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モテるのは、マインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

高望みのトリセツ

 

世の中では、いつも美人を連れて歩く男もいれば、なかなか彼女のできない男もいます、そんなに悪い男ではないのに「なんであいつに彼女ができないんだろうか」と思わせるタイプ。

そういうときだいたいささやかれるのが、「あいつは理想が高いから」という原因。

なかなか理想にピタリ合う人に出会えないから必然的に一人でいる期間が長くなる。同時に周りは不思議になる。いいやつなのになーと。

そういうとき周りが言うのが、「理想が高すぎるんだよ、ハードルを下げろよ~」というアドバイス。このアドバイスは理屈的には効果アリに見えて実は何にもならないものです。ハードルを下げれば手にできるものもあるでしょうが、それを手にしたところで「それで満足だろうか?」という疑問が湧き上がり、当人の葛藤となることは想像に硬くありません。そんなの無理なのです。

理想を高くかかげるその人の思考にはそれなりの背景があって、それで何十年と生きてきて、理想とも思えるカップルをたくさん見てきて、憧れを抱いて「よし自分も」と意気込んで今に至るのだから、志望校を下げなさい、夢をあきらめなさいと同じくらい本人にとっては苦しい選択なのです。

ナイスなカップルが幸せそうに街を颯爽と歩いてるのを見た日にはすさまじい劣等感に襲われる。

人生には卒業、就職、結婚、出産、などいろいろな節目がありますが、結婚はその中でも一大イベントであり、だいたい80年ぐらいの短い人生において主要な位置を占めます。さらに幸せな結婚を夢見て想像して計画したとき、「結婚相手」はとてつもなく大きなウエイトを占めるためどうしても慎重にならざるを得ない、失敗はいやだ、あの理想の夫婦のように、、、理想が青天井バリに高く高くいってしまいます。

その思考が積み重なって今に至るわけで、理想を下げるなどというのは、自己否定になる。

プライドが許さないでしょう。

 

一般的に「高望み」はきれいごとと同じくらいウケの悪いポリシーとみなされますが、ぼくはきれいごとの記事でも力説したように理想に向かって努力するのは至極人間らしい営みだと思っています。

実際、ハードルを下げる、その悶々とした感情と闘うエネルギーより、理想に向かって努力する労力のほうがはるかに生産的で人間的だといえるでしょう。

きれいごとでもそうですが、「高望み」は他者から見えてない部分が多い分ウケは悪いですが、結果さえ出せばオセロのように全部ひっくり返りますから心配いりません。

人が見てないところでコツコツとコソコソと秘密の決戦準備をしてればいいんですよ。

 

高望みが否定的に受け取られてしまうかどうかは、当人がそれに見合った犠牲を払ってコミットしてるか、口だけの理想原理主義者なのかによって決まります。

思想はそれを裏付ける理論と努力と、背景の文脈があって白黒が決まるものですね。

ですから、理想を高く掲げた後で、努力を確実に結果に繋げるための「何か」が必要で、それこそが『高望みのトリセツ』なのです。

 

今日はこのトリセツを解説したいと思います。

 

高望みは、お買い物に準えるとわかりやすいでしょう。

人が物を買うとき商品に価値を感じたときお金を支払います。持ってる¥200よりチョコのほうが価値が高いと感じたとき“買い”になります。¥200を手放してもいいと思ったのだから。

もし値札が¥300だったら、お客さんは高けーよと思って買いませんし、

¥100しか持ってなかったらお店は売りませんね。

売買は成立しない、利害が一致しなかったのです。

チョコを買うためには、お店の提示した¥200を満たすか、お金が足りないなら質の低い¥100チョコでガマンするしかありません。

 

「高望み」は自分自身の現在価値と、あの理想の彼女の価値が釣り合っていないという状態であり、女子側からすればあなた私とは釣り合わないでしょと思われているわけで、「お客さん、お金足りてませんけど」という状態なのです。

金額不足で売買が成立しないのに執着してしまうから、客観的にダサく見えてしまうんですね。

恋愛を成立させるためには男の望む価値と女の望む価値を一致させる必要があります。自分が60の男で、90の女を望んだら「高望み」になり一致を見ないため、成立しません。 

