モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

「自分はなぜ変われないんだろうか・・」 変化の核はマインドセット、マインドセットの核は”排出”

 

前回、コメント返しという形で記事を発表いたしましたが、

どうでしたか?

なんとなく張り付けているAdsnseも、見向きもされないので、

これはコンテンツの質が高すぎてそちらに意志力がそっちに集中されているということなのか、むふふ。

と勝手に感じておりました。

 

そして、なんとめでたいことに、読者が100人を達成いたしましたー。

ヒャッホーー。

 

わざわざ、はてなブログのアカウントを取得し、読者ボタンを押して意思表示してくれた読者、そのようにしてモテに真剣な戦いをしている、負けられない戦いの世界で生きている男たちもいるでしょう。 

めでたい100人目の読書もそうでした、

「餃子太郎さん」

おめでとう!(何が?)

アカウントを取得し、読者登録し、長文の超長い感想を送ってくれました。いつも長いメルマガを書いてるぼくでも、正直ビビりましたよ。熱過ぎ。

この方はどうやらぼくのブログ記事を一つ一つEvernoteへクリップしながら、しっかりと学んでくれているみたいです。間違いない、かなりの猛スピードで変化を実感している事でしょう。

努力は決して裏切らない、

正しい努力であれば。

彼を変化をさらに際立たせたのが、「オナ禁」のようですね。

どれだけ高邁なことを考えようと、どれだけ熱心にモテをがんばろうと、打ちのめされて自己嫌悪に陥ろうと、習慣がダメなら変化はできません。

気持ちはもちん重要ですが、本質はマインド+セットなのですよ。

気持ち切り替えて「さあ行こう」、で翌日なにがしか成功できたら、このブログなんて存在意義が無いじゃないか。

マインドばかりみんな見ていますが、それはセットされて始めて威力を発揮するものです。

人はマインドがセットされているかは、日々の小さな小さな習慣に現れるものです。

そこをがんばらないといけない。

正しい動機で、自分に正直に、手を抜かずに一つずつ遂行すれば、確実に変われるように、ぼくはブログをデザインし書いています。 

餃子太郎さん、これからさらにいい男になって、こんなブログで言われてることなんて呼吸と同じほど朝飯前過ぎて、「言われるまでもない」ぐらいのステージへぶっ飛んでください。

 

さて。

前回おもいっきりマイルドヤンキーをディスってしまいましたが、その本意はどこにあるかというと、今日の記事ともつながっているのですが、

「変化する」

そのために、

「デトックス」

せよ。

というところです。

マイルドヤンキーでいる、親しく交渉を持つ、というのは「朱に交われば紅くなる」とおり、「変化」を一番嫌う、当人が変化したいと思っても足を引っ張る、かなり強力な影響力だからです。

「なぜ変われないんだ、なぜなぜなぜなぜ、、、、、、」

となるのは、当然のことです。

だから今日の記事は、自分が変化したいならそれを阻むものを取り入れたらダメだよ、という簡単なメッセージです。あなたが人間や環境からモロに影響を受けてしまう、それらがあなたの変化の足を引っ張っているなら、「毅然とした態度」でデトックスつまり生活から切り離しましょう、と。

この主題は、まあいつも言っている事なのですが、手を変え品を変えみんなに腑に落ちるようにしようということで、キーボードをとるに至りました。

実は、「同じことを」「違う風に言う」というのは、世の中の書籍などほとんどがこういうことをやっていて、99%がすでにあるものの焼き直し焼き直し、新しいパッケージングでの再登場になります。

じゃあ残りの1%というのは何か?

ノーベル賞を獲るような、これからの世界の研究者が競って後を追うような、そういう新発見です。

これ以外はみんな焼き直し、同じことを繰り返し言っているだけなのです。

世界で起きていることはほとんどがコレ。

多くの人はこの1%の世界に触れることはありませんし、その必要もありません。それでいて何の不自由もなく暮らしていけるからです。STAP細胞はねつ造という文脈でこそ話題になりましたが、そうでなければ人々はぜんぜん知らなかった出来事で、知らなくても生活できるし、ぼくもその細胞が学問的に何なんだというのはよくわかりません。

ということは、人々にとって新発見がすべてだ、焼き直しなんてださくてダメだ、ということにはなりません。

ほとんどの人はこの焼き直しの世界の中で自己実現を目指していけばいい。

新しい発見なんてトップレベルの研究者にやってもらえればよくて、しかもそれは理系がほぼすべて、文系においてはもはや新しい発掘なんてないと言われていますから、

ぼくらは、今あるものを確実に理解し、自分の自己実現に活用する、ということが必要なのです。

その点でぼくの仕事は「今存在するものを、わかりやすい形でお届けする」ということですね。

本質的なものはすでに出揃っている、だからそれを語るのが世のため人のためになる。

でも普通に「デトックスは大事だよ」といっても、「あーそれね、知ってるよ」で、終わり。人々には響かない。

だから、ぼくのブログは必然的に”クドクドと長く”なるのです。

このめでたく100人目を達成した餃子太郎さんから、

「現代はTwitterやFacebookなどのSNSにしても、InstagramやYouTubeなどの動画系にしても、短いもの、キラキラしたもの、なんかわからないけど楽しそうなもの、ギリギリのセクシー系、こういうものがウケるのに、

なぜ、こんなに長いブログを書いて、あえて逆を行くんですか?」

という疑問が送られてきました。

一言で言うとそれは、

「僕にも、読者にも必要不可欠だから」

です。

この読者は上のコメントに続いて「長いけど、それでも引き込まれてあっという間に読んでしまう」と付け加えてくれました。

このコメントが意味するのは、長いものは受けない、短いものはウケる、だけどあなたのブログは長いけど読める、と。

つまり、世の中の長い文章というのは、だいたい多くの人は読めない、なぜなら「長い」「面白い」「学びになる」というのを両立させることができないということです。

読み手の問題もさることながら、書き手の問題です。

ほとんどの書き手はこれができません。

だから短いつぶやきや、箇条書きや、動画や、コピペがネット上にあふれてしまう。

「現代は短いものがウケるのに(→長いものは受けないのに)」という感想が出てきます。

長いものが受けないんじゃなくて、長くて且つウケるものが存在してしない、なぜならそれを書ける人がいないから。

という背景なのです。

そういう状況の中で、ぼくが頑張って「長い」「面白い」「学びになる」の三拍子そろったものを書いたらどうなると思いますか?

