モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

世間のセクハラ問題を見れば、ナチュラルにモテるということがいかに大事かよくわかる

さて、テレビをつけると、知事の買春、次官のセクハラ発言、アイドルのわいせつ事件など、セクハラニュースのオンパレードになっています。

ネットはテレビの後追いです、常に。

ですから、このネットの世界にはテレビで毎日毎日放送されたひわいな事件をネタにした記事が広がっていますが、ぼくも例にもれず他のいんふるえんさーの人々に右へ倣えでこの問題について思ふところを書いてみようと思います。

いつも、話題が喉元過ぎたぐらいでぼくの記事がようやく上がってくるところがたまにキズ、ですが。。

 

と、思っていたらさっき見たニュースで未だにセクハラ問題がランキングの上位にありました。

未だに。

 

視聴者の見たいものを並べたらこうなったのでしょう。

視聴者の見たいものって。。

 

「バカは教育で治すことができる」と信じていた啓蒙主義者がいましたが、現状を見るとそうでもないようですね。

 

さて、本題。

今言ったように最近では様々な社会的立場の人が、女に絡んだ問題を引き起こしています。

ニュースは過激性を求めて視聴者が見たがるニュースバリューある話題をこぞって取り上げますが、そういうショッキングなニュースに登場する社会的ステータスのある人々が転落してしまう原因に共通するのは、

「女」「金」

です。

とくに女。

男はなぜにこんなにも女に弱いのか。

 

「セクハラ」、「買春」、「わいせつ」、「ゲス不倫」

こういう問題で芸能界を追放された芸人や番組を降板したアナウンサー、懲戒免職された警官など、数知れません。

 

女絡みの問題は、

誘惑のパワーは絶大で、抗えない。

それで嵌れば、傷は相当深く残る。

だからこそ「ハニートラップ」は古来から権力者をつぶすための有効な手段で、反社の悪い人々が偉い人々から金をゆすりとりむしり取る常套手段なのですね。

これら知事、次官、タレントのセクハラ、最近起きた事件をすべてハニートラップだと断言するつもりはありませんが、すくなくとも言えることは、

「ナチュラルにモテれば、問題は起きなかった」

ということです。

 

これが今日のテーマです。 

 

このブログを開始したときよりもずーと前から僕の主張は、「非モテからの脱却」というところにありました。

モテたいという単なる欲から、同時にモテれば人生が好転するんじゃないかという感覚もありました。そしてそれは日に日に確信に変わっています。

非モテからの脱却を考えるなら、金を使って女を買う、権力を使って女を脅す、社会的立場や有名であることを使って女にせまる、というのは結果いかんにかかわらずすべて筋悪だ、

そうじゃなくてナチュラルにモテることで、自由で合法的でクリーンでwinwinな恋愛をしよう、それが無敵だよね、と方法論は一本に絞られます。

そしてこれはナチュラルにモテることで初めて達成できる、無敵の境地なのです。

 

世の男の99%は女が大好きですから、こういう風にハニートラップ美女が目の前に現れたら、そのテストにきっちり応対することはまずできないでしょう。

男はそういう生き物。

美人にトラップを架けられた瞬間、脳内でドーパミンが大量に大爆発して、報酬系が誤作動して、脳がハックされてしまうのだから。

良くも悪くもそういう危険物を身に付けて生まれ落ちているわけですから、重要なのは生まれた後、「ナチュラルにモテる」ことを後天的に努力するかどうか、ここが分岐点なのです。

ただただ何もしないまま成長するもんだから、大人になったときにそういう男としての剥き出しの欲望だけがそんまま残り、セクハラ男になって暴走してしまう。

本来、欲というのは人間成長の重要なドリブンで社会が発展してきた核であるのは間違いありませんが、それなのに残念ながら欲望剥き出しにセクハラを起こして社会的に終わってしまう人生。

連日の山口メンバーの謝罪会見を見ればそれがよくわかります。

そうでなくても適切に処理されない男の危険物は非モテ男を生み出し、悲しいかな、非モテは陰からずーっと好きなあの子に想いを寄せる、だけ。

そんな人生がせいぜいでしょう。

どちらの人生も、非モテです。

 

さて、ナチュラルにモテることが大事なのはそうですが、女性がらみで問題を起こした男たちにはある共通点があります。

それは、世間的に見る成功者というイメージ、それが彼らにはあります。

 

県知事、売れっ子アイドル、官僚、看板アナウンサー

 

