モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

モテる男は、ジェンダーフリーの逆を行く

ご無沙汰しております。

やじろべえです。

いきなりですが、ぼくは古いタイプの人間なのでこういうネットの世界のことも、ラガード的に最後尾から一生懸命付いてきてるわけですが、その世界を見渡すといろいろ炎上してますね。

YouTuberヒカルの「VALU大炎上」とは何だったのか ヒカルがTwitterで経緯説明、暴落したVAは最高値で買い戻すと謝罪 (ねとらぼ) - Yahoo!ニュース

 

最近では多くの読者からメッセージをいただくようになりました。

ブログはぼく自身の思考を整理し読み手に理解しやすいように発信するのにとても役つのですが、それが同時に誰かの役にも立っているという意義、うん。自己成長と他者貢献は両立するとは、だれか言っていましたが、資本主義システムの中ではさらにこの「貢献」がお金に変わりますね。

経済学が発展して産業革命やIT革命を経てこの世界は経済の側面では豊かになりました。誰でも一代で裕福になれる時代、プログラマーしかり、マーケッターしかり、コピーライターしかり、YouTuberしかり。それはネットで資本ゼロからはじまり、とても大きなレバレッジが利くからです。しかし世間を騒がせたYouTuberをみればわかる通り、煽って煽って金をかき集めたらドロン、と消える。金銭的な裕福さと、当人の人間性に因果はありません。つまりお金と「貢献」はつながってない場合が多々ある。

一方、「モテるにはマインドセットが・・・」の通り、モテるという現象は、当事者の人間性とかなり関係が深いと言えるでしょう。モテるのと、人間としての厚み深みは因果があってごまかすことができない関係性です。この人間性とは男であればただ優しいとか、女であれば尽くすタイプとか、そういうステレオタイプのお話しではありません。んじゃ何なのか?まあ、これを話せば長くなるのでブログ記事という形で発信しているわけですが、そんな簡単なものではないということも頭に入れておいてほしいと思います。人間死ぬまで勉強なのです。死ぬまでかっこいいのです。

人間性がダサい=モテない、

人間的に本物の魅力がある=モテる

そう思ってもらって、そしてその方向で努力してもらってかまいません。

 

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さて、

モテたいと思う時、「ではどういう男がモテるのか?」をまず定義できなければ話は始まりません。金を持ちになりたいなりたいという願望だけでは達成できないのと同じです。いくら念じても思考は現実化しないのです。その願望のスタートから達成のゴールまでは方法論や計画、実行、反省などのいわゆるPDCAサイクルが必要になります。

しかしもっと手前にこのモテるとは何か?という定義づけが、いわゆるマインド(mind=思考、意思、知性、精神)のセット(set=置く、決める、整える)があってPDCA サイクルが回り出すわけで、その定義づけのために「どういう男がモテているのか?」という現状分析から着手するという当たり前な第一歩をふむべきなのです。

さて、定義づけ、つまり目標となる青写真をクリアにすることは、時代とか流行りとかそういうものから離れなければいけないときがあります。女子がペラペラと男を品評するコトバから離れなければいけないことも多々あるのです。そういう雑音とかプロパガンダをかなぐり捨て、邁進しなければいけない。その一つが「ジェンダーフリー」という考え方です。これはモテるために本当に邪魔です。時代を反映していますがこれがまさにあちこちで蔓延してる現代病ですよ。

 

日本では、この男女平等は戦後急激に進んだ考え方です。これはフェミニズム運動と深い繋がりがありますが、それゆえに歴史的起源は、18世紀のフランス革命になります。革命が起きて参政権などなど個人の権利、特に女性の権利を拡大する流れなりました。

そのあとは戦争したりなんだかんだありましたが、1960年代にウーマンリブ活動が世界中に広がりそこからはグローバリズムとかリベラリズムとかもろもろが合わさって自由化の流れですね。

改革、権利主張の中で、女性の社会進出が進んできたわけです。これは、女性は家庭という古い価値観をぶっ壊すわけですが、良し悪しの両面生み出しました。

 