ブルーオーシャンになる。

それでいてその三拍子をずーっと求めていた人々が殺到してきます。

彼らはもともとそういうものを志向していましたから、スポンジが水を吸収するように学びながらあっという間に結果を出すでしょう。

もちろん、こんな長いの読めねえ、と思って心を閉じる人や、そもそもぼくのマーケティングの下手さもあり見込み読者に届いてないという面は否めませんが、

本当に求める人の、目の前にポンッと置けたなら、確実に最後まで読ませることができる、それでいて読後感はハンパねえ、ブログの中毒者になるのです。

そしてさっさと自己実現を果たして卒業してほしいと思います。

まさにWINWINで、「僕にも、読者にも必要不可欠」なのです。

だから今日のも長いけど、

堪忍してね♡

 

ぼくは根っからの優しい男なので、

あまりきついことが言えない性格なのですが(・w・)、やはりドギツイことはメルマガでクローズドにやった方がいいでしょうね。

いまのところ集まって来てくれた読者はこのドギツいスタイルを理解してくれてそれが好きなドMの集団のようですが笑。

 

 

では、今日もお勉強行きましょうー。

 

いきなりですが、

世の中にはザックリ分けて二種類の人しかいない、とぼくは思っています。

成功する人と、

成功しない人です。

 

……と言うみんな大好き、「成功」哲学の話をするとき、

まずは成功の土台を定義しなければいけませんね。

 

さらにいきなりそこに答えるならば、

タイトルに記したように、成功のキーは、

「変化」

なのです。

 

ブサイクから、→清潔感のある男へ

弱気な男から、→ 落ち着いている堂々とした男へ

ネガティブな男から、→楽観的で、覇気のある男へ

ベラベラ自分のことしか話さない男から、→黙ってても色気があって、ふんふん話を聞いてくれて、ふとユーモアがある男へ

怠惰な男から、→必ず結果を出す男へ

女々しい男から、→GIVEGIVEで、誠実な男へ

目が死んだ魚のような男から、→まったく病気をしない健康体へ

自分自身にこういう変化が生じてからの「成功」だといえるでしょう。

客観的にみて、こういう男が「努力なし、変化なしでいい女が得られる」などと考えていたら、頭がおかしい、まったく望みが無い男だと考えるのが通常の感覚なんじゃないでしょうか。

もろもろのTranslationを積み重ねてこそ、成功できる、成功の階段を上っているのです。

成功は外からやって来るものではなく、あなたが作るもの。

 

んで。

成功する、つまり何かを人生に必要なものを獲得し続ける上で大事なのは「変化」「し続ける」ことであり、

どんなに努力しても変化がつかない人生なのであれば、すべて徒労です。

努力をするのなら、「変化するための努力」をする必要がある、と言えるでしょう。 

 

つまり、成功要素を外部からくっつけるのでなく、

「お前が変われ!」

ということが成功の本質なのです。

 

自分が変化した先に、なぜか物事がスムーズに運び、欲しいものが手に入り、心身共に健全で、日々充実しているということが、不思議なことですが自分自身の身に起き始めます。

そういう意味で引き寄せの法則は、あながち間違ってはいないでしょう。

ただ、

念じれば勝手にモテ始める、なんてことはもちろんないわけですから、

「念じる」と、「結果」、その間には大きな「変化」というフェーズが横たわっているのですね。

みんな引き寄せの法則が大好きなのになぜ結果が引き寄せられないかというと、ほとんんどの人々は念じるだけで、願望がぽかーんと存在するだけで、まったくもって変化できないからです。

ホメオスタシスに縛られているのですよ。

 「願望はある、努力もしている(つもり)。。。」

だけど結果は、?

これが変化しないことの帰結です。

変化することまでは射程に入っていない、だけど欲しいものは欲しいんだ、というのは、「努力なし、変化なしでいい女が得られる」と考えるアホな男と、本質的には同じ生き方を知らず知らずに歩んでいることにならないでしょうか。

 

だから、コアとなるのは変化だよ、と。

さっき、「お前が変われ」と言いましたが、どうでしょうか。

これがマジで重要なんだと言うことを本当に本当にわかってほしいと思います。

 

で。

これは人生を変える系の自己啓発が好みそうなフレーズなわけですが、 

……というと、「俺自身が変わる=全面建て替え」というものをイメージするかもしれませんが、方法論としてはそうではありません。全部ぶっ壊してまったく新しいものを打ち立てようとするのとは、まったく違います。

「自分をブッ壊して、もっと素晴らしい自分を作るんだ!」

という創造的破壊の心意気やよし、でも成功プロセスとはどちらかというと原石を磨くと言うイメージに近い、自分をぶっ壊すというのを現実にやるのは違います。

それはそもそも不可能なことでもあります。

いったんブっ壊して新しいものって、、

ゲームリセットしてリスタートするドラクエじゃないんだから。

なんでもありかよ。

 