ここからわかるのは、

 

学歴とか社会的な出世だけでは決して自己実現できない

 

ということです。

 

言い換えるなら、「男として」完成できないということです。

 

自己実現というのは、その本人の目標や願望が実現することですからコレといって万人に共通の完成形を一本に定義できるものではありませんが、

男であるなら、

女に好意を持ってもらいたい、好きな女から好かれたい、という恋愛方面での何らかの願望が実現すること、これがその定義の中に含まれていることでしょう。

学歴や社会的ステータスや有名かどうかでは恋愛方面において成果を出すことができないらしい、だから男としては完成しないし、自己実現もできないんじゃないか、というロジックです。

あんなに立派な社会的立場を持っていてもモテないんだ、女は動かすことはできないんだ、非モテになってしまうんだ、と。

これが恋愛の現場での現実なのです。

ここから、

世間一般的に言うなにがしかの偉さ、これに”反比例”して美人局のリスクはグイグイ高まってしまう社会の中で僕らは生きていて、それはリスク管理の重要性もさることながら、その”偉さ”とはまったく別のところに「男として」の成功を担保する要素がある、ということを認めなければなりません。

 

ココが、ぼくらが見るべき事件の本質、大事なエッセンスです。

 

こういう事件を見るたびに、男の性(さが)、それを賢く運用しすべきこと(つまりモテること)、そこに失敗したらどうなるのか、ということが強く強く印象付けられるなーと思っています。

 

社会的に偉いのに、モテない

 

この壁を超えるのに何が必要か?

考えてみましょう。

 

これは、勉強熱心だけどモテない、頭はいいけど女性方面は弱い、そういう読者にもぜひヒントをつかんでほしい記事です。

 

ではスタート。

 

 

さて、社会的に羨まれる高学歴、社会的ステータス、知名度、そういうものはモテとは関係ないと断言しました。

この構造は後ほど詳しく説明しますが、

一方で、客観的に見て、それセクハラだろ、と思うようなことをしても、なぜかそれが好感度アップにつながったり、ますます女性から人気が出る男がいるのを知っているでしょうか?

まず、ここの疑問を解かなければいけません。

つまり、社会的には”持っていない”のにものすごくモテる男、世の常識に照らせばセクハラ認定されてしまう言動をしても逆に女子からもっともっとモテる男がいます。

 

このご時世、「彼氏いるの?」と聞くだけでセクハラ!と言われてしまう世の中です。

そんなしんどい世の中で脱落して行く男が多いなか、上述した不思議な男はその言動がなぜかプラスに作用して、一人勝ちしていきます。自分は素でいるのに、周りが非モテで勝手に撃沈していく。こんなの、まさに二極化の世界ですね。

 

つまりこういうことです。

 

福山雅治が口説いて来たら、女性はセクハラ認定するのでしょうか?

沢村一樹が卑猥なことを冗談めいて喋ったら彼女たちは不快になるでしょうか?それともなんだかセクシーに感じてしまうのでしょうか?

彼らは世間からはエロをネタにする芸能人として認定されていました。

そして、

福山雅治が俳優やシンガーとしてまだ売れていない時代、スクランプル交差点で明けても暮れても毎日ナンパしていたのは有名な話ですし、彼のラジオではエロい話題にこそ人気がありました。

沢村一樹も同様、若かりし頃の経験談に恥ずかしげもなく自身のエロい側面を混ぜて話しエロ男爵で一世を風靡した人です。

彼らが番組内でそういうトークをポロポロとしゃべったらリスナーは喜ぶし、そういうエロい彼らをプロデューサーは使えると思った。

 

女子に、生真面目ででこういう冗談を一切言わない堅いけど女子には誠実で優しい高スペックな男と、

セクシーで色気があり会話にメリハリがあっておもしろくリードしてくれて勝気なまだ売れていない福山雅治。

どちらと飲みに行く?

と質問したら答えはどうなるか。

 

言葉を変えて言うと、

彼らが、世間で女性問題を起こした知事やタレントと同じことをしたら「セクハラよ!」などと(当事者であるその女子から)言われれるのか?

ということです。

(※当然、法に触れることはダメですよ)

 

答えは、もちろんわかりませんが、

ノーだろうなというのが僕の出した結論です。

 

なぜスペックの高い男が非モテに成り果て、ぼろ雑巾のように女に扱われるのか?

なぜそうでもない男の周りには次から次にいい女性がいるのか?