資本主義社会の中では汗水流して働いたお金で自由に買い物できますし、欲しい物があればより働いて、なんとかそれをゲットしますよね。現代の自由恋愛システムも同じで高望みも自由な分結果もシビアに着いて来ます。自分も相手を選ぶように自分も選ばれてしまうから、取捨選択で篩い分けられてしまう。 

両家の家長がセットしたお見合いの相手が偶然超美人で、その後はシナリオに沿って事が運ぶということは現代社会ではなかなかありませんね。自由には責任が伴うなんて学校で教わりますが、自由には相応の結果がそのまんま伴うわけで、その結果は自由を行使して選んだ先に自然と着いてくるものですから良くも悪くもそれを甘んじて引き受ける必要がある。

 

そうゆう自由な社会に生きていますから、どうぞどうぞ高望み、ご自由に。でも結果は知りませんよ♪とゆうこと。

「高望みいいんだけどさ、やることやってんの」

ということ。 

自由に理想の相手を描きつつも恋愛成就のためには当然の努力が要求されるのです。汗水流して働くのと一緒で。

この高望みを解消して、価値を釣り合わせるには2つしかなくて

  • 理想レベルを下げる (60 - ↓60)
  • 自分を高める (↑90 - 90)

これしかありません。 

この不足分の30は男らしさかも知れないし、清潔感も知れない、ユーモアかも知れないし、親しみかも知れない、それは男性陣の生来のタイプにもよりますし、対象の女性の好みにも左右されますから「何をやるべき」と一概には言えませんが、現状必要なものを大幅に増強しなければならない。

  

ただ、ぼくが多くの男たちを見てきて、多くのイケてるカップルを見てきて、言えることは、その男には男足らしめる“男くささ”があるということですね。

女が連れて歩きたくなるような男くさい、男。

 

では、色気のある男くささとはどこから来るものか、見ていきましょう。

 

[優しさ]と、[男くささ]で天秤取ったら絶対に男くささに軍配が上がると言えるでしょう。

男として必要な、あの、強さ、自信、勢い、安定感、そういう類のもの。そこから派生してサッパリ感や潔さ、色気や情、が生まれ、恥じらいさえも絵になるそういうものです。

それで、人間らしさとか男らしさ・女らしさというワードの「らしさ」ほと定義が困難なものはありませんが、例えば色男を30人集めて共通点を抽出したら間違いなく何らかの男らしさが漂うはずです。 

それゆえに上記の領域の気質ほど優先的に培うものであるべきで、よりたくさん自分の中に占めるべきものです。

 

優しい人がいいとか、面白い人がいいとか、なんだとかいわれますけど、そんなのは二の次三の次です。基礎になるのは強さであり、安定感なのです。人として日常を生きるにしても、男として男女関係に反映させるにしても。

男にとって、先頭に立って引っ張っていく役割が課されているすれば、強さがなければ誰がついていきたいと思うでしょうか?まよってばかりの船長の船には怖くて乗れないよ、と。

優しいんだけど、ユーモラスなんだけど、頭はいいんだけど、なんだか不安はぬぐいきれない。

 

強さ、安定感(基礎) > 優しさ、ユーモア(装飾品)

 

スポーツでもそうでしょう?

超人的なパフォーマンスを見せる体操選手だって基礎には筋肉量が必要でそういうトレーニングをしているし、華麗なフィギュアスケートでの演技もあの安定感は足腰の力によるもので、それなくして美しくとか話にならないわけです。

重要なのは、根幹に位置するピースを先に埋めるべきだということ。

基礎的な男らしさを養っていきながら、自分を高めて高望みを達成するしかありません。

 

重要要素を優先的に。

オセロの角を取らなければ、すべての努力や犠牲が徒労に終わってしまう、うん、そうです。

 

これはさまざまな神話学とヒーロー伝説によって人類に語り継がれてきた‘男のあり方‘と一致します。 

マンガの主人公、例えばルフィでも一護でも桜木花道でも、不器用さの中にどこか理想や欲に向かってひたむきに努力する少年のような一面が突出していて、痛いほどにピュアなエネルギーをその道の先にぶつけている。

 

彼らはいつも道の途上であり、その成長過程の上で男くささを放っている。

 

