モテるのは、マインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

成功へ導く、人間関係の最適距離感

人の悩みはいったいどこから来るんですか?

と聞かれたら、間違いなく「人間関係」だと答えます。

人の悩みの根源は9割がた人間関係に起因しています。

「お金がない、彼女がいない、自分にコンプレックスがある。」

なども突き詰めていくと、人間関係の問題に集約されるでしょう。

お金がないことの不安の正体はいったい何かというと、

「同僚や幼馴染と比べて自分は貧しい、あいつが羨ましい、親戚はみんな金持ちで自分だけ贅沢な生活ができないとメンツが立たない」

など、深層心理が「人の目」を気にしているからです。

例えば、日本では本当にお金が無くてどうにかなるということはまずありません、セーフティネットが他の国に比べて整備されているからです。貧乏でも飢え死にすることなど日本ではありえないといわれています。

日本は景気が悪い悪いなんて言ってみても、他の途上国からしたら標準以上のいい生活ができてるじゃねーか、とツッコまれるでしょう。

でも、「snsであいつはリア充だし、誰もが振り返るあんなきれいな子と仲良くなりやがってうらやましい。。銀座の高級料亭で毎日うまいものを食べ歩きやがって。月一でヨーロッパだのアメリカだの旅行して豪遊してやがる。」

と、お金がない自分と

お金があるがゆえに遊びまくってるあいつ

とを”比較”するから惨めになってくる。

マズローの欲求5段階説を考えればすぐわかりますが、低次の生存と安全の欲求が満たされないなんてことは現代社会において(日本において)あり得ません。

そうではなく社会的欲求、承認欲求、自己実現の際に幾ばくかのお金が必要である、なのにお金が無いから第一歩目の扉を開けない。だから、苦しい、あーーー、と。

このように「お金がない」を例にとりましたが、

本当に気にしているのはお金ではなく、その背後にある人間模様である

ということが結論付られました、結局本質は「人」が絡んでくるから悩ましいのです。

「人から認められたい」「人と有意義なつながりを持ちたい」「他者に貢献したい」という”人間”が関係してこその、成功・不幸を左右する極地がそこにはある。

 

ヴィクトールフランクルが述べた「他者から必要とされる限り人は困難に打ち勝てる」ということば通り、

逆に見ると他者から必要とされないなら、はたから見ると何の問題もないように見えても、当人にとってはそれは苦しい人生です。

「女からキモいと言われた」「上司からお前は使えないと言われた」など“否定される”とぼくらは立ち行かないのですね。偉人たちが口をそろえて述べる通り、「実存」は人生の根本に位置する問いであり、そしていつの時代でも同じです。

 

ということはココ、人間関係さえうまくいけば、五段階頂点である「自己実現」に大きく近づきます。さらにその前の段階である「承認欲求」や「社会的欲求」も満たされるため、成功の階段を上ることができるのです。

人間関係をふるい分け→整理し→再構築する

ここさえがんばれば未来は明るい、「人間の根本の悩み」への解決だからです。

 

モテるというのも、広い意味で人間関係の中での一カテゴリであって、

人間を理解し、自分とのコンテクストを適切に作ることができれば勝手にモテるのです。

思い浮かべてみましょう、人間関係がヘタクソだけどモテにモテてる奴などいますか?

そういううざいやつは、女からは四割ましで嫌われるのです。

非モテは相手を理解しようとせず、一足飛びにモテを欲しがる、おれがおれがと聞いてもいないアピールを始める、

練習しないのに本番で結果を残すのが不可能なのと一緒で、人間関係を正しく認識し、定義し、自分の人生に適用しないのに、モテるなどというのは単なる淡い願望でしかありません。

 

人間関係をふるい分け→整理し→再構築する

なにやら難しく聞こえるかもしれませんが、やるしかない、やり方さえわかればさして難しいことではありません。

 

人間関係を「距離感」の最適化をはかる、としてみるとスッと腑に落ちます、そういう観点で今日はみていきましょう。

日本には「親しき中にも礼儀あり」という素晴らしい言葉がありますが、往々にして親しくなると礼儀を忘れてなれなれしくなる、距離感が近すぎる、ベッタリすることがある、そういう光景を目にすることが多いのではないでしょうか?