自己変化の基礎にあるのは、

自分のリソースを”有効活用して”何がしかを成し遂げるということで、その前提にあるのは「自分のリソース」なのです。

自分にないものは、無い。

であれば、もともと持っている手札でゲームを切り開いていかないといけない。

軽微でしょぼい武器から少しづつレベルアップするのです。

だから、 

建て替えではなく、リフォーム。

もともとある自分を光り輝く自分へと、自分自身のChangeであり、自分のステージのTranslationなのです。

  

これを「成功」と定義するならその変化をいかに作り出すかという課題設定ができるわけですが、

もしこの成功がぼんやりしているなら、「変化の質」、「変化の連続性」も、非常に曖昧になってしまう、→成功は「手が届きそうで届かない」となります。

一般に語られる成功は、分岐点としてこのポイントが世の中にデカデカと横たわっているのです。

 

さて、これをもっと細分化すると、変化するために大事なのは、「排出」です。

健康番組とかで、ごぼうのお茶がいいとか魚のDHAがいいとかココナッツオイルがいいとか、たしかにこれらは体が喜ぶ必須の栄養素であり現代人には不足しているものですが、がんばって取り入れたところでやはり「手が届きそうで届かない」は解消されません。

なぜなら目を向けるべきは排出であり、その体に溜まった汚い毒をまずはデトックスしなさいよ、ということなのです。

デトックスというのは意図的に努力を傾けないと、なかなか難しいものです。

毒の溜まった体で、良い油、良いビタミン、良いたんぱく質を取り入れたところで、ドロドロの水道管にきれいな天然水を流し込むよなもので、「どうせ汚れるでしょうが」という理屈なのです。

人は何かを取り入れるのが大好きです。

そしてそれで何かが変わる気がする。

でも変わらない。

変わったのは膨大なサプリ業界の様相で、非常に潤うことになるわけです。

サプリは必要、でもまずやるべきは「排出」なのですね。

 

ということで「排出」にしぼって話を進めたいと思います。

この論理で考えると、成功できないあなたの脳に溜まった毒があります。それも前回の文脈で言えば閉鎖的な新しいことにチャレンジしない姿勢とか、そういうもろもろのマイルドヤンキー的なる思考回路、ということになるでしょう。

それを「溜まった毒」といってしまっては、いいすぎでしょうか。

そして今日。

脳に溜まった毒とは、

「現代ポルノ産業の影響力」

です。

前から言っていますが、これらは本当に男としてのエネルギーや集中力、現実の女に向かうべきポジティビティを一瞬で奪っていきます。

今ではネットで無料でそういうものを手にすることができる時代です。

さらに、スマホによりどこにいても個人の空間としてそういうものを、コソコソすることなく、一日中、見放題。

小学生ですら、それが可能です。

 一昔前はエロ本という形で、本屋やコンビニで学生はひやひやしながら手に入れたことでしょう。ど田舎にある無人販売機はたいへん若者の味方となり、若者の欲望をせっせと提供してくれました。だから自動販売機もビジネスとしてはある種のsolutionをついたものでした。

ところがAMAZONが登場し、わざわざコンビニに行かなくてもいい、恥ずかしい思いをしなくてもエロ本やエロDVDを手にすることができるようになりました。

ぼくが学生の頃は同級生がビデオ屋に行って18禁をレンタルしようとして店員と揉めていました(汗)。そういう面倒なこともAMAZONの登場でポチッとするだけ、クリック一つで解決したのです。

そして今、

ネットインフラがとてつもなく発展した世界。そのインフラにより動画もサクサク、ネット代も使い放題、DMMやSOMは動画サンプルをせっせと供給してくれるし、動画共有サイトもバンバン乱立し人々は世界中のサーバーからエロビデオをアップして日本へ逆輸入してくれる

http://lmedia.jp/2014/10/02/57048/

ポルノ産業の影響力はすさまじいものがあります。

男とがそういうものにぐいぐいエネルギーを吸い取られてしまうと、この現実世界でバリバリと働くこと、恋愛することができなくなります。

コアな読者や、「オナ禁 モテ」などで検索してこのブログにたどり着いた人々へは、そんなことをことさら強調することでもありませんね。

だから、「おれはモテない、、」という状態の解決策として重要になってくるのは

「努力の順番」

なのです。

それが負の影響力として足を引っ張るなら、まずそれをデトックスしないといけない。

まず、です。

それも、徹底的に排出しなければなりません。

ポルノを断つといういわば習慣化が、どうして「排出」なのでしょうか?と感じる読者もいるかもしれませんので、イメージを描くならば、

例えば、薬物中毒者を更生させるとき

「薬を抜く」

という表現されるときがありますね、

この表現の生物学的正確性はさておき、身体機能というモノを考える時、一定期間それを断つことで自然治癒により元に戻すことがある程度可能です。

(アルコール依存もそうですが薬物なども、脳の構造が変わってしまったあとでは長期間アルコールを断った後に一滴でも飲んだらまた依存症が簡単に発動してアル中に戻ったり、あるいは腎臓機能などもそうですが、いったんぶっ壊れてしまったあとでは元に戻らない例というのはたくさんあります。)

もし体が毒だと判断したものは、それは本来不要なものですから、その毒を断った後になら身体はそれを元に戻そう戻そうと機能するはずですから、ケミカルの構造上可能な範囲で回復を試みるはずなのです。

毒を抜く、

せっせとポルノを見ていた日々からそれを一切断つならば、時間の経過とともに、脳に刷り込まれたポルノの印象が現実的な、健全な、エネルギッシュなものに少しづつ上書きされるでしょう。

