モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

恋愛を過小評価してはいけない

問題1.モテる努力は、ダサいのか?

 

「いい男いないかしら・・」

世の女性たちのそういう発言のうらには「どうしてわたしの周りにはダサくてパッとしない男ばかりなのか?」という乙女心の叫びがあるわけですが、その子の周りだけでなく世界のどこに行こうともいい男の絶対数は少ないと言わざるを得ません。パレートの80:20が恋愛領域でも適用されてしまうからです。

 しかも恋愛格差が開き、上側つまりモテ側はいつも少数派です。

 

女性たちの言い分はだいたいこうです。

「愚痴や自分の趣味を延々と話す、つまらない男」

「自慢や武勇伝を語りだす、ナルシスト」

「下ネタばかりのKY男」

「お勘定を1円単位まできっちり、ケチで細かい男」

「ねえどうする?の頼りがいなく優柔不断」

多少の女性厳しめフレームが入っていることを差し引いても、仮にこういう男とその彼女のやり取りを目の当たりにしたら、「そりゃ彼女もしんどいわ」となりますね。

 

パレートの法則に従うと、ひとつの空間にたとえばマックでハンバーガーを食べている男の8割はそういうありえない男だということになります。

地域や特定のエリアによっていい男分布のバラつきがあるとはいえ、感覚としてはいい男は20%もいないんじゃないでしょうか。10%以下ですね。ということは90%以上は上記のダサい男たちで、マックにしろどこにしろ公共広場にて埋め尽くされていることになります。

 

どうしてこのようなことが起こるのでしょうか?

いつの時代もパレートの法則どおりにものごとが挙動するとはいえ、恋愛格差がより残酷に大きく開くのは今の時代の象徴でもあります。経済格差と同じでね。

近年は「草食」に象徴されるように、恋愛はめんどくさい、一人で趣味にこもったり家にこもったり自分の殻にこもったりする若者が増えているといわれています。

世の中の“空気”としてそういう風潮が広がりそういう態度が蔓延していくわけですが環境に左右されるぼくらは、醸造されたその環境の中で80:20を加速度的に経験していることになるのです。

 

街コンなどの合コンビジネスが次々と生まれて、その需要によりニヤケテしまうほど業者が儲けていることを考えると、そういう作られた場が必要な現代人はガンガンナンパしていたといわれるバブル期その辺の時代に比べて、低欲望社会なんでしょうね。コンドームの出荷量ですら落ち込んでいるよ、といっている分析家もいますし、要はそういうことなんでしょう。

ある恋愛ブロガーは二次元の世界でのアニメや女優さんの供給量や質が高まり、わざわざ現実に恋愛しなくてもそこそこ欲は満たされるからだと言っていました。「別にわざわざ殻を飛び出して女を追いかけなくても、目の前の画面にかわい子ちゃんがいるし」と意味不明な安定志向に拍車がかかるのです。

 

ではそういうてっとり早い方法で、人間の恋愛とか欲望の部分を完全に満たすことができるのでしょうか?趣味にこもっていたい、めんどくさいのはイヤ、傷つくのはイヤ、とリスクをとらない二次元の恋愛体験は男のためになるでしょうか?真正面から恋愛に対峙するぞ!という気概を斜に構えてバカにする態度は成功に近いといえるでしょうか?

 

ここにきて主題の、「なぜ恋愛をバカにしてはいけないか?」にたどり着きます。

なぜリスクをとってでも積極的に恋愛すべきか、失敗したら素直に反省して次の恋愛に生かすべきなのか、女性を搾取の対象ではなく一人の人間として尊重するべきか、そういうきれいごとに真摯に向き合う必要が出てくるんですね。

 

恋愛が順調に行くと、仕事でも馬力が出るのは誰もが体験済みでしょう。

逆にフラれるとこんなにも引きずるものかと・・・、イライラするし、なにもかもうまくいかない。

それぐらい恋愛のパンチは大きいですし、そこがうまくいけば他の人間活動にも追い風が吹きます。

 

人類学者のヘレンフィッシャーは、恋愛の要素は古今東西のあらゆる文化の中に散りばめられているといいます。

175以上の社会を観察した結果、詩や小説、彫刻、絵画、神話や伝説として「愛が」表現されているのです。だからこそ言える、時代や文化や地域や思想にかかわらず普遍的な人間本質的なものであると。

