モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

自信を持つにはどうしたらいいのですか??ー「自信」、第三の道を論じよう

みなさま、お久しぶりでございます。

目標達成はいかがでしょうか?モテにどん欲な読者様は野心旺盛で冷静沈着なそういうマインドで着々とパワーアップしながら壮大なモテを実現させようとしていることでしょう。

野心旺盛でしかも冷静沈着という気質は、女が大好きな男像です。女子はなんだかんだモテ要素を語りたがりますが、それは表面的なものにすぎませんから、気質そのものに魅力がないとすべての言動はてんでワークしません。そして、「野心旺盛でしかも冷静沈着」という正規分布の「中で」あとは女の好みとして、「チョイワル」が好きか、「清潔インテリ」が好きかバラけるだけで、基本的に生物としての男のファンダメンタルバリューは普遍です。

この「野心旺盛でしかも冷静沈着」という態度は「自信」というメンタリティをもとに形成されます。自信は目標達成にも大いに関係するので今年の2発目に取り上げることにしました。

 

では、さっそくインプットして、一緒に考えましょう!

 

自信を論じるとき「自信を持つため根拠を作れ!」説と「根拠のない自信を持て!」説の二つに分けて論じる傾向にあります。

 

自信を持つための根拠、

つまり、

車をセールスしまくって売り上げをたてろ

超人気Youtuberになれ

インスタフォロワー100万だ

大企業の幹部

博士号取るとか、

という職業的なものから、

 

ギターが弾けて女の子がキャーキャー言うとか、

芸術性豊かな絵を描けるとか、

手品で場を盛り上げることができるとか、

そういう 特技や趣味的なものまで、

「これがぼくの十八番」、それがありさえすれば、自信はあとから付いてくる、という理屈です。

いわば「拠り所」。

 

しかし、残念ながらそれは「自信」とは全く関係ないんだ。という悲しいお話をしなければなりません。

 

栗原類

というモデルをご存知でしょうか?

「ネガティブすぎるイケメンモデル」というキャッチコピーで世間に知られていますが、彼のこの代名詞、なんか違和感を感じませんか?メンズノンノやポパイという有名メンズ雑誌にも登場し、バラエティ番組でも活躍しているイケメンモデルなのですが、彼の発言や振る舞いはとてもとても「ネガティブ」、

「来年には消えていると思いますので。。。」

「女性に?モテませんよ、モテることなんてあり得ないと思います」

「自分の魅力? 物静かで、消極的なとこです」

なぜこれで人気があるのか、全く理解できません。。。キモくないですか?このネガティブオーラ。

彼のインタビューやツイッターなどのネガティブ発言集を見てもらえれればわかりますが、とにかく暗い、そして自信がありません。

モデル志望の若者なんて掃いて捨てるほどいて、俳優とかお笑いとかもそうでしょうが、ほとんどは夢かなわず名前を知られることもなく業界を去っていく中で、彼はある意味勝ち組と言えるでしょう。

それなのに、自信がない。

このイケメンなのにネガティブ、モデルの肩書がありながら自信がない、そういう矛盾が、僕には非常に新鮮に映りました。

人って「持っていても」、自信があるかどうかはまた別問題なんだなと。

実際、社会的ステータスや肩書きや収入、オシャレな趣味や優秀な業績、そういう評価軸で見たとき、我々よりもはるかに才能溢れているように見える人々が、「超自信がない」というケースはとても多い。

 

 

 

逆にどうでしょうか、売れないバンドマン、芸人、居酒屋店長のような、リーダー的で、ただ体力があり、元気があり、情熱があり、しゃべるのがうまく、やりたいことが明確、そういう種類の人間は、こう言ってはアレですが、なんの取り柄もないのに「自信はある。」特に女の前では。

ナンパ歴何年という類いの人たちの話を聞いてみると、社会的評価はなーんにもなくてもぜんぜん平気、圧倒的に自信があります。サラッと自然にいつの間にか女を口説いている。

 

 「なぜこういう現象が起こるのか?」

この問いに、根拠があれば自信を持てる派は答えることができません。 

「目に見える成果」(収入、肩書き、業績などなど)を「尺度」にして量ったとき明らかに“何らかの成果組”にアドバンテージがあるよな、そうだろ?だって根拠があるんだから。

そう頭の中でつぶやく。

しかし好きな女の前ではピクリとも動けません。

なぜか?