見たもの、見ることによって印象に残ったもの、これらは、ある意味一定期間脳内に格納され残るわけですが、人間の脳は環境に最適化されることから、少しづつ「ポルノ毒を抜く」のも可能になります。

そして、本来あるべき男らしい気質、習慣、インプットを入れていべきなのです。

ポルノ断ちと並行して大量のインプットをするのが一番効果的ですが、一番ダメなのはポルノ習慣を維持したままポジティブな何かをせっせと取り入れるということ、これは取り入れたものが全部下痢として無駄に流れていきますのでそーゆー無意味な活動はやめましょう。

こうやって書いていて思い出したので参考になる記事を載せておきたいと思います。

橘玲の日々刻々 | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン 

いきなり記事をブッ混んできた感がありますが、何が言いたいかというと、性犯罪というのは感情を司る脳やホルモンなどが支配しているのだから、結局そこにアプローチしないととどうしようもないんだ、ということが外国の実験などから容易にわかる事例なのです。

脳が指令を出す感情の機能やホルモンの働きは、人間が人間らしく生きる上で必要なものですからそれには意味があるはずですが、問題はそれを歪んだ仕方で刺激する環境にあるわけですね。

本来の機能を、歪める刺激。

ポルノをむさぼるように見ていれば視覚で入ってきた挑発的で過激な情報が脳を刺激しつづけ要らん感情を生むし脳を毀損するし、本来の機能が果たせません。

知る人は知っていますが、小児性犯罪者は事件発覚後に警察が家宅捜索に入ると、動画や画像などいわゆる児童ポルノといわれるコンテンツのコレクションが必ずと言っていいほど発見されます。

さらにこういう人は成人女性との交際がほとんどないケースも多い、と。

つまりどういうことが導けるでしょうか?

そういう過激なポルノを見続けると、それが脳に刷り込まれ欲望が肥大し、犯罪に走る、その逆に男らしく女性にアプローチすることはできず、でも性欲を満たさないといけないので、女児を狙って性犯罪に走るんではないかとぼくは思っています。

非モテでダサい、そんな自分がイヤ、もうモテる人生などあきらめる、それならまだしも一線を超えて犯罪者になってしまうでは、こんな悲惨なことはありません。

性犯罪者は再犯率がそうとう高く、本人もそう望み真剣に努力してるんだけどなかなか更生できない、これが現実ですが、性犯罪もアルコール中毒も早めに手を打たなければいけないし、本気で人生を変えるためには一気にそれを”絶たないといけない”のですよ。

絶てるか性犯罪の連鎖 受刑者指導 伸び悩む効果(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

 

さて、ぼくもそういう禁欲を布教しているのもあってその禁欲界隈の市場調査は怠りませんが、たしか誰かが言っていました、

「オナ禁はエロ禁とセット、それではじめて効果を発揮する」

と。

これは本当にそうで、今語ってきたことと符合するわけですが、その本質は「排出」について語っているのです。

「排出」という観点でみると、オナ禁は頑張るけど、エロ禁はセーフな、などというひ弱な発想ではいつまでも脳は不自然なエロ毒を欲して欲してもうドロ沼状態です。なぜなら毒を吸収し続けているといつまでもその状態でステイし続けるのだから、いっこうに変わりません。

脳の微細な構造としてそれが自然状態へ回復するのを阻みながら、オナ禁はダメ、というのは、まるでアル中を克服しようとしている患者の前にアルコールを差し出したり、禁煙がしんどくてしんどくてたまらないおとうさんが、煙がむんむんしている喫煙所に行っておっさんたちがプープーふかすその場に身を置きながら必死に「我慢我慢」するのを同じほど残酷なことではないでしょうか。

自分自身に対して非常に残酷です。

脳からエロ毒さえ抜ければ、ありあまる男のエネルギーは実生活の自己研鑽へ振り向けられ自然と変化へと足を進めるのではないか。

脳に対してアプローチする方法を取らないといけませんね。

 

そう考えると、オナ禁というのは確かにそうとうな意志が必要なものですが、ライフハックの上手な活用、正しい頑張り方をデザインするということこそが必須で、それがまずきてはじめて達成できるものです。

そしてそれは非常に科学的なロジックが支えているんですね。

つまり中毒症状だから、脳内から消していく。

そのためには一気にエロを断つ。

オナ禁ができない人の問題はオナ禁自体ではなく、その手前のエロ禁で失敗していることです。

まさに、一滴でも飲むと再発するというアルコール中毒の患者と同じぐらいの決意を持っていなければいけません、本当にオナ禁をやり遂げ、非モテを脱したいのなら。

知っているつもり?あなたの知らないアルコールの世界。誰にでも起きうるアルコール健康障害とは!? - YouTube

そう考えると、排出というイメージは非常にしっくりくるんじゃないかとぼくは思います、毒が体に残っていては変化を成功を妨げるのです。それはエロも同じ。

変化の肝は、排出なのです。

  

さて、次はちらっと睡眠について考えてみたいと思います。

百聞は一見に如かず。

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睡眠は脳内のデトックスということがわかるのではないでしょうか。

多くの人は睡眠というのをなんだか軽視しますよね。

べつに思考しないし、仕事しないし、食べないし飲まないし。と。

生産性のない身体活動とみなしてしまうのですが、これは脳内の、そして身体の回復が目に見えないからです。

だから、寝てる姿を見て怠けているというふうに見えてしまう。

あるいは、やるべきことがたくさんある、時間を捻出しなければならない、何を削るかというと、睡眠が手っ取り早いので、かつ睡眠不足による致命的な不具合はだいぶ後になってから発生するので、生活のプライオリティの下の方、底辺に置いてしまいます。体がダルい、眠い、仕事スピードが遅くなった、なんだが風邪ひきがち、これを精神力、気合でカバーしよう、それができる男じゃないか、と。

