「キャラクターの表情サンプルがあるわけではない、自分がその表情になって描くしかない。」
これは漫画家井上雄彦がバガボンドの武蔵のブレイクスルーの表情を描くときに吐いた一言だ。少しでもこの感覚がくるうと人物から出る全体の雰囲気がすべて台無しになり、井上が頭の中で描くキャラクター像からは大きくかけ離れてしまう。そういうビミョーな世界だそうだ。
これは相当に意味のあることだ。
マンガのプロが、人間の感情の繊細な部分はサンプリングやテンプレートに頼ることができない、あくまで根幹にあるのは自分の研ぎ澄ませた感性によるアウトプットである、と主張している。
その「感性によるアウトプット」は自然のままにどこからやって来るか、といったら、”マインドセット”なのである。
そう考えたときに、人間の表面化するもの(表情や仕草や言動)は内面を映し出す「高性能映写機」みたいなものだ。ビミョーな繊細な感情を絶妙に表す表情、なんか煮え切らない気持ちから出るオカシナ言動、ホッとしたときの素の自分、超興奮してアドレナリンドクドクのあのオーラ。中にあるものは、忠実に描写され外へ表現される。
逆に、作りこまれた言動はなんか嘘くさい。打算的な戦略はなぜか下心として表面化し、周りはドン引きする。「人は素でいるときが一番美しい」とはよく言ったものだ。
これは逆の立場からみても有用なことで、ぼくらは人を心の扉を開けて覗くわけにもいかないから「高性能映写機」を通して発せられる情報を読み解くしかない。どんな人かを、観察して判断する機能をもぼくらは持っている。
余談になるが、検察のプロはうそを簡単に見破ることができる。つまり、この映写機を読み解く能力が格段に高く、その感度がビンビンなのだ。そしてそれは訓練で高めることができる。
単純な図に示したらこうなる。
【自分】 【周囲の人々】
内面 ⇒ しぐさ・表情 ← (⇒ 判断)
すごく簡単に言ってしまうと、内面と外面のズレがひどくて正しい表面化に失敗するとうそが見破られてしまうのだ。恋愛ではうさんくさい、なぜかしょぼい感じが滲み出てしまう。だからこそ恋愛での成功を目指すとき、人を見る目を養うと同時に、高性能映写機を上手に使いこなすべく強固なマインドからありのままの自分を映し出す精度を高める必要がある。
だれしも人に認めてもらいたい欲求を生まれながらに持っていて、とくに好きな人に「愛されたい」とぼくらは強く思う。
しかし、どうすれば相手に喜んでもらえるのか、どうすればかっこいい自分でいられるのか、しかもありのままの自分で。ということは実に難しい問題だ。とくGoogle先生に「モテるにはどうしたらいいんですか?」と聞いてみてもどうも腑に落ちない、とりあえずやってみてもサッパリ効果がない、逆にオレのモテ、悪化してね??そもそもオレのやりたかったのはこんなことなんだろうか・・
そういう、不思議なことが起きる。
これについてリーダーシップの専門家でTEDトークで有名なサイモンシネックの答えはこうだ。
恋愛感情のプリミティブな部分は言葉にできないもの
男;「彼のどこが好きなの?」
女;「ん~、やさしいから」「面白いから」「責任感あるから」
男;・・・?
