モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

残酷な世の中を、現実的に生き抜いていく

 

こんにちは、やじろべです。

今年も3分の1過ぎました。いかがお過ごしでしょうか。

世の中では、ロシアのウクライナ侵攻のニュースで連日持ち切りで、大変な状況になっています。

今年はこの戦争で始まりましたが、2022年の前半はこの出来事で恐らく持ち切りでしょう。(ある専門家は、中東の紛争のように何年も長引く可能性があると述べていますが、実際に戦争それ自体は長引いてもだんだんと報道されなくなると人々の記憶から消えていくので、何年も長引くような感覚はないでしょう。そう、長引いたコロナパンデミックのニュースが、ウクライナ侵攻が発生したことでたちどころにニュースバリューはなくなりました。まぁ、わかりませんが。)「日本人は平和ボケしている」と日本の内外から言われてきました。確かにそうなのですが、この平和ボケという現象は日本に限らず世界中どこでもそうだったようです。なぜならもう21世紀に突入して戦争など起こり得ないからだ、とその道の専門家を含め世界中がそう思っていたからです。戦争なんて、アフリカか、中東か、南米の発展途上国の内乱に大国が介入する場合だけでしょ、というのがみんなの認識でした。

さて、「共通のみんなの認識」というのが、今日のテーマで、ウクライナ戦争を絡めてこの残酷な世の中を生き抜くには何が必要かを考えていきたいと思います。

モテるというのがブログの主要テーマですが、時事問題の戦争の話からつなげていきたいと思います。そこから、男の生きる道を考えてみましょう。

 

みんなの共通認識というのは、何でしょうか?

それは今述べた、21世紀に突入して戦争など起こり得ない、というものです。さらに言うと、欧米民主主義国や或いは国連常任理事国のような核保有国が、代理ではなく自ら、国際法をあからさまに踏みにじって、ドンパチやる、という戦争は起こるはずがない、という見立てでした。我々平和ボケした市民はもちろん、軍事や安全保障の専門家ですらロシアがウクライナの国境地帯に軍をおよそ20万ほど集結させたのは相手方の意思を変えるための脅迫であり、戦争をする気はまったくない、と方々のメディアで言っていました。だって、実際に侵攻したってロシアに何のメリットもないじゃないか、と。そして、戦争がおっ始まった途端、専門家の頭の中は大混乱して、今現在アップデートを迫られているわけです。

専門家の予測は、本当に正しい。今の戦状をみると当初の予想を大きく上回る善戦をウクライナが見せており、逆にいうとロシアは相当なダメージを負っています(ダメージと言ってもロシア本国は無傷ですが)。ロシアが侵攻すれば3日でキエフは陥落と言われていたのに、この有様です。プランAをプランBに変え、すでにプランCだというのならロシアの計画はうまくいっていないというのはまさにそのとおりで、雑な計画を権力者の情念で押し切った面が多分にあるということでしょう。専門家が「何のメリットもない」と言った侵攻を始めたプーチンは、それは「道徳的に」というのはもちろん、「政治的に」「軍事合理的にも」間違っていて、その意味で専門家の予測は正しかった、と言えるでしょう。

さて、そんな国際関係や軍事安全保障のプロたちの正確な予測をよそに、プーチンはまったく異なる決断を下しました。これをどう理解すればいいでしょうか?そんな諸々の正しくない戦争をなぜプーチンは開始したのか?

それは、みんなの共通認識と権力者の認識は、天と地ほどの差がある、ということです。

道徳的に正しい、政治軍事合理性がある、というのは紛れもなく我々一般人や専門家など「西側の価値観」です。独裁を長く敷いてきて権力闘争に打ち勝ってきたああいう国のガチの権力者は、そうは考えない。そういう価値観とは全く違う価値観で動き、判断決断を下しているのです。

我々の頭の中と権力者の頭の中はまったく違い、両者はまったく異なる世界で生きているのだ、ということをまず心に刻んでおかなければなりません。

みんな平和を願っているのに、現実にはそうならないのはなぜか?

