モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

読者コメント(Twitter)から ~行動力や継続力がありません。どうしたらいいですか?~ 

読者からのコメント、というか質問をTwitterのほうからいただきました。

これはだいぶ前に頂いていて、ブログで使ってもいいという許可ももらっていたのですが、自分の書きたいネタがありましたので、後ろへ後ろへ、と後回しになっていました。

前回、新社会人のみんな、頑張ってください的なメッセージも添えて更新していましたが、「素直」とか「愚痴らず」とか「向上心」とか、ガッツリとマインドの方面を書き散らかしました。ごくごく当たり前のことなんですが、「不忘初心」は大切ですからおじさんは新社会人のきみたちにこれを伝えたかった。

マインドは基本のキですが、今回の記事のたたき台となったこの質問をくれた読者の葛藤が表しているように、マインドは”基本”ということは、ひるがえってさっさとその「次のステップへ」移らないといけない、ということですね。

身体が基本、は確かにそうで多くの分野でのちのち応用が利くわけですが、そのあとスポーツで活躍するのか?ネイビーシールズに入るのか?フィットネスのトレーナーになるのか?筋肉インスタグラマーになるのか?では、身体を鍛えたあとの道筋や方向性が全く違います。テクニックや雰囲気を真似るんじゃなくてやはり基本だ、は間違ってないんですが、基本のあとの二手目三手目は、最終的な目的をブラさずそこに至るプロセスをしっかりと踏まなければなりませんから、夢をつかむための「戦略」が不可欠なんですね。

アクセルをグーーっと踏んで、燃料をガンガン使って強気に行くのは理想ですが、人間は、人生は、そればっかりではダメです。ルート選択と走り方をスマートに考えて、節約できるとこは節約して、自分を温存しながら、つまり「戦」を「略」しながらゴールに向かって走らなければいけません。

つまり、マインドを鼓舞しつつ正統に行きつつも、一方で「頭を使い」「創意工夫する」こともできなければいけない。 

リソースの無駄をしながらやっとこさゴールテープをきれればまだいいほうで、戦略のミスはほぼ失敗します、だからココはマジで大切なのです。

これが人生のレースであれば、リソースの無駄使いは、人生の失敗ということになります。

 

『失敗の本質』でも語られていた日本軍の敗戦は、戦略の失敗にほかなりません。

日本軍の

志良し、

技術良し、

それでもたどり着けなかった理想郷。

 

では、「行動を継続させる」、という課題の前にどういう本質があり、どう戦略を描いたらいいのか、みてみましょう。

本質は意外と単純で、かたや「やるのは難しい」というのは、お決まりですが。

 

では、どうぞ!

 

 

 

ぼくは自己啓発の部類の中でも、「行動力」「継続」がもっとも基本に位置している課題だと思います。

「わかっているけど、できない」というやつですね。

わかっているというのは、それぐらい単純なイシューで、基本だということです。

本屋に行けば「コミュニケーション」とか「「マネージメント」「リーダーシップ」とか「クリエイティブ」とか、そういうポップな切り口のハウツーがズラーッと並んでいますが、やはりDOがないとそれらのデキる自分はそもそも絵に描いた餅で、思考は現実化しません。

「何かをやる」というのが、そして、「やり続ける」というのがないと、何も成し得ません。

この読者のコメントからも読み取れるのですが、自分自身、何かを得るために自分は行動してこなかったな、継続が弱いな、というのは自覚されていました。

だけど、できない。

この認識と実行の間に挟まっている大きな壁とはいったい何なのか?

