どーもー。
日々のネタ探しに余念のないやじろべえです。
前回、いや前々回か、テストステロンで記事書くと明言しちゃいましたが、すんません、まだ出来ておりません。
だいたいの構想は仕上がっているんで、もうちょいお待ちください。ぼく自身も楽しみなテストステロンのお話です。
あんまり引き伸ばしてもいけないので、このパラダイムの話を差し込んでおきますね。
では、勉強の時間ですよ。
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さて、テーマにあるように、YouTubeをぶらぶらしていたら昔の映像で落合監督がだいたい30代後半のときに野球関係者と酒を飲みながら(30代後半でどれだけおっさんだよ)、最近の野球界の出来事を語っている、というビデオにたどり着きました。
(「ぶらぶらしてないで、テストステロン書こうよ」という声は、聞こえない聞こえない)
落合博満。
「俺流」で有名で、しかも現役選手としても監督としても「結果」を残した男です。ビデオでは野球界に物申す的な感じで語りが進められていましたが、その物申す落合さんの発言ひとつひとつはイチイチ本質をついているため世界をサヴァイヴするには非常に参考になります。
なにより、現在では当たり前になりつつあるところの「フリーエージェント」「ノマド」的な働き方を、野球というある意味で縛りのきつい領域で、その文脈で語る、というのが本当にすばらしい。野球業界から見たおかしな点そのものが、日本社会のおかしな点と密接に関連付いてしまうそれが一野球選手の口から語られるのですから、わかる人にはわかるとはまさにこのことでしょう。短い映像ですが削除される前にぜひ見てもらいたいと思います。
さて、落合氏が語る「サラリーマン社会」だったあの時代、そこから時間は流れ、現在は比較してよりフリーになりつつある社会ですが、そういうサラリーマンというガチガチなシステムからフリーへの変化。歴史的に見てもフリーを獲得すべく人類は闘争してきたわけですが、そのフリー社会で一番重要なのは何かというと「実力」です。落合氏がなぜ「本来は対等な関係で契約を結ぶもの、そして俺たちは技術を売る」と、つまり超訳して「サラリーマン縦社会ではなく対等契約の個人事業主なんだよ、おれたちは」と言いえたかというと、ほかでもない彼が実力者だったからです。「発言したことをやれる実力がある」ことこそが自由を語っていい人間の条件であるのです。自分のバッティングセンスやスキルを商品として野球市場に投下したとき、それに対して各球団からの大きな需要が存在する、そういう構図を作る実力があるから、こういう発言が影響力を持つのです。
落合氏は、本来球団との契約はそういうものなんだよといいながらも、本来の「対等な契約」、そういう理想と考えられる社会が仮に成立したとき、→では「そうなると個性が際立つ選手が出てくるか?」という問いに、「一部の選手だけ」とキッパリ断言しています。つまり、その大多数の選手はそうはならない、個性が出てくるわけではない、理想社会に適合できない、という趣旨の発言を返しました。
これは今話したように、
『結果を出せる実力のある人間の絶対数はいつの時代もどの分野でも希少である。』
という普遍があるからです。
落合さん、本当に秀逸。
これは超実力社会により明らかな現象で、現在叫ばれている二極化において、結局「成功者はほんの一握り」がだれの目にも明らかになるでしょう。サラリーマン野球業界→バシバシFA権行使、このような落合が予言した業界の移行は、現在優秀なプレイヤー、大谷選手をはじめとした各選手のメジャー挑戦に代表される時代の流れですね。そういう世界の流れをぼくらは野球以外でもいたるところで感じていますが、それは実力社会の二極化プロセスですから、ゆくゆくはあらゆる分野に波及してそうなるのです。
そういう流れ、
ここで誤解してはいけない点をもう一度強調しましょう。
物申すべき球界には問題点がいっぱいあると落合談義で語られましたが、本来あるべき姿に変える、それが成功したとして、みんなハッピーになれるか?というと、
「そうではない」という現実です。
制度や仕組みをいじっても「努力」とか「がんばり」とかが不要になるわけでは決してありません。逆に言うとがんばりが報われやすいシステムになりつつあるわけですが、しかし、がんばらないと一瞬でどん底ですよ、と言われているのです。そしてどん底に落ちたらそこから這い上がってくるのはかなり難しい、というシステムです。そして今、その移行する時間を無駄にはできません。