女性の社会進出が当たり前の時代になったことで、女性が躊躇なくバリキャリでも玉の輿主婦でもどちらでも、生きたい生き方を選べる、選択肢が増えたという意味でとても良いと言えます。がしかし、その代償としていらないポリコレが世間の空気となってしまいました。「男らしく」「女らしく」などと言うと、差別発言ととられかねず、時代錯誤な古い人間と揶揄されまてしまいます。

しかし、この「らしさ」こそが決定的に重要な時代なのですよ。「個人の時代」を深く理解した人が生き残る時代なのです。ということは、人と同じではいけない、今こそ自分らしく、ブルーオーシャンを目指せ、といつかの記事で話したようなことが導かれて、時代のポリコレとは逆のポジションに正解があることになります。

あなたらしく、というのは、べつにきれいごとで言っているわけではなくて、人間は本来そもそも違う個体なのだからその「らしさ」を発揮することが戦略になると言っているだけなのです。

男なのだから男らしく、つまりそれを突き詰めて研ぎ澄まして生きた方が本来的で、ハマるんじゃないですか?と。この男らしさとジェンダーフリーの世間の空気の現状はまったく逆ですね。

なぜこの全く逆の立場をとるパラドックスでうまくいくかというと、

 

男女平等は政治や道徳の話、男女の本質的なちがいは科学の次元である。

 

という事実があるからです。

 

「ポリコレ」

ある種の正しさと世間で言われる概念は、ある思想の観点から見たら正しいと主張されるに過ぎないだけで、時代を生き残ることができることとは無関係です。ポリコレに沿って歩んでいったら二極化の下側だったということが大いに起こり得る、二極化の激しい国々ではまさにそうです。二極化の下側に固定されてはじめて「正しさ??、、、きれいごとじゃねーか!!」と認識できる。

遅いのです。

 

さて、テーマでもあるジェンダーフリーの話題。

これこそ最強のポリコレですよ。グローバル的で自由な発想で寛容な精神を映しているように見えるジェンダーフリーですが、男女の違いに目をつぶるということはつまり、男らしさの欠如という負の側面が出てくることを意味しています。それはトレードオフでもありますから、男らしくありたいと思うならジェンダーフリーの逆を行くべきなのです。なぜならそういうふわっとした考え.きれいごとに迎合していては男らしくある努力をする必要性が、論理的にありません。努力とは何にしたってしんどいものなのですから、「べつに男らしくなくてよくね?」という風潮は甘えとなって足を引っ張ることになるでしょう。思想が自由に傾くのは時代の流れでなるようになるものですが、恋愛においては男にとって損失がかなり大きくて、現状、世間に男らしい男が少なくなっていることとは実は無縁ではありません。(主要な理由は別にありますが。)

このジェンダーフリーの問題点は、男女平等だ!という理想を掲げているがゆえに、「平等」と「役割」をごちゃ混ぜにしてしまうことです。

ジェンダーフリーの目指すところは、その定義によれば

「従来の固定的な性別による役割分担にとらわれず、男女が平等に、自らの能力を生かして自由に行動・生活できること」となっています。

自由に生きるとか、人種に優劣がないとか、そういうの現代文明的な理想はまったく結構で良いことなのですが、それと、役割分担がないという論はまったく別の話です。だいたい、職業選択は自由ですよ、と憲法では吟われていて、それぞれが好きかどうかにかかわらず就いた仕事によって大きな経済を構成しています。さらに企業でも人事は適材適所で人材を登用しているわけですが、それぞれの人材が役割分担を果たして会社が回っています。その役割分担があって会社や社会に貢献しているのですよ。職業に貴賤なしなんて言葉がありますが、犯罪を除けばこれはまったくの正論です。適材適所も人材の適正であって、優劣とはまったく関係ない。

人種によって、スポーツ、サイエンス、アート、ファイナンスなど、どの人種がどの分野に強いという傾向は間違いなくあります。オリンピックでもどの競技はどの人種がいつも勝ってるという事実がありますが、だから人種の優劣とは関係ない。得手不得手、適材適所の話なのです。

ジェンダーフリーの問題点は、そういう当たり前の話に目をつぶって「男女にはそれぞれの役割(広い意味での適正)がある」という事実を感情論で全否定してしまっていることです。