 

ぼくらはその何かを言語化することができませんが、女性にとってはなんとなくそれが見えている、なぜなら彼女たち一人一人は「主体的に」男を好きになり選んでいるはずだからです。この何かが感じられなければ選択する、男を選ぶということができません。

これは人を感動させるヒーローもののストーリーの型が存在しているように、女性の中にも彼女たちを惹きつける男の型みたいなものがある、彼女たちが自覚無自覚にかかわらず、というのが僕の持論です。

何に基づいて選択しているのか?それが一本化できないとしても、サンプルをビッグデータとして集めてみればおぼろげにその像が浮かばれてくるでしょう。

男と女の2種類しか地上にいないですから(以前論じましたが、それぞれの役割を考えると)その最適組み合わせに最適な相手を選ぶということにすぎません。

なら、非モテなんてもってのほか、という女性の選択は生存戦略として非常に合理的なのです。

男性諸君はぶつぶつ言ってないで、この問いに向き合わなければいけない。

 

これは、モテを社会的なスペックによって規定しているなら絶対に答えの出ない問いです。

不思議な福山ー沢村現象に答えることができません。

 

女性からアプローチする、主体的にアタックする、というのはこの開かれた現代の個人主義的な社会でもまだまだ多くありません。

それはそもそも女性が生き物として恋愛に受け身で、逆に、好きな男性からガンガン来られて巧みに口説かれるのが喜びみたいなところがあるからです。そして時としてその口説くという行為に性的表現が含まれることもあるのでしょう。 

 

口説かれるのが喜び。

だけど、セクハラ認定する。

 

なんなんだよ、

と男は思う。

 

この壁を、福山ー沢村ホットラインはヒョイと越えることができるのです。

 

この謎は簡単に解けるもので、ずばり、 

「セクハラ認定は女性の感じ方の問題」

だからです。

 

だから、※イケメンに限るというのは、世の中の恋愛のメカニズムであり、絶対の掟です。

 

好きな彼女に対する男の誠実な想いが、「女のさじ加減」ひとつで♡ハートにも💀ドクロにもなり得る、男の誠実さや一途な想いの強さにはまったく関係ない、

こんな理不尽なことあるでしょうか。

裁判官の好き嫌いで判決が決まる、証拠や判例なんて完全無視の裁判と一緒じゃないですか。

そう思った非モテのあなたにこそ眼球を見開いて現実を見てほしい、とぼくは思います。 

その女性の性質を理解し受け入れてなければモテへの第一歩すら踏み出すことができません。

それが女性を愛するということなんですよ、きっと。

まったく、男はつらいよ。

そして、人間を理解するということ。

 

女性が♡を感じる、感情を揺さぶられるのはスペックではない、

現実をありのままに見ると、そう結論せざるをえません。

そして独りよがりの誠実さでもありません。

この言葉を、若かりし頃の米山前知事にぼくは送りたい。

 

顧客満足なんて言葉がありますが、企業努力のそのプロセスなんて、顧客にとってはどうでもいいこと。

ただただ、満足できるプロダクトをオファーしてくれ。

そこに応えられた企業だけが淘汰に流されず生き残って来たのです。力のない会社は淘汰されざるを得ない。

 

人間関係も一緒です。

男の努力なんてどうでもいいんだ。

女は、ただただトキめかせてほしい。

その実力ある男がこのキビシイ恋愛二極化を淘汰されず生き残るのです。

(厳密には、努力は何がしかの結果を出します。結果が出ないならプロセスが間違っているか、努力の水準が低いか、です。)

 

とくに、男女問題は複雑怪奇で、しかし結果としてはとてもわかりやすく目に見える、言い訳のきかない世界です。

そう考えると、結果を出す男にもそれぞれ共通の何かがあり、世間ではそれをモテの法則と言っているんだ、と考えることもできるでしょう。

それが、恋愛格差を淘汰されない不思議な男たちが「持っている」ものです。 

 

法則ですから、そこには女子の感情を揺さぶるパターンがあり、再現性があります。

それを一言で言えば「強さ」になるんですが、

その強さを醸成するのが、文武両道です。

 

運動しろよ、

勉強しろよ、

 

といういつもの論調。

 

さて、この勉強に何が含まれるのかを明確にしなければなりませんね。

ここで学歴とか資格とか仕事の内容という勉強が瞬間的に浮かんで来たら要注意です。

全く違う。

 

さきほども少し述べた、人間理解で、女性を理解するための勉強です。

 