権力者の持つロジック知ればすぐに謎が解けるはずです。

彼ら権力者が求めているものは何なのか?

それは権力者としての野望です。そしてあんな大国の独裁者としての野望、と言ったらそれはもうほぼ一つに定まるでしょう。

プーチン大統領は、侵攻前に演説をしましたが、その内容からもわかるようにノヴォロシアの復活を強く渇望しています。彼はKGB出身でまさに国のために汚れ仕事もこなしてきた人間であり、そのための人生を費やしてきました。スパイとしての教育を受け、実践を積み重ね、それが骨の髄まで染み付いている、そういう種類の人です。そんな彼らの中に世界平和の達成や人類文明の発展というものは微塵もあるはずがない、あくまで我が国の国益が第一ということになる。いや、どの国家も国益を求めるのが常ですが、これらの国益はまったく毛色が違います。プーチンのそれは、偉大なロシア帝国の復興であり、ソ連時代に得ていた栄光を取り戻すことでした。文明の発展や世界グローバル化などはヨーロッパの伝統的な思想であり、まったく別物なのです。

我々からしたらそんなものどこが栄光なのか、という不快な思いになる。秘密警察が暗躍し疑われた者は問答無用で処刑されたりシベリアでの強制労働につかされる、連邦内の他地域からは強烈なまでの搾取する(これは今のウクライナに関するもので、600万人餓死というホロドモール)。側近でさえ躊躇なく次々に粛清し、すべてを恐怖によって支配するという、暗黒の時代でした。

そういえば、FSB(KGBを前身とする現在の治安維持機関)がロシア内でビルの爆破を企て、それをチェンチェン独立派の犯行とし大義名分を得て堂々とチェンチェンの独立派を討伐した事件がありました。ということは、チェチェンへ侵攻する口実を得るために自国民を殺したということです、政府機関が。そんなの、西側の価値観からしたらありえないので単なる陰謀論として片付けられる話ですが、それを告発した元FSBの職員は滞在先のロンドンで毒殺されました。これはニュースにもなったので記憶にある方もいるでしょう。亡命して西側に逃げても執拗に追いかけられて毒殺される、どこにも安全な場所はありません。しかも、放射性物質をこっそり飲まされて、じわじわと体内から被爆するという非常に苦しいやり方で暗殺する。裏切り者の確実な始末と、見せしめにすることで同じことをしようとする者への強烈な脅迫を兼ねている、手段を選ばないとはこのことでしょう。なんだかわからない栄光のためには簡単にこういうことをしてしまう、これが彼らの歴史的なやり口であり、伝統なのです。彼らの頭の中が理解できますか?どう頑張ってもわかるわけがない。

が、プーチンの中ではまったく違う景色として映っているのがロシアの栄光なのです。ソ連とは合衆国アメリカを恐れさせるほどの強国でした。東側陣営の圧倒的なボスであり、大きな領土の中にたくさんの子分を有している大国だという懐古があり、覇権主義的な観点でいうところの偉大な国家だという認識がありました。彼の野望の中には、それらがしっかり含まれています。その野望を達成するためには、 ”些細な犠牲” はつきものだ、という認識もセットで持っているということになります。人民の命などは些細なもので、ハエや蚊のような虫でしかない。(実際、プーチンは、ウクライナ侵攻における裏切り者を「ハエのように排除する」と述べています)。だから我々が感じる不快さや邪悪さとは、彼ら自身にとってはどうしても達成されなければいけないもの、価値観のど真ん中のコアな部分なのです。

この野望ロジックの中に、平和などが入る隙間はありません。

実際、侵攻後の西側の制裁に日本も加わりましたが、その日本に対してメドベージェフ元大統領は皮肉交じりに「北方領土交渉は単なる儀式(=返還する気はサラサラなかった、が、経済援助などもらえるものはきっちりもらおう)だった」と述べています。

