理念なのです。

むしろそれしかない。

何らかの理想世界へ向かって走っている、同志という感覚です。

政治活動を例にとると、政党の方針が合わない自民党と共産党が組めるはずもありません。

会社を例にとりましたが、会社は利益を上げることが使命という言説も一理ありますが、結局WINWINで双方が利益を出すにはその方向性が合致してないと前に進まなくて、当然利益というのはあとから付随してくるものですから、そこのリターンも得られません。

誰しもが自分の人生の舵を自分で切らなければいけませんが、友人としてであれ、会社のパートナーシップであれ、社会活動であれ、同じ船に乗る必要があるなら、「誰と(同盟を)組むのか」、これは理念が合うような人と自然とつながるよう人生を決めていかないといけない。

さて、明確な理念があるとしましょう。

そしてそれゆえにあなたは人気があり、多くの人を引き寄せています。しかし人々はあなたの理念を具体的には知らないし、まして「そのWHYがあるからこそ成功している」とは彼らは夢にも思いません。

当然ながら、雑多な人々があなたのもとへ集まってきました。

そこで次にやることは何か?

理念をより具体的に、強くメッセージとして打ち出すことです。

これがさっき「原理に忠実に、伝播させる」といったことですね。

まさに、このブログのように。笑

モテるのにマインドセットをうんぬんするないんて、本来はめんどくさい。

マインドセットを重視している人がモテるをうんぬんするのも気持ち悪い。

そう、普通は認識されますが、ぼくはこれを信じているし、これが僕のWHYだからしょうがない。

Twitterで、人生でもっとも痛いコジらせは、学歴ではなく、恋愛コンプレックスだ、という一文が流れてきましたが、本当にそうだと思います。恋愛は重要で、それありきで人生を真面目に考えるのは大切なことなのです。

だから、そういうふうにスクリーニングするべきなのです。

数多く世の中に存在する、大衆的で、利己的で、一時的な煌びやかさに惹かれてやってきた人にはあなたの高尚な理念は理解できないでしょう。そして当然ながらそれに付いていけません。

原理的に、同盟を組めないのです

すると理念に共感できないそういう人々はあなたから離れていくでしょうが、逆にその理念に強く心打たれた人はもうあなたのファンなのです。

この段階で、あなたの理念に共鳴してくれる人しか残らないことになりますね。

これが、スクリーニングであり、このときそれが自然に完了していることになるのです。

これは理想的なマーケティングの結果と同じです。マック信者がマッキントッシュを選び、そのために2日前から店舗に並ぶのと同じ理屈なのですね。

そしてそれは信者以外には決して理解できない理屈です。

自分が理想世界へ突き進み、背中で語ることで、その理想を理想と感じる感性がある人がいつの間にか周りに集まっていて、ともに理想を目指してい走っているという状況が形成されているのです。

さて、あなたが現時点で仕事ができる男だとしましょう。信頼できる友人も多い。そしてまだまだ将来性もある。

この結果はWHYからスタートした賜物です。

そのキラキラ光る賜物を見て多くの女があなたを自分のものにしたいという欲求に駆られてやってきます。

ところが、価値観や人生観などのWHY、まあ簡単に言えばあなたの人となりにまで目を向けている女は多いでしょうか?

決して多くないでしょう。

非常に希少なはずです。

こういう光物が好きな女は、表面に見えるものが大好きでそれゆえに引き寄せられそしてときめいている。

私の彼氏、イケてるでしょ、と自慢したいという自己満をために近づいてくる女。

我々は深く深くWHYを探究しているのに、女は表面だけ見てときめいている、ただただキラキラを欲しいから一緒にいるだけ、という状態になります。

WHYを追究する男。

表面キラキラに引き寄せられる女。

この2人が一緒になった。

このように価値観があまりにもかけ離れていると、すぐに誰の目にお明らかになり、当人がそれに気づいた瞬間はもうどうしようもない。それはお別れする。

価値観が合わないのに人は時間と空間を共有することなどできない。

しかし価値観さえガチッとはまったら、それはもう磁石のように引き寄せて、離さない。

これは、あなたがWHYがしっかり確立してればしているほど、同じくいい女を引き寄せられる、という真理を明らかにしています。

自然の摂理なので、もはや知識の不可逆性と同じほど自然で確実なものですよ。

これがスクリーニングです。

金銭感覚の価値観(お金やモノのあるべき位置)、

感情のコントロールのやり方(怒ったとき悲しい時の態度)、

問題解決の方法(困ったこと難しいことへの対処のやり方)、

自分らしく(一緒にいて疲れないか、過度に構ってちゃん、要求が大きい)

自分に対する見方(向上心があるか、楽観的か)

他者との関係性(競争心がないか、見栄っ張りじゃないか、親切なのか)

そういう価値観がしっかりしてればしてる(確立されている人間)ほど、その内面が判断や、言動に反映されてきますから、つまり体現されてくるわけですから、同じ類の人しか一緒にいることはできません。

「類は友を呼ぶ」

ですね。

 

自分が成長するには、誰と関わるかがポイント

成長のプロセスを考えれば、結局何を取り入れてどう自分の血肉にするのか?INPUTとOUTPUTの繰り返し、その精度を高めていく、目的をもってそうしていく、ということに行き着くと思います。

有意義なものを取り入れているのか、

そのINPUTを意味ある仕方で処理しているのか、

興味や情熱をドライブとして能動的にそうしているのか、

という要素が関係してくることでしょう。

ここで大きな問題になってくるのが、インプットの際、この世の中には雑音が多いという事実です。

頑張ろうと思っても足を引っ張る隣人がいるわけですね。

それもそのはず、その隣人にはあなたの頑張ろうという目標や動機の背後にあるものが理解できないからです。

さっきの議論の通り、そのWHYを共有できていないわけですから彼らの口から出るすべての意見やアドバイスは、どうしてもあなたの理想世界への歩みの障害となるものばかり、あなたの決意を弱めよう、足を引っ張ろうとするものです。

 

だからがんばり始めた男も、すでに色気バチバチないい男も、同じように「人間関係」がポイントになるわけで、そこは頑張り続けないといけないということです。

人を選びつつ成長し、成長してまた選ぶ、その繰り返しでスクリーニングの質が上がり、付き合う女の質も高くなるのではないか?

