モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

マイノリティの勝算

 ぼくらのこの日本はみんなと同じが安心という思想が根強く、違うことすると浮いてしまい、「何あいつ」と揶揄されるのは承知の事実です。ぼくも面白いと感じたことをやる子供だったためその癖が抜け切らず大人になった今もそんな感じでいくと常識的な人々をえっ?とさせることがあります。これはこれでぼくは楽しいんですが、一般的には生きづらいですね。

 かたや、そういうぼくみたいな人間は人と違うことを漂々とやって生き生きしてるやつを見ると、心に火がつく、友達になりたいと思います。周りが「何あいつ」と言っていても、いいじゃん、おもしれーじゃん、と変わり者ばかりをチームに招き入れるルフィのような気持ちでたぶんニヤけていると思います。そう、ぼくも根っからの変態なのです。

 「B型っぽいよね」といわれるとかなりうれしっす。お前変わってるよねは最高の褒め言葉、お前普通だねは人格否定の言葉、そーとー凹みます。

 そうするとこの日本社会ではぼくら変人気質はマイノリティなわけですが、世の中見てみると普通の人が大成功することはほとんどなく、逆に各分野のスターは変なマイルールを持っていたり、無謀なチャレンジ癖があって、周りからは浮いている存在でしょう。人と違っていればいいというわけではありませんが、発想がぶっ飛んでいたり、感覚が奇怪だったり、「差異」はスターへの第一歩でマスターピース、そう思って間違いありません。この成功の定義の中には、恋愛フィールドでの男の価値ももちろん含まれています。なんで?こいつがモテるんだ、という奇怪な現象が起こるとき、それはマイノリティ=モテだからですよ。それを今日は考えてみたいと思います。

 

 このブログもテクニックよりマインド寄りに論じているので、全体からするとマイノリティです。恋愛思想学に重点を置いている、まじめな集団です。だって、マインドがすべてと本気で思ってるんだもん。。

 社会は人、人はマインド、やっぱりインサイドアウトですよ。

 

「Think different」

 有名なアップルのコマーシャルですが、新しいものを作り出すには、これまでと違うことを考え、違う視点から見つめ、違う人の意見から何かを学ぶことが必要だというアップルの根本にあるメッセージです。このコマーシャルは今でも不朽の名作CMとして記憶と記録に残されていますが、要するに「他者と違う」というメッセージが人の心を掴んだということですよね。結局、人と違うことをやるのは大変だけど、そういう考え方に人の心の深部は反応しているわけですよ。やっぱりWHYスタートだから大脳辺縁系を刺激しているんですね。

 Think differentは、「Think」つまり視点を変えて見てることを意味していて、そのフレームから見えた世界をもとに理想的なプロダクトを作り上げたことを表現しています。大々的な市場調査をして統計からグラフをいじって既存のプロダクトちょっと改良するとか、機能を付け足すとかじゃなくて、顧客は何を望んでいるのか、その視点を変えて見えた世界からWHATが作られ、爆発したんですね。「なんだこれは!今までにない」と顧客は感じる。

 異なる考え方というスローガンはビジネスや製品プロダクトだけではなく人間関係においてもとても大事で、世界の見え方、が感情や思考を作り、決定や行動を喚起し、応じた結果がついてくるのですから、美しい女性を目の前にして、美しさの中に人間的興味や恋愛ビジョンを見出すのか、シモ欲全開で見るのかでは、コミュニケーションで惹きつけるのか、キモさが全開に出るのかの違いが生じます。同じ恋愛本を読んで恋愛について学んでるのに、学びになるヤツと批判的に見ちゃうヤツでは本の文章が描き出す世界がまったく異なって見えるのです。当然そこで吸収したものから顔つきや発言やアクションに大きな違いが生じますから、一人は着実にモテの実績を積み、もう一人は非モテのループをぐるぐる回り続ける、同じことインプットなのになんでかな~?という結果が残ります。現実は残酷です。

 さらに別の角度から論じると、マジョリティが「表面」だけを見て人を批判するのが大好きであるという事実は、実はWHY-HOW-WHATゴールデンサークルの定式に逆らっているということであり、彼らはWHATだけに囚われているゆえに決して人の動機や感覚やコンテクストを理解することができず、人間関係で成功することはできないのです。表面的な関係が人とのつながりのすべてだと勘違いしてしまう。

 しかしながら、マイノリティ気質の人はその人の内部を洞察することが実は大好きで、奇抜な他者をも理解しようという余裕があります。あわよくば何か盗める美点はないか、もし良かったら相互に作用しあってブレークスルーしない?ぐらいの好奇心と冒険心があるのです。それだけで一般大衆の数歩先を行っていることになりますから、その気質を両親に感謝しながら上手に運用していかなければいけません。世界をどう見るのか?、人間のどう見るのか?、型破りといわれる人はその視点がマジョリティが決して思いつかない方向から見ることができるだけであって、その後のWHY→HOW→WHATの過程は基本に忠実にこなしているだけなのです。こうしてブルーオーシャン、一人勝ちの独壇場が作られてきたのであり、それは恋愛フィールドでもいっしょです。

