モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

人間力とは。

 世の中には多くのモテるためのノウハウがあふれている。モテるのみならず、成功というくくりでいうと、それこそ人生哲学から、営業スキルとか、人間関係とか、ナンパまで、こうすればうまくいくというセオリーが本屋にもネット上にも並んでいるし、そして聞いてもいないのに知り合いから持論を語られることがある。しかし、これらのほとんどが役に立たない。それはこれらのノウハウが表面的なテクニックに終始しているからだ。テクニックは即効性が高いし、一発逆転を起こしうるからウケがいい。よってウケがいい本が本屋に並ぶ。知り合いの持論も「僕の場合はうまくいったよ。」というだけで万人に当てはまる共通解ではない。再現性がないのだ。「僕の場合は・・・」、の続きに、僕の得手不得手は~~で、僕の環境は~~で、僕の持っている物は~~で、というモロモロの条件があるから、「君も同じようになるとは限らないよ」、の一言があるべきだ。これがないからまったく役に立たない。こうゆう表面的なアドバイスは根本から遠いところにあるため、継続的で安定的な結果が出させることができないわけだ。

 このブログも「モテるために」と謳っておりチャラく感じるかも知れないが、最終目的は人間力を上げることにある。人間力が上がった先にモテる境地があると信じているからだ。根本的にその人間の力が上がれば恋愛というフィールドに立ったときも、力が発揮される。力とは当たり前だが、男としての力。これを世では男子力というようだが、男子力という言葉のひびきが超ダサいので、人間力として話を進めていきたい。

 人間力を考えるとき、このテーマを題材にした指南書はチャラいとは正反対のより道徳的な方向に向かっているようで実は同じ種類のものといえる。「人間力」と聞くと、なんか理性的で本質的で自己啓発的だが、だからこそウケもいいのだが、結果という観点から言えば、まったく役に立たない。「人間力」の言葉の響きに踊らされてしまい、表面的な理解で終わってしまうからだ。やっぱりアマゾンにも数多の人間力本が次から次に関連書籍で紹介されるが、今ザッと見ても、仕事で誠実さを磨く、原理原則から考える、天才は人並みはずれた努力をする、とかアドバイスされている。さて、こういうアドバイスがぼくらの人生に与えるインパクトはどれくらいだろうか?長期的視点で見ると、まったく効果はない。なぜか?明日から何をすればいいかが見えてこないからだ。とりわけ読者のそれぞれの生活サイクルの中でじゃあ何をすればいいのか、サッパリわからない。つまり読んで気持ちよくなった次の日にはその感動は忘れ去られているのだ。確かに著者は多くの逆境を乗り越え、豊富な人生経験をつんでいるが、彼らが述べる高尚な語彙や表現技法は、ぼくらの世界とは著しく乖離している。

 ここから言えるのは、「人間力」という単語も高尚な響きだし根本的なようで実は理解が難しい。理解が難しいということは、使えない、ということだ。だからわかった気になって「いやーほんとそうだな~」と感じた瞬間、使えない⇒結果が出ない、のループにはまり始めている。そして、昨日の自分と同じ、一年前の自分と同じ、なぜモテない??という結果は現在の多くの勉強熱心な男たちが痛切に感じている所だろう。人間力が上がるとバラ色の未来になることはどの本にも載っているし、ネット検索でもヒットするし、分かり切ったことなのだが、じゃあ「どうすれば」人間力を高めることができるのか?という道すじについてはまったく見解がバラバラだ。まさに「僕の持論」のようにバラバラなやり方。それらはほとんどすべて表面的なテクニックのコピー品か、表面的な小難しい人生訓の集合体にすぎず、それじゃモテるわけないだろう、とため息が出る。テクニックの暗記集みたいな男もいて、勉強熱心だが、まったくモテていない。。響きはかっこいいが、使えない「人間力」。ぼくがブログを書き連ねるようになったのも、モテを自分なりに解明したいという願いからだ。だが、結局モテるのみならず人間としての成功とはなんだろうか?そういうところまで踏み込めるのではないかという期待もある。人間力が上がればモテる、そのふたつのカテゴリをつなぐ経路があるはずなんだ。

 モテの解明は、それは自分のためではあるが、実は世の中のためにという思いも少しあるのだ。ある日、地下鉄やバスにゆられながら、モテる男とダサい男の違いはなんだろうか、モテる男はなぜああいう行動を自然にとれるのか、その彼らは女の子の目にはどう映っているんだろうか、あーでもないこーでもない、と考えてバスから降りると、なんとそこには女に媚びてるような男や、自信のなさの裏返しで虚勢を張っている男が溢れているではないか。だから自分のためにはもちろんだが、世の男性のためにという気持ちも強く、浮かんできたアイデアや理屈を整理してブログで公開しようと思った。自分もかっこよくなれて、周りもかっこよくなったら、楽しい世の中になると本気で思っている。