であれば、健康は大事だよ、健康でなければ何もできない。

人間関係は大事たよ、だってぼくらは社会的な生き物だから。

仕事は大事だよ、やりがいを見つけるべきなんだ。

というのと同じくらい恋愛は重要なのです。

よい恋愛は空気のような、水のような、もんなのです。「愛するとは何か?」とシェイクスピアは言いましたが、昔から人類は“愛”を問い続けてきたわけです。

恋愛は本能の中に埋め込まれた重要なファクターで、そこに逆らう行動を僕らが取ると「コラコラ、ちゃんと恋愛しなさい、そして子孫を残しなさい」と本能が囁くのです。「恋愛より趣味だよ」「恋愛なんてこりごり」「一人のほうが楽」と口で何と言っているかに関わらず、ラブラブなカップルを見ると自然と嫉妬が生じ、悶々と寂しさを感じるのが人間の性で、それが“恋愛必須”を物語っていますね。

 

上述のヘレンフィッシャーの研究によると、脳科学的に見ても恋に落ちると特殊な状態になるようで、脳がコカインでハイになったような感じになるのだと。これがひとつの動因・モチベーションになるのです。

「あ~、あの人が恋しい、欲しい欲しい」となるあの強いエネルギーです。

好きな人の目を引くためにいつも以上に身だしなみに立ち振る舞いにがんばりますし、そうやって恋愛がうまく回りだすと、仕事もうまくいき始めるのはそういう動因が発動したからです。どこからともなくガソリンが追加されて歯車がギシギシっと動き出す。

「仕事で失敗しても、親友とけんかしても、自殺したり鬱になったりはしませんが、フラれると人を殺しかねません」とヘレンは語りました。そう、自殺と殺人は女とお金が絡むとき。そんだけのパワーがあるから取り扱い注意なわけで、お金についてちゃんと学ぶべしという論があるのと同じで、恋愛についても真摯に向き合う必要があります。恋愛をバカにせずそれに関する問題にまじめに取り組み、酸いも甘いも噛分けるとき世界が違って見えるのです。

 

ではこれを、二次元の恋愛体験で代用できるのでしょうか?

当たり前の話ですが、ネット上でさまざまな国を旅して「きれいだなー、行って見たいなー」というときと、実際にその国を訪れて、その建物や町並みを肌で感じ、その文化や空気感を吸収して、自分の足で一歩一歩歩きながら、人々と会話して、現地のその場にいるのでは感化される度合いやインパクトは天と地ほどの開きがありませんか?

旅好きとっては、ネットサーフィンで見ただけのやつは何も知らないのと同じです。

そういうことなのです。

スポーツ観戦よりも負けられない戦いの現場でのプレイのほうが血湧くのは当たり前。

 

恋愛とは何かを突き詰めると、一人の男と女の関わり合いです。

直に関わってこそ相手の新しい発見があるわけですし、自分を見つめ直す機会にもなり得る。時にせめぎ合い、影響を受けたり与えたり、意見が噛み合わないときも折り合いをつけたり、二人でいるがゆえにケミカル反応が起きたりと、その関わりの中の絶妙な不安定感が人間らしさを味合わせてくれる。

卒業したばかりの新入社員が使えないのと同じで、机上の空論でわかった気になっては人間終わりなのです。実際に何かに携わって始めて「あー、そうだったのか」と気づくものがある。

二次元と恋愛してもそれは自己満足でしかなく、自分のしたいようにストーリーを進めてるだけで、脳内の活性物質が産生されるわけでもなく、女性を通して男が磨かれることもないので、ヘレンフィッシャーが言及した人間本来としての欲望が満足されることはありません。甘いもの中毒のように満たされずもっともっとと二次元にコミットすればするほどどんどん枯渇していくんですね。

 

では、バカにする態度とはどんな態度でしょうか?

立場を換えて、逆の視点で見てみるとわかりやすいでしょう。

ぼくらは誰かに「軽くあしらわれた」とき、イラっとしますね。本意の3%もわかってないのに話を勝手にすすめて先に行っちゃったあの、自分勝手さ。そもそも理解しようとしてねーんじゃねーか。

わかってもいないのにさも何かを知ったような言動が観察されたとき、「バカにされた」と感じるのです。

 

人間関係において、相手を理解することこそ、コミュニケーションやそのあとの良好な関係のスタートであるのに、そこが欠落していては友達は離れていくわ、職場では仕事がやりづらい男だわ、恋愛もくそもないのです。

まずは目を見開いて、耳をかっぽじって、ちゃんと人の話を聞けと。

目の前の人に向き合えよと。

人間関係においてそうであれば、恋愛はなおのこと。

結局、人との関わりだからです。

 

この対象に「向き合う」という真面目さが欠けてマインドが自分中心の内向きになったとき、バカにする態度が客観的に認知されてしまうのです。

 

恋愛において、「恋愛なんていらねーや、だってパソコン開いてネットツナイデ、彼女とイチャイチャすればいいじゃん♪」とは、恋愛に対して向き合っていないということなのです。

