前回ちょろっと言及しましたが、現在人体実験中です。
情熱があって、学習意欲もあって、目標も明確で、謙虚で。
そういう人も不健康には勝てません。
流れを読み取ってもらえば、これはいったい誰のことを言っているのか想像がつくと思いますが(笑)、そこは白黒はっきりしないでおくとして、、
心技体の「体」が狂うと、人生がそこそこ止まりになります。
情熱があって、目標もある人にとって、この「そこそこ」止まりというのは苦痛でしょうがありません。
あなたもそうですか?
ここは力強くYES と言ってほしいところですが、ぼく個人としては強くそう思っています。
体が強いだけに無理がきく、徹夜できる、そういう人は短期間で相当な量をこなせるだけにGRIDが効くので、やがて高い場所にいけます。だからこそ「体」はとてもとても重要だ、とその種の強い人を遠目に眺めながらジェラシー感じています。(沸々..)
今、何を食べるか?についてのアップデートをしているわけですが、ぼくは三度の飯よりコーヒーが好きで、お酒も飲まないのでコーヒーは決して譲れない生活の必需品なのですが、どうも体調が悪い日々が続くので、コーヒー断ちを決行しているところです。
コーヒーは、バターコーヒーで朝のエンジンをスタートさせていたこともあり、ぼくの朝のお供として、また燃料として大活躍していたわけですが、パフォーマンスアップの方が大事ですので、泣く泣くこの処置をとりましたが、うーん、特段大きな改善が見られたというわけではないですね。もちろん少しづつ調子はいいのですが、それはその他のグルテンや油にも気を付けているので、そっちがワークしている可能性もあるので、まだ確定はできません。
朝、コーヒーはダメ、ミニクロワッサンはダメ、唐揚げはダメ、気が狂いそうですね。
まあ、原因を突き止めたらそれだけを生活から省けばいいので、好きなものを我慢する必要もありませんが、今はデータを収集しているところであります。
アップデート、アップデート。
健康を獲得して最後のピースを埋めるんだ、その決意であります。
.
..
...
....
...。。と、記事のドラフトを書いている時点ではそんな状況なんですが、そこからまた数日経ちまして、、
コーヒー解禁いたしました!
コーヒー断食、全く変化なし。むしろ日に日に悪くなっている感じ、コーヒー解禁してもこの感じはまったく変化ありませんでした。
これをどう解釈するのか?
できるだけ他の条件は変えずにこれに絞って実験経過を見てましたが、めでたくブラックリストから外しました。おめでとうブラックコーヒー。
今、コーヒー飲みながら記事を書いています♪。
結局、あの不調はなんだったのか?デトックスの過程で、しんどかった。
としか言えませんが、コーヒーは大丈夫カテゴリに確定です。
さて、今回はこの流れで健康面について書きたいと思います。
ぼくは、個人的に体が錆びていくプロセスとしては、
「毒の蓄積」
だと思っています。
だからこそコーヒーがぼくの体に合わず、毒になり得るのか確かめたかったわけだし、蓄積してた毒のデトックスで苦しんだわけですね。
代謝、
という言葉が表すように、人体は循環しているのですから、良いものは取り入れて吸収しつつ、悪いものが入り込んだら排出しないといけない。現代社会では食べ物から入ってくる悪いものをゼロにはできないので、もちろん良いものを取り入れるよう工夫しますが、
それよりも、良いものを吸収しつつも問題はいかに悪いものを外へ出すか?ということにかかっている、それが命題だよ、ということですね。
ここで、睡眠も、運動も、循環し排毒するのを助けるわけですから、とても重要な活動になります。
ぼくなんかテキメンにここが影響するようで、寝ないとダメ、運動して汗かかないと調子がすこぶる悪い、グルテンもお油もダメ、そういうザンネンな身体を有しています。
食い物も気を付けないとダメ、生活習慣も気を付けないとダメ、もう「人生楽しいの?」と聞かれそうですが、それをしないと身体がぶっ壊れてもっと楽しくないのですからしょうがありません。
さて、ここで、そういう涙ぐましい努力をしなくてもいい、体の強い人というのも確かに存在します。
例えば。
ダルビッシュがひじのトミージョン手術を受けたときに、大リーグのハードワークを指摘していて、中四日と言う過酷なスケジュールがひじを壊すんだと警鐘を鳴らしていた一方、そうならない男たちがいることも認めていました。
「「オレたちは中4日で十分だ、それで仕事できる」というピッチャーもいますけど、そういう怪物レベルに合わせると多くのピッチャーは体が壊れてしまう。」