 

「自分の役割がない」

こういう人間がいたとき、彼はかわいそうなやつではないでしょうか。問題点は「自分自身のやるべきことが認識されていない」に集約されますが、こういう状態では欲しい成功を獲得できるはずもありません。

役割をしっかり果たせないやつが「自分の能力を生かして自由に行動.生活できる」なんて裏技はありません。

役割がある、やるべきことがわかる、これは充実に不可欠であり、人としてとても幸せなことなのです。

自由化になると実力が如実に問われ、格差が急激に広がることはいつか論じたわけですが、当然ながら、欲しいものがあればそれを手にするために必死に頑張るべきで、それをやらないならいつまでも達成できません。これは「モテるのはマインドセットがすべて」の基本指針でもあります。その根幹である「自由に流されるな!やるべきことをやって獲得しに行け!」というメッセージの土台には「『男として』やるべきことをやれ!それが女が求めていることを満たす条件だ!」という思想があるのです。

 

「男としてやるべきことがある、男には男の役割がある。」

なぜそう言えるのかというと、そもそも人間の脳がそうなっているからですよ。つまり、先ほど引用したとおり、「男女の本質的な違いは科学の次元」なのです。

この男女の違い、つまり性差がどこにあるのか?という問いに

「脳にある。」

と答えたのは、次の古典です。 

f:id:hanachi87:20170821234434j:plain 

アランピーズ、バーバラピーズの『話を聞かない男、地図が読めない女』

 

これはマジで古典なので(02年発行)、それ以降の研究の結果、否定された面もありますが、2017年いまだにはっきりとした結論は出ておらずその論争は続いています。

 http://karapaia.com/archives/52178400.html

 http://karapaia.com/archives/52206786.html

 http://karapaia.com/archives/52202127.html

  

さて、こういう学者や研究者の人類に対する貢献により日進月歩で謎が解明されていますが、それを踏まえてこれまでの論調を見てもらえればわかると思いますが、ボクは男女で脳の違いが「ある」と考える立場です。

人それぞれの個体差はどこにあるか?といわれたら、脳とかホルモン系の働きによると答えますし、そこが違うからこそ個性などの差異が生まれるといえます。人類史で見る通りこれまでいつの時代も男女はつがいになって繁栄してきたわけですから、つがいになる、というのは生存と繁栄という生物学的に見ても、男女の愛という感情面を脳科学的な観点でとらえても、男女それぞれに役割があり生き残るためにその役割を果たすことで一対を成すという結論にたどり着きます。あの、男は狩りに出て女は家を守るという太古の狩猟時代の話ですよ。男は自分にないものを女に求め、逆に女もそうである、そうやって共存するわけです。

現時点で男性と女性の脳に違いがあるのか、それが明確に解明されていなくても、現実にある男女間のやり取りやある種の合コンでのせめぎあいを見ると、その「性差」は明らかに存在していて、ポリコレで否定できるものでありません。「女心は秋の空」という男のつらい心情はいつの時代も存在していて、しかし女からしたらなぜそんなことがわからないの、バカなの、と思う。まさに全く違う生き物なのですよ(ノ∀`)アチャー。それは脳が違うからです。

男同士での飲み会や女子会など、同性が集う場での会話の方向や内容や時間や目的などを追っていけばそこには男女における全然違う事象があって、それを男女混合にするから、アランピーズが記述するようなさらにたいへん困った事象が発生するわけですよ。

この明確な「性差」、背後の理論はわからなくても現実が目の前にあるわけですから、科学者たちの研究によりいずれ理論が追いついてくるのでしょう。

 

さて、前出の参考図書は古典ですが、同様の立場をとっており、しかも他の著書や映画などのエッセンスも交えつつ男女の違いを扱っている面白いサイトがありましたので載せておきます。

 

【男女脳】の違い。なぜここまですれ違うのか。 – Sales Technology Lab

 

このサイトの趣旨は、やはりボクがこれまで論じてきたのと同じで、男女脳の機能はそもそも違うし、その違いはそれぞれの役割に最適化されているんだよと解釈していいと思いますが、「それを恋愛でモテるために」というフィルターを通すと、以下に示す戦略が見えてきます。