そういう平和とか、なんちゃら交渉、とかいうものは野望を達成する邪魔でしかない、

そう考えれば、彼らのひどい行動は一貫していることがわかります。

我々一般市民はメドベージェフ氏の発言を「それはひどい!裏切られた!!」と感じますが、彼らのような、野望が思考のベースになっていて行動原理になっているような種類の人間にとっては、「本気で交渉で返還されると思ってたの?」という、それこそ理解不能な感覚なはずです。再度強調しておきますが、我々と彼らとでは頭の中が・住む世界が違うんだという証拠を、明確に突き付けられたという形です。

さらに、今の4月に入ってから、ロシア軍が首都キーウから撤退した後に、彼らが市民を後ろ手に縛り虐殺したり家族の目の前でレイプしたりと、残虐の限りを尽くしていることがニュースで明るみになりました。我々は、それこそ21世紀にそんなことが起こるのかという強い衝撃と怒りを感じますが、ロシアからしてみれば当たり前のやり口をこの度も実行したに過ぎない、ということになるでしょう。

ロシアが明確な意図を持って武力を行使するとき、そのプロセスはいつもこうでした。チェチェンやシリアでの紛争でもそうだったとおり、彼らは今回のウクライナでもまったく同じことをしたに過ぎません。我々は今回の報道を受けてショックを募らせるわけですが、彼らがいつも通り行ってきた残虐な手口で恐怖をもって統治するというロシアの悪しき伝統を、我々が「知らなかっただけ」という話になってしまいます。

このような状況は、独裁という前時代的なシステムであればなおのこと剥き出しになって現実化されるもので、そういうものにまみれて権力を強化してきた彼らのことなど、我々には到底理解できないでしょう。そこにあるのはまったく違う世界なのだ、というのは何度強調しても足りることはない。

この世界は、我々が知らないだけで本当に残酷なのです。

このように、少しでもあの東欧世界のことを学べば、今世間で炎上している「降伏」とか「交渉の妥協点」という話題に関しても見えてくるものがあるります。日本は戦後アメリカによって占領統治されましたが、東西冷戦という構造に突入していった事情により、むしろ占領側のアメリカによって豊かにしてもらった経緯があります(敗戦国であったドイツも同じ)。だから、降伏や妥協がそんなに悪いものではないという感覚がある。

一方、先ほども言及した歴史上のホロドモールやソ連内部の権力闘争、チェチェン紛争、ジョージアでの紛争、クリミア併合などを見ているウクライナにとってはそうではありません。それは凄まじい恐怖であり、死んだほうがマシというのは決して極端な表現ではないのです。ここにおいても、「認識の違い」が浮き彫りになるはずです。

 

さて、今回のウクライナ侵攻が始めってから、同時に我々日本で我が事のように語られるのは中国と台湾の関係でしょう。ちょうどロシアとウクライナの関係性が、中国の台湾のそれと非常に似ており、日本はピンポイントでとばっちりを受ける側として対岸の火事ではないということが盛んに言われるようになってきました。平和主義とやらの日本でさえ、堂々とこういうことを議論できるようになってきたのですね。平和主義という建前を守り、その落とし所が決まっている以上、日本の周辺には脅威はないというのがこれまでの設定でした(脅威があるなら、現実的に何某かの軍事的準備が必要となるから)。というわけで、脅威を述べるならそれは「煽っている」「軍備を増強したいがためのでまかせだ」と批判されて来ましたが、ウクライナ侵攻により国際関係の現実が目の前にやってきました。もはや上記のような批判は誰も言わなくなり、自衛隊を違憲として解体したい政党ですら、いざとなったら“自衛隊も含めて”日本を守らなければ、という論調にクルッと変わっていました。政治家も世論もこんなにあっさり掌が返るものなのですね。現実の前に、人間の理想の言説は無力であるということがよーくわかると思います。

独裁体制の大国とそれらに目をつけられている小国、これらは小国ですが地政学的な意味合いは超重要である、という関係性。ロシアと中国は権力的野望や政治体制が似ており、核保有国や国連常任理事国であること、反欧米であることをなど共通点がたくさんあり、中国が今回のロシアの侵攻をモデルにして台湾侵攻の際のシミュレーションをしている、というのが安全保障の専門家からの警告です。

