モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

真の男らしさと、「権利権利!」と叫ぶ人たち。

「どんな人がカッコイイ男だと思うか?」というような質問をよく受けます。 

この類の質問は、中身のカッコよさをうんぬんする僕にとっては、「文章化して伝達する」のが難しい時があります。見た目ではなく内面を文章を通して見える化する作業はとてもしんどい、これだけ100記事近く書いて来て、それでも「個人名を挙げてください」と言われたこともあったので、ブログを読む側にも理解の難しさがあるということなんでしょう。

かっこいい男を目標にすると、明確な方向へ走りやすくなります。そして、そういうロールモデルを見るたびにモチベーションが上がってチャレンジングな初心を思い起こさせてくれます。だから、もっとわかりやすく、「個人名を」という気持ちもわかる。

一方で、カッコ悪い男を見て、「こんな男には死んでもなりたくねえ」というあの感情も、このブログの高尚な読者の中にはたくさんいるはずです。この反面教師を見るような視点も、様々な誘惑を跳ね除けながらモテるための街道を走り続けるのに非常に効果があります。 むしろ、こっちの方が確実に大けがをせず少しづつ人格陶冶できるという点で、より良いかもしれません。なにせ、かっこいい男を見て真似する手法は、自分のらしさを失ったり、サル真似により勘違いを生み出す大けがリスクとは常に隣り合わせですから。

それで、今日は後者の方法、反面教師から学ぶ方法にて「真の男らしさ」を考えていきましょう。

以前、この記事でもカッコよさの反面教師としていろいろと論じましたが、今日もそれに似た記事になります。読者のみなさんにとっては単なる「似た記事」ではなく教訓は最大化してお届けしますので。

※以前の記事

#田端藤田の生討論で、はZOZO問題でも、労資闘争でも、彼らのブランディングでもなく、モテ・非モテの教科書である - モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。 (hatenablog.com)

 

 今回の記事の主人公は、マスパセさん、マスク未着用途中降機乗客です。

 概要はこちらの記事↓から見てもらうとして、

「他の乗客に影響、大変申し訳なく思っている」…全体の利益と個人の権利についてマスク着用拒否で降機させられたマスパセさんと考える 【ABEMA TIMES】

 

このマスパセさんとは、先日のニュースで報道されてた、マスク未着用で飲食店と揉め、駆け付けた警察官に暴言を吐き、殴ってしまうという騒ぎを起こした、あの彼です。

https://news.yahoo.co.jp/articles/419859a419c978c5de67175bda942d1ffb17a78d

 

今回の彼の事例について聞いた時、

ピーチ航空のマスク未着用のときの騒ぎからだいぶ時間が経ってしまい、いつものように期限切れの事例を遅ればせながら取り上げることになるなあ、、

と思っていたんですが、なんとまた世間に登場してくれるなんて、なんてタイミングがいいんだ!と感じました。

それで、世間の注目がまだまだ記憶に鮮明に残っているうちにこのテーマをよく考えて行けそうです。

それではーーーーー

 

一連の流れはコチラ。

このマスパセさんは、ピーチ航空の釧路ー関空路線に搭乗し、マスク着用拒否の結果途中の新潟空港へ緊急着陸し、そこで降ろされたようです。ちなみに、このピーチの飛行機から降ろされた後、その騒ぎの真相を伝えるためにABEMA primeに出演してその時の事情を語ってました。

※そして、今回は食堂にて、マスク未着用で揉めて、警察の出動、タイーホ。

マスパセさん自身もブログやnoteで当時の状況を発信しているので、そちらを参照されるとより正確に状況がつかめるでしょう。このマスパセさんの主張は論が非常に明快で、とても頭のいい人だということがわかります。さすが、大学院非常勤講師。世間からバシバシ叩かれているほど頭のおかしい人ではないでしょう。しごく論理だてて考えて行動している人です。逆に、ブログやnoteの中でのコメントのやり取りを見ていると、腹いせまぎれにコメントしている人々のほうが感情的で冷静さを失い、まったく文章が読めず、人を評価するのにリスペクトや慎重さが欠け、論理は破綻していて、主張の詰めが甘く、完全に負けている状況です。

 