しかしこれだと、どんどん疲労がたまってきますね。

この許容量が人それぞれで、体の強い人というのはここを許容デキて回復も早いんですが、蓄積というのはパフォーマンスを大幅に下げます。これが、

睡眠負債

と言われるゆえんです。

この負債は気合ではカバーできません、気合では脳のデトックスは達成できない、脳に老廃物がたまったまま気合で人間活動を正常に営むことなどできないのです。

睡眠=脳内の回復、といいましたが、これはTEDが示す通り、排出するから回復するわけですね。排出無しでは、つまり老廃物(体にため込むと毒だ~)がそのままステイした状態では回復などありえない、だから、

「まずデトックス」

なのです。

これは、科学的な見解なのですよ。

はたから見てなんにもしていなくても、睡眠中の脳はせっせと働いていて翌日のパフォーマンスを最大化するためにやるべきことをきちんと、毎日毎日やっているわけですね。

ぼくらのわがままで、意味不明な気合いで、理解不足で、心の弱さゆえに彼らの仕事を邪魔してはいけないのです。

エロ禁もそうですが睡眠も、ぼくらが己の弱さに負けずきちんとした生活習慣を維持すれば、身体は勝手にパフォーマンスの最大化へ向けてちゃんと仕事します。

パフォーマンスが最大化すれば、今は夢のようだなと勝手に自分で思っている、周りから言われていることも、可能なんじゃないでしょうか?

ということは、今の自分が非モテある、体がガタが来ている、忘れっぽい、ミスが重なる、こういう事態はすべて、自分が負うべき結果なのですね。

 

しかし、どの程度の睡眠が適当なのか?というよく聞く問いは、よくよく考えるべき点でもあります。

というのは、よく誤解されがちですが、これは人それぞれ全く異なり、万人に適用できる唯一解などないからです。

健康、ダイエット、筋トレ、という分野はビッグ市場ですから、「睡眠」に関して新しい本や雑誌が定期的に出版されるのは不思議ではありません。また、TEDのspeakerのように睡眠研究に人生をささげている研究者もいます。

ところがぼくは、

「睡眠は何時間が適当か?」

という質問に「〇時間!」と断言して答えてしまう人はなかなか信用できません。なぜならそういった回答は人を間違った方向へ導くと思うのです。

(「いまのところ、〇時間がいいらしいという実験結果があります」ぐらいのニュアンスで語ってほしいですね。)

ということは、無条件に睡眠は7時間がいいですよ、と言ってしまう人は、医者であれ研究者であれ、間違った方へ先導する危ない人なんじゃねーかとぼくは持っているんです(ドヤッ!)

なぜならそれにより大衆というのはそれを無意識に無条件に信じ、受け入れ、さっそく今晩から7時間睡眠を開始することでしょう。

学んだことをすぐ実行に移すという点では大変将来性がある人々ですが、なにせそのActionの手前の考えるということが、抜け落ちているのが残念な点でもあります。それはバナナダイエットの番組の次の日にはスーパーからバナナが消えていた、そして今は?というのと同じぐらいザンネンな話です。

しかし現実はどうなのか、さっきも言いましたが、

「最適睡眠時間というのはそれは人それぞれだから」

というのがぼくの考えです。

肩書がすごい先生でも、万人が読む出版物の著者として7時間がベスト、と言ってしまうのはどうなのか、と。

要するに、7時間がベストの人もいるし、1日7時間では足りない「睡眠負債が蓄積する」という人もいるでしょう、世の中には5時間で十分というショートスリーパーも存在します。

そして通常7時間睡眠の人も、ハードな肉体労働をした日には、いつもより肉体的回復の時間が必要でしょう。

それらの個々別個の生活スタイルや本人の体質があるのに、「7時間がベスト」をスッポリ型にはめてしまっては、体のあちこちに不調をきたす人々がたくさん出てきてしまうはずです(そしてこれはその人の人生を大きく左右します)。

さらにはこれはまったくぼくの仮説なのですが、それを話したいと思います。

例えば「統計的に」「7時間睡眠の人が長生きする」というのが導かれたとしましょう。

ぼく個人としては、8・5とか9時間ぐらい寝たいんですが、

そうなると、

長生きした人を集めるとその中で7時間睡眠の人が多いようだぞ、というのが統計が、事実としてデータが出てきました。

でも、これをどう解釈するかは様々な見方ができるわけですよ。

統計なんだから、「8時間睡眠では長生きしないだな、」と直線的に考えるか、

「単に、7時間睡眠のサンプル数が多いだけじゃないか」と疑うか、

「データはいいんだけど、そもそも8時間も寝なきゃいけない身体(そんなに睡眠を必要とするなんて身体)はどこか調子を崩しているんじゃないか?だからこそそんな身体では長生きしないのでは?」とデータをいろんな角度から考えることもできます。

そういう相関の間になんらかの要因を仮定して、因果を慎重に検討するのでは、同じ統計データを目にしても自分なりに導き出す結論が大きく違うわけですね。

8時間寝るから→長生きしない、ではなく、

8時間9時間も睡眠を必要とする身体→どこか不調がある→結果、長生きしない、

さっきも言いましたが、ぼくはロングスリーパーなので(もちろん長生きするか知りませんが)そういう解釈をしたわけですね。

こういう解釈の精度が正しければ正しいほど「不調の原因は何か?」という根本的なアプローチが可能になるでしょう。

本来8時間も9時間寝てやっと回復しました、

なのに7時間睡眠じゃないと長生きしない、を真に受けて忠実に実行したその人の人生は、身体は、ますます毒まみれになってしまいますね。

いくら統計的と言ってもそういう睡眠本がその先のパフォーマンスや自己実現にどれだけ貢献するのか、、

まずは、7時間で睡眠が事足りる生活習慣に改変することが先なのではないですか?と感じます。

 

