モテるのはマインドセットがすべて、それを証明しよう。

恋愛解明ゲーム、そしてぼくは人間になる。

築地市場移設問題の本質とガチでモテないバカな男にならないための方法

 

さてさて、年末までのラストスパート、まず一つ目行ってみましょう。

体調不良や睡眠不足は、頭脳労働には堪えますね。最近冷えてきましたので皆さんも体には気を付けて頭をフル回転してインプットしていきましょう。

今回も大好物の時事テーマですよ。

あれだけ騒がれた築地市場移転問題、もう今となってはどんな風に収束しようとしてるのか、ぼくもウォッチしていません。。

 
しかし当時の一番盛り上がっていた頃の報道を見ていると、真実をはっきり見極められる人と、デマに踊らされる人との違い、またデマを真実と信じこんでドヤ顔で報じるマスコミの豊洲劇場なるものが演じられていると言えます。
 
まあ見える人にははっきり真実が見えるでしょうし、特段複雑なわけでもないですが、マスコミからすればバカな人は面白いように劇場の上で踊ってくれるから快感でしょう。
 
ここに移転賛成派と反対派、聡明な男とバカな男の共通点が浮き彫りになります。
 
バカバカとBPOスレスレの発言をしていますが、これは「知性の問題」というより、情報収集と処理能力、感情の安定性の問題であり、ここでコケると完全にバカな男になりますので、そうなると完全に未来がなくなりますよ。本当にまったくモテない。
 
それはヘアスタイルとか清潔感とか飯奢るオレ太っ腹とか、そういう「次元」の話で挽回できるものではありません。
 
「バカな上司」というハズレくじを引かされるとキャリアが終わるように、好き好んで「バカな男」を選ぶ女などこの世にいないのです。
 
デマに煽られてバカな踊りをしてるやつらを引いて見てるつもりが、恋愛においては「バカな男」そのものだったら、ダサすぎて死んでも死にきれません。
 
さてさて、お勉強していきましょう。
 
 
まず豊洲移転がなぜ問題視されたかその経緯を簡単に見ていきましょう。
 
築地が老朽化しすぎてもう移転しないとヤバイでしょ、というのは90年代から言われていたことです。
 
でも、築地のほうがメリットがある人々がいるし(それは行政かもしれないし観光産業かもしれないし、長年そこで商売してきた卸売りの業者かもしれない)、移転して得をする人も出てくる。様々な思惑が入り乱れてくるのはしょうがないことです。
 
各々の利益が絡んでもうぐちゃぐちゃでしたが、
 
しんどい交渉や調査や計画がすこしづつ進んで、豊洲になりました。
 
そして、もうほぼほぼ工事が完成した時、事件が発生したのです。
 
「豊洲移転を見直す」
 
小池新都知事がそう言い出した。まあ言い出したというか、それを掲げ当選したので公約を守りますということでしょう。
 
実は以前から、「豊洲には汚い金が絡んでいる」という噂があり、悪を暴くことが使命と考えている人たちはそのチャンスを虎視眈々と狙っていました。
 
なんといっても都議会はまったくのブラックボックス、悪代官と越後屋の「お主も悪よのー、代官様こそ」というストーリーが疑われても仕方がない。
 
現実的に言ってしまえば、新たなモノを設計し、作り、制度化すれば、それを仕切る人が必要で大なり小なり既得権が発生します。
 
築地でメリットを得ていた人々もいれば、豊洲移転で新たにメリットを得る人々も出てくる。そういうものです。
 
古今東西そういうものなので、別に嫉妬する必要もなく自分の人生を生きればいいのですが、
 
世間は不利なことをひた隠しにして利得を得たり、嘘ついて必死に権益を守ることに、非常に反発します。大嫌いなのです。
 
小池さんはそこも公約に含めて大衆の支持を得ました、これは石原慎太郎元知事の方針からの180度の転換です。
 
「都議会との真っ黒なつながりが豊洲移転にあるはずだからそこも暴いていくべきだ!」
 
そして今の豊洲ドタバタ劇場が演じられているのです。
 
さて、悪を暴くのはいいことですが、ここで疑問が生じます、というか疑問を感じなければいけない。
 
それは、
「悪とは何か?」
 
そして、
「どのように悪を定めるのか?」
 
という2点です。
 
悪を暴くという意気込みはいいのですが、何をどう暴けば丸く収まり、みんなが幸せになるのか、そこがわかっていなければ逆にみんなを不幸のどん底に巻き込むことになるのです。
 
