モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

無敵の人とは ー 「本番に強い男」 である。

こんばんは、

コロナがだんだん落ち着いてきた今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。

もう冬や、寒いなあ、ってことはもう1年が過ぎようとしているということか、とキーボードを取りながらしみじみ(&ちょっと絶望)しております。

さて、この年末年始という時期はやはりみんなにとって特別な区切りであることは間違いないのでしょう。Peingのようにも、「次の記事と教材はいつですか?このままじゃ年を越せません」という催促が来ておりました。もはやぼくのPeingは質問じゃなく催促アプリとして機能しております。でも、同時にとてもうれしい。こうやってキーボードを叩いているところであります。

なんとか今年中には出して、来年からのスタートを知るのに役立ててもらいたいと思います。

 

まずは世間話がてら最近起こった出来事の雑感を。

10代の頃に知り合いだったとある兄弟がいまして、先日久々に彼らとzoomで合う機会があったんですが、興味深い変化を遂げていました。それは、

兄・・顔が急激におっさんになっていた。

弟・・全く変わらずの幼顔。

兄と弟でこれほど異なる時間の経過をたどっていたとは、遺伝子だけでは説明がつかない変化です。ちなみに弟の顔面が幼いというのは、童顔で若々しいという褒め言葉はまったく含まれておらず、相変わらず内面が子供なんだな、という印象を私はもちました。。

さて、こうなると「歳を取ったらどう生きるのが最適戦略なのか?」という疑問が我々おじさんには降りかかります。まさに、お笑いの今田耕司さんや岡村隆さんなどが(岡村さんはめでたく結婚されましたが)アローン会で「これからおれらどうすんねん」と言っていたあの気持ちで、我々も今後ますます老けていくんだけどどうする・・?、という課題としっかり向き合っていかないといけないと思います。

この点で、今が旬の「BIGBOSS新庄」はいろいろと参考になりそうですね。(彼は50歳)

そしてこの問題意識に対して僕の答えはいたってシンプルで、それこそ心技体であり、マインドセットとそれを支える身体のメンテナンス(食も含む)により達成できる、と信じています。

つまり、ブログで主張しているこれらの「両輪」は、若い時に飛躍するのにも重要だが、おっさんになってからのアンチエイジングにも絶大な効果を発揮するということですね。

その文脈で言うと最も重要なのは「おじさんになってから頑張り始めても、もう遅い」ということです。回り始めた老化の歯車はゴーイング・コンサーンであり、止まることはない、ということなのです。若者たちに言いたい、「今、実践しとけよ」と。

 

では、本論に入っていきましょう。今日は、「本番に強い男」という題で男が持つべき資質を論じてみました。

どうぞ!

 

常々、マインドセットを磨くことで男を磨くようにこのブログで説いています。それは、そのような精神的な土台が考えや行動を司り、人生全体をいい方向へ導いていくという論理をぼくが信用しているからです。そして、培うべきマインドセットや習慣や勉強法も折に触れて提言しています。

さて、これら日頃やっているマインドセットや習慣や勉強はアスリートでいえば「練習」であり、「筋トレや戦略分析」であり、つまりは来るべき何かの大舞台へ向けての「準備」という位置づけです。目的と手段の関係は明確なのです。

だから練習は限りなく本番に近いかたちで質高くこなしていき、本番で十二分に発揮できるようにしたい。目的は本番です。

ところが、よく陥りがちな罠として、手段が自己目的化してしまう、ということがあります。ボディビルコンテストで優勝することが目的なのに、日々の筋トレをこなすことが目的となってしまい、その筋トレが楽しくて「こんな思いバーベル上げてるオレかっけー」という思考に覆われてしまっている場合です。

ボディビル全日本チャンピオンの相澤隼人さんが言っていました。オリンピックの合宿の時に柔道の選手が言っていた言葉が忘れられないと。それは、

「練習することが目的になってはいけない」

これは一流のオリンピアンの金言です。

常に本番の青写真を明確にイメージした濃い練習をしなければいけないのです。

「トレーニングが好き」というのは大事なことですが、そこに嵌ってはいけない、と。

 