こういうスパイラルです。

ナイスなカップルというのは、男女のどちらかだけがナイスで、ナイスじゃないほうはおんぶにだっこ、などということは原理的にありえないのです。

そしてだれががんばるのかというと、まず男が頑張らなければなりません。

「まずいい男になる」を達成するには、上記のように難しいのですが、

その過程で批判されようと、人が離れていこうと、WHYを体現しつけなければいけません。

そしてさらに付け加えると、この難しさは、「いい男になるのはムズいな~」などという軽い、漠然とした難しさではなく、WHYに一致した生き方を行動で示す、それを継続するという難しさです。

これは、メンタルの弱い人にはできません。

では、いつまでも足を引っ張る人々の間に埋もれていながらそれができるのでしょうか?ぜひとも環境を積極的にスクリーニング、アップデート、デザインしていきましょう。

これは余談ですが、天才研究において遺伝子か環境か論争が起こりその後はっきりしたことは、優秀な遺伝子も環境でつぶれてしまうことがたくさんあるし、環境が良ければある程度の天才になれる、優秀な遺伝子を持ちながら最高の環境があれば歴史に名を遺す天才になる、ということでした。

結局、環境の重要性が際立つ結果です。

この環境というのも、広義では人間関係が作り出すものですから、「意味ある同盟」はとある一人の人生を左右するほどに非常に重要なわけですね。

人間関係の質が高ければ、自分はその中で生きていくのですから、自分の質も高まっていきます。当然水を得た魚のようにいつも生き生きすることでしょう。その”環境”の中に成長の足を引っ張る要素はありません。

戦術的にいろいろな習慣を持ったり、習い事したり、金稼いでも、大戦略において、つまり戦略としての環境がダメなら、最終的には負けます。

そういう原理の中で生きているのだからまずそこを押さえるべきで、そこをほったらかしにして細かいことをゴチャゴチャしてもまったく意味がないのです。

大戦略が最重要、なぜ同盟を組むのかに頭を使え、これは戦争でも、人間関係でも「人間」がかかわる以上同じことなのです。

そして人間が主題である以上、恋愛にも同じ原則が当てはまるのです。

 

をはり    

 

※気づいたと思いますが、今回は、メルマガに書こうと思っていたものをこっちに移しました。いつも質問箱でせかされて、急いでアップするようになってきました。。。

 

やじろべえ。

 

 

~質問コーナー~

 

Q1。優秀な人はどんな人でしょうか?

A。よく、学業として頭がいい人は本質的に頭がいいとは言えない、という言説がありますね。確かにそうだと思います。そのうえで、優秀な人は自分の強みを生かしている人ではないでしょうか。自分のこともしっかりわかっていて、その強みが生きるだけの実力をつけて、それが社会の役に立っていて、充実している。

そういう優秀な人ってのは、外向的内向的を別にして人を惹き付けていて、そして人生楽しく生きていますよね。

 

Q2。コミュ障を克服する方法は?

A。症状の度合いにもよるけど、そこそこ軽いなら、

・禁欲

・食事改善

・運動

・このブログで勉強

そうしたらエネルギー持て余して、他者と関わりたくなるから、

・とにかく外に出る(今はコロナで難しいが。)

・なんとかコミュ障を治す!という雑念を捨て、誰にでも親切にする。

これでたいていのことはイケると思うよ。

症状が重いなら、まず病院で治療だね。

 

Q3。自分に自信をつける方法は?

A。上に同じ。

この手の内面に起因する問題はね、解決策もだいたい同じで、それは自分の中にあるモノだよ。他人より何かがうまければ、顔がよければ、学歴が、特技が、、、というのはそもそも自分以外のどこかから持ってきた相対的に作られた自信で、自分の中身は空っぽのままだから、すぐさま消え去ってしまうものなんだよ。だから自信というのも自分の内面にアプローチするべきで、俗にいう「自己肯定感」は概ね間違っていないね。

 

Q4。学歴ってどれくらい大事ですか?

A。日本で楽しく生きていくうえではほぼ必要ないね。ただ、学歴でブイブイ言わせたい場合は必要だね。また海外に行く場合は、ビザ取得で必要だよ。

 

Q5。LINEでの告白はアリ?ナシ?

A。無し!!!

 

Q6。資本主義社会からの抜け道はありますか?

A。これは面白いね。これ一つでトピックができそうだよ。

歴史の変遷をみると、資本主義よりbetterなシステムはなかなか生み出せないような気がするね。壮大な社会実験をソ連でしたけど、それが崩壊し、いち早く中国も市場原理を導入し、それが生き残り分けたように見えるね。資本主義を否定する論陣を張っている人もよくよく中身をみれば現実性のない何の意味のないことを言っていたり、資本主義と紙一重であったりするんじゃないかな。そういうお金にまつわる問題は偉人たちが考えつくしているから思想的にはもうだいたいの解答が決まっていて、そもそもが人間の本質とは切り離せないんだと思うよ。資本主義の中で少しづつ微調整していくしか方法はないんじゃないかな。

テクノロジーがもっともっと発展して、シンギュラリティが現実化すればそのとき突然新しいシステムが出現するかもしれないね。

 

 

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