「自信」がないから。( ̄▽ ̄;)

 

根拠≠自信。

これが世の中の真実なのです。

そして、自信がないと⇒モテない。という悲しい結果が自動的に付随してくるのです。

 

重要なことですが構造的に、各モテ要素の最後に自信という項目がデカデカと構えています。一見バリューが高いかに見える男も(=その他のモテ指数は高くても)、最終的に「× 自信=0」ですべてが0。オセロのようにひっくり返り、全部裏目になるのです。

あれ??、ルックスもよくて経済的安定や社会的ステータスもあるボクが、どうして?....

女は自信がないのにある風に振る舞う男が大嫌いです。特に「根拠」に頼って、虎の威を借る狐ならぬ、肩書の威を借る非モテが大嫌いなのです。

 別にナンパ師が偉いわけではありませんが、自信があり即行動する、という一点を抜き出せば、女から見ても、ビビりながら何言ってるかわからない非モテよりも、ナチュラルでどこからともなく自信が滲んでいる口説きの方がそりゃ気持ちいい。

第一印象が大事、と言われますが、

「自信」

これはモテるかキモるかの決定的な要素と言っていいでしょう、数々のサンプルを見てきてぼくはそう思っています。

 

根拠があっても、自信なし↘

根拠がなくても、自信満々♪

 

もう一度言いましょう。世の中にはそういうサンプルは無数に溢れています。よくよく目を凝らして肩書きが立派な男たちを見てみてください、驚くほど自信がない。ことに女の前では情けない。

ぼくは不思議なんですよ、誰からも羨まれる経歴がありながら、なぜ自信がないのか。

導き出されるのは、 

自信もあって仕事でも成功している、そういう人は成功した(=結果がある)から自信がある訳では決してありません。逆です。自信があるから成功者になれた。それだけなのです。

「成功すれば幸福になれるのですか?いいえ、幸福だから成功できるのです。」ショーンエイカーの主張と同じで、逆転の発想ですよ。

 

 さて、根拠のない自信を持て!という主張はどうなのでしょうか?

これは一面では正しいと言えます。特に生物学的に正しい。

これは「どうすればそんなにアイデアがポンポン出てくるのですか?!」というのと同じ種類の質問です。アイデア=ひらめきともいえますが、ひらめくためには没頭状態が必要である=フローと呼ばれて研究されています。

 例えばコレ

http://blogs.itmedia.co.jp/yasuyasu1976/2011/11/post-66a9.html

http://diamond.jp/articles/-/74287

二つ目の記事は、詳細に科学データというより、それにもとづく著名人の対談ですが、、

「イノベーティブであるということは、すなわち不確実性とセットであるということです」

この一言がアイデア生成についてすべてを語っています。「不確実性」との言葉通り、アイデアは意図的に気合いでひらめくわけではありません。方法論についてはバードランド.ラッセルがすでに言及していて「この仕事を地下で続けよ」ということなのですが、

大量のインプット

一定期間何もしない

また考える

のプロセスであることは知られています。

加えて十分な睡眠休息をとる、ポジティブな情緒を保つ、などして環境を整えて脳内の飛躍を待つ。

超ざっくりいうと、意図的にアイデアを出すことはできないので、「しっかり準備して、あとは待つ」ということで、僕らにできるのは「しっかり準備」のところだけです。

脳科学のお話です。

この点、自信も同じなのです。気合でコントロールできるものではない。適切な環境さえ準備してやれば勝手にわいてくるのが自信です。良くいわれるのが運動ですね。沈んだ気持ちを晴らすにはジョギングがいいよ、軽いうつの患者さんにはウォーキングから勧めるよ、そういうお医者さんもいる。そうすれば、「自然に」ポジティブになれるからです。

だいたい脳科学的に脳のどの部分にどの物質を流せばどういう感情が発生するとか、どの物質がどれだけ不足すればバランスが崩れて感情も不安定になるとか、すでに明らかになっています。そして当たり前ですが食べるもので身体ももちろん脳も作られますし、睡眠でしか脳にたまった疲労物質を排出できないこともTEDで語られています。