似たような事例をもう一つ出しましょう。

このブログでも中田英寿と本田圭佑の対談を記事にしたことがある、あの事例です。中田が述べた「日本代表が勝てないのはなぜか」問題です。練習ではメチャクチャ上手いのに試合でその実力が発揮されない理由について、あの記事では練習に対する姿勢、試合への意気込みというマインド面を論じましたが、もう一つの側面として中田は「練習で使える技術と試合で使える技術は違う」というとても重要なことを言っていました。

この言わんとしているところは、練習と本番は実はまったく違うロジックで動いているということです。練習においていくら持てるすべてを注ぎ込んでテクニックやチーム性を向上させても、そのモードのままで(たとえそれが最高潮に強くなったとしても)本試合に突入したとたんそれはまったく発揮されないのです。まるで違う人間であるかのように機能しない、そんなポンコツな状況が立ち現れるでしょう。それほどまでの場の相違がそこには存在している、ということなのです。

そこに違いが存在しているのであれば、本番のロジックを体得していないと本番において力は発揮されません、だって持ってないものは発揮しようがないのだから。これは重要な試合であればあるほどそうであり、コケる可能性も大きくなり、コケ方も酷くなる、中田英が見ていた日本代表の状態はそういう感じだったのでしょう。

もちろんみな頑張るは頑張るんですが、何も考えずにただがむしゃら頑張ると、練習と本番が分離されている状態としてそこに吸い込まれてしまい、相澤選手の言っていたように「練習が目的になってしまう」のです。「これだけ練習したのだから、行けるっしょ」という気持ちは頑張れば頑張るほど自然に沸き起こりますが、違うロジックのものとして全くフィットしない。

本番のために練習する

延長線上にはいつも本番が待ち構えている

そういうメンタルで日常を過ごすべきですが、当時の日本代表にとっては練習と本番が分離されている状態だった、そうするとどういうことが起こるのか?

「この試合は良かったけど、次の試合はだめだ」

「昨日の試合は散々で先行きが危ぶまれたが、なぜか今日は打って変わっていい試合ができた」

というように、安定した結果が出せません。持っている引き出しは多いはずだが(だってそれだけの練習量をこなしているのだから)、本番でどうやってその引き出しを引っ張り出せばいいかわからない(だって違うロジックの場において結果は散々という現実)。安定しないバラバラは結果は、何気ない偶然やその時の気分によって左右されていく(幸運にも引き出しが出せたが、なぜそうできたかが皆目見当がつかない)、そんな状態が常態化してしまうのです。今年のベストマッチに選ばれるほどの試合をしたのに、次の試合では格下相手にいいとこなしの試合、という理解不能の不安定さです。

このような理屈が通らない不思議な現象の意味に、中田は気付いていました。当時の映像はニュースでもよく流れていましたから、それを見ていた我々からしても、とても仲の良いチームに見えました。練習も和気あいあいとしており、順調に調整しているのだろうと、感じさせるものがそこにはありました。ただ一人だけを除いては、です。

そう、中田英寿なのです。彼だけは一人だけまったく違う空間にいるかのようでした、一人だけ輪から離れ黙々と練習していたり、チームメイトと意見が異なると強めにそれを主張する姿がメディアでもよく流されていたのを覚えています。これは常々中田がハッキリした物言いでメディアに登場していたり、代表のマイナス面ばかりを論調していたのもあり、センセーショナルなものにバリューを見るメディアの特性がそれに相まってそういう姿ばかりを我々が見ていたのもあるかも知れませんが、とにかく一人だけチームに明らかに馴染んでいない。内情を知らない人からすると、完全に中田の態度が悪く映るでしょう。実際、トミーズ雅もとあるニュース番組で中田がラストの試合で流した涙に否定的でした。「俺は騙されへんぞ」みたいなことを言っていましたが、これは中田が悪い奴だと言う前提で出てくるコメントです。チームに馴染んでいない中田は傲慢で独りよがりで協調性のない人間なのだという見解ですが、しかし当時の日本代表の成績やその後の数年間の日本代表の変遷、現在の中田の活動や当時を振り返る言葉のひとつひとつを忠実に拾ってみると、果たしてどうなのか。中田ひとりがその本質を見抜いてずっと警鐘を鳴らしていたが周囲には理解されなかった、というのが本当のところでしょう。