よく言われるように、女は共感で男は解決とか、そんな表面的なことは全然役に立たなくて、

絶対見落としてはいけないポイントは、

近くにあるものを見つける女・近くのものを見つけられない男

です。

男は狩りで遠くを見て獲物を捕らえるべく最適な脳が備わっており、女は家を守るために近くに視点がある。この「遠い」「近い」は視野に限ったことではなく、時間軸においてもそうだとぼくは思うのですが、いづれにしてもその特性ゆえに女は目の前にいる男から引き出せる情報がとても多いという重要な事実があります。これがいわゆる「女の勘」というやつで、男の人格、清潔感、横柄さ、ユーモア、勇敢さ、気が利くか、聡明か、そういうところを瞬時に感知できるのです(その精度は人による)。男はそもそもそんなことしようをはしませんし、可愛けりゃOK的なところがあります。そして愚かにもなかなか小悪魔を見抜くことができずハマりこんでしまいますが、女はなんでそんなことも見抜けないのか?男はバカね。と心底感じているのです。この女子のセンサーはマジで近くのものを把握するの優れていて、目線、反応、雰囲気や覇気、声色、声のスピード、動揺するか、間、機転、動作、姿勢、などから相手についてできるだけ多くを知ろうとするのです。「この男はモテるな」という判断も瞬時にできるでしょう。このモテ·非モテは男が黙っていても伝わってしまい、決してごまかせないものです。

さて、このすべてが脳によって司られており、また嗅覚で男を知るというデータもありますし、フェロモンという謎の物質も関係していたり、ぼくらが理屈では言語化できないモテの理由が確かにあるわけですが、それは戦略として活用できます。

つまり、再三再四ブログで大声で叫んでいる通り、マインドセットを強くし、強靭なメンタルからくる堂々とした立ち振る舞いとナチュラルな優しさや気配りを、INSIDEOUTするだけなのです。これが戦「略」ですよ、余計なテクニックは一切要りません。あらゆる小手先のテクニックを省いてしまって一気に女心をつかむのがマインドセットの威力です。そしてそれは、人間の脳、女の脳をハックする最も合理的な男の「やるべきこと」です。そして、男はウジウジいろんなことを考えてるやつがダサいというのはお決まりで、そもそも男の脳は周辺を気にするようにはできていなくて、目的達成やそのための戦術や長期視野が得意分野なのです。だからこそ、共感できないとか細かいことに気づかない、とかそういうのはしょうがなくて、髪形変わったのに気づかない彼氏を、女子たちは愚痴るわけですが、それは男らしさとのトレードオフでもあるんですよ。(程度の問題ですから、気づかない、気が利かない、共感しない、という「人として」終わっている男のことは、例外にします。)

だからこそ、女が求める条件とやらに寄せすぎるとかえってキモくなったり、女兄弟が多かったりすると変に無駄な知識が詰め込まれてしまい、リスクテイクな行動がとれず、ダサくなったりします。女は男に対してたびたび愚痴るのに、女脳から放たれた助言どおりにアクションすると「男らしくない」と言われてしまう。そりゃそうだ、そもそも男女は違ってんだから。

それは、科学の次元で話をすれば、当たり前なのです。

男には男の役割がある、という発想がないなら、「男として」女に対して何をgive 出来るだろうか?という問題意識が出てきません。男女平等、男らしさ要らない、となれば「男として」与えられるものは何もない、となる。別に男としてでなく、家族として、友達としての役割で「お前と一緒にいるよ」、、、ん?と。

これは、本来女が望んでいるものではないでしょう。家族からの愛、友情としての愛、何か足りない。。そうだ、男から愛される!、笑 

彼氏に男らしさを求める女が「男が女に女らしさを求めるなんてキモいわね、キャハハハ」と女子会で愚痴ってる、なんとも矛盾した世の中なのですよ。これでは、誰も幸せになれない。

だからこそ、ぼくらマインドセット組は女が語ることを真に受けてはいけないのです。そして矛盾した世の中の風潮に流されてはいけない。この世の中はポリコレで覆い尽くされているのですから。