 使えない「人間力」を、使える形にするには、人間ってなんすか?と問い続けながら、「人間」自体に迫る必要がある。だって、人間力を解明しようとしてるんだから。そこを意識した上で、世界を、モテる男たちを観察する必要があるのだ。そして人間が本来持つ力はどこから来てどのようには発揮されるのかをよーく観察すれば、共通のポイントが見えてくる。結果を出す男たちは、その他大勢と何が違うのだろうか?

 ぼくは心技体という言葉が好きで、総合的に男を上げるためには3つの要素すべてをバランスよく満たすべきだと常々感じている。ファッションとかコミュニケーションスキルとか「技」をひたすらがんばりさえすれば到達できるほど恋愛フィールドは甘くなくて、それでモテることできるのはせいぜい学生時代だけだ。また、もちろん、「心」のマインドセットだけにフォーカスして毎日ひきこもって勉強ばかりしていてもダメ、学んだことを実践で活かすことが必要でそのフィードバックの糸をつかむ作業が必須なのだ。そしてその時は心技体の「体」がものを言うといえるだろう。

 これはシンプルなことなのだが見落としがちだと思う。睡眠時間が短い日が続くと頭がボーっとして回転しなくなる。運動不足だと肉体的にも精神的にも馬力が必要な場面で息切れする。偏食で菓子類やファーストフード・インスタント類ばかり食べてたらストレス耐性がつかないし、バカになる。にきびができて、顔色は悪く、目力はなく、ネガティブ発言が多くなるから、女子からキモいと陰口を叩かれるのはのは当然。それなのにモテたいモテたいといってテクニックやマインドセットばかり学んでもハード面が付いてこないのだから無理なのだよ。レギュラーをとりたいバッターが練習をさぼりトレーニングをせず、その「体」を蔑ろにしていたら、高度な技を使いこなす基礎体力がないわけだから、実践で結果を出せない。結果を出せないのだから、勉強して勉強して強い心を持とうとしても、これでは自信は持てない。こいつがやるべきなのは一刻も早く結果を出すことであり、その「根本」に位置する基礎体力を大幅に増強することにある。そうした後にテクニック的に要素をコーチや先輩に教えてもらいながら、同時に野球哲学的な勉強もしていけばいいだろう。そうしながらようやく、ここ一番で打ち損じる打者から脱することができるのだ。落合監督が「下手だから自信がない、練習してうまくなれば自信は付いてくる」と言ったのはまったく正しくて、まずは練習して体力をつけるのが先なのだ、という解釈をすればスッと腑に落ちる。分不相応な願望をいだく前に自分の生活を見直す必要がある。そしてそれが一番の近道だ。

 人間力という大きな概念の中で「体」が重要な位置をしめるのは、世の中を見れば大体わかる。できるビジネスマンほど筋トレをしたりランニングをしたりして身体のメンテナンスを怠らないじゃないか。経営者や金融マン、クリエイターなど成果が求められる男ほど、トレーニングに時間やお金を惜しみなく投資している。トレーニングはもはや英語やITにも匹敵するほどのビジネススキルと言われているほどだ。ところが当たり前だがその投資した肉体はビジネスの分野の活躍にとどまらない。人間自体のハード面の水準が上がっているのだから、その男が本気で何かをしようとすると、それが恋愛だとしてもうまくいく、つまりモテるのだ。

 脳科学的にも、頭を良くするのは運動、精神を安定させるのは運動、アイデアを得るのにも運動、やる気やチャレンジ精神も運動、と証明されており、運動すれば脳に良いこと尽くしで、結果ライフパフォーマンスが上がることは常識だ。勉強がはかどらないとき少し外を走るとすっきりしてまた机に向かうことができる。悩んでいてもとりあえず筋トレするとなんでもないと思えたりする。激しいトレーニングの後だと女子としゃべるのもなんだかうまくいく。そういうふうに体を動かすとなぜか生活がうまく回りだすことをできる男は肌感覚で知っているが、脳科学的にそれらは密接につながっていて、運動→脳→強い感情・鋭いヒラメキなのである。だからことその抜群の精神安定性から鋭いコミュニケーションが生まれるし、物事の本質を見極められたり、すばやく判断行動したりできる。健康的な身体からハツラツとした笑顔やオーラが醸し出されるのだ。おや、これはグーぐる先生が教えてくれる、モテる男の条件と一致しているではないか?そうだ、根本的な、そして本質的なことを愚直にこなせばモテなんて後から付いてくるのだ。(愚直にこなす難しさをどう克服するか、これはまたの機会に。)これは上述の運動不足のキモ男と真逆のモテ男だ。ぼくらは心臓を止めたりできないし、寝てる間は意識しなくても呼吸してくれて助かっているが、そういう意識でどうにもできない領域が人間にはたくさんある。それでも、モテるためのオーラを出すという点はぼくはコントロールできると思っているし、そうすべきだろう。計画的に運動して、男としての本来のりっぱな身体を手に入れることで、精神的にも安定して堂々とした、アイデアや積極性あふれる男になることで。

