モテるのは、マインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

感情フィールドでの再証明~考えすぎるとダメな件~

恋愛は感覚でするのか、論理でするのか、今日はこの問いに迫りたい。一般的な常識とされていながら世の中を観察しているとどうもそれと一致しない出来事がたくさんある。

恋愛に関して、努力しているのに実らないとき、それは常識の誤りにスッポリはまっている可能性を考えた方がいい。恋愛における感情論理論争に決着をつけよう。

ある程度恋愛経験が増えるとこうした時は→こうなる、これをやったら→台無し、というのが事前にわかる。LINEをやり取りしても、こう送れば、こう返ってくる、ほら、というのがわかるし、いわば、データが蓄積されてくる。恋愛失敗を通してその反省から次どうするか?を論理立てて考えることができるのだ。

では論理なのか?

よく、スポーツや外国語学習を引き合いに出しモテを論じるが、この「恋愛は感覚か論理か論争」に答えるにもスポーツが非常に分かりやすい。

欧州サッカーは、非常に優秀で戦略的で独自のサッカー信念を持っている監督が次々に現れて様々なフォーメーションが登場してきた。それで、チャンピオンズリーグなどの歴史に残る名ゲームは名将vs名将という風に形容されることがある。

それは当然と言えば当然で、監督にフォーメーションや人選の決定権があり、監督の仕事を環境作りや戦術とする向きも多いのは事実だ。

ところが実際にピッチでプレーしている選手はというと、そうではない。

ブラジルサッカーの「美しく勝つ」や、バルサの魅了するパス回しで圧倒的に勝利するとき、一流プレイヤーの脳内では何が起こっているのだろうか?

洗練されたプログラムのような論理的な戦術が展開されているかというと、そうではない。非常に感覚的なのだ。

彼らのプレーを見ていると本当におもしろい。「ボールは友達」とはよく言ったものだ。楽しむように、クリエイティブに、それでいてディフェンスが置き去りにされてしまうようなスピード感で、華麗にゴールを決めていく。

「クリエイティブ」「スピード」

こうなるともはや論理の世界ではない。

「クリエイティブ」なデザインやミュージック、人を惹き付ける文章、アスリートたちのとっさの判断からの流れを一変させるプレーは、論理的なテンプレートでは絶対に実現できない。そんなものができたら誰もがクリエイティブなわけで、もしそうならメッシやジダンやC·ロナウドの希少性はまったくない。

そういう感性フィールドでの成果物はロジックでは生まれないゆえに、テンプレは作れないのだ。

「スピード」についても同じで、ワンチャンスをものにすべき時にゴール前であれこれ考えるバカはいない、論理的に考えてる時間などないのだ。流れに乗って、本能のままに、ゴールへ突き刺す。体感としての流れがそこにはあるのみだ。

ある意味このゾーンに入る術を、センスと置き換えてもいいと思っている。そして後で論じたいが、このセンスは探求心と経験つまり「どのような問題意識で」「日々練習や試合といった場数をこなすか」ということにかかっている。

そういう意味では、戦略的に考えてそれをもとに反復練習を繰り返すわけだが、論理的戦術を知っているという程度にすぎない。それを頭に入れた上で、ピッチ上での自由に動き回っているのだ。一瞬のヒラメキのプレーは流れをグッと変えるし、相手が思い付きもしないプレーでディフェンスを置き去りにし、ファンもそれに魅了される。

では、論理戦術はいったい頭のどこに納められているのだろうか?ピッチ上でプレーしている彼らは脳のどの部分が活発に動いているのか。

これが今日のテーマだ。

論理と感覚の関係と、それぞれをどう使えば、本来の自分を発揮でき、モテることになるのか考えていこう。

直感的にワンプレーワンプレーを操るスター的サッカープレイヤーと同じく、直感のクオリティが高い男こそモテると信じている。

前回、感情フィールドで仕事(work)をすると恋愛が上手くいくことを脳の構造的に論じた。構造的にそうなっているのだからしょうがない、それに沿ってライフハックした方が上手くいく。

『恋愛は、感情フィールドでの仕事』

http://bit.ly/1QgSitC


感情と論理を論じるときに避けては通れないのが、フロイトやユングの意識と無意識の精神分析学だ。今や偉大なる古典として、後続の研究者たちの基礎になったが、その概要を押さえておくのは非常に役に立つ。聡明な『マインドセットがすべて』の読者の皆様には当たり前すぎる話だが、今一度整理しておこう。