ぼくは古き良き時代を意味もなく懐かしむことはしませんが、歴史を見ていくと確かに科学的な現実や本質があるのに、それを感情で否定して、己の願望や勝手な理想を語っているだけの論が多い気がします。そういう意味で世界のリベラリズムとかの新しい価値観が出てきてもそれが有用で個人を成功に導くかと言ったら必ずしもそうではない、古来から存在する何か普遍的なものがあると信じたいタイプです。笑 この意味でぼくも理想主義なのかもしれませんが、要は現実とのバランスだと思っていて、戦略はそういう本質的なことを土台にしないといけないと強く思っています。

おっと、少し熱くなりすぎましたね。 

 

まとめましょう。 

人は一人では生きていけない、これは確かです。

男女を構成し、家族を構成し、働きながら経済を支え、社会に貢献する。この貢献は「役割」なのです。自分は何か大きなものの一つのピースにすぎないということは、「できないことは、無理せず他の人に任せましょう。自分のできることをやりましょう。」というシンプルな結論に至ります。これが経済。これが恋愛。壮大な役割分担なのです。

役割をしっかりこなすということは実はとてもとても重要で、かつ幸せなことです。「人との関わりを大切にしなさい」といわれますが、それは社会システムとして分業なわけだし、一人じゃ何もできないから、

①自分の役を果たす

②できないところは助けてもらおう

というこの二本柱を一言で表していて、なんだかふわふわ自己啓発で包装がなされていますが、これは決してきれいごとではなく、本質なのですよ。

 

男は強いようで弱い、一人では生きていけなくて、女が必要です、ガチで。生物学的な生存繁栄の面でも、気持ち的な満足の面でも、そう。 それは、生物学の観点から説明できる当たり前の話でした。

社会がどう変化しても、ぼくたちはすでに生き物としての構造を持っていて、それはすでにここにあるもので、それは昔からあったもので、それを的確に使うから戦略になります。男は男として持っているリソースを最大限に生かすということにフォーカスして、モテる男を目指していく。その道筋は、男らしさと人間らしさの条件を同時に満足させることができるし、だからこそ女に選ばれる「理由」になります。

「どういう男がモテるのか?」その答えはもうあなたの中にある。ひたすら、PDCAにより、さっさと次のステージへ行きましょう。

では! 

 

 

♯やじろべえ♯

 

 

PS. またまたコメントいただきました。うれしいかぎりです。

ROCbeingmeさんからのコメント。

「やじろべえさんこんにちは
ROCbeingmeと言います。都内の大学生で、記事を楽しみに見させていただいております。

機会があればですが、ぜひお会いしてお話ししたいです。オフ会などの開催も検討していただけませんでしょうか?

頭の片隅でも良いので、考えていただけると幸いです。

 

ありがとうございます!

東京の方、しかも大学生が読んでくれている、感無量。これだけ高い評価をいただけるとは教育者としてはハンパなくうれしいですね。北島康介の「なんも言えねえ」ですわ。

オフ会の要望をいただきましたが、実はわたくし日本に住んでないんですね。東南アジアをブラブラしながら、こういう活動しているんですよ。このスタイル、「俺のフレンチ」ならぬ、「俺の教育」だと思っております。ほかにももろもろ同時進行でやってる案件もあって、時間的にも物理的にも制約があるのが現状です。

お誘い大変うれしいのですが、現状はきびしいでしょう。しばらくはこの執筆発信活動をしながら、モテるためにやりたいことを我慢してでも自分に投資する、そういう人々の情熱をモチベートしていきたいと思います。大学生ということですが、本当に羨ましい。若いころに良質のインプットをできるというのはその後の伸びが全く違う。ぜひ頑張ってほしいと思います。

このブログはそういうモテたいという情熱を持った男、自分を変えたいと強く願う方々、彼氏や旦那を色気のある男に育てたいという女性、自分はイクメン、子供はイケメンという子育て真っ最中の親御さん、などなどそういう属性の方を読者として想定していますから、ブログをハブ代わりに使ってもらって個人的に知り合い、オフ会などしながら人脈スパイラルを作ってもらうのはいっこうに構いません。皆様の役に立てればこれ幸い。

 

では!

 

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