モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

きれいごと至上主義(1)

このブログはもてるためにということを前面に出していますが、男としてモテたい、ちゃんと男として見てほしいと思うのはごくごく自然なことで、そのために寝る間を惜しんで遊びを控えて努力に打ち込むというのは真っ当な事ですね。そこにはなんらかの悔しい思いがあるのかもしれませんし、理想を達成するんだという強い願いがあるのかもしれません。ぜひ、反骨精神を大いに使ってください。

今のダサい自分→理想の自分へのトランスフォーメーションで直面するのが、きれいごとへの消極的意見でしょう。世間的に見てきれいごとは実力がないのに理想ばかり語るやつ、夢だけ追っていつの間にかおっさん、そんな現実を見ないお花畑の住人を揶揄するときに用いられています。きれいごと=現実的じゃない、とばっさり切り捨てられる傾向にありますね。「世の中そんなに甘くない」と。

新たな決意として目標をすえたとたん、「そんなの無理」「きれいごとは無意味」と聞かされる。これはこれからスタートアップする戦士たちにとって大きな逆風です。「そんなにがんばらなくても、そこそこモテればいいか・・」と弱気になり、最初の決意はどこへやら。描いた理想は吹き飛んでしまい元の生活に戻ってしまったとさ。

努力の過程で一番大事なのが、モチベーションの維持かもしれませんね。

モチベーションの維持に欠かせないのが正しい知識と理解ですから、今日は「きれいごと」を分解してみましょう。

ぼくはきれいごとはモテる上でマストなツールだと思っています。というかきれいごとを語らない、語れない、持っていない男で魅力的な男に会ったことがない。無頼派な、チョイワルな男でさえ根幹には「男はどうあるべきか」という自分なりの像を持っています。直接口に出さないだけで、言動のはしばしにきれいごと的な要素が感じられますから。

では、きれいごととは何か?

それは、正しいこととか、道徳的なことではありません。きれいごと=当たり前のことです。

わざわざ言われなくてもわかっているから、人は「あー、はいはい」というリアクションになってしまい、まともに取り合わない。当たり前なことよりも、目新しいこと・より簡単だけど効果的なことを、人は好みますね。

だからきれいごとに対して世間は否定的なのです。「それができれば苦労しないよ」と返してくる。

そういうきれいごと(=当たり前のこと)の積み重ねには、地味な作業、苦しい練習、面白みのない努力が伴って、理想の派手さとは対極にあるため、たいていの人が継続できず放り投げて、きれいごとは実にならないと、判断する。これがきれいごとを取り巻く低評価なのです。

腕立て100回やってください、マッチョになれます。

英単語1万個覚えてください、会話には困らないですよ。

「そりゃそうだけど。」それが到達への”当たり前”の方法だとわかっていてもできない。つまらないから。「うるせーよ、そんなあまくねーよ。」「現実をみろよ」とはき捨てるのです。

ところが世の中を見渡すと成功者はみな当たり前のことを淡々とこなした先に、当たり前のごとく理想を手にした人たちですよね。

たとえば、

毎年最下位あるいはBクラスの野球チームに新監督が就任したとき、「目標は優勝」といったらそれは世間的にはきれごとになるでしょう。「弱小チームが何を言ってるんだ」と。しかし、勝ちに行く、これは当然のこと、当たり前のことなのです、勝負ですから。

現実に2003年に阪神タイガースは優勝、2004年に中日ドラゴンズが優勝を果たしています。きれいごとが現実になりました。

かといって、就任した監督が何かの魔法やウルトラCを運び込んだわけではありません。中日の落合監督の練習はしんどいことで有名でした。「下手なヤツはより練習してうまいヤツを追い越すしかない」「不安だから練習する」、選手は悲鳴もの。

 

勝ちに行く→じゃあ勝てる技術と身体のために練習しよう

 

面白みのない当たり前の帰結ですが、これが優勝につながった最大の要因であったことはいうまでもありません。きれいごとは当たり前であるがゆえに力を持ちます。きれいごとが大事を成すスタートにある。当たり前の練習によって、結局、選手自身の身体能力・技術・精神がアップしただけなんですね。監督一人変わったから、組織の何かがグルッと変わるわけではない。「当たり前のことをしようぜ」という考え方の浸透と、それによるハード面の向上ということです。

メンタルとフィジカル、心技体すべてを満たすために「きれいごと」のフレームの中に身を置いた。きれいごとの中で素直に生きるようになったのです。

「きれいごと」のフレームから外れてしまったと途端この偉業はなせなくなったはずです。呼んで字の如し「逸脱」ですね。道から外れた外道が大義を成せないのと同じでここに普遍のシンプルな原理があります。

もちろん、きれいごとですぐに芽が出るわけではありません。どのくらいのスパンでその優勝を視野に入れているのかにもよりますし、ようはバランスの問題で、勝つ気持ちと現状実力不足をどう「合わせるか」の調整になるわけです。 