対談で中田が話したように、彼の言わんとしていたものは当時のアジア地区予選を戦っていた日本代表のとてもとても深刻な問題点として露呈していました。 日本代表の歴史の中でもゴールデンエイジと呼ばれた優秀な選手が豊富に揃っているあの代表においてさえ、そうだったのです。監督はあのジーコ、でした。これで勝てなかったらいつ勝てるのか、というほどのビッグネームがそろった日本代表です。だからこそ、見ているサッカーファンにとって、実力が不安定というのは「理解不能」なのです。しかし、だからこそ「練習と本番は別物」が際立つのではないか。

ここに中田の語った「練習の技術と本番の技術はまったく異なるロジック」という意味が我々の心に刻まれます。彼が見ていた世界は、練習と本番が分離された世界であり、外側から日本を見ることができたからこそ気づいたポイントでした。海外クラブでの練習と、日本代表の練習の違い。雰囲気の違い。選手たちの意気込みの違い。練習で蓄積した洗練された技術が本番でまったく発揮できないということなら、これ以上練習で何かを積み上げてもまったく意味を持ちません、本番ではまったくWORKしない。この壁に突き当たったときにやるべきは練習量を増やすことではなく、本番で何がどう活きるのかを組み直してやっていかなければいけないということになります。

「どう活きるかを組み直す」というのは、心技体の「心」が占める重要性を考慮に入れて、メンタルを強くしてそこと「技」「体」が連動して動作できるようにするということです。そしてそれは思考の部分、想像力や俯瞰など、考えるところからスタートされるべきもので、それは身体や技術をどうこうするよりももっともっと手前にあるものです。練習のあるべき姿というのはこういうところに端を発していて、本番のロジックにおいてはこういうメンタルの部分がかなりを占めています。

中田が「ぼくは気持ちがどうこう言う人間じゃないけど、代表に足りなかったのはココ」というところともつながりますが、我々はここを鍛えなければいけませんね。

ワールドカップで日本代表のボロボロに負ける試合を見続けてファンはガッカリしました。当たり前ですが、見る人々の評価というのは「結果がすべて」、本番と練習を足して2で割った平均値を評価としようなどというものではありません。だから「練習でどれだけうまいか、人が見てないところでどれだけ練習をがんばったか」はまったく考慮されません。練習というのは本番のために行うもので、練習と本番が分離しているならばそれは間違っているのです。「試合はボロボロだったけど、練習ではあんなに上手いテクニックとチームコンビネーションを披露してくれるのだから(中田がいうところの当時の日本代表の状況)、わたしは満足」などと言う可笑しなファンは存在していない。我々だってそう慰められても惨めでしょうがないはずです。「練習ではあんなに頑張ったのに」などといういう言い訳はしてはいけない。「結果がすべて」「練習は本番のために」という当たり前な感覚を身につけなければなりません。こんなに頑張っている俺はなぜ報われないんだという悲劇のヒーローは必要ないということですね。

ボディビルダーはステージでの自己表現がすべてであり、その背後にあるしんどいハードトレーニングやツライ食事制限を評価してくれ、というのは間違っている。当日のコンディションのみが評価対象なのであり、その一瞬のために何ヶ月も行ってきた「準備」などは、誰も気に留めません。その準備とやらは今このステージに反映されているものと見られている。恋愛においてもそうです。男が女と対峙するときにどれだけ持てるものを十二分に発揮するかが最も我々が重視するところであり、本番に強い男が本当に無敵な男だということなのです。

 

さて、練習と本番を分けるロジックとは何なのでしょうか?