とぼくらはしらけてしまう。そんなやついっぱいいる、というかそんなありふれた模範解答を聞きたいわけではない。恋愛の決定打がほしいのだ、と。
「なんであいつなのか?」
そういう個人の感覚に切り込む類の問いに明確に答えることは、脳の構造的にできないとサイモンは言及した。
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脳は、その断面を上から見ると主要な3つの部分に分かれる。一番外側の「大脳新皮質」は分析的思考と言語を操り、内側の2つは「大脳辺縁系」に対応し感情・信頼・忠誠心を司る。「何かを感じる」「信じる」「好きになる」のはこの大脳辺縁系で起こっているが、これらに言語能力はない。逆に「大脳新皮質」は言語を含むいろいろなデータや理由やメリットを大量に表現できるが、相手に何かを感じさせ信頼を呼び、突き動かすほどの力はない。
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この二つの領域はまったく別物なのだ。
センスのある人は直感が非常に鋭いが、この直感はまさに「大脳辺縁系」で何かを感じ取り、信じ、アクションを起こさせているもので、不思議なことに直感を信じてやるとそのほとんどが成功する。つまり、意識的か無意識かに関わらずそのセンス(脳内シュミレーションの精度)が以上に高いからだ。が、彼らも例に漏れず、その意味や理由や詳細な過程を言語化することはできない。
もし、センスのないヤツが聞きかじったことをそのままに、まったく同じように真似した場合、うまくいかないなんてのはよくあることで、それは結局、センスがないから、に行き着くわけだが、もっと言うと次の二つの理由によると思っている。
1.センスある天才が教える”やり方”は、正確ではない。
2.センスないくんは理解できず納得もしていない。
センスのずば抜けた天才の言うことは”まったく当てにならない”、という普遍の原則に遭遇することがあるが、こういうことなのだ。
つまり、大脳辺縁系で納得し確信し成功したやり方を⇒コトバに表現することは非常に難しい。という送り手の問題。
また、聞いたことを大脳新皮質で受け取ってわかった気になっても、大脳辺縁系に達しないのだから、ほんとのほんとは納得してないし、腑に落ちてないからできない。という受け手の問題。
結局、伝わらないのだ。センスや能力の問題があるとはいえ、もっと手前に脳の構造的な問題があり、生物学的なことに起因している。
さて話を戻すと、
ぼくたちは「あの感じ」を感じたままに言葉にすることは、脳の構造的にできないということを見てきた。原理的にできないのだから、むりやり強引にやろうとするとそのコトバにありきたりなつまらなさがにじみ出てしまう。いろいろと「わが社の商品」の良さを並べ立てるセールスマンのように。つまりデータや理由やメリットを表面的に並べ立ててもそこに”説得力はない”。
恋愛でもまったく同じことが起きている。
上記の点を踏まえると、モテる条件で検索をかけてヒットする項目はどれも現実を反映することはありえない。そもそも美しく知性的な彼女たちも、その理想像を、その感覚を、的確に言葉にできるはずもないわけで、なんとなく最大公約数的な模範解答が出来上がってしまう。
「清潔感」とか「やさしさ」とか「責任感」とか、どうしようもないありふれた言葉しか見出せない。
それはぼくらにとっては何の説得力もないし、なんの影響力も及ぼさない。でもグーグル先生がそう言うんだから、、とそれを真に受けた男がどんどん普通に落ち着いてしまい、どんどんモテなくなるのは当然のことといえる。
そう、ぼくらは単なることばや理屈で恋愛しているわけではなく、感情フィールドで能動的に恋愛しているのであり、「その人を好きになった」「そう感じる」という事実のみがあるのだ。
モテは理屈ではなく、感情の領域。
「同じ社会的背景を持ち、同じ知性レベル、外見レベルなのに全員に魅了されるわけではない」
人類学者で恋愛の研究者であるヘレンフィッシャーはそう述べている。
多数の中からなぜ「その人に」恋するのか、これはヘレンのような恋愛のプロをもってしてもも、まだわかっていない、のが現状なのだ。ただ言えるのは、
自分の10個の条件にぴったり合う人が複数いたとしても、みんなを同じように好きになるわけではない、
という事実。
これはまったくそのとおりで、考えて考えて「考え付く条件」と「好きになる感情」はリンクしていない。大脳新皮質で整理して導き出した解は、大脳辺縁系にまったく影響を及ぼさず、「この人が好き」の感情がわき上がることはない。
つまり、条件に合う”良さ”で人を好きになるのではなく、感情ドライブで”何か”が起きてその人に惹かれる。
Google先生に解答を教えてもらっても、一生モテることはない。
では、これらの原理を『どうすれば僕たちがモテるのか』に絞って当てはめてみよう。
これまで見てきたとおり、ぼくら高性能映写機をその機能どおりに使いこなすには「感性アウトプット」が必須であり、脳科学的にも自ら大脳辺縁系に働きかけることで、そのアウトプットが自然な振る舞いとして威力を持って相手の大脳辺縁系にインフルエンスを与えていく、だからこそ相手を魅了できるのだと。そんなモテの正しいルートがあることを考えてきた。
この点で、上述したサイモンシネックの著書のタイトルでもある「WHYから始めよ」という考え方は「モテ」にも非常に適用できる原則だ。
アップルをはじめ世に大きな影響力を及ぼした組織は、広告にせよプレゼンにせよ演説にせよ、そのメッセージが必ずwhyからスタートしている、と。
WHY → HOW → WHAT という順序、このようにメッセージを発したときその効果が最大化され人を感化する力が爆発するのだが、これは先に述べた大脳辺縁系→大脳新皮質の順番で物事を行うことと対応しているのだ。WHY → HOW → WHATのモデルは、先に信念があって、選択や行動にいたることを示している。
アップルはこのようにメッセージを伝えたのだ。
『我々は、世の中を変えるためのコンピュータを個人の手に、その信念のもと、それを実現するべく美しく機能的で他にはないものを目指しました、これです。』(実際に創業者たちはその信念のもとにコンピューターを形にしていったのだ。決して儲けるためのツールとして、とにかく奇抜なPCを作ろうとしたのではなかった。)
結果、多くのMacユーザーが熱狂的にファンになったのだ。
まず先に信念があり・それを形にしていくという順序でWHY→HOW→WHATをブレることなく再現したアップルのやり方は、男にはまず信念が不可欠で「モテるにはマインドセットがすべて」ということを教えてくれているのではないだろうか?