バカなやつは何をしてもみんなを不幸に巻き込みます、知らず知らず。それは動機が善だとしても、そうです。
もっと大事な点として「女を不幸にするのもバカな男」なんですよ。
 
ては、豊洲移転問題で誰がどういうバカをやらかしているのか解き明かしましょう。
 
反対派の主張
「豊洲は東京ガス跡地だから環境汚染がひどい、危ない危ない!」
「食の安全が!日本の文化が!」
 
 
根底にあるのは、豊洲移転の不透明さから来る「汚い利権のニオイ」。悪を止めよ!というロジックです。
もうまったくそう信じている、ヒステリックにです。こうなったら移転を止めるためにどんな手段でも使います。
 
「猛毒のヒ素が基準値の4割の値で検出されました!!!」 
 
某団体は独自検査の結果を公表しました。
 
「ほら、やっぱり悪だ。危険を隠して、都民を騙して、利得を得ようとしている、やっぱりだ。」
 と言って、危険を煽るのです。
 
これを聞いたら、誰でも、
「危ねー、豊洲は危険、ダメ絶対」
となります。
 
しかし、このデータを別の角度で解釈すると
 
「ヒ素は基準値の半分以下でした(ホッ)」
 
となる。
 
事実は同じものでもメッセージの出し方でこうまで印象操作できる、真実はいったいどちらかわからなくなるのです。ここで情報リテラシーが問われる、
 
検査をした⇒結果が出た⇒その結果をどう”解釈するか”で、本質が見えるかバカな男かが分かれます。同じ結果をどう解釈するか、インプットは同じでもアウトプットは全く違う。このアウトプットが成果物なのでアウトプットをするボックスが精密なのかポンコツなのかが誰の目にも明かになり、バカさが露呈されます。ボックスと表現しましたが、要は脳みそです。
 
ここでヒ素はどんな物質なのか?、基準値とは何なのか?、そこに注目できないといけません。
 
 ヒ素自体は猛毒というのは否定できません。ところが、「ヒ素はミネラルウォーターにも入っているよ」といわれると?ですね。「魚介にも入ってるんですけど。」「えっ??」となる。
ぼくらはそういう水を毎日飲むし、魚介大好きだからもりもり食べている。だって微量だったら大丈夫なのだから。
 
何をもって「微量」とするか、
 そう、そこで安全基準の登場です。
 
安全基準=「70年間毎日2リットル飲み続けても健康に影響がない量」
 
つまり、「心配いりません、寿命が先に来ますから。」ということなのです。
 
豊洲の地下水はその基準の半分以下なのですから、ヒ素に関していえば「飲料水」並みのきれいさなのですよ。それぐらい厳しい安全環境基準を採用しているのです。
 
 それはTwitterでつぶやかれているとおり、飲み水でもない地下水をそこまで厳しくチェックする必要があるのか?とも思いますが、それを危険危険と煽るのはもう頭がナイーブとしか言いようがありません。一体誰が得するのか教えてほしいぐらいです。
 
 

さてこうやって見てきたとおり、単なる印象や推測でモノを言ってはいけない、ということが理解されます。何が危険なのか、何が悪なのか、を「明確に」線引きしなければなりません。

その際メッセージを受け取る側は偏った煽りを真に受けてもいけませんし、汚い利権が絡むから悪=危険と感情的になってもいけません。東京ガスの跡地でしょ汚染されているに決まっているじゃん、と決めつけてもいけない。

 

「定量的」に測定して、正確に把握することです。

 利権悪=豊洲悪

工場跡地=汚染

という印象では真実は語れません、それは正確さからかなり遠く、科学的でも現代的でもない。

バカには物事の真実に迫ろうという意志がありません。

印象だけで善悪を断定する満々の自信がある、「それは完全にあなたの主観ですよね、客観的に把握しましょうよ」というのが常識であり、科学性を導入する意味なのです。

さて、ここまでハッキリ数値で結果を出し、環境基準という指標の意味が解ったとしても、間違いなく彼らは豊洲を否定します。

なぜか?