だから、定期的にジムにでも行って体を鍛えてクリーンで健康的な食事して質の良い睡眠をしっかりとって禁欲する、そういうふうに健全な生活パターンを習慣にすれば、もちろん個人差はありますが、体の調子が整ってきてポジティブになり自信がわいてくる。

生物学のお話なのですよ。

これを愚直にこなすだけでかなり人生が好転します、そう保証できる。そういう側面からして、「自信に根拠はいらない」も正しいといえるでしょう。

 

しかし、これも本質的な決定打にはなりえません。

それは、「ボクらが生きるこの世界には自信がない男たちが大量にいますよね」という現実があるのだから。運動は大好きだけどコミュニケーションが苦手、、、筋トレでりっぱな肉体はあるけど自分の筋肉に酔ってるだけでなんか女々しい、そういう男もたくさん見てきました。うーん。。

これは筋トレも大事だけどあなたはコミュ障だからコミュニケーションに真正面から取り組まないとダメですよね、という個別の事象としてアプローチする必要があるのは確かにそうなのですが、もっともっと本質的な部分で、

「車の性能をグレードアップしてフェラーリ並みになったとして、どこへ向かって走るのですか?」

「いろいろとパーツやアクセサリーをくっつけて改造してかっこいい車に仕上がったとして、結局だれと競走しているのですか?」

という問いが残っているのです。

「マインドセットがすべて」を信奉する我々はここを解き明かさなければなりません。笑

根拠のない自信派の主張は正しい反面、どこか「簡単だよ、自信を持てばいーんだよ、ヒャッホー」で片付けているようにぼくには見えてしかたない。これでは真剣に自信を求めている人にとっては雲をつかむようなフワフワした話で、何の説得力もない空虚な言説なのです。

「そんなぁ、気持ちの問題かよ」と。そんなのバカでも言える。

そんなんで自信が発動したら、世の中みんなモテるってことになりませんか?恐ろしい、レッドオーシャンです。

確かに、根幹に気持ちの問題はあるのですが、「じゃあどうするんだよ?」となった時に、それをそのまんま言われても「努力すれば夢は叶う」言説と同じで、正しいんだけど、結局夢は叶わないのです。

落ち着いて考えると、原理的には最初は誰しも実績も何もないゼロスタートで、当然やる気とか粘り強さとかそういう「精神論」から出発するわけですが、もちろん長続きしません。めんどうなしがらみや、競争社会での敗戦、嫉妬やねたみ、劣等感、様々なプロパガンダによる洗脳でコテンパンにやられ、まったくのβマインドになります。4月から就職して新生活を始める社会人の皆さんには、残念ですがそういう前途が待っています。

 

さあ前置きが長くなりました。(今から本題か!?)

自信に根拠は要らないのに、根拠のない自信は存在しない。ここがわれわれ男たちを悩ませるところです。

そうすると、自信とは、アクセサリーのような外的要素でもなければ単なる気持ちのハッタリでもない、そのようなブラフ合戦ではないということをまず押さえておきましょう。そのうえで何らかの根源的な原因や背景があって、ナチュラルに自己が自信状態で”いる”という感じなのではないでしょうか?

はい、その通りなのです。

ある作家は著書でそのイメージについて「HaveではなくBeだよ」と述べましたが、まさにこの境地。

上に述べたような種類の人間、なぜか自信があるタイプの男、ポジティブで向上心があり、怖いもの知らずで、いつの間にか人と仲良くなってるようなやつ、まだ成功していないその途上なのに、なぜかキラキラしてるやつ。彼らの共通点は彼らが自覚してるかしてないかにかかわらず、

「 自分は何者か?」

に答えることができるということです。

もう一度言いましょう。「何者であるか」Haveではなくて、Beなのです。

これは、自己啓発界隈では有名な言葉で、たくさんの所有物(肩書や何らかのテクニックも含む)には人生が変える力は決してなく、自分自身が「何者かになる」ことこそが劇的に人生を変え、成功を手に入れる第一歩、という指南です。