戦争のハイブリッド戦やプロパガンダについて、軍事オペレーションの電撃的遂行、大国の軍事介入の度合い、各国からの制裁のバリエーションなどから、ケーススタディとして頭の中でそろばんを弾いているはずだ、と。

中国がよーく分析し、研究し、参考にしているのだ、と。

これらが専門家の意見です。まぁ、もちろん専門家の中にもその他の意見もあるわけですが、とりあえずここで一般人代表の意見も載せておきたいと思います。興味深い世間話を先日、(通りすがりに)聞きました。。

今回の西側諸国からのロシアへの制裁や非難が過去イチなのを見て、中国も台湾侵攻はビビっただろう(つまり、ほとんど台湾侵攻の可能性はかなり低下したのではないか)という意見です。

さて、皆さんはどう思うでしょうか?

確かに、経済が高調で世界を牽引していた中国は、その旨味を以て他の国々との交渉を強引に有利なものとして来ました。中国が目指すのは、アメリカのような軍事的にはもちろん、経済的にも繁栄していて、堂々たる世界のリーダー(今回のロシアの反社のような強国スタイルではなく)になりたい、という思いが見えます。なにせ、彼らは世界の中央に咲く華なのだから。さらに、貧乏には慣れているというロシア国内の雰囲気とは違い、中国人の成金たちは経済制裁に耐えられないという向きもあります。中国はソフトパワーを上手く用い、表向き他国との仲の良い関係を築いてきたそのネットワークを、侵攻に伴う制裁や非難で失うとしても台湾を獲りに来るか、という疑問があるのも確かでしょう。

わたしも、一般大衆として(笑)、日本が伝統的に外交態度として示してきた「他国との軋轢を避けよう」という日本人的なるメガネを通して見れば、上記の論調は当然理解できます。

しかし、それもまた一般人として生きている世界から出てきた結論だということを忘れてはいけません。

ほとんどの専門家は、「中国が台湾を侵攻するのはすでに確定している事項である、問題は彼らがいつそれを実行するのか、だ」という、これまた我々素人には思いもよらないほどの危機意識で東アジアを見ているのだということがわかります。

これが毎日の生活に追われワイドショー浸けの一般人と、安全保障や国際関係の情報に日々接している専門家の見ている世界の違いですが、もっと酷いのは独裁権力者層の見ている世界はこんなものではない、ということです。

ロシアが侵攻したとき、多くの専門家が予想を外した、ということはすでに述べました。そして、チェチェンやシリアで行った残虐行為を、これほど世間が注目し西側が強く構えているのにウクライナでもやはりやるのか、という目が醒めるような事態が生じたこと。このような現実を目の当たりにし、ニュース報道やネット番組の中で軍事関係者や防衛研究者が口々に言っていたのは、「わからない」という正直なコメントでした。彼らでさえわからないプーチンの頭の中。おまけにニュースでは、プーチンが精神を病んでいる説まで登場、これはすぐに引っ込められましたが、我々は自分の理解の範疇を超えたものに対し、そういう解釈をしてしまうのです。「あいつのやってることはわからない→あいつは頭がおかしくなったのだ(だって、正常な言動ではないから)」というロジックです。この場合の正常とは・・、自分の狭い世界観からひねり出された正常です。自分は正常なのだから、自分とは違うー自分が理解できない相手は、何かが狂っているにちがいない、と。自分と合致しないことは全部異常、「あいつは病気なのでは?」となるのです。

さすがに専門家はプーチン精神病説はきっぱり否定しましたが、自分の"正常"しか受け入れられない狭量な人というのはこのような状況に出くわすと、自分の頭の中をチェンジするのではなく、現実を捻じ曲げて解釈しようとすることがよく分かります。そしてこれが間違いの始まりであり、予測を外す原因なのです。