 

Twitterでメッセージをもらったとき、結局どんな要望だったかというのを簡略化して書くと、

「行動力をつけて、継続して、自分の軸を作るために、何を読めばいいでしょうか?おすすめの本や記事を、、」

だったと、そう解釈しています。

つまり、彼は、自分が変化するために必要なものをインプットするべき、という課題を設定していました。

はっきり言うと、これが間違い。

ここが、決定的なボタンの掛け違いの元だと言えます。

必要なのはインプットではありません。

むしろ、デトックス、なのです。

 

現代人は飽食で栄養の過剰摂取だと言われています。

何を食べるかは個人がそれぞれ選択しますからミクロ的に見ると、栄養のバランスが偏り、栄養不良になる、つまり栄養が足りないよという人もいるようですが、マクロ的に見るとぼくらの身の回りには食べ物が満ちているのが実状でしょう。

これが、戦後の貧しい時代、食べ物が不足しているおじいちゃんおばあちゃんの時代だったら、栄養が足りないわけですから、「栄養を取れ!」が的確な課題となりますが、現在は違う。

何が違うのか?というと、課題設定が違います。

取り過ぎ、食べ過ぎの時代は「食べるな」が課題になるはずで、むしろ身体に負担をかけるジャンクなものいっぱい食べているのが現代人ですから、断食毒出しぐらいがちょうどいいかもしれません。

 

さて、行動力の話。

こういう「過剰時代」の流れは、食べ物に限りません。

情報もそうなのです。

情報溢れる時代。

先のテレビの時代、教育熱心なママは「テレビは時間を泥棒している」と言いいました。そうやって我が子に発破をかけてたのです。

テレビから流れる溢れる情報が子供たちの時間に介入してくる。子供の脳内がそういう情報でいっぱいになり、学校の科目が入ってこない状態になってしまう。時間も奪われるし、考えるエネルギーも奪われるし、何よりバカになる。これを危惧してのことでしょう。

ところが昨今、ぼくらに介入してくる情報量はその比ではありません。

Youtube(関連動画にはまると抜け出せない)

SNS(いいねが欲しくて張り付いてしまう)

スマホ(そもそも、場所を選ばず24時間娯楽が隣にある)

Netflix(わざわざTSUTAYAに出掛けていく必要もない、好きなときに好きなものをサクッと観よう!)

あらゆるものがぼくらの認知プロセスに介入し、情報源となり、脳内に蓄積されてゆきます。

 

「過ぎたるは及ばざるがごとし」

ですから、そういうもろもろの過剰摂取は、かならず心身に不具合を生じさせます。

 

世にあふれる情報はほとんどがゴミですが、それらをがんばって正確に取捨選択して、厳選したものだけ取り入れても、やはり多すぎるのです。

「関連動画」

「おすすめ」

「これを買った人はこういうモノも買っていますヨ」

次から次に流れてくる。

まさに、情報の海。

目的を持ってYoutubeを見ていたら2、3時間あっという間に過ぎて、もともと何してたんだっけ?ということありませんか。

しまった、2、3時間あったらいくら稼げるんだよ、と。

情報の海の中、あの小島に向かって泳いでいたら、いつのまにか逆方向へ泳いでいた、気付いたら時代の嵐がやって来てその中で溺れかけている、ということもあり得ます。

ぼくらはそういう過剰な情報の海、あらゆるものが過剰なる社会構造の中で、生活しているのです。

 

こういう状況で、「まだまだ足りない、もっとインプットを」と考える方が、もう明後日の方向へ努力しているとしか言いようがありません。

自己実現や能力開発については、すでに膨大な研究資料やクラシックな古典があって、決定的なポイントは「DO(実行)」だ、とセオリーは決まっていますから、この、INPUTの段階でいつまでも彷徨っているべきはありません。

逆に、インプットだけ強調してしまう人の特徴は、自己啓発を読んだだけで快楽を感じてしまう、成長した気になってしまうところで、本来大切なインプットが何かを読めば自分が変わる、と自己目的化してしまっているところに問題があるのです。

自己実現のセオリーに沿うと、INPUTだけでは決して成功しません。

だからもう十分なんですよ、インプットは。

 

誤解なきよう丁寧に補足すると、これは「すでにインプットが十分な量だ」という段階がある、そういう意味ではありません。

一生勉強という意味では、学びに、インプットに、終わりはないはずだからです。

しかし、冒頭で言ったように、何かの果実を得るためには「実行」という道をかならず通らなければなりません。習得には、勉強と実践が「セット」ですから、ある程度インプットしたなら実行して実験して様子を見る必要があります。