 生活に運動を取り入れることでできる男に成り上がった男たちは、おそらく脳科学的に・生物学的に、運動ー仕事ができる、運動ーモテ、を説明することはできないだろうが(その必要もないが)、それでもどうすれば自分がハイパフォーマンスを発揮して仕事でもプライベートでも成果を打ち立てることができるかは、肌でわかっているのだ。そして言い訳もせず、粛々とそれを継続し今のポジションを築き上げた。やるべきことはわかっているんだ、あとをそれをやった者が当たり前のように勝っていく、と。

 ぼくが昔、スタバできれいなお姉さん店員からナンパされた時を振り返ったみたい。自慢っぽく聞こえるが、我慢してほしい。海外での出来事だが、いつものスタバでいつものようにアメリカンのコーヒーを頼んだ。当然外国人のぼくの発音は下手だから、そこに絡めて、

「仕事でこっちに来てるの?」

と聞かれた。

「そう、隣のビルで日本語教えてる。」

「そうなんだ、よかったら日本語教えてくれない?」

と。ちょっと休憩して、帰り際には「バイバイ」とスマイルまでサービスしてくれた。

 ここで考えたいのが、ぼくはいつものように振舞ったということだ。髪型も変えてなければ、ファッションを一新したわけでもない、コミュニケーションのテンプレートを使ってしゃべったわけでもない。そもそもこちらから声をかけなかったし、かっこつけようなんてカケラも思っていなかった。とりあえずパソコンを充電できるとこに座ってゆっくりコーヒーを飲みながら、途中だった資料作りをこの2時間で終わらせると意気込んでスタバに入ったのだから。コーヒーを飲みながらふと、なんで声かけてくれたんだろうと考えた。そして思い至ったのが、トレーニングの成果だということだ。

 上記のそして世の男たちが本当に自分を高めるために、人間力を上げるためにやっていることをぼくもやっていたのだ。そして知らず知らずに成長していたのだろう。そして成果報告を思わぬところから知らされたのだ。

 モテ本では、緊張しないように自然に振舞えとか、堂々と目を見て話せとか、気配りをしめせとか、当たり前のことばかり書いてあるが、それを当たり前にやるにはハード面が充実していることが必要条件だ。緊張に負けないメンタルや、他者の必要に気付ける敏感さ、機転の利くユーモアなどは精神的な安定があってはじめて達成されるもので、それらは脳の指令によってぼくらを動かしてるんだから、脳のために「運動」と「教育」の二方面からアプローチするしかない。勉強ばかりして知識をせっせと蓄えても体作りを疎かにしていたらそれを十分には発揮できない。運動は好きだけど勉強は嫌いと、マインドセットを考慮に入れないとしてもやっぱり男らしい・人間らしい表現は出てこないだろう。

 りっぱな体づくりはまさに、ハードな運動・バランスの取れた栄養ある食事・しっかりと質の良い睡眠をとる、ということで達成される。パソコンや車をメンテナンスするように、会社や顧客を管理するように、最高の資産である自分をレベルアップさせなければいけない。「身体が資本」とはよく言ったものだ。人間力とは「健全な肉体に健全な魂が宿った」状態と、心からそう思う。

 

人生において成功するために、神はふたつの手段を与えた。

教育と運動である。

しかし、前者によって魂を鍛え、後者によって体を鍛えよ、ということではない。

その両方で、魂と体の両方を鍛えよ、というのが神の教えだ。

このふたつの手段によって、人は完璧な存在となる。 - プラトン

 

 まず健康で屈強な身体をつくるべきで、ぼくらはそこに目をむけるべきではないだろうか。健康をおろそかにしていては人間力は決して上がらない。

 

 

 

やじろべえ。