それは、「悪を暴く」という勝手な使命感、言い換えれば自分の考えを絶対視し、嫌なものは嫌、という感情に固執するからです。あるいは、「怖い怖い」に支配され、科学データが頭に入ってこないメンタルの弱さかもしれません。

いずれにしても「感情的」なのです。

汚い利権と金その背後にいる悪い親分と、豊洲の環境安全性とは本来まったく別問題であり、分離して考えるべきものです。それがごっちゃになってもう悪だと勝手に断定したものは「全部ぶっ壊す」みたいになっている。

感情を脇において、それはそれコレはコレ、悪い利権と豊洲の安全性は別、とそれぞれの論点を独立して吟味する「知性」がない。

さらにそれに煽られて怖い怖いと危険を決め込んでいる人も、「いやいや、データを見ましょうよ」と言いたい。データは公開されてるし、調べればすぐに出てくる言葉の意味や歴史的背景や地理的性質など、そういうひと手間をめんどくさがり頭を使うということをしない。

脳は使えば使うほど賢くなることは脳科学のコンセンサスで、しかも現在明らかになっているところによれば高齢になってからでも遅くない、という結果が出ています。脳のニューロンの結合の仕組みがそうなのです。

 この点から導き出されるのは、負の感情に絡めとられて、データを見ようとしない、調べない、考えない、頭を使おうとしない、そういう人々は脳科学の見地からも「バカだ」ということが言えてしまいます。(×_×)アチャー。

感情のコントロールが出来ない人間に悪を成敗することはできません、それでもなお無理栗それをやろうとすると世の中がめちゃくちゃになるということはこの移転問題を見れば縮図として理解できます。

メンタルの弱い男が女を不幸にする構造とまったく一緒じゃありませんか?!

実際、女が失望する男の言動の大半はメンタルの弱さに起因するもので外見はあまり関係ありまさん。本当です。ネットで残念な男のワースト10を調べてみましょう、メンタルの弱い男たちが軒並み並んでますから。

 

さて、話を物事の本質とバカストーリーに戻すと、大事な2番目としてバカな正義には絶対見えてこない視点を論じましょう。

それは、悪の成敗と人々の幸福は一致しないという点です。(男の考える正義は女の幸福とは一致しない。)

それは、都民が求めているのは「食の安全」だけではないという重要なポイントです。

”だけではない”、ココです。

何か唯一の原因を解決すれば万事うまくいくなどというシンプルなストーリーはこの世に存在していません。いろいろな要素が絡み合って問題が発生するのが実情です。一個の問題を解決すれば、次の問題が出てきてそれに取り組む、あっちをたてれば こっち立たず、というのが普通なので、問題把握する本質を見極める能力とそれぞれの問題でバランスをとり、最適解を生み出す力が求められます。

www.zakzak.co.jp

 
さて、約6000億もの膨大な費用をかけて建設した施設を見直すことの意味をしっかり考えなければいけません。
 
上記のサイトは安全性のみならず「コスト」にも、注目しています。当然です。資本主義社会ではお金が必要なのだから。
汚いお金の問題が発覚するとわーわーいうのに、幸せはお金ではないなどと言い出す。しかし、実態は豊洲移転もお金、移転見合わせもお金、再調査⇒意味不明にもっと厳しい基準にして汚染除去もお金、何もかもお金がかかるのです。
 
都民の巨額の税金がどんどん無駄に使われていく、彼らが汗水流して働いた賃金がドブに捨てられていく。都民はそれで幸せになれるのか?そんなことはありません。
 
当事者である築地の業者たちは移転できるのか不安でたまらない、老朽化した築地の施設にある意味で閉じ込められた状態です。新しい最新の豊洲市場、「世界でトップクラスの市場にするぞ!」そういうコンセプトのもとに建設された施設が彼らを待っているのにそこへ行けない。宙ぶらりんな状態です。
 
さらにこんだけ「危険危険!」と煽られたらもうだれもそんな豊洲なんかへ魚を買いには行きたくありません。
 
「風評被害」です。
 
築地に残っても損、豊洲に移転しても損、
 
都民にとっても損、卸業者にとっても損、
 
もうどうしようもないのです。
 
もう誰が幸せになれるのか、彼らの正義はすべてを葬り去ったのでした。
 
悪と安全をごっちゃにしたのも悲劇でしたが、悪を叩けばすべてが解決すると考えるほど、頭がシンプルでナイーブなのももっと致命的なことでした。
 
 
『地獄への道は善意で舗装されている』
 
1800年代のイギリス、ドイツの諺です。今となっては出所は定かではありませんが、意味するところはまさにいつの時代でも真理で、バカなやつの善意や正義は、みなを地獄へいざなうのです。
 
必要なのは、「知性」でした。
 
(確認すると、知性は生まれ持った天性の脳ミソの質ではなく、頭を使うという努力と結果を受け入れるという感情の問題です。)
 
デカルトが「知は力なり」と述べたとおり、力が無いヤツがでしゃばってはいけないのです。
そういうやつは何が正義が判断することができないのだから。
 
男に求められるのはメンタルの強さであり、知性です。外見やノウハウではない。
 
そこを履き違えると、本人のみならず女を不幸にします。恋愛をしたいのなら相応の資格が要りますが、まさにこの条件を満たして初めて恋愛市場に参加できるのです。
 
さて、最後に興味深いビデオを。
 
 
 