「いいことを知った、さあ、次の情報は。。」

とジプシーしていては、情報がゴチャ混ぜになり、最初にインプットした有益な情報も生き埋めになってしまいます。またそれを掘り返すのは難しいというのが脳の造りなのですから。

同じような情報は、2コも3コも要らない、「もう十分だ」、と言うことなのです。

そして僕の経験からも、実践実験経過観察を経ないと、次のインプットすべき課題も見えてきません。課題設定は、PDCAのDの後はじめてやってくるものです。

 

だからぼくはこのコメントに対して簡潔に、

「現状認識して、課題もわかっていて、勉強もしている。もちろん、変化に対するモチベとひたむきな想いもある。なのでそのあとにあるのは、「action」ではないか。

2018年はアクションを中心に努力を続けていってくださいね。」

という面白みのない、当たり前の回答をしました。

 

このときのぼくの意図は、

「もう何かを読むというのはいらないので、やって(DO)くださいね。

もう情報は足りてると思うので、実践フェーズでは「引き算」を心がけていきましょう。」

というものでした。

 

引き算なのです。

 

ジプシーする人に決定的に欠けている視点。

「要らないものを削ぎ落す」というものです。

 

ちょっと前、「断捨離」というキーワードが流行りました。

これは部屋の片づけにかぎったことではなく、むしろ、脳内やライフスタイルにこそ適用されるべきものだと強く思います。

 

「ネットで垂れ流される情報のほとんどはゴミ」ということは、そのゴミのゴミ出し人がたくさんいるはずで、よっぽど特殊な環境にいないとすぐにこういう類いの人々に出くわしてしまいます。

残念ながら、一般的にぼくたちの周辺にいる人々は自分の人生の自己実現と言う意味ではほとんど有用な情報など持ち合わせていません。

まして、生活がいっぱいいっぱいな中、一生懸命時間を捻出して、やりたいことを我慢して、自己研鑽のためにあえてお勉強する、なんて人はほとんどいないでしょう。その学びを他人のためにGIVEする人に至っては皆無になります。

これは批判でもなんでもなく、オルテガが指摘している通り世の中というものはそういうもので、仕方のないことなのです。必然として、前回の記事で述べたとおり愚痴を吐く人が本当に多いなあ、と感じる。

 

さて、この状況は実践フェーズに立っている、「行動しなきゃ」と決意している、ぼくにコメントをくれた読者のような立場の人には非常に逆風であることをまず覚悟しなければなりません。

今言ったように、人々は一生懸命身を粉にしながら働き、数少ない貴重な週末は次に控えている仕事のための充電回復に充てられますから、つまり「現状維持のための最善の自分」を次の出勤に持って来るわけですから、「自己実現」「向上するぞ」「新しいことにチャレンジ」という方向性には無意識に拒否反応が働いてしまいます。また、この充電回復のための作業の中にしっかりと「愚痴」が含まれているということも忘れてはなりません。

前回考えたように向上心という代物をもっている人にとって愚痴には意味あるステートメントはまったく含まれていませんから、いや、むしろ有害ですから、それらは鬼スルーすべきものなのですが、こういう愚痴が飛び交うネガティヴな「場」で生活していると「鬼スルー、鬼スルー」とわかっていても、否応なく自分の行動力の足を引っ張ってきます。

 

ビジネスでは、「自分の周りに居る人々の平均年収が、自分の年収になる」、と言われたりもしますが、これはコミュニティ内に存在している自分は良くも悪くも抗えないコミュニティからの影響力を確実に受けて自分というものが出来上がってしまうという、脳科学や教育論の基本的知見、また個々人の経験則をバックグラウンドとしてそーゆー大体の感じが語られているようです。