さて、それでもぼくは男らしさを語らなければいけない。

この男らしさの視点からするとマスパセさんは、ぼくが今「論理的で頭のいい人」というのは、まったく褒め言葉ではありません。論理性=男らしいカッコよさ、というのは成立しない。つまり、論理的で頭がいいんだが、イケてないダサい男というカテゴリに属していることになります。この二つの領域はまったくゲームのルールが違う。ここがポイントです。

そして現在のコロナ禍。このコロナ対応において世間は二分化していますが、大衆化した声の大きい人々がガーガー叫ぶことで、息苦しい世の中であることは間違いありません。悲しいかな、社会はいつもそうなのです。

そして、いつの時代にもそんな社会の息苦しさに風穴を開けようと明治維新の国士たちのように行動を起こす人はあちこちにいます。そしてそのやり方は様々ある。コロナ対策で規制が強くなる方向で動いている向きを逆に戻さなければ、とがんばる人々で、AmemaTVに出演した際のマスパセさんも実際にそのように主張していました。きわめて「論理的に」。

その際彼は、「健康問題があり、マスクが着用できない」「その問題を開示するのはプライバシーに関わる」「公共交通機関であるなら、例外規定も設ける履き」という主張をしました。そしてこれは「わたしのような人もそういう社会システムを使いやすくすべき」という願いが主張や行動の根幹にあったということです。「わたしの事案が役に立てば」と言っている。

この問題は、個人の自由や権利と社会全体の福祉のぶつかり合いです。

そして、自分の権利と自分以外の相手の権利をどう考えればいいか、という問題に行き付きます。

マスパセさんはマスクができない側の人々の代表のような形でその権利を主張しました。健康問題でマスクができない人が見過ごされてはいけない、そういう人々も快適に生活できるような社会にすべきだ、という行動原理で自分は今ここでしゃべっているんだ、と。

さて、ぼくはいっちょ前に男を語るなら「男らしさの前に自分らしさ」と考えているところがあります。自分のやるべきことを明確にして、困難に面してもグリットをもってやり遂げることは、「自分とは何者か」を磨き固める上で重要である、と記事を読んでもらえればわかると思います。それをすっ飛ばして男を語ってはいけないのです。

この点でぼくは、J・S・ミルの考えに近いものがあるでしょう。他者に危害を加えない限りにおいて個人の自由は最大限に尊重されるべき、という思想です。

じゃあ、マスパセさんの航空会社の搭乗拒否や世間の批判の嵐という状況は、彼自身のさらにはマスク着用ができない人々の個人の権利との折り合いという問題において、ミルの言っている自由論の原理に合致しているのか?

ぼくはノーだと思います。

なぜなら、マスパセさんはピーチ航空途中降機のあと、さらに伊東園ホテルズの朝食バイキングにて同じような騒ぎを起しているからです。 ※そして今回は大衆食堂で騒ぎを起こした。  ピーチ航空のときと同じように、伊東園ホテルズに対しても、「マスクを強要するのはできない」「法的におかしい」という主張です。一貫している。

さて、視点を変えて航空会社側、ホテル側から物事を見てみましょう。

世間はコロナ怖い怖いの空気一色、その中で航空会社やホテルというのはモロに経済的に打撃を受けた業界です。やっとのことで国内で人々が動き出して、莫大な赤字を回復していかなければならない。会社の存続は大きな課題で、従業員の生活を守りたい、という思いもあるでしょう。お客様を回復するには、怖いコロナの対策をしっかりしつつ、サービスの質は落とさない、という安心安全と快適喜びを両立させないといけない。大変苦しい道のりです。

こういう経営をしているときに、一番怖いのは風評被害です。ピーチは感染対策がザルだよ、伊東園ホテルズではクラスターが発生したらしいよ。命取りとなります。ボコボコと社員を解雇しなければならない。

さて、問題です。

Q.マスパセさんには、それだけの大きな自由や権利が帰属しているのか?

つまり、マスパセさんの権利とピーチや伊東園の経営や従業員の権利、これが釣り合っているのか、という問題が発生する。一人の男が騒ぎを起し、それがバタフライエフェクトとなって、会社に損害が出たとして、マスパセさんはピーチや伊東園の関係各位の権利を抑えてまで「権利権利!」と主張する自由を持っているのか?ということです。

アベマに出演して、「他の乗客に影響が出て、たいへん申し訳なく思っている」と言って、またまた伊東園ホテルズで他のお客さんに迷惑をかけている。「わたしの事案を社会に役立ててほしい」、

本当か?