弁護士になるには法律を学び、医師になるには医学を学ぶ必要があります。米山元知事は努力して弁護士免許と医師免許をとり、さらには政治家になりました。

それにより彼の承認欲求や目標は達成したことでしょうが、50歳独身、結婚歴もなし、出会い系サービスで出会った女性とことに至り、スキャンダルで辞職、ということで、

残念ながらモテることはありませんでした。

 

法律や医学と、人間理解・女性理解の勉強はまったく別。

 

自分の克服すべき課題が目の前にあるのに、別の領域に取り組んでどうするんだ、

という話なのです。

 

スペックとモテは関係ないのです。

 

エロいという世間的にはリスクのある立場をとりながら、圧倒的なモテポジションを築いた福山ー沢村ペア。

彼らに、スキャンダルをスッぱ抜かれた官僚や政治家のような優秀とされるスペックはありませんでした。

そこからスペックはモテに関係ない、が導かれるわけですが、では彼らが持っていたのは何かというとやっぱり人間理解・女性理解だと思うのですよ。

もちろんセンスもあったでしょうが、学習や観察や経験に立脚したunderstandingなのです。

それがあれば独自のポジションが築けますし、「強さ」も生まれてきます。

強さは、経験により「知っている」ということに裏打ちされる、そういう側面があります。

知らないから、怖い。不安になる。

それで物事がうまくいかなくなる。

さらにメンタルがベータになる。

怖いから逃げて、別のことをがんばろう。

そうやって、本題から遠ざかり、自己実現から遠ざかる。

ボタンの掛け違いは、関係のないことを延々とがんばったことです。

そういう女性に対するある種の怖さ、女性が欲しいはずなのに同時に怖いという矛盾、これを学校の勉強や会社での出世で解消しようとするボタンの掛け違い、この頑張りがいったい何かの成果を上げるのでしょうか。

そうやって、50歳になってしまった米山前知事。 

 

学歴や資格や地位を獲得するために差し出した膨大な時間を、モテるための専門的なunderstandingに費やしたなら、もっと違う人生もあったことだろうな、と思えてなりません。

学歴や経歴や今の仕事が誇れるなら、モテるということを犠牲にして棄ててきた人生も、彼の人生です。

トレードオフで彼は自らそれを選んだということだから。

しかし、出会い系に出会いを求めて、最終的に女性絡みで職を追われた事実が彼はそれを主体的に選んだのではなく、あれもこれも、と追いかけながら、そうやってがんばればモテると勘違いしていたことを示しているんではないかという気がします。

 

モテるにはモテるための努力がある。

そのプロセスを通ってくれば年齢関係なく、いつまでもナチュラルにモテることができるでしょう。

 

さて、男の自己実現に不可欠なこの強さですが、強さがあればモテることはなんとなくわかりました。では、この種の強さは美人局の誘惑を前にしても強いのでしょうか。つまり、モテる男は強い、ではモテる男はハニートラップにかからないと言えるのか?

という命題が残っています。

ぼくは世の中のモテると言われている男は、美人局トラップにも強いと観察しています。そういう男はとても用心深い。

会社の同僚であっても、ビジネス上の付き合いが必要であっても、二人きりでは決して会わないとか、セクハラと受け取られかねない言動は些細なことでも絶対しないとか、そこは彼らは徹底的に気を付けています。

美人局を仕掛ける悪い人は、そういう風に日常のことを装って近づいてきますから当然です。

本当にモテる男と言うのはそういう意味で立ち振る舞いにスキがない、賢くクレバーな男です。

 

実はここにも理解が関係しています。

 

これは自分を客観的に見るスキル、外側から主人公である自分を眺める事が出来るかどうかですが、

これが精密であれば、目の前の誘惑と、ハニトラにハマった自分の末路、この二つを正しく天秤にかける事ができます。

こういうことを聞くと、なんだ簡単じゃないかと思いますが、実際にその場に置かれると狂ってしまうのがぼくらのスケベな判断力。

ここで理解がある男は、そーゆー決断の負荷がかかるところでもクリアに未来が見えて、近視眼的にブレることはなく、理解が判断を助けるのです。

「強い男はモテる」

「理解を土台にした強さは美人局にはまらない」

という論理から、

 

モテる男は美人局トラップも跳ね返す

 

というモテの条件が導かれるでしょう。

 