不器用なんだけど、ピュア。

少年のようでいて、ひたむき。

 

これっすね、男の魅力とは。

 

1.ゴールへの途上にいる(何かの途上で人間は一番強く、輝いているのは定説)

2.前に進むエンジンを持っている

 

この条件の下、自分シナリオの主人公になれますが、

そのエンジンこそがキャラクターが示してくれる要素であって、それをひっくるめて「男くささ」と客観的に世間で表現されます

 

このキャラクターたちにみる男の本質に対して、「マンガの世界だろ」とザンネンな冷めた見方には脳の構造で大方説明がつくとしておきます。

まず、

男性

  • 左脳で処理するのが得意(空間把握・分析的)
  • 下頭頂小葉という数学的思考部位が女性より大きい

女性

  • 左脳右脳をつなぐ器官が男性より大きく、それゆえ両脳を同時に使いやすい
  • 感情をつかさどる辺縁系が大きく深いため言語能力に長けている

 

一般的に男は一点集中型なので高い判断力や決断力をもって冷静に一つのことに集中しますから目標を掲げ突き進む、会社でのキャリヤや起業などに向かいます。

 

それゆえにときに、人の気持ちもわからず・・、となってしまう。

 

でも目標を達成のために突き進むのに、あっちを立てればこっちが立たずじゃ困るわけで、人の気持ちに鈍感なのは優柔不断を回避するためのよくできた脳のシステムなんだと思うに至りました。

 

それに対し女性は同時進行型なので電話をしながらマニュキアを塗る、洗濯機を回して朝ごはんの準備をしながら子供の支度をするなど一度に複数のことをこなせます。

つい先日はATMで振込みしながら肩に携帯を挟んで電話してるキャリアウーマンっぽい人がいました。。

それ、番号押し間違えないの?・・

と思いましたが、女性はできるんですね。

さらに、女性は人の気持ちや自分の気持ちに敏感で横のつながりを重視する傾向にあります。

 

このことを総合して男性脳を見てみると、ぼくらは一つのことに特化して物事を進めるのに適していて、そういう脳の使い方をするとき効果が最大化されるということを意味しますね。だから男は何かチャレンジしたくなるし、好奇心旺盛で女が理解できないほどに趣味や仕事にのめり込んでしまう。

直線的にゴールを描いたときいろいろな障害が出てくるのは当然ですから、それを数学的/分析的思考でクリアしよう、冷静でいて勇気ある決断をしよう、というのは男くさい“強さ”が支えるものです。

てか、男そのもの。

 

興味を元に「何かでっかいことを成してやる」、そう目標を掲げ、そこに集中しながら旅路を進む。わき目も振らずにね。まさにアニメの世界じゃないですか、だれでも主人公になれる素養を脳の仕組み的にも持っているんですよ。

だったらその自然の摂理に従って男を磨いたほうが効率がいいはずだし、理にかなっているはずです。世間で流行る草食系とかそこから派生した草食○○系とか、三低がモテるらしいとかじゃなくて。

 

上記のようにぼくは高望み肯定派です。

その高嶺の花を望む気持ちがモチベーションにもなるし、目的意識を保たせてくれる。

ただ、高望みばかりして行動が伴わないのは、最悪です。結果が出ないまま時間だけが過ぎて自分が勝負できる期限がどんどん無くなっていくわけですから、時間の無駄です。

それなら理想を下げて現実的に生きてる人のほうがまだ賢い選択になってしまいます。

少年が大志を抱いたのに、大志を抱かなかった隣の坊やよりもミジメになるなんて、

野球選手になりたいならつらい練習もがんばらないとね、と夢見る少年に対してもつ感覚と同じものを自分に対しても持つ必要があるだけのことです。

高望み、大いに結構。

山は高いほうがいい、確実に一歩一歩登りましょう。

 

高望み精神の取り扱い方、それは焦らず腐らず高望みをエネルギーにしながら素質を磨くだけ。そう、強さという男の武器に磨きをかけながら。

そして、高望みでなかなか恋愛成就しない仲間にもしたり顔でアドバイスしてやりましょう。

「お前に必要なのは男くさい強さだよ」と。

 

 

 

やじろべえ。