一方で当たり前のことだろ、そんなのやって当然だという見方もありますね。「おい、ちゃんとやれよ」という言葉の裏には、そのぐらいの当たり前のことは、当たり前にやれ、というごくごく自然な要求がメッセージの中に込められています。

(仕事ができない、ダサい男に限って当たり前のことができないのにファインプレーをしようとしますね。)

 

ここに「きれいごとのパラドックス」が隠されています。

基礎的な練習(基礎レン)は重要とはだれもがわかっているのに、基礎レンを徹底的にこなせ、それが優勝への一番の近道だといわれると、??となる。「そんなに甘くない」とはき捨ててしまう。次第に基礎レンはいらないんだ、基礎レンはきれいごとだからいけないんだと認識してしまう。そんな中途半端な状態で、どっちつかずになってしまうのです。

これで結果が出るわけがない。

スポーツでも、学問でも、芸術でも、文化でも同じです。そしてモテでもね。

ですから、モテるという目標がある僕たちはまずモテる男になる、という目的意識をしっかり持つべきで(なりたいという願望ではない)そのために、男としてどうあるべきか?というきれいごとのフレームをしっかり持つべきなのです。

そういう自問自答こそが真の男を作り上げると信じていますが、きれいごとは嫌い、テクニックと勢いとフィーリングで何とでもなる、という反論には「いつか頭打ちになる」と答えておきましょう。

 

ダルビッシュは言いました。

「今日はマー君(田中将大)だから、勝てなくてもしょうがねーよ、というチームの雰囲気が嫌いだった。それでは勝負にならないじゃないか、試合前から相手を助けているようなものだ。」

絶対に勝つんだという気持ちもなく試合する周囲に彼は違和感や不満を感じていました。

勝つ気がないのになぜ試合をするのか

何のために戦っているのか

と。

そういう勝負の舞台で当然持っているべき「気持ち」を、それをきれいごとだとはき捨てるとしたら、勝負なんてする必要はないわけですよ。

こういう一番大切な部分が軽く見られ揶揄される対象になりやすいですね。

 

相手を見てこりゃ勝てねーなと、流したり、あきらめたりするのも、ある意味合理的で戦略的なのかもしれませんが、さらにもちろんド素人が一流に無謀に挑んで玉砕なんてバカなわけですが、それでも戦う気持ち、もっと上の自分へという思いは持ち続ける必要があります。さもなくば肝心なマインドが腐ってしまうから。

男が少年のようなもっとうまくなりたいという向上心と、強いやつと闘って勝つんだという負けん気が忘れてしまったらもうおしまいで、テクニックでなんとかうまくやろうとして、訳わかんなくなるでしょう。きれいごとは使えないとか言い出す始末です。

 

ぼくらも今負けられない戦いをしています。

モテの領域で自分の魅力が通用するのか、そういう長期戦です。勝てば人生をグッと引き寄せることができるでしょう、下品な言い方かもしれませんがハーレムも夢ではない。でも負ければだれも自分を相手にしない、いらない存在になってしまう、人としても男としても。そんなシビアでダイレクトな結果がついてくる人生のペナントレースなのです。

そしてモテたいなら、モテるために、「人として男として」どういうマインドで物事に対峙しなければならないかを真剣に考えて、思想を形作り、きれいごとリストを増やし、質を高めなければなりません。

きれいごと野郎のレッテルと貼られることを恐れず、きれいごと大好きを宣言しましょう。

きれいごとを語れないやつにきれいごと(=当たり前のこと)は成せないからです。

そう、イメージ以上の現実はやってこないんですよ。

思考は現実化するという自己啓発の界隈で流行ったワードがありますね。モロモロの条件が整い、正しいステップを踏めば、現実化するでしょう。

でも思考してないことは100年待ってもやってくることはありません、具体的にイメージできてないんだから。漠然とモヤっと何かを夢見て、それがある日すべて叶えられるとしたら、完全にアニメの世界ですよ。まじめに努力してる人がかわいそうだし、歴史上のすべての成功法則と呼ばれる当たり前のことがすべて覆ることになります。

ニュートンがりんごをみて万有引力を発見できたのは、重力の問題についてひたすら考えていたからであり、あらゆる文献を研究しまくって、観察力が研ぎ澄まされていたからで、目的意識→思考→観察→分析→実践があってこそなのです。無思考でぱっとひらめいたなんてことでは決してありません。

考えて描いてそこにフォーカス集中努力して、あわよくば成功。

結論として、きれいごとを語れない人はスタート位置にも立っていないことになるんですね。

 

ですから、まずはなりたい男像を描き、モテる男を観察し分析しパクリ、「自分はS級男になるんだ」という強いマインドをもちながら、「男とはこうあるべきだよ」ときれいごとを拡散していきましょう。

それでいて当たり前の日々の鍛錬を忘れず、セットとして結果を出しましょう。

「口だけ番長」にならないためにも。

 次回はきれいごとの現実化におけるステップについて書いてみます。

 

では!

 

 

◇やじろべえ◇