権力者には、我々には理解不能な価値観が頭のど真ん中に据わっている。プーチンにとっては、ウクライナの街が焦土になろうが原発から放射能が撒き散らされようが病院や学校にミサイルを打ち込もうが知ったことではない、住民をまるごと強制移住させたり、フェイクニュースに嘘を塗り固めても平気なのです。ロシア軍の若い兵士たちも彼の野望達成の捨て駒ですから、演習だと言って攻め込ませ、一旦キーウから撤退したら今度は東部の死地に再度送り込まれる、戦争相手のウクライナだけでなく、自国の兵士のことも知ったこっちゃない独裁者。その独裁者はたっぷり隠し資産がありますから、経済制裁で国民生活がひっ迫してもどうでもいい。

このような人の頭の中がどうなっているのかはもはや理解するのも気分が悪いですが、はっきりしておかなければならないのは、根本的に我々にはそれを理解できないのです。ということはつまり、「これで権力者もビビって、うんぬん」などという通りすがりのあの意見は、全くの的が外れていると見るほうがどうやら正しそうですね。そんなものワイドショーをかじったぐらいの素人のドヤ顔でしかない。あなたの頭の中と独裁者の頭の中はまったく違うんだよ、という結論にやっぱり戻ってきてしまいました。

戦争へ至る可能性というのは、それぞれの頭の中で、

一般国民(日本のような) <専門家 <<< 独裁者

という具合に、独裁者にとってはとてもハードルが低い。我々一般人が「いやいや、ないでしょ」と感じてようが、全く当てになりません。

ということは、我々のお隣さんトップの頭の中も、きっとそういうことなーと思います。しかし一般市民はそうは思えないわけで、そういう意味で"とても興味深い話"でした。

 

権力者のロジックがわかれば、なぜこれほど平和を達成するのが難しいかがわかる、と述べましたが、このように見てくると、もはや至難の業だということが痛感されないでしょうか?

そのとおりです。

そういう現実があるのに、お花畑な頭だとさらに酷い悲惨な結末を招いてしまいます。平和を望むのと現実的であることは両立させるべきで、ただただ理想に突き進むのはますます平和から遠ざかっていくということが分かるでしょう。

そうすると、世間での核廃絶などの議論、今非常に残念がられている国連の役割、などなどそんなものはそもそもが無理ゲーであるところからスタートしなければならないということも、クリアに見えてくるのではないでしょうか。

「地獄への道は善意で舗装されている」というのは、本当にそうなのです。善意や理想と、現実は大きく違うわけだし、そのような無知の善意は多くの無垢な人々を道連れ破滅へ至ってしまうわけです。

この、「現実に立脚して戦略を立てるべし」というのが今回のウクライナ侵攻で際立ったわけですが、この原則はそれだけに限らず、ビジネスや自己啓発、そして生きる上でとても重要だということが我々が学ぶ教訓です。

 

 

この一連の出来事から、リーダーのあるべき姿や男たるものどうあるべきかが分かってくるような気がしませんか。

僕らはこの残酷な世の中をしっかりと生き抜いていかなければなりませんが、それが可能なのは現実的に生きる場合のみ、となります。そして、愛する人を守るのも、そういう生き方をしている人間にしかできない高度な能力です。世の中の構造を理解し、歴史から本質を見出し、好き嫌いをわきに置いて他者の事を理解する。ウクライナ侵攻の予測が当たる論調というのは、こういうものを総動員して全体像を見る、そしてプーチンの世界観さえも(不快をグッと堪えて)分析できるものだったことが、今わかります。

これが出来る人は、今回のウクライナ侵攻のような事態が発生したときも、自分が歩むべき道を決めて、周囲の人たちにそれを指し示すことが出来るでしょう。逆にこれができず、大きく間違う人、周囲の人を巻き込んで道を外す人は、次のようなタイプだと言えるでしょう。

・ 理想が強すぎて現実が歪んで見える

・ 嫌いなものには近づきたくない、理解できない・しようとしない

・ 自分が理解不能なことが世の中にはまだまだある、という謙虚さが欠如している

・ 理想の達成はトレードオフである、ということがわからない

・ そのために要求される勇気や覚悟がない

 