9時間睡眠→長生きしない、そこはダイレクトにつながっているのか、それともその間にはいくつもの要素が挟まっているのか、

そこをきちんと特定することが一番重要で、人生変えたい人は、いいらしい情報を仕入れてきてまっさきに実行するよりも先にやるべきことなのです。

ぼくは、久しぶりに話した母親からの「あんた、7時間睡眠がいいらしいよ」という言葉に、心の中で突っ込んでいました。

乙女心を傷つけちゃいけないから、心の中でね。

 

そういえば、睡眠に関してこういうコメントをもらっていました。 

「こんにちはROCと申します いつもタメになるブログありがとうございます、楽しく読ませて頂いています やじろべえさんのお話は努力を中心としたお話が多く、様々な角度から努力の有用性を示していてとても参考になります。ホルモンなどの側面やスポーツ選手の対話からなど、独特な切り口からの内容にはハッとさせられる事も多々あります ですが、私が記憶する限り休養については書かれていらっしゃらないですよね。人の1日の結構な部分を占めている休養について、やじろべえさんはどう考えているのでしょうか?私自身、オールオアナッシングな性格で、少しでも休むと今日もだらけてしまったと思い、努力に身が入らないことがあります。どのような考えを持っていらっしゃるのか、気になります 」

あなたの言う努力する必要性はわかった、では睡眠はどう考えているのか、という質問でした。

 

ぼく自身は休養の重要性を強く自覚しているのですが、それを記事としてアップして発信してみんなに考えてもらうという点では、もっとプライオリティが高いものがたくさんあって、だからなかなか苦戦して重い腰が上がらず今に至っていました。

今日は排出という観点で話してきましたが、休養もその文脈でもやはり重要です。それがないと神経系も内蔵系も脳方面にも悪い影響が出るし、体内ホルモン的にもバランスが崩れるわけですから、努力なんてできません、→ 当然、結果は出ませんね。

だから睡眠が一日の結構な部分を占めているというのも、それなりの意味があるのです。

オールオアナッシングという生き方は、ぼくもかっこいいと思います。

多くの人は中途半端な生き方をしていますが、すべてを得るかすべて失うか、という生きるか死ぬかみたいな精神で毎日を過ごすと、生きる意味が明確で、自分のやるべきことへの集中度がぜんぜん違う、そりゃあ高いところまで行けるだろう、ということが直感でわかります。

ところが、睡眠に関してはぼくはそうは思いません。

だから、睡眠をとらない=命の火を燃やして生きているかっこいい生き方、という論には賛同しません。

もちろん、ぼく自身も忙しくて睡眠が削られるときもあるのですが、睡眠は十分とったほうがパフォーマンスは確実に上がり、だからそれはしっかり確保しなければならないというのがぼくの結論です。

「少しでも休むと今日もだらけてしまったと思い」と感じているようですが、これが、休憩を取って漫画をダラダラ読んでしまった、という休むなのか、毎日の睡眠が長いとなんだか罪悪感を感じてしまうのか、何を指すのかはわかりませんが、

ぼく自身は睡眠の質と量が十分で、良い生活習慣が確立されていれば、日中は一切休憩はいりません。むしろそういうコンディションだとますます仕事に邁進していけると実感しています。

睡眠は夜ぐっすりとって、起きている間は活動的で生産的でいたいのです。

頭を使いすぎたら深呼吸しながら少し外を歩くとすぐに回復しますので、休憩も要らないし、昼寝も要りません。そして外を歩きながらも外の様子から情報を得たり、考えをまとめたりできますし、非常に生産的です。

そういうオンとオフをしっかり切り替えるのが、ぼくにはしっくりくるパターンです。

というか、しっかり回復するのに十分な睡眠時間を確保したら、日中精力的にこなさないと仕事が片付きません。だからぼくはショートスリパーたちと比べてよりストイックなメリハリが必要なのです。

そしてそういうパターンを組んで仕事をする時、睡眠負債などため込んだらあっという間に首が回らなくなります、エネルギー不足で仕事はたまる、終わらないから睡眠は削らないといけない、だからクオリティは下がる、情けない自分を責める、いいことが何ひとつないのです。

だから、だから最初の睡眠というところでつまづいたらドミノのように人生が狂ってしまう、規律正しい生活スタイルを守るのが絶対条件なのです。(もちろん、友人と食事に行ったり、旅行の時に睡眠がとれなかったりするので多少の遊び部分を確保するためにも、普段はもっと厳格にしないといけないことになります)

ぼくは思うのですが、嘘か真か、アインシュタインは10時間寝ていたと言われていますね。

普通の7時間睡眠の科学者と比較して毎日3時間少ないわけです。

その差は一月に換算すると、210時間ですよ。

210時間って。。

睡眠のハンデを負ってスタートしている彼が他人より結果を出すには、仕事の質を上げるしかありません。

十分な睡眠が彼のクリエイティビティを担保したということもできるかもしれませんが、起きている時間にいかに全精神を集中して研究に打ち込むか、ということにかかっていたのではないでしょうか。

本人がそう自覚して生きていたかは分からりませんが、10時間も寝ている自分は他の科学者より圧倒的に少ない時間しかないんだ、だから起きてる間は死ぬ気で研究しなければ、結果なんか残せるわけない、とぼくは思います。