さっきも触れましたが、ぼくはメンタルだと思っています。あるいは「場の論理」であり、その違いがメンタルの違いを生み結果の違いになると言えるでしょう。歴史的な試合の決勝と練習試合ではその場が雲泥の差で違うのです。

だからこそ、元ラグビー日本代表の五郎丸選手もメンタルコーチをつけ、ペナルティキックを蹴る前に「五郎丸ルーティーン」を必ずやっていた。あんなヘンテコなポーズをやるなんて、、それでもメンタルをコントロールし安定した結果を出したいと彼はそれを受け入れました。本番の大舞台というのはそれほどまでにプレッシャーを与える魔物の住処なのですね。結局、一流アスリートがやれることをすべてやって最後にたどり着いたのがメンタルというミッシングピースでした。体格も技術も大きく劣る日本が持てる戦略とは、なるべく多くの時間ボールを保持し、もらったペナルティで確実にキックを得点につなげるというものでしたから、五郎丸のキックの精度が悪ければ成立しない戦略であり、それだけ彼の肩にのしかかるプレッシャーも大きかった。しかしメンタルコーチをつけて強化した彼のキックの成功率は、2015年のラグビーワールドカップ イングランド大会での南ア戦で見せた奇跡の原動力となりました。

このような事例は枚挙にいとまがなく、もはや一流アスリートの影には敏腕なメンタルトレーナーがいるのは当たり前で、アスリート育成学校はメンタルトレーニングを非常に重視しています。他ならぬ五郎丸のトレーナーである荒木香織さんも陸上競技の出身であり、本番で力を発揮できない(もちろん、記録の上ではトップクラス)ことからその道に進んだ人です。彼女はアメリカでスポーツ心理学を学びました。要は身体的実力を発揮させるにはその指令を出す心理的側面が強化されていないといけないということなのですね。

さて、メンタル状態を司るのは脳ですが、その脳構造は人種によって遺伝的に異なることが知られていて、その違いは「挑戦を好むかどうか」に影響すると言われています。例えば、目の前に飛び越えられる崖があるとして、「挑戦したい」と感じるのか「(失敗するのが怖くて)不安だ」と感じるかどうかは、遺伝的な脳内の機能でありその差異は人種によるという統計があります。世界には信じられないような命知らずな冒険野郎がいて、何かがぶっ壊れているように見えますが、彼らはここが僕たちとはまったく違うということなんですね。このような特徴は、今考えているような「本番で」あればあるほど力を発揮できるかどうかに関わってきます。

人によっては注目されればされるほど力を発揮できる人、というのがいます。人が見ていない練習では身が入らず、本番になると人が変わったように躍動している、スーパースター的な気質の持ち主です。そういえばBIG BOSSの新庄監督もそのタイプでしたね。あるいは、サッカーワールドカップなどを見ていると、南米の選手なんかはトリッキーなプレイを楽しんでいますが、しかもゴール前の「ここは絶対外せない」というようなところでそういうことをします。脳科学者の中野先生によると、ドーパミンレセプターの感度により「チャレンジしないとむしろ苦痛」という感情が南米人は特に強い、と言います。だからそういうチャンスが来るとワクワクしてしょうがないのでしょう。或いは、PKを外しても平然と「また俺が蹴る」と言い出したり、それを外してハーフタイムに監督から怒鳴られても後半に2点取ってしまうストライカーが世界にはいます。これは日本人の我々からしたら考えられないメンタルタフネスですが、これは脳機能を源としていて、メンタルと鍛えるとはこいういうところにアプローチする必要があるわけです。上述した人々に共通するのは、緊張を楽しんでいる状態、緊張すればするほど逆境であればあるほど燃えてくる心理、であり、「脳が違う」ということになる。確かに中田や本田もこのタイプですね、その最後のピースを持っていたからこそ、世界で認められるサッカープレーヤーとなるに至りました。