なぜなら、
「人によって回復力が違う」
からだと。
ある一部、ハードワークでもやっていける男たちがいますが、多くの、特に日本人はそれだっとすぐに怪我をするんだ。ということはつまり「個人差」であるということです。
この理屈から行くと、回復力が弱いぼくはハードワークができない人種なのですね。
つねづね、睡眠は4時間で十分とか、野菜はほとんど食べないとか、なんで風邪引くの?とか、そういう男たちがマジでうらやましいと思っていました。
彼らは、さっきの代謝の理屈からいうならば、
「素で排毒できている」
身体なのでしょうか。
内臓が強くて解毒・排毒の機能が高ければ、睡眠や発汗にピリピリしなくても、通常運転できっちり毒を代謝するのだから、そもそも無理がきく体だということですね。
排毒がそんなに強くないいわゆる通常体質でも、ある程度毒をため込むキャパが大きい人もいるでしょうし、そういう人は体がダルいとか、情緒が安定しないとか、そういう自覚症状なしだよ、という場合もありますね。ある日突然大病を発症するというパターンもありえますが。
また、 虚弱体質ゆえに日頃の食べ物には気を付けているが、やっぱり定期的に風邪をひきながら、それでもなんだかんだで平均よりも長生きしている、というパターンもあります。
ようするに、
「人それぞれ」
ということですね。
何を食べれば体にいい、というブームも大まかな傾向はそうですが、微細な部分を見るとやっぱり人それぞれです。
卵は、筋トレしたいぼくにはとてもいい食材ですが、アレルギーがある人には毒ですね。でも、自分の身体が何に対してアレルギーがあるのかは実ははっきりいってわからない場合が多い。
アレルギーにも「遅延型」があり、なかなかその反応がわかりにくいものもあって、原因が特定できない。遺伝子検査をしてはじめて新たにアレルギー反応が発見されるというときも、そのアレルギー食材をテレビがいいと言っているから取り続けていると、実は「自分には猛毒だった」ということが起こりえます。
「人それぞれ」
なのですね。
さて、人それぞれを強調したところで、
健康な方がいいのか?
それもまた人それぞれなんじゃないですか?
という反論もあるかもしれません。
実際に、男は酒とたばこだ、というハードボイルドな生き方があるのも知っています。カートコバーンのように短命ながら壮絶に突っ走るロックな生き方をしてこそ輝ける人々もいます。
が、ぼく個人としては健康であった方がそもそも人生のクオリティは高いし、それゆえに多くのことが高いレベルで達成でき、そして「最終的にはモテる」と結論しています。
このモテるということに関して、
ある特殊な、ニッチな嗜好を持つ人もいますがその場合は別にして、つまり例えば不健康なパンクロッカーが大好きとか、極端なヒョロヒョロの草食男子に萌える、という女性は別にして、ほぼすべての領域で健康はプラスに作用します。
健康になる方法論は人それぞれで、本屋に並ぶ健康法も宝くじみたいな当たるかどうかわからないぐらいのものですが、(だからぼくは実験してるわけですが、)
その上の大戦略として考えると、健康な方が人生がうまく回る、というのは例外はないでしょう。
このようにぼくが熱弁した「健康がすべて」は、
それは今をときめく脳科学の世界でもそうですし、そこと連携しているメンタルヘルスにおいてもすでに明らかで、結論として、腐敗した肉体に健全な魂は宿らないのです。
ジャンクフードばっかり食べてる人の脳が、バカになるのと同じように、
バカになった脳が健全な判断や長期的な視野や忍耐力チャレンジ精神を生まないように、
そういう健全な特質が存在してない所にモテが形成されないように、非モテの塊から繰り出される仕草や言動や雰囲気すべては、どうしようもない脳の仕業なのです。
さて運動。
バカな脳が賢くなるためには、脳科学的に何が必要かというと、そこには運動がベースにあります。
ベース、なのでそれだけでは何ができるわけもありません。基礎練習ばっかりやっているサッカープレーヤーでは(基礎練習はもちろん大事ですが)、試合に出るにはまだまだ足りない、使えない人材というのと同じで。
が、ベース(基礎)がないと建物が立たないのも事実。
これはだれにも動かせない原理です。
まず基礎を打ってから、つまり基本をしっかり整えてから本試合の話をしろよ、
モテるにはどうすればいいですかと聞く前にそのダラダラした生活をやめて心身を鍛錬しろよ、
モテ本読む前に外を走ってこい、スクワットしてバーベル挙げてからそのあとはじめてモテについて考えろ、