我々の行動や思考の大部分は、「無意識」が司っている。意識せずとも勝手に動く部分だ。呼吸とか心臓の鼓動とか、車の運転とか英会話とかだ。赤信号でも「クラッチ切ってギア入れて」とか、「英語はSVCで」などと意識してやるものではない、無意識なのだ。その割合は無意識90%。それに対し「今日は何食べようかな、何着ようかな」から「企画の構成は、、、」まで意識してやる領域があるが、意識の閉める割合はわずか10%しかないのだ。実生活で主体的に物事を決めているようで、僕らはほとんど無意識からの指令で動いている。当然と言えば当然で、1日に無数にある大なり小なりの決断をすべて熟慮していたら精神が持たないだろう。これは素晴らしい人体の知恵だ。

視覚的に示すとき意識は氷山の一角と言われる。海面の上にチョコンと出ているだけのものに過ぎない。本当は海の中に膨大な氷の塊があるのだ。それこそが「無意識」なのだ。

 

現状を正確に分析したり、プレゼンなどで時系列や因果関係をわかりやすく相手に伝えたりするときには、確かに論理力が試される。

だが、先ほど述べたようにクリエイティブ、ヒラメキ、スピーディーにパフォーマンスを発揮する、など、爆発的なある種の表現は完全に感情フィールドでの仕事だ。(完全に感情というわけではないが、わかりやすく、こう言っておこう。)無意識が成せる業なのである。

だから適切に働きかけそれを活用すべきなのだ。

「無意識」などと話し出すと、なんだかトンデモのような科学だったり、オカルトのようななんだかわからないけど念じれば叶う系のものと誤解されがちだが、そんなことは全くない。

『この仕事を、地下で続けよ』ーバートランドラッセル

彼は歴史における近代の発展の貢献として、

▪アインシュタインの相対性理論

▪ダーウィンの進化論

▪フロイトの無意識(潜在意識)

を挙げた。

彼は哲学者として哲学をする際、この無意識というものが大きな役割をはたしていることを認めていて、自著の『幸福論』には、難しいトピックに挑む時の無意識活用法まで記し、上記のように比喩で語った。

無意識は見えないところで、僕らが寝てても、ずっと情報を処理し、消化し、吸収してくれているかのようだ。

哲学者が捻り出した哲学体系が、時代をへて科学によって実証されることは多々ある。

前回も言及した点だが、

大脳辺縁系ーコトバにならない「愛してる」の理由、奥深い感情(言語能力なし)。

大脳新皮質ーデータばかりの嘘臭いセールストーク、感情ではいまいち納得できないの働き。

それぞれどの脳の部位が思考し、分析し、言語かするか、どの部位で感動し、動機付けられ、決断しているか、現代科学ではほとんど明らかになっている。

フロイトの発見した無意識、B·ラッセルが肯定し活用した無意識、それは今では大脳辺縁系がそれを司っていて、そこには大量のデータが蓄積され、演算処理されて、適切なタイミングで意識へとそれらを上げてくれる。そうやって瞬間的な判断や、クリエイティブな飛躍を起こしている、これが今の脳科学の定説である。

こうやって文章を筆記していると、勝手にそれが紡ぎ出されるフロー状態を感じるときがあるが、まさにそういうイケイケの時は、「地下で続けられていた仕事」が顕在化したときに他ならない。いくら精神的にガンバレガンバレと意識的に自分にプレッシャーをかけたとしても、無意識が活発に作動したときのパフォーマンスにはかなわない。

これが脳「科学」なのだ。

こういう脳の構造を踏まえたとき、論理に頼りすぎることが如何に危険なことかが逆説的に理解できるだろう。現代社会ではとてもロジカルに考えることが重視され、ロジカルシンキングできる人材こそ優秀とされる傾向があるがが、これこそ成功から遠ざかってしまう要因と思っている。

科学的データや先人たちの様々な思想の積み重ねを歴史的に踏まえると感覚を研ぎ澄ますことこそ、より正しき判断の源なのだ。

感覚が腐らないようにしないといけない。

(ただ、集団的判断の際に「直感です。」などとみんなに言ってしまうとちょっとまずい。)

 

ロジカルに偏りすぎるとなぜ成功できないかというと、論理的ゴリゴリなあの人が成功してないからですよ、というサンプルは目の周りにたくさんあるはずだが、それだとチョッとアレなのでちょいと説明を加えると、「ロジカルライアーだから」の一言に尽きる。

ロジカルライアー、論理的な嘘つき、だ。

論理は嘘をつくのだ。先ほど登場してくれたラッセルの「自己言及パラドックス」を持ち出すまでもなく、論理の脆弱性は実はかなり低いところにある。

どこかで必ず矛盾が入り込むのだ。

さすがに彼は論理の限界をわかった上で、それとうまく付き合いながら、ココ一番の大勝負では無意識の感覚に強く頼っていたわけだ。

結局どんなに頑張っても嘘つきパラドックスやゲーム理論のように最適な論理の手順を踏んだとしても、ミスは入り込むし、手詰まりになる。当然ながら頑張ったわりに結果はでない。考えたわりに心は納得していない、これでよかったんだろうか、となる。

