モテるのは、マインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

「詰めが甘い」とは、どういうことか?

さて、「ツメが甘い」とはよく耳にするダメ出しですが、これはビジネス的には当然で仕事ができない=残念な男ですが、意外にも恋愛においてこそツメが甘い男はガチでザンネンな男です。なぜなら、男とは仕事という領域で活きる生き物だからです。仕事ができる男はモテます。この点で女は大きく異なっています。これは、前回の復習になるかと思いますが、女が仕事をするかしないかは好みの問題で本人の適性の問題で、選択になるのですが、仕事をしない男は生き物として使えない存在になるでしょう。

 

モテる男は、ジェンダーフリーの逆を行く - モテるのは、マインドセットがすべて、それを証明しよう。

 

男はどんなに見た目を整え、学生時代に学業を頑張ったおかげでそれなりに良い職業に就き、それに伴うステータスを今持っている、そしてルックスもなかなか良い(お父さんお母さん、ありがとう)。このように女子評価の加点になる要素を持っていても、「ツメが甘い」ところが露呈した瞬間、積み上げてきた得点はオセロのようにすべて白から黒へひっくり返ってしまう。ガチでザンネンな男なのですよ。

見た目はいいのに、けっきょく結果が出ない。見た目はいいのに、何かをやらせると、なんかどんくさい。最初の期待値が高ければ高いほど、スッ落ちた時の衝撃はすさまじい。これはまさにバブルと同じ構造です。女がサーっと引いていく。

「詰めが甘い」とはどういう現象かというと、まさに、人間性そのものが発現した状態です。身だしなみを整えるとか、ペーパーテストを頑張りました、そして大企業に就職しました!というのもある種の自己実現の過程や努力であって、その結果ではありますが、人間性、つまり生き方・生き様とはダイレクトにはつながっていません。前回YouTuerを例に、人間性と富のつながりはほとんどないよ、と言及しましたが、まあその類のものだという見方ができるでしょう。それに対して「詰めが甘い」という現象は、人間性そのもので、これまでどのように人生を生きてきたかが問われる部分です。ここはやはりごまかしがきかない領域ですから、「最後までやりきる」「しっかり穴を拭く」「きっちり詰める」というようなある意味「結果主義的」な感性をもって仕事をしてきたか?そうやって生きてきたか?ということがシビアに問われるのです。だからこそ、そうやって成果を積み上げてきた男が、そうではない大多数の詰めの甘い男に対して、”結果的に”男のバリューとして大きな差をつけるという現象が、世界中で生じているにすぎません。

「仕事ができる男はモテる」言説は、要するにそれが男の本質を見抜くうえで重要なファクターであり、男として最低限の生き物たる責任を果たせるかどうかを見る指標になるわけですね。それは昔なら狩りであり、現在なら経済的なことでしょう。仕事ができる男で同時に詰めが甘い男など存在していませんから、女が男の詰めの甘さを評価の基準にしてそこを厳しくチェックするのも当然のことです。これが評価でふるい落とされた男が「ダサい」と表現される本質ですよ。当然ながら、身だしなみがダサいとか、運動音痴とか、トークがあと一歩、という側面も努力して進歩すべき部分ではありますが、本物のダサさとは人間性の欠陥から飛び出したダサさで、多くの恋愛コラムが書き散らかすダサさは見えやすい表面的な弱点をなぞっているにすぎません。男が着手すべきところはもっと内部に存在しています。

男が女を見るときはしごく単純な条件で、可愛いとかセクシーとか、そういうとこを見ていますが、男が同性をつまり、他の男を見る際は仕事できるかどうかをチェックするもので、そこで圧倒的であれば他の男から大きな尊敬を勝ち得ることができる、ヒエラルキの上位に位置する男はそういう類の「できる男」です。結果を出せないオスの価値はとてもとても低いということがよくよくわかります。

 

では「詰めの甘さ」はどこからやってくるのかを考えてみましょう。

答えから言ってしまうと、

「考え深さ」

です。

この逆が、「お前は思慮が浅いなあ」と言われるアレです。 

言葉の定義から言って、「詰め」の部分、つまり最後の一手、そこまである程度頭の中で道筋が見えていなければなりません。いや明確に言うと結果主義的でありつつ常にゴールがクリアだからこそ、途上にある各ポイントも明確に設置されると言えるでしょう。いずれにしても一貫しているのは「明確性」です。