悲しいかな、我々日本人は生まれ持った脳の出来から言って、海外のぶっ飛び野郎になることはできませんから、いかにその潜在能力を遺憾なく発揮するかというトレーニングが必要になってきます。メンタルを訓練して中田や本田のようにプレッシャー下でもっと力を発揮できるような感覚の糸を引き寄せるようになりたいと思います。ここで決定的なカギとなるのは「不安の除去」です。緊張状態でなぜ不安になるかというと、失敗した時の状況が脳内で鮮明に描かれてしまっているからです。そう思いたくないのにますますドツボにハマってしまうあの感覚です。ネガティブな歯車が回りだして本人でも止められず、身体がぶるぶる震えだし、手足がカチコチに動かなくなる。そうなると、成功した時の喜びや達成感、成功までの動作などのポジティブなイメージはそこに存在できなくなります。さらに目の前のプレーや場の全体的な流れなど、「今」もぼんやりしてしまいます。目隠しされ手足を縛られてプレーするようなものなのです。これではダメ。不安や雑念というものはそれほどまでに強力な負の作用をするのです。

五郎丸選手は「ルーティンのときは、何の音も聞こえていない」と言います。大舞台であるほどサポーターはワイワイ応援し、記者や放送局のカメラがフラッシュをパシャパシャ光らせ、チームメイトや監督や全日本国民の視線が熱く注がれる中、勝負の場面ではそれらを遮断することができている、というのです。これはどういうことを意味しているかというと、不安や雑念の引き金がしっかり断ち切られ、その代わりにルーティンの確認、ボール、ゴールポストが鮮明に見え、自分の身体の感覚が鋭敏になっている状態であり、一流アスリートがここ一番で持って行きたいゾーンというあの高度な集中状態になっているのです。彼らが自分の集中状態を測るのに、「音が聞こえていない」というのは重要な指標になります。そして、こういう理想状態というのは、不安を取り除けば自然と達成できるものだとわたしは感じています。だって、誰も見ていないときに一人グラウンドで練習に打ち込んでノッてきたときは、自然と無我夢中になっているはずですから。

さて、本番に強くなるには第一にやるべきこと。それは「不安を除去するのは、心を直接コントロールするのではなく、身体を動かすこと」ということです。緊張する場面でその緊張に呑み込まれてはダメ、だから心を落ち着かせようとするわけですがそれではぜんぜんコントロールできないのが心というものです。例えば、我々には心臓の鼓動や消化、瞳孔、呼吸、体温調節など自分ではコントロールできない身体の活動がたくさんあるわけですが、これは自律神経がわたしたちの意志とは別に指令を司っているからです。緊張して呼吸が浅く早くなったり、心臓の鼓動が早くなったり、嫌な汗をかいたりするのは彼らが外からの刺激というインプットによって引き起こされた緊張状態からアウトプットとして自動的に緊張反応を発しているわけで、そこにぼくらの意志は介在する必要はありませんし、介入することはできません。これはこれで精巧な小宇宙としての身体構造ですが今考えてような本番での的確なプレーという面ではとても厄介です。が、唯一この自律神経にアクセスできる動作がある、それが呼吸です。「深呼吸していったん落ち着け」などというのは先人たちの経験則ですが、生物としてもちゃんとした理由があったということになります。呼吸は奥が深いのでそれ一つでかなりの量になりますのでまた別の機会にするとして、ここで言いたいのは不安を撃退するには「体を使え」ということなのです。

さっきから登場している五郎丸選手ですが、あの優秀なプレースキッカーでも2015年のワールドカップ後に「あのルーティンがあってよかった。なかったらと思うとゾッとする。」と回顧していました。それだけ不安の払しょくにおいて決定的に助けられていたのです。彼のメンタルトレーナの荒木さんはこのルーティンの効果を4つ挙げています。

1. その後のプレーにスムーズにつなげる

2. 外的内的障害の排除

3. プレーの修正

4. ストレスの軽減

これらを並べて見るとすぐわかるのが、結局心の安定には不安をいかに除き去れるかが鍵で、そのためのルーティンでありそれが全てであるということです。不安を除去して緊張を緩和できれば、プレーに精彩が宿り、試合も楽しくイキイキと自分の思い通りのプレーができるのですからストレスはそんなにかからないということにもなる、ルーティンとしての動きを確立するのはこんなにも重要だったのですね。