実際に、ダラケテしまったのだから睡眠を削って取り返そうと言うのは、しっかりしている人間のようで、実は仕事ができない人の発想です。

残業が美徳と考える日本人のダメな部分と同じで、デキる男は限られた時間でしっかりこなし確実に結果を出し、サッと帰りますが、デキない男は時間内で終わらないのだから残業するしかありません。

そのデキない社員の残業代を払っているのは、きっちり成果を上げている社員の稼ぎなのだから、いったい何が美徳なのでしょうか。

睡眠を削ると言うのはそういう安易な発想なのです。

そういう意味で「オレ寝てないんだよね」は何の自慢にもならず、「オレ無能なんだよね」とみんなに公言しているようなもので、まったく恥ずかしい行為なので金輪際やめましょう。

ダラケテしまったから、睡眠を削る、というのと、

睡眠は絶対削れないから、昼間は集中して他人の3倍やる、というのでは、

どちらがしんどいと思いますが?

たくさん寝ているから他人より時間が少ないんだ、だから起きてる間は集中しなくてはいけない、となれば無駄な時間というのはその人の人生に一切存在しないことになります。無駄な飲み会に参加したり、ネットサーフィンしたり、ボーっとするのですら痛い浪費になります。

こういう規律正しい生活を毎日続けていくというのは、本当に難しいことでしんどいことでもあります。小さいことですが、ほとんどの人々にはできないことです。

ストイックな男は一瞬一瞬がすべて大事な瞬間で、そこに命を削って生きているのであり、命の火をメラメラと燃やしているわけですから、

だから彼らにとっては、

ダラケテしまったから、睡眠を削ろう

という逃げの選択肢はないのです。

オールオアナッシングという響きはかっこいいのですが、やるかやらないかという意味ではなくて、やればすべてを得られるがやらなければすべて失うという意味でシビアに使うべきで、起きてる時間は全集中なんだと言い聞かせて走りましょう。でなければ、ぼくらには何も残らないのです(文字通りナッシングです)。

いわゆる背水の陣という気持ちで、「毎日」生きて、毎日しっかり寝ることです。

 

睡眠の話をしたら、次は食事についてもお話しておきましょう。

例のごとく、これは良い、あればダメ、と画一的に決めるのはナンセンスなので、何を食べて何を食べないかを判断する指針ぐらいに受け取ってもらえたら大丈夫です。

現在のぼくたちは、便利で満たされる時代に生きているので、何でも手簡単に入ってしまうわけですが、このとき「何を食べるか」というのも気を付けたい部分です。

簡単に手に入るものを何でも食べていると、たいへんなことになります。

ぼくらの身の回りにはあらゆるゴミのようなシャンクフードが溢れていますが、これが便利さの影の部分。

ファーストフードはサッと素早く食事がとれるし、コンビニは24時間営業してるし、カップラーメンはうまいし、まあ体に悪いものはたいていうまいですが、さらに忙しいぼくらの時間も節約してくれます。

ところが、どんなにベネフィットを並べてもこれらがゴミであることには変わりありません。

ぼくは厳格なアンチファーストフード論者ではないつもりですが、そもそもそういう食べ物の化学的な構造をみると、この「ゴミ」という表現が大げさではないことがわかってもらえると思います。

多くの悪い油やジャンクフードは時間がたっても腐らない・カビないと言われていますが、これそもそも人間が食うような代物なのでしょうか?

「カップラーメンなんて消しゴム食ってるようなもの」

なんて言う人もいますが、消しゴムとか下敷きとかのプラスチック製品食うなんてやつがいたら頭おかしいとすぐわかるのですが、しかし化学式的にはほぼほぼ同じものを「あーうめえ」といいながら人々は食っている、ゴミを食っているのです。

カップラーメンは何せ悪魔のうまさなので全然気にせず食べてしまいますね。

ゴミを食っているうちはそういう異物の消化に大量のエネルギーが奪い取られていくので、体がデトックスするためのエネルギーが微塵も残りません。

体内にゴミが溜まりっぱなしの状態です。

ニュースで出てくるようなゴミ屋敷、

うぇ~~~、あのクロちゃんの汚い部屋が、あなたの体内で再現されているんですよ。

さっさと、掃除したいですよね。

今存在してるあなたやわたしは、過去に食ったものでしか構成されないはずですから、こんな生活してちゃ内臓や脳がコーラやマクドナルドでできちゃいます。

こんな状態で何を努力すると言うのか。

変化なんて無理だし、当然モテるなんて遥か夢の話なのです。

この点でぼくは本当に「健全な肉体に健全な精神が宿る」という古代ローマの古い格言を信じています。

さて、元来そもそもがゴミというモノに加えて、自分には合わない食品、つまり(=他人はそれを食っても何の悪影響も無い、が自分はなぜかダメ)という食べ物も気を付けるべきでしょう。

以前からぼくは、あー体調悪いです、というグチをブログでちょくちょくこぼしていましたが、だいたいぼくの体に悪いものは調べがついています。

例えば、小麦、最もダメなのはビール(グルテン不対症)

例えば、牛乳(ラクトースがダメ)

例えば、油(腸が弱い)

例えば、砂糖(たまにOK、でも集中力が削られているのがわかる)

こういうものを摂取すると、ぼくはテキメンに身体の不調が押し寄せてきます。風邪もひきやすくなるし、頭が回転しなくなるし、睡眠も悪くなる。

全然ダメです。

でもやっぱりたまに食べざるを得ないシチュエーションにも遭遇するから、その分デトックスが必須の課題になるわけですよ。

他の人はおいしそうにラーメンとかピザとか食ってビールも飲みまくってるのに、

オレはダメ、なんでだーーーっ、と自分の体を呪ったこともありましたが、今あるリソースを活用して自分の人生を切り開くべきだ、環境のせいにするなんて非モテの精神じゃないかということで、今ではこのハンデを大逆転することもできています。