このコッミュニティが家族だったり、友達だったり、会社だったり、2ちゃんねるのユーザーだったり、はそれぞれです。

これはぼくら個人の体験からしてもよくわかるでしょう、がんばろうとするとき足を引っ張るやつが近くにいるときほど、易々と行動をあきらめ、言い訳して、目標の変更を図ろうとしたことが何度もあるのではないでしょうか。人間はどうしてもその負の影響に流されてしまう、もちろん自分も例外ではないんだ、ということを自覚せざるをえません。

だからこそ、

「引き算」

なのです。

 

大前さんは、成長したければ「住む場所を変えろ」ということを言っていた様な気がしますが、それはそういうネガティヴな群衆は、それがクラスメートでも同僚でも親戚でも友達でも、安定·ノーリスクの常識を毎日ぶっこんで来ますから、そうなるとその常識は我々の「インプット⇒行動」のプロセスに強力な障害として介入してくることになるからです。

人は変えられない、じゃあ自分が変わろう。

その肝心な自分が変わるためにはどうするかというと、「場所」、つまり生活圏や友達付き合い、コミュニティ、親戚付き合い、会社の飲みニケーション、そういう自分の居場所を自ら進んで一気に変えるのが一番手っ取り早くコスパがいい。

そういう「障害」をゴリゴリ削ぎ落とし、不要なものを引き算していき、多くのしがらみから脱してはじめて、軽やかに行動することが可能になるのです。

そういう世間から見たいい人生のルート、安定志向の友人や同僚や親の助言は、「行動力を強くしたいんです」と切実に言ってしまうあなたの人生には間違いなく要らないもので、デトックスしなければならないものです。

友達や親戚など、感情的なつながりが強い関係ほど、引き算するための自分の心理的ハードルは高くなります。

それを「邪魔、不要、ゴミ、、」

、、、などと言ったらいろいろ怒られそうですが、今語ってきたように愚痴の排除は、原理的に愚痴をこぼす人を排除しなければ達成できないわけですから、そういうネガティヴな人々からはやっぱり少しづつフェードアウトしつつ、「場」を変え、行動を変えていくほうがいいんじゃないかなーというのが一貫したぼくの考えなのです。

感情的なつながりがどれほど強くても、価値観が真逆なら同じ人生は歩めない

それは、結婚とかと同じ話ではないでしょうか。

好き嫌い、良い悪いの話ではなく、「自分の人生」の選択の問題なのです。

 

有名な話ですが、NASAは「アポロ計画」を遂行するために独特の目標達成法をとりました。1960年代に「あと10年で人を月に送る」という途方もないプロジェクトです。当時の技術では「あと10年ではほぼ不可能」と分析されていました。

その不可能に挑む方法論、

それが徹底的にプロジェクトの障害となるものを並べていき、排除するやり方でした。

つまり、アクセルを踏むんじゃなくて、ブレーキを離そうよ、という単純なことを宇宙を相手にした天才集団が地道に実践していたのです。

ポイントは「引き算」です。

 

コメントをもらったとき、すぐに、この読者さんにはこのようなライフスタイル全般の見直しが必要だなと思いましたが、「愚痴ばっかりな人と友だちだと人生終わるよ」「ネガティヴな友達は要らないね」「向上心を持って目的の島まで泳ぎきるか、楽にぷかぷか浮いて流されていくか、どっちかを選んでね」なんて根本的なことを、こんなド直球には回答はしませんでした。

でも、これがぼくの本音ですし、こういう断捨離、デトックス、引き算、表現は何でもいいんですが、それを決心できるか?、そういう英断が「行動力·継続性」のもっと手前に存在しているのですよ。

 

成功者に聞けば、

自分が変わりたいなら、周囲の環境も変えるべき、

生活様式も思い切って変えるべき、

そのあと、徐々にマインドセッㇳの変革がついてくる、

と異口同音に答えるはずなんです。

 

行動力や継続力は、本を大量に読んで手に入るものではなく、難しい決断をしてこそ、少しづつ獲得できるものなんですね。

 

 

コメントくれたXINさん、遅くなってごめんねー。

いつもありがとう、応援してますよ。

 

やじろべー

 

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