このように自律神経の観点から話しましたが、脳科学も(もちろんわかってないものが多いとはいえ)この点を解明しており、神経伝達物質や磁気共鳴機能画像法(fMRI)による脳の画像化により、人間の興奮や緊張や不安などの脳活動が明らかにしています。同じ実験に参加しても、緊張で成績が振るわない人と好成績の人では、脳の伝達回路や活性化する部位に明らかな相違があるようです。このような知見を総動員してスポーツ科学は発展し、アスリートのメンタルタフネスの開発に役立てられて、スポーツ心理学の理論やセンスのあるスポーツ選手の感覚を裏付けるものとして機能してきました。

なぜ、こういう決まりきったルーティンのような動作を取り入れることで、不安が除去され心の安寧のままにゾーンに入れるのか、これはわたしの経験によるイメージですが、良いプレーをしたときのあの感覚や心理的流れを、一連の動作というのは思い出させる効果があるのではないか、ということですね。練習でうまくいかなかったとき、「この角度は苦手だな」とイメージするだけでそれが独り歩きして、本番でも足を引っ張るような自己実現的予言のようになってしまう時があります。しかも実際はそうではないかもしれないのに、ネガティブイメージが先行して身体が動かなくなる、ぜんぜん思い通りにプレーできないということがあります。ルーティン動作というのはこれを逆手に取り、いいプレーとして身体に沁み込んでいるものを体感として思い出せるのではないか、そのようにポジティブイメージを想起させることでそこに不安の居場所をなくし、スッとプレーに入る、これも自己実現的予言のように機能するんじゃないかなあと、そう思っているのです。こういうこともいずれ科学で解明されていくでしょうが、これに似たような事は日常にも溢れているのではないでしょうか。あれこれ考えてもはかどらないのにエイヤッと始めれば、宿題でも仕事でも波にのってくるような、アレです。或いは誰かが言っていましたが、面倒な宿題やデスクワーク前になぜがソワソワ掃除をしだすようなアレです。つまり、まず「行動」するとその後の何かに流れ良く入っていけるような感じを誰しも経験的に知ってはいるのですね。ぼくも、ルーティンが確立していると、スッと原稿をかけてキーボードもカタカタはかどります。

昔信じられていたのと違って、脳は高齢になっても成長することが昨今の研究ではわかってきています。そして乱暴な言い方ですが「バカを治すなら運動しろ」というのは脳科学の常識で、これもつまりは、「脳は変化することができる」という重要なことであり、その方法こそは「身体動作」なのです我々がコントロールできないメンタルの不思議な作用が脳に端を発しているとして、その脳の構造を変化させることができるということは、メンタルは改善できる、強化することができるという科学的な裏付けがあることになりますね。そして、習慣化した動作を確実に脳に叩き込むことで、我々はいざ本番に集中状態に入るときに再びそれを脳内に呼び起こすことができる、それは行動が先で心が後なのです。→結果としてメンタルのONとOFFが切り替えられる、不安が遮断され、集中スイッチが入り、練習で積み重ねたものを発揮する準備が整います。不安に呑み込まれてどうしようもない、実力が発揮できない人は自分なりのルーティンを確立するべきです。あなただけのONとOFFの切り替えスイッチを見つけてください。

社会人として仕事をしていればいろんな緊張する場面に出くわすでしょう。いい男として活動的に毎日を生きていれば修羅場にもぶつかる。ぜひこの動作によるフローのスイッチ、集中状態への入り口を作り上げましょう。

 

 

 

 

次に、上の方法で少しづつ自己コントロールを身に着けたら今度は、勝ち癖を付ける必要があります。

荒木さんは著書で、日本には「勝つ文化」がなかった、と書いています。代表に召集されたメンバーに漂っていたのは「負けに行く」という雰囲気です。ラグビー史上ボロ負けを常に喫してきた日本代表にとっては、そういう場だったのです。これではいくらハード面を鍛えてもそれを発揮できない、負けに行くという意識が奥深くには巣食っているからです。ここを変えるために勝ち癖を付ける必要があります。これをビジネスでは成功体験と言うのでしょう。子供が褒められるとそれが嬉しいのでまた頑張ろうとする、人間は単純ですのでそういうものに条件付けされてそのニンジンを追いかけて粘り強く全速力で走りだすことができる。この「勝ち」の感覚、その流れを染みつけることで、無意識に勝ちを取りに行く感覚が沸き起こりポジティブに行動するようになるでしょう。はっきりいいますがこれも脳への刷り込みです。そして世間で否定的に語られる「根拠のない自信」もこの類でしょう。