今日論じたいのはまさにこのポイントで「近すぎる」、これこそ人間関係が破滅する道で、べったり人間が成功できない原因です。

ねえねえ、女の子紹介してよ、

「いいね」が欲しい欲しい、

仕事回してくれよ、友達だろ~

と、

仲がいいなら、距離が近いのもOK

と世間では勘違いされていますが、

仲間や恋人と強固な関係性を築けている人は最適距離感を保っている、一定の距離感がある人です。

迎合するやつはダサくて、自分を持っているやつはカッコイイ、

という普遍的な評価も、角度が違うだけで同じことを言っているのです。

自分を持っている=距離感巧者

だから。

仲良くもないのにやけに距離が近い奴に対して、「めんどくせーな、なんなんだこいつは」とぼくらは思いますね。

人はそれぞれ自分自身の侵されてはいけない領域を持っていて、ここが満たされる限り安心して日常を送ることができますし、自身の強みをいかんなく発揮できます。

それで、この領域にドカドカと土足で踏み込まれたとき「距離が近けー、うざい」という感情が上がってくる、

人間関係が崩壊し始めるのです。

最適距離感を持つにはまず、この領域を持っているか?、妥協なくこの領域を守れるか?、によります。

 

距離感と言っても実際に計れるほど具体的ではありませんが、漫画で例えると、ハンターハンターのノブナガのようなものをイメージしてもらったらいいでしょう。

彼は半径4mの居合いの達人で、「俺の間合いに入ったら切るぜ」と言っています。

そういう絶対の領域がある。

 

「おれのテリトリーに勝手に入ってくんなよ」

それぐらいの“自己”が聳え立っていて、いいのです。

ところが、人がいい人ほど、頑張れば頑張るほど距離感が近くなりすぎて、自分の絶対の領域を犠牲にして、特別大サービスをしてしまう。

人間は社会的な動物とはどこかの哲学者が言っていましたから、確かに他者との有益な関係は不可欠ですが、それでも自分の大切なテリトリーは守らなければいけないのです。

そういう、がんばる=自己犠牲という図式で価値観を回している人ほど、なぜかモテません。頑張り度合いに、モテ結果が相関しない。

世間ではそれを「重い」と表現しますね。

逆に、自分の領域が強固に確立している男ほど高いステージにいて、モテている、そういう事実を直視しなければなりません。

 

「自分を持ってるやつ」がかっこいいのも、「距離感」が成功へつながるのも、「領域」が重要なのもわかった、

ところで一つの疑問が上がってくることだと思います。

 

それは、

距離感を支える「領域」とは何を指すのか?

守るべき大切な領域とは何で構成されているのか?

という、人生に関わる問いかけです。

 

そこがわからなければ人間関係は大切、距離感を保つべきことがわかっても、

自己啓発ジプシーになってしまいます。使えない知識だから。

使える知識にしていきましょうね、ということ。

 

さてさて、結論から言ってしまうと、領域とは『価値観』のことを指します。

「あなたは何に価値を見出しますか?」

というセンスや、

「わたしはこれには価値を感じない。」

という基準のことです。

 その基準が「領域」となって、自分の「間合い」が形成されます。

 

領域を守る、とは、

自分が価値を見出した基準を決して下げない、

ということを意味します。

 

そのため、

ステップ1.まずは価値観▪価値基準を持つ、があり、

ステップ2.その価値を固守する、があるのです。

 

多くの人は、

「セルフイメージ」

この言葉が大好きですが、これを僕はいわゆる「価値観」だと思っていて、

自分がどこに価値を見出すのか?