多くの人に問えばそりゃ頑張りが報われる社会がいいと答えるでしょう。自由がいいですか?統制がいいですか?と聞くと間違いなく自由を選択するはずです。であれば、「努力がダイレクトに報われる社会=フリー社会」を作るのがより「マシ」なんじゃないか、という結論になりますが、残念ながら自由の裏側に残酷な二極化への熾烈な競争という現実にはなぜだか目をふさいでしまう。しかし努力が報われる社会、よりマシな社会、それが、落合が言う”本来”なのだと。
「実力が問われる社会」
「努力が求められる社会」
落合さんは、この93年の落合物申す対談で放送されるさらに10年前からずーっとこれを主張していたとのこと。つまり、その時代から「実力主義」を唱えていたことになります。実力さえあれば自由に球団と契約できるんだというある種の自由主義ですが、そういうものをとなえる人々はアダムスミスしかり、ハイエクしかり、いつの時代にも存在していましたし、そして当然彼らには相応の実力があったのです。そして実力があればできることが広がるわけですが、これからやって来る実力主義は社会は「実力があれば何かを主体的に選べる時代」ではなく、「実力がなければサヴァイヴできず下側固定になる時代」なのですから、これはたいへんです。
そして、つねづね言っていますし、またテレビとかネットとか書籍とかさまざまな媒体を「総合的に」見ればそこでもチラホラ主張されていることですが、恋愛においても実力が如実に問われる時代になります。恋愛の二極化です。
ここで、「恋愛の二極化なんてとんでもない!」と腹を立てたり世間を恨んだりしても、しょうがありません。移行期間である今、貴重な二極化準備の時間、実力を底上げするような努力の過程を無駄にしてはいけない。
「恋愛二極化時代をサヴァイヴする」
これが、今回のお話であり、世界の流れであり、人生戦略です。
落合氏は「二極化」といった表現はしませんでしたが、自由を求めたり不要な規制を取り払ったり、つまり本来的なものに移行しようとすると、その先には必ず実力を前提とする二極化の世界ができてきます。そしてどんどんこの二極化が加速するからこそサヴァイヴをパラダイムとして持っておく必要があるのです。
落合さんは監督になってからその指導力をいかんなく発揮しましたが、その方針の端々に「実力主義」的な思想がよく現れています。「ベテランも若手も関係ないよ、打てるやつ守れるやつを使うよ」というコメントから、「能書き垂れる前に、おれの数字抜いてみろ」とという過激なものまで。こういう思想はこのビデオで語った当時から監督就任して指導力を発揮するまで、まったくブレていません。
その、落合さんが監督就任から改革したのが
「練習量」 でした。
12球団一、長時間、きつい、練習。これにはコーチ陣もビックリだったでしょう。そして当の選手たちは不満たらたらだったはず。「なんでこんなガチで練習するんだよ!おれはベテランだ、おれはうまい。」
そこで、出てくるのが伝家の宝刀「おれの数字抜いてから、能書き垂れろ」です。
結果はご存知の通り、中日は優勝しました。
落合さんの著書には「下手だから、緊張する。失敗するから、もっと緊張する。だからこそ、緊張するほど練習に打ち込め、実力がつけば解決するんだ」というものがあります。「うまくなれば(実力がつけば)、メンタルの問題なんて解決するんだ、それがプロ」と。
そして、その実力を担保するのが練習や勉強や試行錯誤であり、そこからしか「俺流」は生まれないのです。
これは、反対から読み解くと、「俺流」、つまり自分らしさや個性がないやつというのは、そもそも練習量が足りない、試行錯誤(実行してみない、考えていない、改善する意思がない)が足りないということになりますね。
つまらない勉強をして、苦しい練習して、何が楽しいのか、と、凡人は思うでしょう。しかし、実力がある人というのはそもそも人よりもたくさん努力してきたとか、集中力がすごいとか、そういう話ですらなく、
「己のステージをアップこそが、人生の喜びである」
というパラダイムを持っている、そういう種類の人々なのです。
こういうパラダイムを持っていれば、勉強も練習もまったく苦になりません。むしろ楽しく感じられます。日々新たな発見があり成長感があり結果が目に見えてくる。
男はストイックなほどモテることの証明。 - モテるのは、マインドセットがすべて、それを証明しよう。