となる。

そうです。ミルにおいては危害原理が自由の前提にありますが、マスパセさんにとって、フライト遅延で他の乗客に発生した危害、伊東園ホテルズの朝食バイキングで心身ともに迷惑被った人々の自由は、まったく考慮に入っていないということになりますね。「そんなの関係ねえ」という傍若無人なメンタリティーになります。

 

「権利権利!」と自分の権利を主張する人には、共通の残念な特徴があります。それは「そう言っているお前には、他者の権利がまるで見えていない」という点です。リベラルを自称する政党や知識人やコメンテーターになんと多いことか。

これでは単なる自己中でしかない、

それを正当化するために、弱者を代表するそぶりで自己中を覆い隠し、「私の事案を社会のために」という嘘くさい言い訳が出てくる。

こういう人に誰か付いていきたいと思うのでしょうか?

ぼくだったらこの類の人々とはかなりのソーシャルディスタンスを取りたいと思います。

人は完全に利他的という生き方はできません。やはり幾ばくか「自分のために」という部分が存在する、それは自然なことです。自分の中に利己的と利他的がミックスされていて、その比率が問題なのです。利己的が多いと人は離れていくし、利他を前面に出してくる人には嘘くささを感じ取ります。だって、マザーテレサじゃないんだから。そんな、きれいごとはすぐにバレるのです。

利己的に生きるのは簡単で誘惑のともなうものですが、仮にそんな生き方に大きく流れていったとしても、それでは幸せにはなれそうもない、というのは同意してもらえるでしょう。それは今日の記事の言いたいことでもあるし、マスパセさんを見るとかなり強くアグリーしてもらえるんじゃないでしょうか。ドラレコが普及しあおり運転がニュースになっていますが、嫌なものは嫌だ、と感情のままに行動している利己的な人を見て、幸せそうだな、ああいう生き方がした、などとは決して思いませんね。

一方で、利他的に生きるのはディシプリンの要求される厳しい道です。そしていつも禁欲しろ、運動しろ、勉強しろ、行動しろ、と言っているようにそれこそがモテるための王道なのですが、この道を歩く人が非常に少ないのと、今が非モテの時代であることとは、かなり密接な関係があります。

利己的利他的のミックス物が我々の中にありますが、いつでもより利他的に生きていかないといけないということになります。ミルは決して無制限の「権利権利!」を認めていたわけではない。どちらかというとそんな大衆性をたいへん嫌悪していました。

 

もう一度いいますが、これはモテない残念な男の共通点でもあります。

モテない男は十中八九「目の前の女が見えていない、見ているのは自分だけ」という状態です。女の感情やニーズや満足に本質的に関心がなく、自分がモテたいという自己中心的な欲求だけがそこにある。これでは、女性から好かれる方が難しい。ぼくが自己中で嘘くさい人からディスタンスを確保したいと言った100倍以上、女性はこういう男を嫌います。

他者が自分から離れていくとき、原因は間違いなく自分にある。人は魅力でしか縛れませんが、この種のディスタンスは自分自身の価値を如実に反映していて、そこに謙虚になる必要があります。

周囲の人を気にかけず、自分の権利を理路整然と話し出すマスパセさん。そして、しまいには「これは弱者の声だ」とジャンヌダルクを演じてしまっている。

ぼくは非モテとマスパセさんに、同じ構造が見えてしまいました。

 

理路整然と話していますが、そのようにとても論理性にあふれているようでその行動は内実が非常に感情的です。

座席の移動をお願いしたフライトやホテルバイキング側に対する態度や意固地になる様子、テレビ出演、ブログでの反論、その一貫した状態に凄まじいエネルギーを感じますが、それは社会のためでもなければ弱者のためでもないことはさっき話した通りですので、であればそれは自分のため、これほどのエネルギーを発揮する背後にあるのは、ドロドロした感情に突き動かされた結果です。

感情的である男。

この点については、さっき紹介した過去ブログ「田端×藤田論争」で解説済みですが、感情的になるというのは、=メンタリティの弱さ、と同義であり、メンタルが弱い男は女にとって何の役にも立てません。だって、本来はその強固なメンタリティこそが女性のニーズであり、男の存在意義のようなところなのだから。