「人を感動させたいなら、まず自分が感動せよ」といわれるが、これはまず自分の大脳辺縁系に刺激を与えて自己の感覚に火をつけてはじめて、そのモチベーションにより他者を感動させる何かを生み出せるという意味に解釈でき、脳科学的見解と一致してる。
井上雄彦が苦しみながらキャラクターの感情に入り込んで、時に身も心も削りながら武蔵を描くのも、武蔵が抱いたであろう信念、武士道をどう全うすべきかを作者自身が感じ取ることで、いわば的確に大脳辺縁系にアクセスしながら、自然と筆を走らせることができるからだ。
「女を感動させたいなら、まず男が感動せよ。彼女を振り向かせたいなら、お前がそれだけのマインドを持て」
ということをぜひ、机の上に貼り付けて日々を送る必要がありそうだ。
そこから動き出す自信あふれた振る舞いや自然に出てくる気の利いたセリフこそが力強いメッセージとなって、女性たちを魅了できるのだから。
そう、ぼくらはとこまでいっても高性能映写機なのだ。マインドをひたすら強固にし、自分のオーラとして発するしか方法はない。これこそが唯一の方法だ。ここ一番のタイミングでの殺し文句やしぐさが感情フィールドを支配する決定打になる。
ついでに語弊を恐れないで言うと、人はモテを形作ることはできない、とすら思っている。自分が信じる・目指す理想像の抽象的要素の中で、その方向性で努力し進み続けるしかない。だって言葉にできないもの・定式化しにくいフィールドで勝負しようとしているのだから。きっと、その努力の過程で映写機が発する”雰囲気”を周囲がキャッチしてくれるはず、そう信じながら。
結局のところ、ただ男らしく生きようとするだけーそれが周囲にインフルエンスを与える様、それをモテと呼んでいるだけだと思う。ふわふわした手でつかめない感覚で、形として提示できないからこそ、逆にぼくらはいつまでも努力し続けることができるのだろう。もてるテンプレートがあるはずだ!とか考えた瞬間からチンケなものとなり、とたんにモテなくなる、と再び気を引き締めながら。
そしてマインドセットが定まれば、方向性も固まるのだ。こんなふうに。
・ぼくらは自由に生きながら、女性を幸せにする義務がある。
・男は一歩も二歩も先を歩いて、前へ前へ
・努力して当たり前、結果を出してはじめて誰かを幸せにできる。
・わかった、批判も何もおれが受ければ済むことだね
・でも越えちゃいけない最低ラインは君であっても譲れない。
・結局男らしくなるためにぼくらは生きてるんだ、そして必ずそうなれる。
追いかけると逃げていくのに、追わないと寄ってくるのは、
男らしく生きる、そのことにコミットしているからで、その本質の方向にひたむきに進む後ろ姿が、女にはたまらなく色気がある、その背中を追いたくなるのだ。(と勝手に思っている。)
「男は背中で語る」なんていわれるのは、理想に向かうコミット度がハンパなさ過ぎて背中ににじみ出てくるからなんだろう。オーラだとか、巷でよく表現されるアレだ。
コミットによって吸収したものがマインドの餌になって映写機で投影しているだけ。
今日も明日もあさっても、ずーっと、マインドに目を向けるべき、結局モテるのはマインドによるのだから。
やじろべえ。