ナチュラルにモテるという境地に現在いるということは、その背後にモテるためにしてきた膨大な努力が、過去のプロセスがあるということです。

そして過去にがんばってきた努力はいったいどこに効いているかと言うと、脳なのです。

モテに対するパラダイム

女性の理解

男のあり方

人生観

その脳機能が根拠にあるこれらすべてが、良質なものへ成長した、モテるべくしてモテるほどの脳になったということです。

 

成功が語られるとき、習慣とか意思決定とか打たれ強さとかそういう概念がかならず登場しますが、それはひとえに脳の質の違いによります。

人の感情の発生、モノの見方、それらはすべて脳科学で説明できるものですが、

精神面での強さ、困難や誘惑に直面したときの、認知、反応、行動は脳の質の良しあしで相当な差を生む、ここに

「ナチュラルにモテるなら問題は起きなかった」

という説の根拠があります。

 

美人局にはまる人間はやはり、心の弱さがどこかにあった。女に対して弱い、そういうウィークポインㇳあったと言えるでしょう。

悪い人々は当然有名で著名な人にこそ近づきますが、本当に著名な人はものすごく美人局の罠に注意し用心し気を使っています。そして、セクハラニュースをにぎわす偉い人々のような醜態をさらすことは決してありません。

 

本当にモテる男は、心も強いのです。

 

そりゃナチュラルにモテるわ、

これが原因と結果の法則です。 

 

さて、最後に社会的成功とモテは関係ないという構造についてお話ししなければいけませんね。

それを簡単に数理モデル化するとこうなるようだとぼくは考えています。

じゃじゃーん。

  

1.男としてのマインドや振る舞い基礎力 → 0あるいは、1

2.男の基礎力+学歴やルックスや特技 → 5とか10とか一気に飛躍

3.男の基礎力無し、世間でいう学歴資格など頑張った → -10(問題を引き起こした人々のように)

 

学歴やタレント力では、モテの十分条件ではない。

そして、モテるための基礎的な力があって、その上で、学校で勉強を頑張って来た、芸能活動を数こなしスター☆に上り詰めたというそれぞれの努力が積み上げられて、モテが増幅するという意味合いがあります。

マイナスを0あるいは1にする「普通になる(キモいからの脱出、スタート位置に立つ)」のと、1を5にも10にも「増幅する(スゴイモテるようになる)」のは、努力の仕方が違いうことがわかりますね。

さらにわかることは3.の、男としてのマインドがダメな男は、スタートラインにも立っていないという肝心な点です。

 

この3.の男がなぜダメなのかというと、社会的ステータスというのは男のマインドが固まって初めて活きるからです。

人間関係全般に言えることですが、女性と「長期的」に付き合うとなると学歴も地位もあとあと有利に働きますが、それは本当にあとあとの話で、それだけ前面に押し出しても女性にはなんも響かないし、「はじめまして」の第一印象越えを保証するものでもありません。

確かに社会的な動物であるぼくらには社会的ななんらかの利点が得点化される瞬間があるでしょうが、まあ、男らしくないと、そもそも女からは認識すらされず眼中に入ることもできないんですけどね。

 

女から男として認識”されない男”というのはどういう生き物か?というと、今回の記事を総括すれば、

基礎をすっ飛ばして、社会的な何がしかという外的要因に頼ると、それはその男自身がボタンの掛け違いで自己実現から遠ざかるという意味で成長しませんよね、そういう男ですよ、といっていいでしょう。

良かれと思ってやることが結果的に足を引っ張るというのは、よくあることです。

 

あー今回も長くなった。


人の振り見て我が振り直せ

 

こういう連日垂れ流されるワイドショー的なネタも、自分の甘えを正しながらより高みを目指す肥やしにできれば、われわれの差別化もばっちりですね。

 

おわり。

 

やじろべえ

 

 

ps.この前はてブから通知があって、読者の方がぼくのブログについて言及してくれたみたいです。 

この方もオナ禁からわがブログにたどり着いたみたいですが、継続は力なりを実感しているようです。ほかの禁欲主義の人々の励みになるでしょう。

同志がいると、もっと頑張れるものです。 

golgoline.hateblo.jp

 

こうやって読者の反応を見ると、彼らの脳の質が高まっているんだろうなと思います。

んん?、そうか、ぼくはブログを通してみんなを洗脳しているんだな。

なんのために?

いやいや、何の得にもならんがな。

 

もっとストイックに、もっとドМにがんばりましょう。笑

 

次回は「現実を直視する能力と強さ」について書きたいな。

一応ね、予定してます。

 

では!

  

 

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