正しいことを言ってもモテない、モテる男はメンタルが安定していて、堂々とした雰囲気があり男らしい男だ、ということは女性にとっては当たり前のことです。

あー、マスパセさんモテない

となってしまう。

真の男らしさとは、権利の主張とは何の関係もありません。

むしろ、権利の放棄と強い関係があります。

困難な道を歩いていると、自我を捨てなければいけない場面に必ず遭遇します。そしてそれこそが大人になるということなんだ、と悟る瞬間があります。世の中はなんでも自分の思い通りに行くわけではない、むしろ自分が痛みをグッとこらえてでも相手を立てるべき時がある。それを感じ取る他者性と、やりきる強さがあってはじめて一人前の男です。

ぼくは武士道について記事を書いたことがありますが、あれとつながる精神性でもあります。

日本人であるわれわれがより飛躍するために。 - モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。 (hatenablog.com)

「清濁併せ呑む」という言葉がありますが、いい男というのは、これが自然とできる。度量の大きい懐の深い男が、真の男らしい雰囲気を纏っているのです。

 

マスパセさんが、これと真逆の道を歩いているのがわかるんではないですか。

「おれがおれが」だと、決してモテません。そしてモテないということは男としての自尊心やアイデンティティーが健全に育たないため、いつもどこか心に空虚さが残るでしょう。

決して幸せになれない。

仮に、マスパセさんの主張をピーチや伊東園が全部受け入れたとして、それを幸せと呼べるのか?

ぼくはそうではないと強く思います。

裸の王様が決して幸せではなく、成功もしなかったように、マスパセさんもその「権利権利」の道から離脱しなければ決して幸せにはなれない。

ぼくは、彼がそれに気づく日がくればいいと思うし、ブログの読者にはこういうニュースを見たとき、一生懸命彼を叩く側に回るのではなく、「人の振り見て我が振り直せ」で行ってほしいと思います。

 

やじろべえ。

 

 

ー書籍紹介ー

どんな本読むんですか、と聞かれるのでご紹介します。

最近読んで面白かった本。

 

1.『現代経済学の直感的方法』 

これはツイッターでもつぶやいたんですが、僕は「物事の全体を俯瞰して見るのはとても大切だが、それを可能にするのは有益なツールを使って自分のパラダイムをトレーニングした時に限る」と思っていますが、そのための有益なツールがコレだ、ということです。

経済学はマクロとミクロに分かれてゴリゴリの数式がたくさん出てきてどうも学習意欲が湧かない学問です。が、この本は歴史とストーリーによって経済の全貌をわかりやすく噛み砕いてくれた本です。分厚いのに一気に読めてしまう優秀な一冊。

難しいことを分かりやすくストーリー仕立てで説くのが上手い一冊ですが、語彙がどうも。。強調を入れるあまり、表現がピンと来ないところが多々あるんですが、それは文書を書く僕が細かく見過ぎているのかな、と思うところもあったりなかったり。

そして、この著者は「直感的方法」シリーズの一発目で理系世界に一大センセーショナルを起こした人物、なんですね。なるほど、天才は分野を問わず面白いことを語れるんですね。

 

2.『国家はなぜ衰退するのか』上下

 

国家の衰退については歴史家の間でも意見が分かれるところです。

例えば、ローマ帝国の衰退においては、経済衰退、ローマアイデンティティの変質、蛮族の侵入など、そのうちのどれか、あるいはすべてが相まって崩壊に至ったといわれており、決定的なコンセンサスは得られていませんが、「実はこの土台となる決定的な要因があった」というのがこの本の要旨です。

例えば、イギリスの産業革命。なぞあの時代にイギリスで産業革命は起こったのか?文明は古代にもあり、その流れで技術や芸術・文化の台頭は他の地域でも顕著なものがありました。それらが結実したのが、ヨーロッパの片田舎であるイギリス。この問いに何が答えているかというと、高賃金や資本蓄積、貿易の発展、金融の台頭、人口増加、労働力の確保、植民地獲得と農地確保、科学技術の発展や発明、などなど。

しかし、これらは何一つ本質に迫った回答ではありません。科学技術の発展は何より中国であり、学問はギリシャやオリエント文明の方が栄えていたからです。植民地獲得競争においてトップを走っていたのはスペインで、海軍が強かったのも彼らです。南米のほとんどの国がスペイン語を使うことからもそれはわかります。当然ガンガン貿易をして富を獲得していたのもスペインです。そして農業が盛んで食糧事情に余裕があったのはフランス。イギリスはフランスから「貿易やーめた」と言われたらたいへん困る、そういう国でした。この、様々な不十分な説明に回答を与えるのも、この本です。彼らが述べるのは、これら諸々の枝葉となっている表面的な理由の土台にある根本原因は何か、というところを暴きました。