願望だけは強いけど、ゴールは見えていない、プロセスも曖昧だとしたらいったいどうやって「欲しい何某か」を達成するのでしょうか。脳内がこういう状態なら、アウトプットもすべて「浅い」のですよ。

人生とは簡単に言ってしまえば、意思決定と行動の集合体です。それを繰り返しながら、マズロー的に言えば自己実現を目指すのでしょう。「ツメの甘い」男はこの行動の最終部分でコケている、いつもコケる、次もコケるだろう。。ということで、自他ともに予想通りに残念な男になってしまうわけですが、これではいわゆる自信というやつも徐々になくなってしまって、そりゃツメが甘い男が完成されてしまうのです。チャレンジする気持ちを失い、思考することもできなくなるのだから。

そうです、この流れを見る時、最後のツメでうまくいかないのは、行動が悪いというより、意思決定のメカニズムにすでに問題がある、それが甘いから、と言えます。人は「こうやって、その次はこうなるからこうして、、、」と当たり前にシミュレーションするのですが、もちろん子供もそうしているのですが、要するにこの部分がまったくのザルなのですよ。ここが甘いともちろん意思決定に少しづつ誤差が生まれて来ますし、さらに行動に誤差が生まれて、その蓄積で結果に甘さが生じるという、シミュレーション→結果までの誤差のバタフライエフェクトが、毎日起きているわけですね。そしてさらにその、結果集合が自分自身を構成していて、他者はそれを値踏みして社会が回っているとも言えるでしょう。「詰めが甘いザンネン男」か、「仕事ができる頼れる男」か、それが分かれる、二極化の社会です。

 

さて、重要なのでもう一度言いますが、意思決定、シミュレーションを支えるのが「思考」です。

「詰めの甘さと人間性がつながる」と述べたのも、「頭を使わないのがダメな奴だ」と常々メンションしているのも、こういう背景があるからですが、意思決定の精度が高くセンスのある男でいるためには、決定すべき事象が「明確に」見えてなければなりません。そして見える、つまりインプット精度がクリアであるにはいつも問題意識を持ち考えていなければ、受け取るべき情報が正確に入ってきません。まさに「人間は考える葦」なのよ。ですから逆に言えばココを押さえて日々頑張れば日常に潜むツメの甘さは避けられます。なぜなら、シミュレーションの結果が「見えている」からです。そして、その試行回数で自信が付いてきます。これこそ、成功体験をしなさいのアノ理屈ですよ。そうなればもう、ドミノ倒しのように結果を出す男になります。結果もきっちり出し、自信まで付く、なんともおいしい「思考」です。

そのように、自分なりの明確な答え(当然ながら万物の真理などではない。)を持っているというのは、長い人生を歩き続けるうえでとても強い。ここがポイントです。

さて、方法は知ってるのにやれない/やらない、というジプシーはどの業界にも存在します。知識を知恵に変えられずドヤ顔してしまう種類の人々です。彼らは考える葦ではありません。パスカル先生が明確に成功法則を後世に伝えてくれても、意識的に考える努力をする人は本当に少ない。それが唯一のルートなのに。

なぜなら、「自分なりの明確な答え(当然ながら万物の真理などではない。)を持つ」とは、言うほど易しくないからです。ジプシーは答えを欲しがりますがパスカルが述べたように明確な答えにたどり着く、その手前には「思考」という避けては通れない難関が横たわっています。難関と言ったのも、思考するというのはとても苦しい作業だからです。家でぼーっとYouTube見て、マンガ読んで、という受動的な娯楽のほうが「楽」なので人間はいつでもそっちに流れます。頭を使う、つまり脳が作業するのはとても負荷が大きく、それゆえに無意識のうちに、脳の高負荷を避けるようホメオスタシスの親分が指令が出してきます。そして「ああ、明日から頑張ればいいか。。」という、言い訳が出てくる。そこは、ストイックにねじ伏せなければなりません。

 

一時期、ハーバードのサンデル教室の「白熱教室」が、テレビでも話題になりました。見れば見るほどをバカになるテレビが大衆に向けて「正義の話をしよう」などととても頭を使う番組を流すことが笑えますが、まあそれはいいとして、「正義の話」などはほぼほぼ決着のつかない議論です。

じゃあ議論する意味はどこにあるのか?