すべてのそれ系書物のエッセンスを抽出すると必ずそこに行き付きます。それはときに「WHY」の問いかけであったり、ミッションという言葉で表現されたりするわけですが、突き詰めると「自分が何者かになれ」と解釈できます。

その視点でみると、 所有物や富やステータスを追い求めて、その結果を手に入れるまでの”プロセス”こそが(その中に含まれる努力や経験)適切に作用してマインドが変わりはじめ何者かが確立されていくとは言えるでしょう。それは決して結果ではないんだ、とは再度強調しておきます。

さて、ここで僕が言っている「自信」とはどこに行っても誰と面してもブレない、極々自然な状態である定義しましょう。グローバルなこの時代においてグローバルスタンダードだ!なんて強調されますが、まさにコレで、グローバルに動けば動くほど成功する確率は高まりますが行く場所出会う人によってぐらぐらと自分がブレているとしたら成功はできません、自信がないからです。

そして「自信」のある人とない人の違い、自信のレベルがどの位置にあるのかを量るとき「人と出会ったとき、ブレるかどうか?」が一つの指標になります。これはぼくが構想を練っているモテ指数の公式とも通ずるのですが、「自信」とは人と対峙したときに見え隠れするものなのです。自分に物差しがない人はすげえ人出くわしたとき瞬間的にその人の何がしかの肩書で自分の価値を図ってしまいます。

「ああ、おれは大企業社員でもない、収入も低い、イケメンではない、あいつみたいにモテない、、、ブツブツ。。」

「おれはダメだ~~」

というループです。

完全にBeではなくHaveに囚われていますね。

 

本来、対峙した相手がすごい売れっ子の俳優やモデルでも、また自分自身がまだ成功していないその途上であっても、そんなことまったく関係ないのがあるべき姿で、「他人は他人、俺は俺」、つまり「彼は何者(例えば、俳優・モデル)であり、自分は何者である」をまったく分離して考えることができるということで、自分の物差しがある⇒まったくブレない、これが「自信」なのです。そういう視点で見ると、美人を目の前にしてもブレない男は、「自分は何者か?」がわかっているのでナチュラルに自信がにじんでくる、それだけです。

さて、ぼくらは一生「自分は何者か?」「どこに向かっているのか?」問いかけて、日々アップデートしていかなければならないわけですが、一つの指針になるビデオがありますので見てみましょう。YouTubeからのそのまま持ってきただけですが。笑

 

www.youtube.com

 

三浦知良✖中田英寿✖前園真聖の対談です。

ヒデやカズの発言に注目すると、中田英寿のBeが見えてくるでしょう。

 中田英;「園は、どこを目指してるの?」

三浦和;「ヒデは、中田英寿やってるよね」

 この二つの発言です。

まず一つ目。 

中田英寿は、サッカーを辞めてからも旅しながら自分の方向性を自問自答してきました、彼の中にはそういう情熱や思考がある。自分は何をしたいのか?すべきか?それを常に問いかけてきた。だから彼を見ている人たちはヒデが何をしているのか(つまり職業は何か?)を理解できなくても、何をしたいのか、何を目指しているのかはわかるのです。

ヒデはそういう生き方の軸があるから、前園を見たときナチュラルに「ゾノは、どこを目指しているの?」という発言が飛び出した。

さて、二つ目。カズの発言も見てみましょう。「ヒデは、中田英寿やってるよね」、これは

ヒデ=サッカー選手

ヒデ=財団やってる人

ヒデ=旅してる

ヒデ=アパレル関係

このどれにも該当するわけではなく、

「ヒデ=職業・中田英寿」がカズの頭の中で成立していたのです。

そういう自分が何かの肩書で形容されるのではなく、「私=自分自身」が成立しているとき、それはわかりやすい一つの「Beである」ことの指標であり、サッカー選手の肩書が無くなってもぜんぜん平気、彼には自信があり、様々な活動に精力的にチャレンジしているのです。肩書の弱さは、それが無くなったときに、「俺は何者なんだ?」のアイデンティティが崩壊して、人間関係においてブレブレになることにあります。もちろんそういう人生を歩んでいると、モテません。

 