この国家の繁栄と衰退においては、ジャレド・ダイヤモンドの『銃・病原菌・鉄(上下)』が有名ですが、その理論をも否定して独自の理論を膨大な論証によりひっくり返そうという試みです。

当然、分厚い本ですが、やっぱり止まらずに読めてしまう秀逸な一冊です。

さっき紹介した『現代経済学の直感的方法』は、著者の表現が少々癖が強いのですが、この本は訳が非常に上手くて、この鬼澤さんという訳者もかなりの強者だと感じました。少し硬めな文章を書く人にはその技法としてもいろいろ勉強になります。

 

3.『アイデアは交差点から生まれる』 

もはや、イノベーションを起さないとビジネスの世界ではあっという間にオワコンであることは周知の事実であり、クリステンセン教授が90年代からずっと言っているわけですが、どうも専門的に分析しすぎてわかりにくいというのがありました。ところが、このフランス・ヨハンソンの本は概念としてまずは独創的なアイデアが想起しないことには何も始まりませんが、そのアイデアの生まれるプロセスを膨大なフィールドワークで解明して、さらにそれをアイデアだけに留めず実現させるところまで持っていっているところが非常に読みごたえがあります。

結局、イノベーションを要求される人たちが読むべきがクリステンセン教授のテキストじゃなくて、こういう本なのかも。ケーススタディも豊富で、アイデアに富む人間に生まれ変わる生き方も学べます。つまらない人間から脱却するには必須です。これからの時代には特にこういう教養が必要でしょう。

 

 4.『空気を読む脳』

日本で脳科学者といえば、茂木健一郎さんか、この中野信子さんでしょうか。この本は日本人の集団性を調べているときに読みましたが、特に印象に残っているのは、「結婚したがいい男がいない」という女性の心理について脳科学の観点から著者独自の見立てが書かれてあることです。一言でいうと、「キャリアをがんばってきた女性の、今になっての一発逆転を狙う(が、うまくいかない)」口癖だということです。

なるほど、そうかもしれません。

ここからわかることは、いい男というのはメチャクチャ需要があるということです。

世の中には結婚にとどまらず、事実婚や一夫多妻などを志向する人が増え、個人化の時代が進んできたなあと感じていますが、そのような最終的な形がどう落ち着くかにかかわらず、「いい男でないと、スタートラインに立てない」ということなのです。

そして「いい男の選び方」で書かれていたのは、女性はいろんな基軸で男を選ぶが「いい人ではやはり物足りない」ということなのです。

我々が頑張るべき理由は明確にあるのですね。

 

 

~質問コーナー~

Q1.コミュ障を克服する方法は?

A1.以前も同じような質問を受けて答えたと思うんですが、一貫してぼくのなかでは健康という要素がとても大きい。だからヘルシーなものをよく食べて(必要ならサプリメントも)、よく寝て、運動して、ワイドショーやSNSやエロ動画などから離れて、教養物を取り入れるだけで、劇的に改善すると思います。これには抑圧的な人間関係の整理も必要ですが、これらの領域に少しづつ調整を加えていけばいいと思います。

ぼくの理解では、コミュ障はコミュニケーションにおける障害であるわけなので、そのコミュニケーションの相手が存在しますよね。目の前の相手と何某かかかわりを持とうとするときにぶつかる壁は「エネルギー不足」です。上記のように生活を変えていけばエネルギーを持て余すようになり、人恋しくなります。もっとも重いレベルではこれが有効です。

もし、これらに問題がなく、純粋にコミュニケーションの作法や能力の問題なら、1.話の流れと方向を掴む力、2.今話している相手への関心を持ち、話をしっかり聞く、3.自分の芯を持つ、ということで、テクニックではなく素の自分で誰とでも楽しく会話できるようになると思います。

逆にいま述べた以上に深刻な状態だと思うなら、病院に行かれることをお勧めします。

 

Q2.脈がある人に頑張るべきか?

A2.もちろんです。頑張らない理由を教えてください。あなたにその気があるのなら一直線に走っていきましょう。興味ないならスルーで問題ありません。結局シンプルなその2択が目の前にあるのみです。

 

Q3.服装を決めるときに気を付けるとこはどこ?