その価値の集合体が具体的になると、セルフイメージとして浮かび上がると解釈しています。

多くの自己啓発ジプシーが同じサイクルをぐるぐる回ってしまう要因の一つとして、使えない知識と、さっき言いましたが、

一生懸命本を読んで勉強してインプットしてもなぜ使えないのか?というと、

理解が雑だからなんですね、本を読んでも理解がぼやっとしてる、わかったようで、わかってない。

 

「人に説明するのが一番の勉強」

と言われるように、

人に説明する段階で、驚くほど、

説明できない、、、

要点は何だ?、

説得力が、全くない、、

そんな状態に打ちのめされます。

「わかってないんだ、おれ。。」と。

だから、人に話す前提で、後で教える前提で、メルマガを書く前提で、学ぶと、インブットの精度が格段に上がります。必死に理解しようとするからです。インプットを砕いて、本質を抜き取って、相手のために再構築するからですね。

本質を抜き取るのに理解度合いが問われ、相手がわかるように説明するために、相手と事象に橋を架けなければいけない。

いずれにしても、そうやって真剣に理解しよう理解しようと学ぶことで理解フィルターの精度が上がり、本当の意味でインプットが価値を持つようになる。

ドラッカー先生が、授業で教えるたびに自分がよく学べている、と述べたように。

この学ぶ姿勢や学ぶための工夫次第で、理解力を向上すれば、アウトプットであるセルフイメージも自ずと明晰になります。

逆もしかり、

イメージがぼやっとしていたら成功のセルフイメージもぼやっとして、いづれ世間のノイズや生活の忙しさにかき消されて見えなくなりますから、いつでも明晰でなくてはなりません。

それで、アウトプット前提でインプットして、理解フィルターを密にすればイメージが鮮明になる、そしてアウトプットする段階でディテールを詰める。

アウトプットの成果物が価値観として明確になる。

よく企業の社訓で似たり寄ったり、いったいこれはどの業界のミッションステートメントなんだ?というのがありますね。

「お客様のために価値を創造し、社会に貢献して・・・」とか、ラーメン屋なのか、アパレル業界なのか、塾なのか、わからないくらい、空虚な言説なわけです。

その社訓(価値観)意味ないですよ、と。

業績はパッとしない、描いた(ように見える)企業としてのセルフイメージには永遠に到達しない、という当然の帰結に至ります。

 人間個人も同じロジックで、自分だけの価値観を、鮮明に描かないといけない。あなただけの目的を。

社訓が似たり寄ったりで、差別化されないと、「使えない」のと同じように、

「あなただけの」というのがキモです。

逆に差別化されてない、大衆化された価値観では最適距離感は保てない。ここも重要ですよ。

「あなただけ」ということは他者には理解できない価値項目も自ずと出てくる、ことを意味していて、

「ねえねえ、なんでそう思うの?どうしてそれが大事なの?」

という質問に明確に答えられないといけない、相手が納得するかどうかにかかわらず、そうである、ということになります。

先の理解プロセスに、さらに自問自答の条件も加わってくるのです。

でないと、緊張する場面で価値判断なんて出来ない。

セルフイメージとは、こういうめんどくさいプロセスを経て作り上げていくもので、フワッとした自己啓発ではないんですヨ、本当は。

そういう苦心して作り上げたイメージが(=価値観)があるからこそ、それを固守できるとも言えます。パッと出来たイメージなんて、守れない。苦労して手に入れたモノに価値を感じて、厳しい練習を経たからそれが力を持つんです。

セルフイメージも単にイメージしただけではなーんの意味も成さないのですから、常に高いセルフイメージを持ちながら、そのセルフイメージに沿って”演じる”こと、これが必要です。

が、上記のプロセスによって信じるに足る価値観は弱い自分を助けてくれますから、ステップ1.価値観を持つ、が真に達成されれば、ステップ2.は割りと容易にやれるでしょう。