中田はサッカーが好きだったからそれが職業になったし、そのサッカーを通して 「自分は何をしたいのか?何をすべきか?なぜすべきか?」これを常に自問していた、このプロセスがとてもとても重要なのです。結果を追い求めるのではなく、追い求めるプロセスの質です。社会的ステータスや年収や学歴やルックスそれ自体は中立です。問題はそれ拠り所とするのではなく手段として自分の意義を見出しより明確にすることです。それにより社会的な貢献がおぼろげに見えてきて、人間関係でのコンテキストで「自信」が徐々に発揮されるのです。

 

ぼくの好きな映画で「ボーンアイデンティティ」というのがあるのですが、今言及したお前何者論はこの映画の中で描写されているメッセージと非常に似ています。役者の演技、ストーリーや伏線、映像など、実に良くできていて素直に映画として楽しめますが、アイデンティティの観点で見るとなお興味深い。

あらずじは、意識不明に陥ったCIAのスパイ、ジェイソンボーンが本来のスパイ能力を無自覚に行使しながらだんだん記憶を取り戻し「自分は何者か」を探していくと言うものです。

僕が強く納得したこの映画のメッセージ性として、元スパイですから自分でも気づかないうちにドイツ語で受け答えしていたり、警棒を突きつけた警官たちを反射的に叩きのめしてしまい、取調室に拘束されても脱出できるし、カーチェイスでもいとも簡単にパトカーを巻けるし、なぜか格闘や銃器の扱いに優れている、そういうスーパーマンなわけですが、それとは逆に彼は苦しんでいました、、、、、「自分はいったい何者なのだ」と。

この映画のメッセージを端的に表すと、

 「自分が何者かわからなければ、どんな能力やステータスがあっても、満足できない」

「自分がわからないと、そーとーな実力があっても、生きていけない。」

 そーゆーものを提示しているとぼくは受け取りました。

逆にボーン自身が「自分は何者か」がわかれば、本当の自分を見出だせば、問題は解決するのです。それはスパイの特殊能力の有無とは直接関係ありません。

こうゆう映画の中であぶり出される人間像はじつに普遍的な香りがしますが、デンマークの哲学者キルゲゴールは個人に焦点を当て、人間を個別具体的な対象として哲学して「実存」を求めることで人生の絶望と挑んだの似ていて、人間の満足とはそういうものだと思います。本質はそこにあるのだ、と。

 

さて、そろそろまとめですが、

「金がある人がスゴい人」なんて言われたら、当然、「はっ?バカか」と思います。ムカつくでしょう。お金も実績も、仕事人として生きるなら大切ではありますが、それがすべてではない。人生の一部分に過ぎず、「あなたそのもの」では決してない。 根拠がありさえすれば自信を持てる、と考えてそれを追い求める人は、他者を人間そのものの魅力ではなく、肩書きや収入や外見で判断しがちです。だって、自分はそれを必死に追求してすべてを投入して、それこそが自信の土台だと信じて、これまで人生を送ってきたのだから、そういうフィルターでしか世の中をみれないのです。

しかし、そのパラダイムでモテの競争に参入すると恐ろしいレッドオーシャンです。現実は「上には上がいる」。だから、結局あなたはコモディティ。

だから、決してhave を追求してはいけない。

 

自信はどこから来るのか?

解答は、自分は何者か?を問うて生きていく、問いながら、飯を食って、仕事して、恋愛して、勉強して、トレーニングして、商談して、買い物して、旅行して、そしてそのプロセから自分を発見していくのです。

そして、決して肩書きや能力に惑わされることなく、自信を確立していきましょう。そこには、自然さと自信に満ちた輝きがご褒美として付随するので、美女の前でも堂々としていられるのです。

そして、女はそういう男が大好きなのですよ。

 

☆やじろべえ

 

PS.モテとはなんだよ?という問いに答えようとするとき、勉強してないと出てこないということをヒシヒシと感じています。

「量質転化」

真理です。

モテを定式化しするのが、目下の目標です。そして実験もせねば。頑張りまーす。

 

「マインドすべて」研究所では今のところ

  モテ=美女度✖男の表現力

で定式化できると仮説が立っています。期が熟したら追々この辺も説明できると思いますので。

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