A3.自分らしさ。 周囲のウケを、決して狙わない。

 

Q4.相手を傷つけずに別れる方法は?

A4.「傷つける」の定義にもよりますが、相思相愛な関係性を解消するのは大なり小なりダメージがあるものです。恋愛というのは関係性の中でも特に切りにくい、別れる原因も確かにあるのにそうなのです。理屈で考えると不思議ですが、恋愛というのは脳科学的にも理屈を麻痺させて恋愛モードにする部分が活性化していますから、どうしてもそうなる。

この前提において僕が感じるのは、思慮を尽くして考え、すでに最善を尽くしてきたなら、その決定はおそらく正しいでしょう。なので、正直に率直に、リスペクトを持ってケリをつける、というのが、ゴチャゴチャと取って付けたような言葉を並べたり、遠回しに処理するよりもいいでしょう。そのほうが誰も傷つかない。あなた自身もね。

「傷つかず」が、文字通りの暴力を含み、DVが関係しているなら、ぼくの範疇を完全に超えてますので、警察へ相談しましょう。 

 

Q5. 恋愛工学を提唱する人たちの発信に感銘することがあるんですが、恋愛工学理論は腑に落ちません。どう思いますか?

A5. 興味深い質問ですね。そして恋愛なら誰しもが通過する難所でもあります。Peingの方にも回答しましたが、わたしも恋愛工学のもろもろの概念には同意する部分もあり、そして「非モテ」という言葉遣いも非常に秀逸だと思います。しかし、この質問者さんが感じた懸念は当然起こるべくして起こるでしょう。

つまり、恋愛関係のテクニックを駆使した結果得られたものに、心が付いていかない瞬間が来るということです。

これまた興味深い点ですが、恋愛工学を学んでいたタカシさんという人がいますが、彼はある時「恋愛工学から卒業する宣言」をしました。noteの有料版でその思いを綴っていましたが、

タカシの独り言 最終話 〜恋愛工学卒業の断固たる決意〜|タカシ|note

彼が何を言っているかというと、

「彼のやるべき一歩と恋愛工学の初歩は合致していたが、目的地はまったく違う場所だった」ということを「やってみて気づいた」

ということです。

恋愛工学が想定する非モテと、現実の恋愛にうまくいかない男性というのは、最初にぶつかる壁はほぼ同じです。やるべき行動も同じです。しかし、目指すところは大きく違ってきます。これはナンパ師の間ですら違うもので、数を求める人間もいれば、女性の美人度合いを成功の基準にする人間もいる、長期の関係を望んでナンパに出ていく人間もいれば、とっかえひっかえの女遊びに入り込んでいるナンパ師もいる。

これはもう、価値観です。

恋愛工学の初期に、メルマガにガシガシ投稿をしていた学徒とされる人の間でも、その思想は様々ですが、その入り口、つまり恋愛に苦しんで藁にもすがる思いで学徒になったという部分は同じです。彼らは恋愛工学を実践していく過程で、自分なりにカスタマイズして、そこに自分の思想を吹き込み、もはや恋愛工学黎明期に彼らが学んだものとは違うスタイルを各々が持っている、というところなのです。

それで、タカシさんのように大幅に路線変更する人もいれば、聖丁(旧サウザー)さんのようにもっとラディカルに恋愛をとらえる人もいる。タカシさんは恋愛に「愛情」や「家族」を求めたのに対し、聖丁さんは人間を動物として捉え、冷徹に進化論的に恋愛を捉えているのです。

質問をくれた方のように、「腑に落ちません」という方はタカシさん寄りの価値観を持っていて、なおかつ恋愛の目的地がすでに恋愛工学が提唱するそれとはまったく違うのかもしれませんね。であれば、恋愛工学とは違う道筋を通ってなんとかあなたが目指すところへ行くしかありません。

恋愛をどう攻略するか、ということにおいて恋愛工学は一つの方法にすぎません。それをより発展させる人もいれば、卒業して決別する人もいる。価値観なんてバラバラです。実はわたしも恋愛工学的な恋愛観を持てないので、そういう生き方はできません。

それで、恋愛工学界隈からすると、堅苦しくつまらないこういうブログを通して「別の道筋」を僕は提唱しているんですね。

 

 

 

 

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