これがオレらしい生き方なんだ、と。

 

最後に人間関係における排出にも触れてまとめにしたいと思います。

こちらが復習のトピックになると思います。

bit.ly

 

これも耳タコなはずですが、誰と関わるかというのは本当に重要な要素です。

ところが、関わる人間を刷新したいと決意しても、その刷新した先の(ある種意識高い系な)人々としてもゴミには関わりたくないはずなので、「自分はゴミだろうか?それとも関わってもらえる価値のある人間だろうか?」という重要な問いが存在していて、

自分は人間関係を変えたいーでも自分の受け皿となる場所はない、、

と堂々巡りのループにはまり込んで、何から先に手を付ければいいか、わからないときがあるかもしれません。

だから人間関係を選ぶ決定権は実際はこちらの手の中にはないと思った方が良いでしょう。

大前さんは本質をついた正論を言ったわけですがそれすら実行できない人は多いはずです。

では、自分にできることは何か?

人間関係の変化とは、選らばれ得る人材へと変化しつつ、目の前に来たチャンスにしっかり飛び込んで、しっかり選んでもらうしかないのです。

このときまず、今日の記事の最初に述べた、禁欲+勉強生活を謙虚に続け、毒を出しつつ、やって来たチャンスをつかめるだけの体力をつけておかなければならないんだと、ぼくは声を大にして言いたい。

チャンスが来たらそれに飛び乗れるぐらいに、最低限認められる自分になっておけ、特に大きく貢献するわけではないけど害はないやつだな、ぐらいの位置取りはしておけ、と。でなければいつまでたっても新しい人間関係を築くスタートを切れないでしょう。

ここでやはり大前氏の言っていた、「時間配分」「住む場所」「人付き合い」という説が際立ちますね。

このすべてはまさに、「排毒のための」環境設定なのですよ。

「いいものだけを取り入れて、ゴミ情報は見るな。」

ということなのです。

 

変化するというのはとてもつらいことです。

それはデトックスがとてもつらい作業だからです。

そういう自分の中に溜まったヘドロを取り除く一大イベントを最後まできっちりやり切れる人はほとんどいませんが、だから成功の価値が色あせずいつまでも担保されているのですよ。

 

でもそこを我慢していけば(やるべきことをきっちりやりつつ時間が経てば)、細胞が変わっていき、身体機能としてやらなくなったこと(手放したゴミ習慣)はできないように最適化されるのだから、そういう回復機能、治癒能力を利用して「やらない→変化」という強い意志が必要です。そして古い価値観、弱い心の状態、嫉妬心、単純な思考回路などを消去していかなければなりません。

 

人体は、細胞変化に3か月、1年とか、骨格は10年必要とか言われていますね。。

つまりいずれにしても昨日今日、1か月でとか、人は変わらないんだ、ということを言っているのです。

一か月やそこらでモテるようにはならないんだよ、ということです。

だから努力はするんだけどその間は一定の我慢が要求される、ということになりますね。

だから強い気持ちを持ち続けなければなりません。

そして、マインドセットがすべて。 

 

 

今日のお話を一言でまとめるとゴミは避けよということになると思いますが、これこそ人生の成功法則だとぼくは思っているくらいなんですよ。

ゴミを避け、ゴミを出す、そしてこれを繰り返す、それが人生、生きる意味。

何かを取り入れるんじゃない、まずは出すんだ、コレです。

 

ぼくは断言できますが、当然最初はきついんですが頑張ってやっていると、自然と気持ちが前向きになります。

気持ちというのは、暗示で変えるモノではなく、適切な方法論と環境でナチュラルに変わるものなのです。

そしてそれが変わればマインドが前向きにセットされて悩まなくなりますし、積極的にやりたいこと/やるべきことを、自然と行動しているでしょう。

そうすればあとは目の覚めるような美女に出会ったときに、やっと来たか、おせーよ、と自信をもってアプローチできるはずです。

とにもかくにも、そういうマインドの変化の手前には、排出があるのです。

ゴミを取り入れるな、そしてすでに入っているゴミを外へ捨てろ。

今年もがんばりましょう!

 

やじろべえ。

 

編集後記 

つくづく変化してる人を観察して感じ取れるのが、好意を持った女性に対するアプローチの姿勢が全く変わる、非常にポジティブだということです。

その姿勢を見ると、「こりゃいい女をゲットできるよな」という納得です。

さらに、そういうステージアップが達成されると、以前では手強かった美人にも臆することなくアタックできるし、前はちょうど釣り合っていたであろう女に対してなんだか物足りなく感じてしまうでしょう。これは、男女ともに例外言えることで、ようはステージアップの自然な賜物なのです。

こう言うと非常にイヤなやつに聞こえて来そうですが、そうではなくこれは単純な好みの違いの話で、物足りなく感じる女子には恋愛感情として「違う」と感じるだけで、人としては依然として尊敬できる部分をたくさん認知することができます。

ステージを上げて、自分自身がより納得できる高嶺の花に挑むべきではないでしょうか。

 

 

そういえば冒頭で紹介したように、長文のコメントが送られて来たのですが彼から「コメントは読んだ記事に対してした方がいいか?、最新の記事にコメントしたほうがいいか?」と聞かれました。

えー、どちらでも構いません。

でも、最新の記事にコメントもらった方が読む方はわかりやすいかなー、とも思いました。はい、お任せします。

コメント、待ってまーす。

 

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