一方で、ひたすら恋愛について考え、モテるための自分磨きを人生の目的にし、贅沢は敵ですを貫き、ダサい自分を直視しながら、プライドや面子を捨て、時に恥をかきながらも、自分理解や女性理解に粉骨砕身してる男もいる。そういう男は実践ならではの失敗や緊張感と闘いながら「女心はなんてむずいんだ・・」とつぶやきながらもモロモロのリスクを甘んじて引き受けているのです。

どちらが恋愛に真剣に向き合っているかは一目瞭然で、いずれ結果という形でリターンを収穫することができるはずです。

 

「いい男いないかしら」という女が増えているということは、そのいい男エリアに(自分と、恋愛と、ちゃんと向き合うことで)なんとか食い込むことさえできれば自然と連鎖反応的にモテルワケデス。(そのいい男エリアの入場チケットがプレミアでなかなか手に入らないわけですが・・、そこはがんばるしか、はい。)

「あなたはVIPですからこちらへどうぞ」という、プレミアチケット。ていうか顔パスですね、ぐらいの、最上級スイートルームへ案内されるそういう男に“なる”ことが成功への近道なのです。

 

物事の本質に向けて真剣に向き合う態度を“コミット”といいますが、コミットできなければ成功などないわけで恋愛成就もありえません。コミット状態の能力開発的快楽を知りさえすれば仕事でも人間関係でもどの分野でもきっと役立つ。

「仕事ができる男はモテる男」論は少なからず的を射ていてその人のステージを測る指標のひとつですね。

コミットしない・できないのは、殻に閉じこもるオクテタイプか、ガサツで相手を理解しようとしない下品な男のタイプでしょう。

 

大多数がそのような非モテ男でかつ和を重んじるヒエラルキーの中で生きる時おのずと周囲は恋愛に“向き合わない”ヤローばかりなので少なからず影響を受けます。そして恋愛に積極的であろうとする態度はときに浮いてしまい、彼らは知ってか知らずか足を引っ張ろうとするでしょう。

そういうときは結果を観察すればいいのです。恋愛をバカにする男は理想に到達することができませんから、こういう非モテになるのか、恋愛に敬意を払って精進し格差の上側へいくのか自分で決めることができるのです。格差の上側か下か、二つに一つしかありません。中間はない。

 

「出る杭は打つ」ように他の同僚や同級生やコミュニティーの中でネガティブ思想が広がっているとしたら恋愛に積極的な男のその積極的かつまじめな価値観は杭打たれることになり、活き辛いですね。

きれいごとの時にも話しましたが、揶揄されることになるわけです。

 しかし、彼らと少しだけ違うパラダイムで恋愛を定義しなおせば、その差が人生そのものを大きく左右することになる。最初はしんどいかもしれませんが、この努力、ローリスクハイリターンですよ。

パレートの80:20が低欲望社会を作り出し、少なからずぼくらはそのヒエラルキーの中に身を投じることになりますから、少なからずあるマイナス要素はもう割り切っちゃって、“向き合う”という態度を固めなければなりません。

 

「あいつはまた女追いかけてるよ」と陰口たたかれたり、そのアプローチがうまくいかなかったとき、う~んネタにされるかもしれない。

「何がコミットだ、手当たり次第数打ちゃ当たる」と言われちゃうかもしれない。

違うのです。

目をそむけるのではなく、自分勝手に見るのでもなく、ちゃんと向き合うということ。

 

結果を見れば一目瞭然です、向き合わない男が何かを手にする事例がぼくらの周りにあるでしょうか?ひとつもない。目の覚めるような美人の彼女をもつ男はほんとに真っ直ぐで真剣で人生の主要な位置に恋愛をセットしている、そういうヤローたちなのです。

 

陰で「いいな~」と指をくわえながら眺める、このザンネンなポジションから脱するには、恋愛に対する根本的な考え方をパラダイムシフトしたほうが一番早い。

テクニックではなくね。

 

パラダイムが変われば勝手に歯車が回りだすのですから。

 

恋愛のことばかり考えてるとキモイでしょうか?

きれいな彼女を獲得することが人生の意味、と公言するとおかしいですか?

そのためにアグレッシブだとときにコケもしますが、それがダサいというのでしょうか?

ぼく的恋愛論を熱く語ると、ウザイですか?

 

それらは高潔な理念と手段で達成されるかぎり、キチッとコミットできているのであり、恋愛を蔑ろにしている8割の男が夢にも思わないバラ色の未来へと、一歩を踏み出したことになります。

いい男のあの色気はそういう精神的にマッチョな考えがアグレッシブに表面化したとき醸成されていく。

だったらやるべきは、イケメンへのやっかみや彼らを落とす裏工作ではなく、ましてチャライ恋愛戦略でもない。

 

恋愛成功者の真似をすればいいのです。

 

そろそろ本気出していきましょうぜ。

 

 

 

◇やじろべえ◇