ここでもラグビー日本代表が取り組んだメンタル改革が参考になります。果たして、一度も勝ったことないチームが勝ち癖をつけることができるのだろうか? 荒木さんはこの課題にもあらゆるアプローチをするわけですが、マインドセットのような意識的なものと、日々の行動のような小さな行動の積み重ねと、ラグビーそのものの取り組み・レベルアップという、まさに細かな「心」「技」「体」のそれぞれのピースを積み重ねることで壮大なメンタルを完成させるということをやってきました。

ヘッドコーチであるエディから代表のメンタル強化を任された荒木さんがまず取り組んだのがチームとして「君が代」を特訓するということですが、これは誇りを呼び起こすためのもの、しかもチーム一体として誇りを持つためのものでした。選手たちの狭い視野を広げる、彼らの焦点を試合の勝ち負けから日本を背負ってプライドを持って戦うというところへ移すのです。もう一つは、責任感や主体性です。自分から他選手やコーチ陣に近づいてコミュニケーションを取ったり、ラグビー以外の日常生活の些細な部分できちんと行動するということを彼らに課していたようです。荒木さんが見ていたのは「マインドセットの変化」であり、生きるためのエンジンの取り換えと、行くべきナビの明確化です。「誇り」「責任感」「主体性」、我々からすると世界と戦うプレーヤーにはそういうものは当たり前に具わっているものと思いがちですが、往々にして中田×本田が吐露したように、スポーツ界ではそこがゴッソリ抜けていて、プレイスキルだけ、或いは良くて食事の管理、敵チーム分析などを行っている場合が多く、「誇り」などのような「あなた、なぜラグビーやっているのですか?自分のため、それだけですか??」という根幹に関わるような部分が小さい人も多いようです。これはサイモンシネック先生の言葉を借りれば、「あなたのビジネスで目指しているものはなんですか?あなた方のWHYは?」と聞かれて、「我々はお金をいっぱい稼いで、有名企業になることです!」と答えているようなものです。原点回帰するようですが、メンタルはメンタルの領域として扱い、集中して徹底的に取り組まなければ強化されないもので、避けては通れないのでしょう。そして日々の「小さな行動」というメンタル強化ツールももれなく付いてくるというのも、「やはりそうなのか」という思いにさせられますね。

「大は小を兼ねる」と言いますが、自分の中に大きな青写真が描かれていると、頻繁に生じる小さなことは気にしなくなる、小さな人間関係や己のプライドや些細なミスなどに引っ張られることはなくなる。ブレた自分が「誇りのために」というあるべき姿にスーッと帰ってくることができるからです。これこそが我々が目指す大きな男ですよ。

「Act like a winner」

こういう言葉があります、そして強いチームはみなこの通りに行動している。

「強者のように振る舞え」ということです。自分たちに誇りを持って、チームのために全力を尽くして、つねに堂々とふるまう。荒木さんは口酸っぱく日本代表に言い続けました。しつこいようですが、これも脳科学的に説明がつく現象で、ふるまっている通りの者に自分はなっていきます。自分が意識しないところまでも我々の無意識は吸収し脳内に蓄積し、それに忠実に回路をつくり、「あなた」となる。

これは、必要以上に背伸びして、見掛け倒しに相手を威嚇するあのダサい感じとは根本的に異なるパラダイムです。トップチームのオールブラックスはまさに強者で、立ち振る舞いにオーラがバチバチ漂っていますが、今述べたようなネガティブな雰囲気はまったくありません。彼らは常に謙虚で、相手をリスペクトし、負けても過度に下を向かず、勝っても感謝を忘れない、そういうwinnerであり、時に負けてしまってもそれを忘れない。振る舞いとは今の現実の状況(成績や結果)に左右されるのではなく、今の価値観やポリシーや生き方によるのです。「誇り」「責任感」「主体性」はAct like a winnerを土台から支えているんですね。勝ったことがないのにどうして勝っているように振る舞えるのか?答えはこういうことだったのです。