ああゆう種類の専門家や学者は真理の探究に挑戦しているのでしょうが、ぼくなりの解釈はもちろん「頭を使う」ということですよ。唯一絶対の解を期待するのではない、かといって始めから頭使うのを拒否するのも違う、意味は「考える」ということにあります。サンデル教授の番組を見るほとんどの視聴者は単なる好奇心が根っこで、探求心から考えるということはしません。ただ、偉い人が考えた答えを欲しがります。もしかしたら、会社や学校でドヤ顔でサンデルネタを披露するかもしれません。これでは、ツメの甘い男まっしぐらですよ。

一般的に、ぼくたちが受け取る情報は、材料、お題として頭を使うきっかけにすぎません。そこをスタートにゴリゴリと自分なりのロジックを作っていくべきなのです。世間で注目されている議論のうまい人というのは、自分なりに深くじっくり思考している人です。その人々がたどり着いたそれぞれの答えがまったくバラバラで一致しないなんてことはよくあることで、それでも彼らは自信をもって自分の意見を発するし、他者の意見も受け入れる度量がある。彼らに共通するのは解ではなく、思考してきたというプロセスなんですね。そして、今言ったように彼らは自信がある、それは考えるということを二重三重にやってきて、きちんと自分なりの「詰め」クリアに見えている、ということによります。これがモテと自信、自信と思考、思考と詰め、の各々の関係です。

 

頭を使うことは苦しいこと、それは確かですが、方法はあります。

それは、

習慣と、

健康、です。

頭を使うのはしんどい、普段使ってないから。

頭を使うのはしんどい、脳内のエネルギーが足りないから。

というだけのことですよ。

 

毎晩、ビール飲みながら脂っこい食事、間食はジャンクフード食ってパフェをドカ食いして、ダラダラテレビ見て、YouTubeに流されるこの習慣。ここにダメ要素がすべて詰まっています。この逆をやればいいのです(ドヤ)

 

脳の観点から見ると、習慣とか、脳内物質とか、エネルギーの理屈とか、もう研究で証明されているのですから、ツメが甘いという非モテが苦しむ状態からの脱却は、習慣と健康に気を付けて「考える葦」になることですね。

 

ツメが甘い男は、脳が止まっている、そして自信がない。

逆に言えば、考えてないから不安になる。

 

男として強くいるためには、日々が闘いなんですね。

 

 

やじろべえ。

 

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さて、意思決定、シミュレーションを支えるのが「思考」です。

「詰めの甘さと人間性がつながる」と述べたのも、「頭を使わないのがダメな奴だ」と常々メンションしているのも、こういう原因があるからですが、意思決定の精度を上げセンスのある男でいるためにはいつも問題意識を持ち、考えていなければいけません。「人間は考える葦」ですからそこを日々頑張ればツメの甘さは避けられます。なぜなら、シミュレーションの結果が「見えている」からです。そして、その試行回数で自信が付いてきます、成功体験をしなさいのアノ理屈ですよ。そのように、自分なりの明確な答え(当然ながら万物の真理などではない。)を持っているというのは、人生を歩くうえでとても強い。ここがポイントです。

さて、方法は知ってるのにやれない/やらない、というジプシーはどの業界にも存在します。知識を知恵に変えられずドヤ顔してしまう種類の人々です。彼らは考える葦ではありません。パスカル先生が明確に成功法則を後世に伝えてくれても、考える人は本当に少ない。それが唯一のルートなのに。

なぜなら、「自分なりの明確な答え(当然ながら万物の真理などではない。)を持つ」とは、言うほど易しくないからです。明確な答えにたどり着くまえに「思考」という避けては通れないものが横たわっている。そして思考するというのはとても苦しい作業です。家でぼーっとYouTube見て、マンガ読んで、という受動的な娯楽のほうが「楽」なので人間はいつでもそっちに流れます。頭を使う、つまり脳が作業するのはとても負荷が大きく、それゆえに無意識のうちに、脳の高負荷を避けるようホメオスタシスの親分が指令が出してきます。そして「ああ、明日から頑張ればいいか。。」という、言い訳が出てくる。そこは、ストイックにねじ伏せなければなりません。

 

一時期、ハーバードのサンデル教室の「白熱教室」が、テレビでも話題になりました、見れば見るほどをバカになるにしていく「正義の話」などはほぼほぼ決着のつかない議論になりますが、