さらに残念なことを考えよう。完璧な理屈で挑んでもそういう結果になるのだが、現実的に僕らはあらゆる要素ひとつひとつを徹底してチェックし(時には定量的に見積り)、そのすべてを把握しつつ並行的に比較考慮することは不可能なのだ。

しょせん人間。

どこまで言っても、あれが抜けてました、とか、あっちを建てればこっちがたたず的な感じになってしまい、ロジカルライアーに殺されてしまうのだ。

そもそも、行動経済学に反映されるように、人はそんなに論理的でも合理的でもない。感情や感覚で決定し、購買するものだ。もちろん感覚が激ニブリで心の声を無視してあるいは聞こえず自分勝手に解釈するようなやつは論理ブレーキが必要だが、本来は人間的なるその「無意識」を十分に利用すべきで、ロジカルを強調する必要もない。

 

さて、もうひとつのロジカルの弱さは、そもそも論理的に考える力もないのに世に溢れる論理的な成功法則を信じ込んでロジカルシンキングをしてしまうところにある。感覚も養われていない上に、且つ論理力もないという悲惨な状態から出発した場合だ。

論理力がないやつがそれをやろうとすると、間違う以前に、不安になるのだ。「これはこうだからこう、、、だよな。。」みたいな、前にも進めないし、後にも引けない、頭が完全にフリーズしてしまう。

そもそも論理的に考えたことがないし、慣れていない。=不安、恐れの発生。

頭の中フリーズはナンパコミュニティでは、「地蔵」というらしい。論理的に声かけ失敗リスクとLINE交換·お茶するリターンを見積もって天秤にかけて、そうやって計算しても、足が動かないのだ。ナンパ師によると道行く美女に声をかけるのは失敗しても痛くも痒くもなく、本来フリーランチのようなもので、やらない方がおかしい、のだそうだ。

では、なぜ地蔵たちは恐れてしまうのか?

「シカトされたら嫌だな~」メンツや、「拒否られたら恥ずかしいな~」プライドだ。おや、ロジカルシンキングのはずが完全に感情に支配されてるぞ。

だからこそナンパ師たちのあいだでは3秒ルールが常識なのだ(3秒間に必ず声かける)。それ以上時間がたつとあれこれ雑念がわいてくるからだ。こうなると論理思考も糞もあったもんじゃない、ジャマな雑念である。

この、「いや、もしかしたら忙しいかもしれない」「よく見たら俺のタイプじゃないぞ」などと言うと論理展開(言い訳)は、相手が美女であればあるほど強烈に働き、地蔵を加速させ、目的を見失わせるようだ。

ぼくはモテを、

遭遇した美女度×その時のメンタルアルファ

で定義している。美女であればあるほど、男は弱気になるものだが、そこでどれだけ動じないでメンタルをニュートラルに保ち、アルファれるかが、モテを決めるのだ。

そしてその揺るぎない自信は、男の価値を決めるはずだし、大脳辺縁系的にも相手を魅了する力があるはずだからだ。そう、コトバじゃなくて、全体的なオーラとして。

うん、やっぱり『マインドセットがすべて』であることに落ち着いてしまった。

声かけしたこの子がは美女かどうかなんて主観だし、それぞれ好みのタイプもあるから一概に数値化できないし、自分のメンタル状態なんて自分で正直に評価するしかないから、まさに感覚が問われるわけだが、理詰めヤロウは論理的にグダクダとモテを語りたがるから、だから非モテはキモいのだ。

かっこよさを定義なんてできなくて、そこには雰囲気としての共通性があるだけである。

善や美のなどと同じで、定義できないけど、わかる·感じる、そういう境地なのだ。

おっと、話がそれた。戻そう。


ロジカルは人を不安にさせるのだ。

ロジカルは人を間違いへと誘うだ。大成功という仮面をカブリながら。


将棋は高度な論理的戦略に支えられた競技に見えるだろう。(実際チェスの世界では人工知能がプロに何度も勝っている、論理的に組まれた知能が。)、

しかし、羽生さんは、「直感力」などという本を出している。非常に興味深いことではないだろうか。

ぼくらは、意識に依存せず無意識を活用する、論理ではなく感覚を研ぎ澄ませる、これがスポーツでもミュージックでもアートでも成功のための法則なのだ。そして、アカデミックな勉強や恋愛モテでも同じだ。