こういう風に自分作りをやっていきましょう。

勝ち癖とは日常の些細な行動やルールを規律し、壮大な誇りや責任やアイデンティティを持つ、そういう両翼によって構成されているものだということが、深く理解できました。

スポーツ心理学が提唱するルーティンという具体的な方法を自分物とし、同時に日々の生活だよ、マインドセットだよ、というやじろべえが大好物の道徳的なお話とミックスされて、勝てる男、本番に強い男が出来上がる、五郎丸選手や日本代表はそういうふうに作られていたんですね。ルーティンのようなツールを駆使して実際の実績を上向きにさせながら、日々の振る舞いや生き方でそれに根拠を与え、習慣化していきましょう。

勝ち癖やマインドセットという話では正直なところ、善なる気持ちとか人類愛とか、そういうもっともっと壮大なトピックまで入り込む予定でしたが(それが現代人に決定的にブレーキをかけているからです)、それじゃまたアップロードが伸び伸びになるのでそれはまたの記事に回しましょう。。

 

最後に。

メンタルと技の関係については、オレ流の落合博満さん(元・中日ドラゴンズ監督)が非常にわかりやすくこれまた興味深いことを言っていました。「下手だから自信がない、もっともっと練習して技術を高めよ。息を吐くぐらい自然にプレーできるようにしろ」(みたいな感じの事)と言っていたことがあります。落合監督の練習はハードで長時間であることで有名でした。彼のこの方針の根幹には技術で飛びぬければ結果は出せるし、そうするとメンタルは関係なくなるだろという信念があったのでしょう。本当に一理あります。バッティングマシーンの中央に立って自分に向かってくるボールを打ちさばいていたという現役当時の落合さんの映像を見たことがありますが、彼はそうやって苦手とされていたインコース対策をキャンプ中に黙々とやっていました。そうです、その結果として苦手なインコースでバンバンとヒットやホームランを量産できれば? 苦手という意識はなくなり、面白いように打てるのだから、不安は無くなり自信を持ってバッターボックスに立てる、そういうごくごく単純な理屈でした。彼の練習の目的は明確だったのです。そこにはメンタルの強化、不安の克服という課題も漏れなく含まれていたのです。ですから、スキルアップにも引き続き取り組んでください。

 

さて、恋愛です。

緊張状態というのは、戦闘に行くための準備でした。問題はそれを自分がコントロールできず不安に呑み込まれてしまうこと。目の前の女性がきれいであればあるほど、緊張が高まりガチガチになりますが、それはそのぐらいの緊張レベル、エネルギーの爆発がないと対処しきれないからですね、身体のもろもろのシステムはそれをわかっているのです。わかってないのは我々の方だったのかもしれない、身体さん、ごめんなさい。

おっと忘れていた、自律神経の話をちょっとしましたが、自律神経の乱れは恋愛の大敵です。無理はダメ・絶対。しっかり睡眠をとり栄養のある食事をして運動を継続しましょう。

イケメンに限る、というのは真実でしょう。しかし、本当にイケてる男というのは何なんか?女性を引き寄せるものは一体何なのか? それは堂々としていて本番に強く、常に前向きで、精神的に安定している男でしょう。これが、生まれ持った顔面の劣勢を簡単にひっくり返す永続的な強みなのです。これこそが最強のシグナリングです。

さあ、「やっぱ、イケメンに限るかよ」なんていう不満や言い訳や嫉妬心とはおさらばして、来年もいいスタートを切りましょう。

急いで間に合わせたので(間に合ったのか?というツッコミは無しね♡)、記事の構成や文章の深さにいまいち感がありますが、みんなが来年も飛躍できるよう願っていますよ。

愛してるぜ。

 

やじろべえ。

 

 

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