ざっとこんな感じでしょうか。平和を願うのはいいことですし、誰しもが平和に生きていきたいと思うものですが、「平和ボケ」してはいけない。それはどこにも存在しない世界なのです。想いや願いだけでは、この残酷な世界を生きてはいけない。現実を見る目と勇気と賢さが必要なのです。

これは、僕が日頃延々と言っていることで、だからやっぱり勉強かぁ、運動もしないとな、という主張になるんですが、多くの日本人が今日考えたような残酷な現実にハタと気付かされ、でもそのうち毎日見ているニュースにもだんだんと慣れ、教訓が活かされないまま元の木阿弥になるんだろうな、僕が言っていることもそんな程度の扱いなんだろうな、一体何人の生き方に影響を及ぼせるんだろうか、と考えたりもするんですが、まぁ今年も頑張っていきましょう。

「だからやっぱり勉強」ということで、INPUTの重要性についてレポートを書きたいと思います。そのうち公開できれば。

 

ウクライナの人々の苦しみや痛みを考えたら、我々は随分恵まれているということがわかるのではないでしょうか。なので、死ぬ気で頑張れば人生を変えるのなんて容易いことでしょう。この日本で頑張ることくらい某編集者が言ってた「死ぬこと以外かすり傷」というのは、本当にそのとおりかも。

読者のみんなの今年一年の飛躍と、ウクライナに一刻も早く平和が戻ることを、心から祈っております。

 

やじろべえ。

 

 

~質問コーナー~

Q1.会話術の本を参考にするのは、アリですか?

A1. 会話術の本というのは、まあ書籍一般に言えることですが、どのようなプロセスで作られるのかというのを理解しているのは役に立ちます。簡単に言ってしまえば「売れる本」を作るのが作り手の使命であり仕事で、「売れないが価値のある本」というのを優先順位の1番として作ることはビジネス的にできません。価値があるのに売れないのか?と不思議に思うかもしれませんが、世の中の価値あるほとんどのものは売れません。人は本質的に価値のあるものにお金を払いたくないからです。そういものは、実際には手に入れるのに多くの苦労を要する、本来お金だけをポンっと払って手に入るものではない。なんで、苦労して大変な思いをしなきゃいけないものに、大切なお金を支払わなきゃいけないんだよ、というのが人々の深層心理です。書籍に「楽して成功すると思うな」「人の3倍努力しろ」「もっと頭を使え」「だからお前はダメなんだ」というようなことが書いてあったら(それは真理だと思うんだけどなあ)、誰も買わない。

書店にズラッと並んでいるランキングを占めているような流行の本を見てみてください。著者が人生の中で達成したものには、その背後にある努力の結晶があるのに、それを何百倍にも薄めたような内容を他のライターがパパッと書いたものになっています。著者自身はちょろっとインタビュー受けただけで、どんなものが出来上がるのか知らない場合すらある。彼ら成功者は忙しいからです。本業が作家ではないのですから、彼らが自ら筆をとる理由がそもそもない。 ホリエモンが「成功できないやつってホントに努力しないんだよな」とYouTubeで話していましたが、彼自身は凄まじい量の仕事をこなし、日々情報収集し、勉強していますが、彼の著書を見ると非常の楽してオシャレに成功しているように”感じてしまう”。そういうものなのです。

世の中の一流の成功者に弟子入りして、24時間365日密着したとしたら相当に鍛えられるでしょう。いわば師匠にこっぴどく怒られしごかれるあの下積みのような状況ですね。でも、書籍がそのような内容で埋め尽くされていたら、その本は売れますか? 売り上げをたてないといけない編集者としてはそんなことはできず、キャッチーなタイトルと表紙を用意し、数十分で読み切れる薄い内容で、読者の記憶に残るシンプルな構成にするのが定石なのです。実際に売れっ子編集者の箕輪氏もそう言っています。だからこそ、このブログのようにタイトルに「マインドセット」をうんぬんして、開いてみるとお節介で上から目線の説教がダラダラと書き連ねてあるものは、人気がないのですね笑。

大衆向けの書籍というのはこのように薄い内容ですから、必然的に、再現性がありません。

では、教材ではどうか?