 マイノリティの強みは何かと考えたとき、「大衆の中でお前が一番輝いてたよ」に表されるとおり、ほかの人が持ってないものを持ってるんだから、どうしても目立ってしまう、という特長があります。恋愛市場でこのマイノリティの特長が活きる時、勝手に選ばれることになり、自由恋愛においては大きなアドバンテージになります。追いかけても追いかけても手に入らないものが向こうからやって来るのです。ただし自分を磨き続ければですが。

 そのモテマイノリティの作り方はゴールデンサークルに準じるため、以前の記事を参照してもらうとして、

 

bit.ly

 カギになるのは、マイノリティ気質を持ち続けるということです。

 プロダクトにおいてThind differentは誰もやったことのないことをするわけですから、リスクが伴います。それゆえのプレッシャーが付きまといます。どうしても結果を出さないといけない。反論や批判をかわしながら、信じたことを粛々とやり続ける。結果を出せないとただ予算を食い潰した会社のオニモツで終わりますから、周りと違う考え方をし”続ける”のは大変なことなのです。

 多くの本来は野心的なはずの少年たちも冒頭で言及したそういう大衆文化の風土で育つと知らず知らずに大衆的感覚が身についてしまい、それに疑問を感じることもなく、童心をどんどん忘れてしまいます。マジョリティ側に吸い込まれてしまい、何から何まで似通ってしまった普通のコピー品になってしまい、恋愛に対しても当たり障りのない姿勢に落ち着いてしまうんですね。マイルドヤンキーというやつです。本来はみんなダイヤの原石ですが、ダイヤがダイヤとして輝くのか、炭になってしまうのかは、マイノリティが経験する逆風や孤独に打ち勝ちながらThinkDifferentを継続しつつ、磨き続けなければなりません。「モテるのは簡単ですが、モテ続けるのはそうとう難しい」というのはだれが言った言葉か忘れましたが、それは、引き出しになるはずのいろんな、人と違う経験やインプットを、疑ってしまうからなんですね。「こんなことしていいんだろうか・・」と、ふと、マイナス思考を引き起こされ、呑み込まれる。

 つまりモテることの難しさ=生まれ持ったものの優劣によるハンディキャップということではありません。モテの難しさは、マイノリティの勝算を認識し、必要なことを継続することの難しさを意味しています。まず感情が付いてこないし、習慣が付いてこない、だから難しいんだ、という2重ハードルがそこにはあります。

 しかし、このハードルを越えなければモテることはできません。それはパレートの法則で言われるように20%の勤勉な働きアリを取り出すとそこからさらに80:20の法則どおりに分かれ、20%しか働かなくなる、あれ、みんな働き者の精鋭アリさんだったのに、ということで、結局、大多数が楽なほうに流れていくという現実があります。そこに面したとき、マインドセットがモノを言うのです。楽しながらモテる方法はなくて、そんな人は一人もいないのですから、努力することが正解なのですが、でもほとんどの人が継続できずに、魔法を求めはじめますから、やっぱりモテるのは20%のマイノリティである、という法則どおりになるんですね。きびしいハードルを越えて20%にすべりこんではじめて、ようやく小さなモテを手にできる、それも簡単な道のりではありません。

 キケロは言いました。

 「人はひとりでいるとき、精神的にもっとも多忙である」

 彼の孤独に対する見方はポジティブなもので、孤独は生産的であるといいました。「マイノリティはマイノリティなりの利点がたくさんあるんだよ、余計なものを取っ払った後に、やるべきことをやろうよ。ぼくらは忙しいんだ」と。モテるための勉強をして、練習をして、体を鍛えて、とぼくらは本当に忙しい。Think differentからユニークな存在になるために、そしてすべてはモテるために。自分のWHYを理解してもらえずマイノリティだなーと感じるときは、20%に入りつつあり、その他大勢から脱却する途上なんだと、逆に自分の貴重なリソースを自分のために使えるということを喜べるのです。

 イプセンは言いました。

「この世で最も強い人間は孤独の中でただ一人立つ人間だ」

大きな病気をしたことが転機になった、会社をクビになってから人生を考えた。そういう話を聞くことがありますが、苦しい環境は一皮向けるのに作用することがよくあります。精神的な孤独にある人がそのトンネルを抜けたとき、本当に強い人間になっていることが多い。このノルウェーの劇作家は人間の本質をこの一文に凝縮させました。