理屈抜きに愚直にこなすことが求められる段階です。

そうやって、

自分の価値観で価値判断していく時、人と違った部分に度々遭遇することになりますから、一定の距離は保たれるのです。

 セルフイメージ→演じる

まだ板についていない未来の自分を上書きする作業です。今現在、それは自分自身ではありませんから、自分も違和感があるでしょうし、ほかの人が見ても背伸びしてるように見えて、

「キャラじゃないことしやがって」とかけ口を叩かれるでしょうが、

自分のセルフイメージに忠実に>人の期待に応える

なのです。

しかし残念ながらこの定式通りに毎日を粛々とこなすのがセルフイメージに近づく唯一の方法なのに、多くの人はこの時期がじつは思ったよりきついため元に戻り(周りの期待に合わせる行動パターンに戻り)、昨日と同じ今日を歩みつつ、そのまま明日へ向かいます。

自分で気づきながら妥協しているのか、

気づかないままいつの間にか領域を浸食されてしまっているのか、

いづれにしても、距離感を作れなければ、成功から、モテから、どんどん遠ざかる。

 

そして、「嫌われる勇気」なんかが流行りますね笑

嫌われてもいいじゃないか、あなたらしく。

みたいなフワッと耳障りのいい言葉を囁かれて「そうだよなー、おれはおれだ、もう他人の言いなりにはならん!」と突っ走って、また、空回り。

わかっていてもできない。

また別の、似たような本が出てくる。

この繰り返しです。

自己啓発ジプシー、なのです。

嫌われるのは、自分の価値観に沿って生きるとき、かならず他者の価値観と異なる部分が出てくるから、嫌われるかもしれない、

けど、あなたの価値観に沿って生きることが「自分の人生」を生きることになるんですよ、そう、あなただけの人生を。

ということで、わざわざ、嫌われることが目的になるわけでもない。

誰もが異なる価値観を持っているから、その事実を受け入れながらも、大衆性に惑わされないように、がんばりましょうね。

と当たり前のことを言っているだけなのです。

 

そう読み解くと別に人生の壮大な目的を、この類いの本は教えているのではなく、但し書き程度の、注意を促しているに過ぎないんだ、ということがわかるでしょう。

本丸は、ぶっとい価値観を築き、それに忠実に生きていく、という”だけ“です。

 

ということで

最適距離感がなかなか定まらず、この領域がやすやすと侵食されると、自分のセルフイメージ(理想)がイメージされただけで、思考は現実化しません。

あれれ、名著がそう言っているのに、おかしいな、、、

そうして誰かが決めたパターンに填められて毎日が過ぎ去り、自分の人生など歩めません。

自分に納得できない毎日で輝くことなどできるはずもなく、モテるわけもない。

距離感がない=テリトリーがない=価値観がない=自分がない

いったい誰の人生なの、と、

自己啓発マーケッタも笑っています。

 

自分の価値観を守りながら、最適距離感を保ちつつ、自己実現を果たしていく。

こういう男は、よく自分を熟知していて、自分のテリトリーを把握していて、そこを起点に自分の良さを発揮していますが、

相手のテリトリーをも尊重することができ、そこを侵すような失礼なことは絶対にしない、色気のある男です。

そうして、winwinの関係が出来上がる。(あれ、また名著だ。)

 

冒頭に述べた、「人間関係を征するものは人生を制する」理論を覚えているでしょうか?

人間関係をふるい分け→整理し→再構築する、

自分の価値観さえしっかりしていれば人間関係なんて自然にフィルタリングされ、タグ付けされ、ファイリングされるのです。

お互いの距離感からまた新たな価値創出がなされるかもしれない、いずれにしても、人間的に深い部分での交流ができる、

成功=最適距離感、と言ってもいいでしょう。

何度も言いますが、ここさえ押さえれば強い、そしてモテる。

ここを目指しましょうよ、と。