悲しいかな、状況はだいたい同じなのです。

良き教材というのは、ビジネスとしてお金を稼ぐ必要もあまりない、しかも会話術に困る人を本気で助けたいと思っている、かつコンテンツを作るのに手を抜かない職人気質、この三拍子そろっている人にこそ作れるものなのですが、そんな人は世の中にあまりいない。そしてそんな人は、アンダーグラウンドで活動していることも多いのでなかなか出会えません。

だからまあ、会話術系のなにがしかはやはり入門編として活用してください。

このような事情から、会話術の本を参考にするのには、それ相応の役割があることを理解したうえで手にするべきでしょう。

わたしもそうでしたが、新しいことをやるには入門編のようなものから始めた方がいいというのは確かにそうです。まっさらなゼロのレベルにおいて、高度な、分厚い、学術書や哲学書のようなものを読み始めるのはお勧めできない。アリストテレスやプラトンを読むと一瞬で本が嫌いになるでしょう。。

会話術の本は、初心者向けであり、少しづつ自己が向上してくればいつか卒業するべき本なのだということを心に留めうまく活用していきましょう。

そしてさらに大事なのは、どのような本を読むかというより、本を読むときのマインドセットでありそのINPUTの質です。このことも今原稿を準備してますんで、詳しくお話しできるときが来るでしょう。

 

Q2. 失敗やミスをどう乗り越えてますか?

A2. 失敗は最初は辛いものですが、そのうち失敗しなくなります。いや、向上してくると自分に求めるレベルも高まるので何事もうまくいっているとは感じないのですが、他の人の目から見ると大けがにつながる失敗やミスはほとんどなくなる、あの人は仕事ができる、要領がいいな、何でもできるセンスがいい人と見られるだろう、というのが正しい言い方かもしれません。そんな人いませんか。

で、どう乗り越えてたかなあと思い返すと、本を読んだり、自分を客観的に見るよう頑張ってみたり、どうやったらもっとうまくできるか振り返ったり、基本的なことをやりました。それで、今確信を持ってい言えるのは、僕の場合は「健全な肉体に健全な魂が宿る」だった、ということですね。ブログでも何回か言及しましたが、食が乱れ、睡眠不足で、運動不足だと、頑張ることはできません。

やり直すとしたら、規則正しい生活をしてエネルギーを保ちつつ、自分を向上させることを第一に考えるということですね。こういう生活を送れば失敗やミスにぶつかっても、何でもないことかもしれません。失敗やミスを乗り越える術を持たないなら、人生の後半で苦しい思いをするので、早い方がいいかもしれませんね。

 

Q3. フォロワー数を増やしたいって思ったことありますか?

A3. このような一種の啓蒙活動をやっていると、良い反応が返ってくればうれしいし、それにより救われる人がいるならそれは多い方がいいので、フォロワー数は多い方がいい、ということになるけど、

コンテンツを創作する時間や労力、自分自身の勉強やフィールドワークに時間を取られてフォロワー数を多くするために割く時間がないんだよね。フォロー数を多くするためにやることというのをやっている時間がぼくには苦痛なので、まあ増やしたいとは思わないかな。創作・研究の喜びとフォロワー増作業の苦痛、この振れ幅が大きすぎる、と感じています。

 

Q4. ネットではグイグイ話せるのに、リアルだとコミュ障になってしまうのがつらいです。どうしよう?

A4. 禁欲生活を、やってくれ。そして、徐々にリアルに慣れていくのが必要だね。

 

Q5. コミュ力の秘訣は?

A5. 今回の記事で書いたことだよ。

自分自身が現状をきちんと把握していることと、他者を理解しようと努力していること。

 

 

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