そしてそれは別に最近始まったものでもなく、昔から存在しているものなのだから、さっさと活用して成功しようということだ。

さて、その「成功」を研究している人たちにとってある程度その原理原則や共通点は解明されているが、例えば心理学者でフロー理論の提唱者であるミハイ·チクセントミハイは流れ(フロー)に乗っている集中状態を一流の条件に挙げている。

フローに関しては一つのトピックにする価値があると思うので詳しくは別の機会に譲るとして、フロー状態に入るにはそれを構成する条件がある。何もしないでただ指をくわえて待っていても奇跡はおこらないことは言うまでもない、念じたら翌朝スーパーモテみたいなことは断じてない。

チクセントミハイはそれを下記のように列挙しているが、

http://bit.ly/2c3UxVM

「流れに乗っている集中状態」と言うぐらいだから、成功とはロジカルとは程遠く完全なる感覚領域での云わば覚醒ということなのだ。それを理解してもらいたくてフローの概念を以上に持ち出したが、今回は無意識と関連付けて考えながら、ロジカルに嵌まらないような方法論を示したい。

無意識と意識の占める比率からもわかるように、大量の情報を納め込めるのは圧倒的に無意識だ。そしてぼくらが寝ても覚めても彼らは情報を処理してくれる。まったくありがたい。

ところが、情報を意識的に、意欲的に取り入れることをサボっては、何のヒラメキも、クリエイティブも出てこない。物理の法則と同じで無→有はないのだ。

そう、まずはデータのINPUTですよ。

http://bit.ly/2bA7nsg

 

まずは大量に情報を取り入れるのだ。

「専門家になるにはその分野の本を10冊読め」

と言われるが、

まずは、大量のINPUT・死ぬほど考え分析する⇒忘れる・他のことをする⇒しばらくしてから(数日後)、また探求する。

こうすると、不思議なことに閃きが起こり、仕事が終わっているのだ。

ありがとう、無意識サン。

多くのクリエイターや思想家は必ずこのプロセスを踏んでいる。人が思い浮かないようなアウトプットをする天才は必ず、

1.大量のINPUT

2.一旦熟成させる

3.OUTPUT

これをやってるのだ。

周囲が3.だけみると、「あいつは天才だ」と言い、1.だけ見えると「あいつはストイックだね」と言う。

違うのだ。

成功にはきちんとした方法論があり、以上の3ステップを通るべきことは、B.ラッセルがすでに言及していることだ。


モーツァルトがまさにコレで、彼は若い頃友人のバッハの作品をパクりまくっていた。ただ、音楽が大好きだから優秀なバッハくんの楽譜を演奏しまくっていた、指がひん曲がるほどピアノを弾きまくっていたのだ、大量のインプットだ。

もちろんこの時は誰もモーツァルトのことを知らないし、いづれ天才として知れ渡るとは誰も知らない。「またアイツはバッハの曲パクってるよ」と陰口を叩かれたことだろう。

まさに、彼の「下積み」の時代。

しかしそのルーティーンは、モーツァルトの無意識にちゃくちゃくとストックされ、熟成されていたのだ。

そして脳内のケミカルが結合しながら然るべきときに飛躍が起きて天才的なメロディーを大量に紡ぎだしていった。そして有名になる。

「モーツァルトは天才だ」


これはスポーツでも練習に勝る天才なしと言うように、死ぬほど練習してくたくたになるから、「体が覚える」のであり、トリッキーなプレイや息の合ったコンビネーションが本番で成立するのだ。習慣である。

 

では感覚的に恋愛するとはどういうことなのか?

これは前回論じたように、大量INPUTを実行してもらいつつ、恋愛をロジカルに解釈しないということだ。「女心は秋の空」なのだから。

お勉強で得た知識、恋愛で蓄積されたデータ、失敗の反省点、それらを意識で捉えるな!頭で考えるんじゃねい!

ロジカルに結論を出すんじゃなくて、感覚を研ぎ澄ませながら目の前の現実に向き合い続けるのだ。

そして、それらまさに有機的に繋がり、「これか!」という瞬間がやって来る。何か悟ったような確信が。その後にそのプロセスを振り返ればいい。

恋愛はそういう悟りのような確信の集合体と言えよう。それらを頭にいれて、自由に、クリエイティブに直感的に、ゲームを楽しむような感覚でフローすればいいのだ。

みんなも経験済みかもしれない、何でもそうだが考えすぎると確実にうまくいかない。それは目の前の人に向き合っていないし、「今·ココ」を生きていないからだ。

恋愛は決してロジカルに考えてはいけない、感覚を鋭敏にしてながら楽しむ、そして相手にも楽しんでもらう、決して考えすぎないようしよう。


やじろべえ。



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