これこそが、二極化を分ける決定的な要因で、実力のある希少な存在になるのか、結果をちゃんと出せる人材になるのか、それを決めるのです。そしてこういうパラダイムを持てば、そこから主体的に出てくる練習量は必ず実を結び、そういう実力がある人は熾烈な二極化社会を難なくサヴァイヴしていくのです。
恋愛でも、こういう実力底上げという観点に気付けない、あるいは否定的なやつはやはり、いづれは失速して二極化に呑み込まれます。二極化をけっして甘く見てはいけません。この恋愛二極化をサヴァイヴしてなおかつより上へ、よりモテたいならいつもいつでも、他人よりたくさんの練習をこなさなければいけない。
恋愛において、何が正しい練習で、結果に直結する学習で実践なのか、それをマインドから実生活まで、ぼくは包括的に語っているつもりです。
筋トレだ
禁欲だ
勉強だ
世界の見方だ
マインドだ
普通に女に声をかけろ
自意識過剰になるな
ビヒるな
毎日やれ
結局人間性だ
と、落合さんのように、人から嫌われることをズケズケと言ってるわけですね。練習とは試行錯誤とはそもそも退屈で地味でパフォーマンスを発揮するのに最も遠い場所に位置するものと思えます、走り込みも素振りもスイングの観察もピッチャーの分析も、華々しい試合での打席のあの感覚とはぜんぜん違う。だけどぼくはそういう人が遠ざけたいものをあーだこーだ言います。言うのは自由♪
やるのはあなた♪
まぁ、やるもやらないも「自由」なのですが。
いつの時代の自由人もどの分野の俺流も、共通しているのは「量が圧倒的」という事実ですよ。
さて、落合談話を見ながら、今年もあっという間に11月かーと考えさせられました。もし来年死んでしまうとしたらおれは圧倒的量をこなしたのだろうか、と。なんか体調ばかり崩していたような気がします、ここ一年は。はぁ~まったく、モテるようになっても健康的に不自由だったら意味ねー。真の自由人にはまだ遠い、いろいろな意味でサヴァイヴするために来年もがんばらなきゃな。
今年ももうちょい、全力で走りましょうー。
やじろべえ。
PS.このまえアンケートの呼びかけをいたしました、えー、回答が1名様、、、。どれだけ弱小ブログだ。。
ご紹介。
Killingummyさん
「こんばんは。 最近人との距離感について考えることが多かったので、私にとってものすごくタイムリーな記事であり、非常にためになりました。 いつも思うことですが、やじろべえ様の記事は他とはかなり違う深みがありますね。 私もこのブログに出会ってから禁欲を続けておりまして、バイタリティーなど諸々が向上したと感じています。 テストステロンの働きについても知りたいと思っていたところなので、またまたタイムリーで嬉しいです。 記事、楽しみにしています。 アンケートについてです。 専門は生物学です。 また最も興味のある分野は、哲学・心理学です。」
これは、前回の記事へのコメントですね。やっぱり人間誰しも人間関係に悩んでいる、これは永遠のテーマだと思います。このKillingummyさんは熱心な読者さんで、このアンケート以前にもコメントをいただいていました。そして今回もしっかり答えてくれました。もうかなり人生を自分でハンドリングしてる感を得ておられるんじゃないでしょうか。哲学心理学かー、勉強しよう。
そして、もう一回投げときますわ。
このブログの軸は「モテる→そのために、人間的にでかくなろう。男らしくなろうよ。」なんすよ。しかし、他分野と融合させるのがイノベーション。
そしてそこで、読者の皆さんの出番。
自分の専門はコレ、自分はこれに興味がある、この側面でブログで扱ってほしい、などコメントしてただけないでしょうか??
1.歴史、哲学
2.経済、金融
3.テクノロジー
4.心理学
5.生物学
6.社会問題、政治学
どの話題が一番おもしろいですか?アンケートを取らせてください。
読者の方でなくても構いません。どんどんコメントいただければうれしいですーー。
まあ、ぼくがこの方面詳しいわけではないので書けるかどうか保証はできませんということも再度強調。(;´・ω・)
ツイッターでコメントしてもらってもOKです。
ではでは、以上お願いでした!
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ご意見「いやいや、そのシチュエーションではこうでしょ」とか要望「ここんとこ、いまいちよくわかんないっすよ」とかあればコチラまで。
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