 マイノリティであるということを何もネガティブにとらえる必要はありません。それはユニークで際立つことであり、その他大勢の人たちとは比較にもならない独壇場を作りつつあるということです。これまでも作って来たし、これからもそうする。

 さて最後に、気をつけるべきことをまとめとして考えましょう。ユニーク性の勘違いについてです。ユニークになって大成功するのか大失敗するのか。単なる変わり者で終わってしまわないためにぼくらは何を理解していなければいけないのでしょうか??という点です。

 ユニーク性が本来の価値として輝くのは、当人のユニークの中に「正確な知識」と「男らしい価値観」と「探究心を元に形成されたビジョン」など、挙げればたくさん出てきますが、もろもろの条件があってワークされます。

 ただ人と異なっていれば目立つということは表面的な理解で、それは多くの企業が既存の製品からちょっとズラして作ったプロダクトをニッチと勘違いしているようなものです。前々回サイモンシネックのゴールデンサークル理論で言及したようにWHATから着手して何かを異なるものを生み出しても、それ自体に人を魅了する力がないのと同じで、人間関係も奇抜さだけでは力を持ちません。人もモノもすべてはWHYから始めるべきでインサイドアウトのように内側から価値が滲み出てくるものが本質的です。

 だからユニークであるとは、狙って人と違う自分を作り上げるというより、自分の理想を研ぎ澄ましてひたすら努力し続けたらそれが自分のオリジナルになって、結果的に他人と異なっていたというプロセスです。狙うと届かない、欲しがると手に入らない、とはこういうことなのです。

 アイツはああやってるから俺はこう、アイツと違うアレを、という風に自分探しをして見ても、真のマイノリティにはなれません。マイノリティ風味の何かでしかない。基準がどこかのあいつに設定してあるんだから、太い軸を持った自分になれるはずがないのですね。軸がないということは、自分の中に頼るべき行動規範や決定条件がないわけだから、プレッシャーがかかるとき、持ち堪えられません。そう、普段じゃなく、やばいときに試されるのかマインドセット。恋愛すると自分が大好きな彼女と過ごすわけで、大きな期待に押しつぶされそうになります、そう、大好き過ぎるからこそですよ。ネット検索で「もてない男」として揶揄されるベスト3にだいたい入るのが優柔不断です。

・メニューを見ても決められない、

・意見を求めても返ってこない、

・あげくの果てには他人任せ。

 一人で好きなことをするときにはなんでも迷うことなく決められるのに、集団行動や大好きに彼女の前、上司の期待を裏切りたくない、友達から一目置かれたい、という状況下では空回りということが生じるのは軸がないからです。自分の中に頼るべき基準がないということです。これは表面的に他者の真似はしねーぞという価値観では出来る男にはなれないことを意味しています。人の目は気になるけど、ユニークにはなりたいし、大勢の中で輝いていたい。。人と一緒じゃイヤ。。。じゃあどうしたいのかと、あきれてしまいます。

 身近にそんな人、いませんか? 人と違う意見を言いたがって代案を出してくるが、まったくの的外れ、という人。こういう男は間違いなくモテません。悲惨なほどにモテない。人がサーっと引いていき陰でネタにされています。悪いやつではないんだけど、、ダサいんです。悲しいがこれが現実で、軸がないということは自分にとってもみんなにとってもwinwinな解答を導き出せない。よって、優柔不断になるし、仮に意見を言えたとしても、その勇気や積極性は評価できますが、とんでもない面白珍解答なので結局点数は取れず、逆に評価がグウーンと下がってしまう。どっちに転んでもあー痛い。

 だからこそ、周りばっかりを見るのではありません。自分の持っている感覚と情熱に素直に、つねに自分にWHYを問うて、Think differentとそこから出る自分というプロダクトを生み出し続けなける努力が必要なのです。これがユニークの成功か失敗をわけるマインドセットです。自分の軸が太くなって強固になるほど、マイノリティ化がすすんで、不思議なことにそこから「自信」の源泉がドクドクと湧き出てきます。自信がないのはマイノリティの軸がないからで、それはThink differentできてないからで、視点や感覚が平凡すぎるからで、80%の大衆であるからです。人とまったく同じでコピーにすぎないのに、そんな自分のどこにいったい自信を持てるのか、持てるはずがないじゃないですか。存在がマイノリティで、マインドが自信に満ち溢れていれば、世の中が放って置くはずがありません。世の女性たちが無視できない存在になっているはずです。

 日本社会と逆をいくのが、モテの秘訣です。自分を持ち、マイノリティの価値を身に浸みて生きてくなら、男も、関わる女たちもみんな幸せになれるのです。

 マイノリティの勝算はいくらかって?そんなの計算するまでもないですよね。

 

 

 

やじろべえ。