物事を決定する上で、重要な視点を考えてシメましょう。
 
橋下氏が強調していた、「2択思考」かつ「より良い選択」です。
 
2択というのも、「豊洲にするか、しないか」の選択じゃありませんよ。それじゃあ豊洲のメリットとデメリットがぶつかり合うだけで、煽り合戦が始まるのです。
 
全然違う。
 
本質は築地と豊洲の比較です。現状と改革後の比較です。多くの人々はこれができない。
 
「築地は空気はきれいなの?排気ガスは入ってこないの??」
「築地は下水が上がって来るんじゃないの?水質は調べたの?」
「建物は老朽化して危険なんじゃないの?だから移転を決めたんじゃないの?バカなの?」
 
それを問わなければいけない。
 
そうして初めて、研ぎ澄まされた思考が現れて、現実的な選択がクリアに見えてくるのです。
 
そもそも「なぜ移転の必要性が発生したのか?」という原点をガッチリ押さえながら諸々の枝葉を議論して詰めていかなければいけない。
 
築地が古すぎてヤバい、小さすぎて現状に沿わない→だから移転した方がいいよね
 
ということで決めんですよね。
 
じゃあどこにするか?
築地から遠すぎず、交通アクセスが便利(中心部)で、十分な面積がある、などの条件。
 
そういう様々な要素が検討されて絞り込まれたのが、「豊洲」だったのです。
 
他の選択肢よりも勝ち残った土地だった。
 
そういう歴史というか文脈があって今に至ってるんですよ。
 
だから、築地に残るという選択肢はありえません。現状を使用し続けることはできない。じゃあ建て替えるのか?営業しながらの建て替え工事は環境汚染的にアウト。生鮮食品の隣で土木工事は無理。
 
他の候補地は無し。
 
じゃあ豊洲が多少環境面で不安要素があっても、科学技術を使って汚染処理してきれいにすればいいよね、じゃあ豊洲で。
 
そういうふうに決まったのだから、「危険反対!」派がわーわーレッテルを貼るというのは、まったく物事が見えていない、盲目なのです。ネガティブキャンペーンではまったくどうにも世界は善くならないのです。
 
彼らは代替案を示すことが出来ません。
「じゃあどこがいいですか?」
という問いに絶対に答えられない。
 
だってそういう視点がないのだから。
 
論点の整理も、豊洲に至った経緯も、科学的データも、全体を俯瞰して見ることも、何一つできず、嫉妬と不満と不安に呑み込まれてわーわー言っているだけなのです。
 
僕らはなぜ時に大きな決断をしなければいけないのか?それは現状を「より良く」するためです。
 
「今よりマシ」を選ぶんです。
 
完璧な選択を求めるのでは決してない。しかし、批判するだけのヤツは感情的になって完璧のレベルを要求して、それに適合しなければダメ!という。じゃあどこにそんなお花畑の土地があるのか教えてくれよ。
 
好き勝手に揚げ足を取ってくる責任のない立場だと無責任なことが言えて楽ですが、その代償として恐ろしいほどバカになっていきます。
 
そういうまったく割りに合わないことを正義だと信じてやっているのが彼らなのですよ。
 
 
こうやってみていくと、バカな男·メンタルの弱い男は女を不幸にするロジックが分かりますが、そういう意味で恋愛市場の二極化、非モテの量産は、自然淘汰の一環で世界的にその流れが加速していくのでしょうね。
 
豊洲に完璧を求めるのに、自分達は頭を使って考え結果を受け入れようとしない。自分には甘いのに他人には厳しい、そういう人種です。
おや、彼女にしたい条件は無数にあげつらって夢みたいな話をするのに、自分は何も取り柄がない努力してない女を幸せにする要素を持ってない、「女に見る目がない」などとわーわー言い出す男たち、同じ構造ですね。(爆)
 
 
 まとめです。
 
①基準値と照らす 定量化  (明確にする)
②不透明性(悪い利権)と豊洲の安全性を分けて考える 感情の事実の分離 (論点整理)
③全体を見る (様々な要素をバランスよく把握)
④ゼロリスクはない 比較優位 (現実を見る、より良い選択をする)
 
豊洲移転問題を恋愛に活かすトピックでした。
 
はあ、年末までにあと一記事書かねば汗
 
 
 
やじろべえ〇
 
 
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