ということです。
モテる秘訣を体系的に教えても、それを使いこなす体力やスキルや健全な精神性がないからです。そしてエネルギーがない。
その方法論をのみこむだけの頭もない。
やるだけの勇気もない。
継続する根性と体力もない。
ベースがないとすべてが徒労なのです。
ぼくはこうやって情報を出しているわけですが、それはなぜかというと、
学べば学ぶほど年をとっても脳内がわずかではありますけど成長することが研究でわかっていますし、詰込みをして初めてイノベーティブな生産物が出てくるのが脳というものであることがわかっているからです。
使わないと錆びる、
詰め込んではじめて活きる、
だからそのために道具として意義のある情報に接してほしい、
そういう思いがあります。
この
使えば使うほど伸びる、
というのは運動もそうです。
ではこの運動によりぼくらが伸ばすべきところというのは、なんらかのアスリートになるかのような身体能力の大幅な向上ではなく、フィットネスfitnessによる身体の最適化、最適化された身体を使って人生の可能性を伸ばすということですね。
可能性。
人には様々な可能性が眠っているわけですが、それを呼び覚ますために何をするか?もっと言えばやがて目ざめてくれるような準備をする、というのが戦略になります。
外部からとってつけるのではなく、呼び覚ます。
チャンスを待つのではなく、チャンスをつかむ目と反射神経を養って、待つ。
様々なピースをひとつづつ総合的に満たしていく。
それにより、いつの日か可能性が開花するわけですね。
運動がその重要なピースの一つであることは間違いありません。むしろ、パズルの角をとるほどの重要なピースですよ。
運動すればするほど肉体も精神も健康に健全にでかくなるのです。
さて、僕の中に一つの仮説があります。
これほど大切な運動をモテを融合させる仮説ですよ(ドヤ)
それは、
「運動は基礎モテを引き上げる力がある」
というもの。
もともとある個性が存在しているとしたらそれを一段階アップさせる働きといえばいいのでしょうか。
ステージが一つアップすると表現したらいいのかな~、わかってもらえるかな、このイメージ。
「個性をアップさせるの」というのは、何か別のものを生み出すというより、もともと持ってるいいもの伸ばすという感じで、ベースの上に建てる概念ですよ。例えば、運動を増やして定期的に鍛えれば、清潔感のある爽やか系の男子はより、きれいな空気を身に纏い、男らしいにカテゴライズされる男子は、そのパワーとかトガッてる度合いに磨きがかかる。
これが、「引き上げる力」といった意味です。
運動する”だけ”でこれだけの効果があるわけですから、やらないほうがおかしいんですよ。
ある人が「筋トレしてないなんて、人生超損してる」と言っていましたが、本当にそう。
筋トレするか、有酸素するか、ダンスするか、スケボーするか、バスケするか、それは自由ですが、とにかく体を動かすべきなんですよ。
本当に、それだけでいい。(逆に言うと、運動をやめたらじょじょに効果が消えていく。)
余談ですが、
しかしながら、自分のモテをより広げたい、多様性を自分の中に含み込みたい、自分にないものを新たに身につけたいという願いがあるなら、運動や食事などの身体系のメンテナンスやトレーニングでは必要十分ではありません。
そこは、学習によるところが大きい。
ここに運動と学習の両輪といっている所以です。
この二つが実践とか身体経験をともなうというのは重要な共通点ですが。
そのへんは、またいつか話しましょう。
まとめは。
運動ほど簡単でコスパがいい手段はないでしょう?モテは当然ながら、人生そのものを向上させたいと願っているのに運動してないなんてありえないでしょう?
という主張です。
さあ、運動しよう。
今日も胸筋が筋肉痛のやじろべえでした。
¥やじろべえ
============================
質問やコメントがあるとたいへんテンションが上がり、筆がサラサラすすみます、はい。
気軽にコメントしてください。
ご意見「いやいや、そのシチュエーションではこうでしょ」とか要望「ここんとこ、いまいちよくわかんないっすよ」とかあればコチラまで。
ツイッターでからでも、このはてブに直接でも、なんやかんやコメントしてもらえれば、一人でニヤケてますので。さらに、フィードバック出来るほど興味深いものは、テーマとして扱えます。
引用や転載も大歓迎です。その際は出所はしっかり明記してもらえると大変喜びます。
==================================